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その四 奴が奴であったのは……

 若松永健は右脚を引きずりながら歩いていた。色が所々落ち、擦り切れ、生地のくたびれたロングコートを着込み、帽子を目深に被った彼の顔はシミと皺にまみれ、その昔の精悍さを感じさせないほどになっていた。

 コートの下には数々の火器。手に持ったボロボロの百貨店の紙袋には爆薬や地雷が満載で、その上から適当な服で蓋をしていた。

 18年前に想い人であった緒賀恵子が遊園地での爆弾闘争の失敗で死に、それ以降組織は分裂に分裂をつづけていた。その直前に弟に刺された時の傷は彼から正常な歩行能力を奪い、また、数々の内ゲバは彼の骨格と筋肉に負荷をかけ、ストレスゆえの飲酒と喫煙は彼の臓器に深刻な障害をもたらしつつあった。

 右目はほぼ見えない。反革命の容疑に掛けられ、拷問された時に傷ついていた。

 耳たぶも形状がいびつになってしまった。

 彼にとってみれば、どうにかして皇居と自民党本部と経団連本部を破壊することだけが最後の望みだった。

 彼は意地でも革命を成そうという情熱を持っていた。


 若松の実家は地方のブルジョワという奴であった。

 恐ろしく頭の出来のよかった若松は私立大に入り、政治を学び世界を変えようと考えた。

 東京という町のハイセンスさに驚き、必死になって訛を矯正し、洗練された都会人になってみた。

 時は若者のエネルギーが満ち溢れていた時代。国家の無策で貧困層が生まれ、権力がそれを固定しようとしているのだという話を聞き、彼はその話をするグループに入った。彼らは進んだ価値観を持っていた。無条件に自民党に入れる田舎とは違う。選択する目がある。

 彼らはこうも語った。今後日本はアメリカの戦争に巻き込まれ、近く徴兵制になると。ベトナム戦争の戦火が話に現実味を持たせていた。そしてそれで金を得るのがブルジョワであるとも。

 始めは軽い気持ちだった。ちょっとだけカンパを支援したり、運動に必要なプラカードの手伝いをしただけだった。

 だが、運動が徐々に先鋭化していくうちに徐々に組織の内面の深い所に位置するようになっていった。

 彼は実家に嫌悪感を持った。地方の金持ち。金に目のくらんだ家族に反目するため、自分で自分の生き方を決めるために学生運動にのめり込んだ。

 そんな中、近くの女子大に通っていた恵子と出会った。彼女は性が解放された時代なのだから女も男をとっかえひっかえしてもいいはずだと言った。当時の若松にとっては衝撃的であったが、すぐ受け入れた。

 行きずりの男と身体を重ねる恵子。その娼婦然としたふるまいすら魅力的だった。

 彼女は「体制側」に付いた兄や資本家の手先となった父に反感を覚えていた。

 魅かれた彼女を運動に誘うのは容易かった。

 彼女も革命の同志となった。

 運動が先鋭化する中、警察との全面武力闘争を掲げる武闘派と平和的な問題解決を模索する和平派にセクトは二分された。

 和平派に属していた多くのメンバーは将来のことを考え運動から足を洗おうとしていた。

 だが警察や社会はそんなことお構いなしに全メンバーの名簿を手に入れ社会から孤立化させるという手に打って出た。

 この事を手引きしたのは和平派ではないのか?この疑心暗鬼が発端となり、遂には和平派を「反革命」とした粛清劇が始まった。

 恵子はリンチと凌辱、そして洗脳の末に武闘派に鞍替えした。出産能力と引き換えに命は助かった。

 若松も片目から光を失い、元からあった爆弾製造のノウハウを生かすことになった。

 ついに運動は社会的な表現から復讐へと姿を変えていった。

 あるメンバーは身分を偽り資金集めに奔走し、あるメンバーは反米諸国との連携を模索し、あるものは政治家襲撃計画を立てる。

 ついには亡命者まで出てきた。北朝鮮や革命直後のイラン等に亡命し始めた。

 そして、ソ連やIRAとの連帯も決まった。

 それが事態を悪化させる。

 ソ連の工作機関とつながりがあると踏んだCIAが組織に浸透して内部分裂と各個撃破を画策し、そのたびに粛清が行われた。運動の退潮、社会の変化、一億総中流。これらが一斉に生じたことが彼らの不幸だったに違いない。

 ついには革命から逃れられなくなった彼らは先鋭化する以外の策がなくなってしまったのだ。

 自分たちの存在を示すための攻撃。やっていることは中学生の不良のようなことである。


 若松にはわかっていた。ここ数日の間誰かがつけているのを。

 公安だろう。もう慣れた。

 どうせこの体では最後の望みもかなえられそうにない。

 目の前の少女を人質にとって仲間の解放を訴えよう。

 そうすれば、何か変わるのかもしれない。


 そう、彼は気が付いていなかった。

 自分の精神状態に。

 相互不信と公安による尾行は精神を過剰にすり減らし、ついには真っ当な思考能力すら奪っていた。

 悲しきかな。彼を心配するものは彼に憎しみを抱き続けてきた公安の刑事だけだった。

 組織自体はとうの昔に彼を切り捨てていた。

 社会情勢の変化に心身共についてゆけなかった。

 ついに彼は最後の凶行に打って出た。

 そして。



「無縁仏か」

「仕方なかろう。こいつを墓に入れる義理はない。供養せず葬式もするな。香も炊くな。火葬もせず道端に放っておけ。って遺族が言ったんだ。いや、遺族というと怒ってたな。名誉棄損だ。こいつは我々と関係がないって」

