19.予定
お茶を少し口にして、ユリが気づいて僕に尋ねた。
「お仕事って何をするの? どこかに行くの?」
僕は首を傾げてみせた。
「この後に詳しい説明を受ける予定で、まだよく分かってないんだ」
「そうなの?」
「うん。そう」
僕は頷いて見せた。ユリは不思議に思うかもしれないけど、嘘をつけるほどの情報もないから正直に言うしかない。
「スケジュール、今、いつまでここにいれるの?」
ユリが不安そうに尋ねて来る。
「えーと。ここで1時間きみと会って、それから宿泊場所に行って荷物の確認、そこに来てくれるからそこで詳しくを聞く・・・あ、そうだ。あの、なんていうか」
僕は今まで秘密にしていたことを言わなくてはと気付き、そして少し口ごもった。
「あのさ、2人の部屋らしくて、だけど僕しか来れないって分かったらしくて、それで、きみが会いたかったら、いつでもこっちに泊まってくれても、僕は、全然いいから」
というような事を言えば良いから、と指導を受けたのだけど、本当にこんなことを言って良いんだろうか。嫌がられたり呆れられたらどうすれば良いんだろう。
緊張しながらなんとか告げて、ユリの感情を見逃したくなくてじっと見つめる。
ユリは少し驚いたような、それでいて真面目な顔で僕を見ていた。少し動きを止めている。
どうやら、ユリも僕の気持ちを正しくつかもうとしているみたい。
何か説明というか言い訳をしようと思ったけど、ユリがじっと見つめたままで、言葉を失う。
互いに無言で見つめあう。
「あ、僕の宿泊先」
情報を見せようとしたら、ユリも端末を取り出した。そのままユリの端末に情報を送る。
「私の宿泊先と近いのね」
とユリがポツリと言った。
「そう、なんだ」
そんな気はしてた。むしろ同じ場所かと思っていたけど違ったのか。意外。
なにせ、ユリのメンタルサポートが僕の一番の役割だから。
「私のところは、ここなの」
ユリも僕の端末に情報を送ってきた。確かに近い。だけど建物が大きそうだ。
「行っても良いの? 困らない?」
とユリが心配したように聞いてきた。
「いつでも良いよ」
と僕は頷く。
「変な意味じゃなくて?」
「どういう意味?」
「・・・本当に、分かってない?」
少し、困ったようにユリが確認している。
「あ、分かってるかも」
ユリと付き合うようになって、僕は大人たちからデートの事とか色々教えてもらったから。
「嫌そうなことはしないよ」
「・・・うん」
ユリが笑んだ。少し安心したように。
「ずっと一緒にいても良い? 2ヶ月間」
とユリ。
「良い、よ」
僕は少し考えつつ返事した。
「2ヶ月ずっとは、駄目・・・?」
「一応、新しい仕事のこととかまだ分からないから、と思っただけ。でも、多分大丈夫、だと思う」
「うん」
ユリはホッとしたようだ。
一緒にいれたら、本当に嬉しい、と小さくユリが呟いて、久しぶりに会ったのもあるけど、もう本当に可愛いなと僕は思った。
***
『退出時間です』と僕に向かって表示が出た。
僕が気づいたのでユリも気づき、僕が何か言う前にユリが悲しそうに泣きそうになった。
「もう行っちゃうの?」
「うん。でも、終わったら連絡するね」
「サクは、いつ終わるの?」
「うーん。今日は晩御飯も、仕事について教えてくれる人と一緒に取る事になってるから、今日は遅いと思う・・・」
と言ったところで、ユリがボロリと泣いた。
えっ、と僕は驚いた。
電話越しで泣いた事もあったけど、傍でこんな様子を見たのは初めてで、動揺する。
我慢しようとして口を引き結ぶけど、ユリの目に次々涙が溢れて頬を伝って落ちていく。
どうしていいのか分からなくて、立ち上がりかけていたのを、座り直してじっと様子を見つめる。
『退出を』という表示が赤色になって明滅しはじめている。
声を押し殺そうとするのに無理らしくて、ヒックヒック、泣き声がもれる。
どうしよう。
この後、僕には予定があって、晩御飯も決まっているから、多分今日は遅くて、それは僕にはどうしようもできない。
でも、こちらに僕が呼び出されるぐらい、ユリはとても不安だったのだろう。
掛ける言葉がわからなくて、ユリの両手は涙を抑えたりぬぐったりするために使われていて、だから迷った末に、僕はユリの肩に手を置いて、すこし撫でた。なだめるために。
ピーッ
僕が動かないので、急かすような音が鳴りだした。
どうしよう。
僕を送り出すために、床にへたりこんで泣いている僕の担当者の姿がなぜか重なる。
僕は担当者を泣かせたままこちらにきて、こちらではユリも泣いていて、僕はここに来ていて。
だったら、僕はユリの涙をとめるべきで。そのためにいるのに。
「ごめんね。今日は行かなくちゃいけないみたいで」
と僕は静かにユリに話した。
まるで、担当者が僕に言い聞かせるようだ、なんて思いながら。
「だけど、約束する」
僕は、大切に育てられていたのだとこんな時に思い至る。こんな風に話しかけてもらっていた。僕は担当者から、安心をもらい続けていたんだろう。
ひょっとして、あの妙な口調も、僕たちのため?
だって、少しおどけたくなる。何てことないよと装いたくなる。
「終わったら、連絡するから。宿泊先も近いんだから、遅くなっても会いに行くよ。だから待ってて。本当に遅くて無理なら、寝ていても良いから。その時は手紙を届けるよ」
僕の言葉に、まだ泣きながらも、ユリは笑って頷いた。
少しためらってから、勇気を出して、僕はユリを少し抱きしめた。
こんな様子に僕はとても切なくなって、もっと早く来られれば良かったのに、と考えても仕方のない事を少し悔やんだ。