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2. DiXit ディクシット (上)

「それでは、こちらの物件はいかがでしょうか? 駅チカでスーパーも近くにあって便利ですよ」


 私は業務用のパソコンに新築マンションの情報を映した。それを見た若い男女のカップルは、互いに顔を見合わせながら、再び意見を交換し始めた。


「こっちのほうが最寄り駅に急行も止まるから、良いんじゃない?」


「そうだな。でも、実際に部屋を見てみないと」


「男なんだから、ちゃんと決めてよ。もう」


「この前は引っ越した後で棚が入らなくて苦労したから、メジャーを持ってきたんだ。寸法を確認したらすぐ決めるよ」


「そうだっけ?」


「そうだよ」


 カップルの希望で、いくつかの部屋まで車を回すことになった。車中でもこれからの予定について話し合っている。仲が良さそうなカップルだ。私は心底羨ましく思った。


 彼らに引き換え、私の夫婦仲――いや、夫はとても褒められた男ではなかった。


 私の夫は自称・人気配信者だった。部屋にこもってゲームをしているか、撮影と称して外で遊んでいる。平日は昼過ぎに起き、顔を洗うより先にPCを起動する。そして、視聴者たちから小銭を巻き上げようと、延々とカメラの前で自慢のトークを披露するのが日課だった。


 最近は知り合いの女をたらしこんで、女の部屋に行くことが増えていた。私は彼が昔のように、仕事に熱心な男に戻ることを望んでいるが、彼が目覚める気配はなかった。それどころか、私の収入をあてにして、遊びほうけているだけに思えた。


 何故こんなことになったのか、理由は分からない。夫は自分が鬱病だと私に説明したが、私が入っている会社の健保組合の受診履歴には、夫の診療費は無かった。詐病だ。


 きっと、夫は今も知り合いの女を連れて、配信と称して外で遊んでいるのだろう。私は沈んだ気分を紛らわそうと、カップルに断ってカーラジオを付けた。スピーカーからポップなラブソングが流れる。


「そういえば、月末のコンサート行くんだった」


「この曲のバンド?」


「そう。会社の友達と皆で」


「へー。皆と、か」


「今、妬いてるでしょ?」


「そんなことないよ。折角なんだから楽しんできなよ。趣味の合う女友達との付き合いなんだろ?」


「うん。えへへ。ありがと」


 仲睦まじいカップルの会話は、私の耳に入らなくなっていった。やがて、車はマンションの前に着いた。私の収入では絶対に入居できないような、奇麗なマンションだ。部屋に入ると、カップルの男は壁にメジャーを当てながら、細かく数字をメモしていった。その間も女は男の気を引こうと喋り続けている。


 長くなりそうだ。ふと窓の外に目を向けると、奇妙な物が私の目に飛び込んできた。馬車が公道を走っている。しかも、引いているのはただの馬ではなく真紅の馬だ。私は目をこすって再度、道を確認した。馬車は一瞬で道を駆け抜け、姿を消していた。


「よし。それじゃここに決めよう」


 男の声で、私は我に返った。


「ありがとうございます。それでは一旦、戻って書類のお手続きをさせていただきます」


 その後の仕事は儀式のようなものだった。入居手続きの書類を読み上げ、仲介手数料の説明をする。細かい注意事項を話している間、カップルの女はずっとスマホをいじっていた。振込の金額だけは、きちんと確認していたが。


「ありがとうございました」


 客が帰った後で、私は嫌な予感がした。


「あっ」


「どうした?」


 客の後ろ姿が見えなくなるまで頭を下げていた上司が私を睨んだ。部屋の鍵を掛け忘れたかも知れない。ケアレスミスにもほどがある。


「ちょっと確認してきます」


「ボケっとすんなよ! ……ったく」


 上司の小言に追い立てられ、私は再び車を回した。今日は運がなかった。


(あれ? この階で合ってたっけ?)