 緒賀は安置所担当の男、柞田と話していた。

「一族郎党からここまで嫌われていたか」

「当り前さ。こいつを殺そうとまでしてたんだ」

 柞田は緒賀の同僚だった。だが、もう一線を退き、野生のカン頼みのやり方故にノウハウの継承もできず、変なところに押し込められていた。

「こいつは孤独な中死んでいったのか」

「CTを取ってみたら、脳が萎縮していたそうだ。末期の肝臓がんで、そうでなくても肺は真っ黒。動脈硬化とか心筋梗塞寸前だとか」

「いつ死んでもおかしくなかったというのか?」

「ああ。撃たれたのとほぼ同じタイミングで脳梗塞を起こしてた可能性があるとか」

「死因はわからないと?」

「そう言ってたな。検死の先生は」

 渋い顔をして言う元同僚と共に若松のその顔を見つめる。

 安らかとは程遠い死に顔のままだ。

「死の運命か」

「ああ。死期を悟っての大仕事か、はたまた、死の恐怖ゆえの発狂か」

 柞田のどこか冷ややかなその視線は、因果応報という言葉が込められているようでもあった。

「娘にいうのか?母さんを殺し、光を奪った相手を仕留めたって」

「言ったところで喜べるもんじゃない。あいつの母と目は戻ってこない」

「そうか……一緒に酒でもどうだ」

「そうしよう」

 この男は、憎い。憎くて憎くて仕方がない。

 愛する妻と、娘の目を奪っておきながら、のうのうと生き延び、事実上天から与えられただけの命を全うできたのだという。

「……すまないが……独りにさせてくれないか」

「……ああ」


「迷惑をかけたな」

「いや。どうってことないさ」

 待っていた柞田はそう言って肩に手を置いてくる。

「あいつの遺骨は俺が引き取る」

「お前……正気か!?」

 素っ頓狂な声を上げる元同僚に緒賀は静かに口を開く。

「言っちゃ悪いがあいつは俺の義理の弟みたいなもんだ」

「そうではあるが、さすがにそれは」

「一応、気にはしてるんだな」

 なぜか笑いがこみあげてくる。

「おいおい。ついに正気すら……」

「いや。奴が打ち上げた花火のおかげで、根源を破壊できる」

 そう。最期の最後に奴は弩デカいプレゼントをこっちに送ってくれたのだ。

 不意にポケットの携帯電話が鳴る。

「ちょっとすまない。……はいこちら……そうですか……はい……わかりました」

「どうした?」

「想像通りだ。これから本丸に攻め込んで一網打尽にする。SATやSITも一緒だ!」

 緒賀は顔を明るくして年甲斐もなく駆け出した。

「あいつらしいな。本当に」

 送り出す元同僚は携帯電話を開いた。

「俺だ。強制捜査が入るようだぞ。気を付け」

 カチリ

「!?」

 ひんやりとした硬い感触が後頭部にある。

「柞田。おまえが、内通者だったとはな」

 緒賀の声が響く。

「ははは、何を言ってるんだ?」

 そう笑いながら柞田は携帯を破壊しようとするが緒賀に掏り取られる。

「その携帯、違法流通品だな。そして発信先も特定済み」

「なんだ?」

「もう遅い。いまごろ捜査員がなだれ込んでるよ」

「一体何のことだって」

 精一杯柞田はとぼける。

「このためだけにここまで足を運んだんだ」

「この事?」

「いちいち漏れてたんだよ。情報がな。あんな素人集団がああもうまく隠れられるわけがない。だから内通者探しをしていた。で、最近の逮捕ラッシュで気が付いた。貴様が退職してからのな」

「それだけで銃を突きつけるのか?」

 柞田は腹のあたりを探る。

「内勤がなんで銃を持ってるんだ?」

「!?」

 隠せていると思った拳銃がばれている

「しかもその銃、警察にはないコルト・パイソンだ。いくらスナブノーズだからって隠しきれたもんだ」

「お前!?」

「おとなしくお縄にかかってもらおう。貴様のせいで、同僚と俺の家族がどれだけ苦労したか」

 そう言って緒賀は手錠をかけた。


『今回の一連の事件に関しては、警察内部の内通者の存在があり……』

 その後わかったことは、一切なかった。なぜ内通したかも、そもそも接触はどこだったかも、柞田は口を割らなかった。

 だが、テロ組織は一気に壊滅へと向かっていた。

 最後の砦。そう彼らが名づけた鉄筋コンクリート建てのビルに捜査員が入り全員を逮捕したのを皮切りに各地の組織が暴かれていったのだった。

「緒賀、長かったな」

「本当に、そうです」

 課長がそうねぎらってくる。

「で、遺骨を引き取るって聞いたが」

「ええ。決めました。奴が地獄に行くのをこの手で確実に見届けます」

 緒賀は静かにそう言って部屋の外へと出て行った。

これで『それに至る経緯』は完結です。

短く疎い作品でしたがいかがだったでしょうか。

『イレギュラー・サーティーン』と違う方向性も模索してみようという意図で書き始めましたが、案外話の進め方が難しく苦労しました。


短い作品でしたがお付き合いいただき感謝いたします。

大長編『イレギュラー・サーティーン ―公安調査庁庶務十三課―』もよろしくお願いいたします。

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