 マンションに着いた後も、私は集中力を欠いていた。振込の催促で夜中まで残業続きだったからかも知れない。私はなんとなく不安になり、空のはずの部屋の扉をノックした。


 誰もいないはずの部屋の扉が開き、中から人影が飛び出してきた。


「遅かったな、媽祖(まそ)! 心配していたところだぞ。かくいう私も遅れそうだったのだがな。馬車を飛ばして先ほど着いたところだ」


 出てきたのは鎧に灰色のマントをまとった女騎士だった。膝まで伸びた灰色の髪の毛は、マントよりも長い。


「え? え? 何?」


「この服装! なるほど、これが現代の仕事着なのだな。下界の人間たちに溶け込むとは流石だ」


 私の混乱をよそに、女騎士は私の腕を掴むと部屋に連れ込んだ。


「な、何なんですか?!」


「何なんですかだと? とぼけるな。貴公もバステトに招待された口だろう。さあ、早く始めよう」


 土足のまま部屋に上がった私を待っていたのは、円卓を囲む4人の少女たちだった。猫耳幼女、金髪少女、3つ目の少女、そして巫女服少女。ここはコスプレイヤーの集まりか何かなのか。


「おい、モリガン。誰じゃ、それは」


「決まっている。残る一人は媽祖(まそ)だけだろう。つまり、媽祖(まそ)だ」


「違うっつーの」


 巫女服の少女が私を指差して口を尖らせた。


「これはただの人間。なんで連れ込んじゃったの?」


「なんと! 言われてみれば確かに、下界に溶け込み過ぎていると思ったが……まさか神違い、いや勘違いだったとは」


 女騎士はその場に膝をついた。


「このモリガン、一生の不覚! このまま下界に降臨してはいられん! こうなれば……くっ、殺せ!」


「お前がいなくなったら、また面子が足りなくなるだろう」


 3つ目の少女が溜め息をついた。


「これはいつものパターンだね。媽祖(まそ)姐さんはまーた道に迷って、どっかに消えた」


「どっかって、どこですか?」


「それが分かったら苦労してないよ。もう面倒だから、その人を面子に加えて始めようよ。待ちくたびれた」


 巫女服の少女が退屈そうに腕を伸ばした。私は見られていない隙にトイレへ駆け込み、鍵をかけてスマホを取り出した。とりあえず、外に連絡しよう。


「えっと、えっと……」


 ドンドンドン! トイレの扉が激しくノックされる。


「何故、隠れている? 出てくるんだ」


「何なんですか、貴方たち! 人をいきなり部屋に連れ込んで!」


「面子が足りんのじゃ。少し付き合うくらい良いじゃろう。人間の娘よ」


 意味が分からない。何を言ってるんだ、こいつら。頭がおかしいに違いない。私は警察に電話をかけようとした。その時――


 バキッ!


 矛槍がトイレの扉と、私が持っていたスマホを貫いた。


「ひっ!」


「ちょっと、こんな狭いところで武器なんて使ったら危ないですよ」


「仕方あるまい。交渉するより壊すほうが早いのだからな!」


 女騎士は矛槍が開けた穴から腕を伸ばし、トイレの鍵を開けた。そして、私をトイレから引きずり出した。


 殺される。私は完全に腰が抜けていた。


「ほら、びびっちゃって声も出なくなっちゃったよ。かわいそー」


「安心せい。ただ、暇つぶしに付き合ってもらえればよいのじゃ」


 褐色の肌をした猫耳幼女が私に手を差し伸べてきた。


「わらわはバステト。そなたは?」


「ひ、平沼……」


「イラーマか。うむ、良い名じゃな。多分」


「よろしくお願いしますね、イラーマさん」


「思いっきり聞き間違えてるんだが……。まあ、こいつらこういう連中だから。気にしないで」


 少女たちに案内され、私はテーブルについた。そこには奇妙な絵柄が描かれた大量のカードと、点数が書かれたボード、そしてウサギの形の駒が並べられていた。

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