その一 男が奴を憎むに至るまで
小さな死体置き場。
そのど真中の無機質な台の上には真っ白い肌にシミと皺だらけの男が横たわっていた。
男の名は若松永健という。血縁者の誰もが遺体の引き渡しを拒否した。
理由は単純だ。この男はテロリストだ。
世界同時革命なんて馬鹿げたことを妄信し、大学生活の多くを過激派のシンパとして過ごしてテロを支援したのが破滅の始まりだった。
彼は、誰にも知られずにうまくやっていると思ったらしい。しかし現実は非情で、公安一課は彼の単位の所得状況からどんな女を抱いて、どれだけ果てたかに至るまで知り尽くしていた。無論、テロ行為の支援の詳細もキレイにそろって調べつくしており、それが彼を第一の破滅へと追い込むことになった。
先ず彼を襲ったのは経団連所属企業全てからの採用拒否だった。彼の支援していた組織のターゲットは経団連と自民党という彼らの言うところの既得権益層、そしてそれを防衛する警察と自衛隊だった。公安はここで情報をリークし、彼をはじめとしたテログループのシンパを社会から排除することで組織の資金の流れを遮断することに成功した。
彼の実家が地元でも有数の資産家であることもわかりきっていた。彼が田舎で就職する可能性もあったために、先手を打って情報を流した。これが第二の破滅を生むことになった。田舎のムラ社会はテロリストというレッテルを張られた若松家の長男に対して厳しかった。それどころか、長男がテロリストなら、その親兄弟はということになった。若松一族の所有していた会社は所詮は地元密着型でしかなく、マクロな事業展開を成せていなかったこともあって社会から排除され、若松の弟や妹たちは迫害され特に思春期だった次女は精神を病み、家庭は崩壊した。この事を釈明しようと若松の家長は長男の永健を勘当し、一族から排除した。しかし、一度失った信用は回復せず、若松一族はあっけなく屋敷を追われ、憎悪の矛先を長男の永健に向けるようになった。
そこまでの歴史を知っている男は若松の傍らに立って死体をじぃと見つめた。
男の身なりは灰色の背広に赤銅色のネクタイで、皺にまみれた顔には何とも言えぬ哀愁が漂っている。
「所詮三流だったな。ざまあみろ」
男はそうせせら笑う。
彼の名前は緒賀孝三。公安畑一筋の男だった。
緒賀にとって若松は因縁の相手だった。
この男によって作られた爆弾は、彼から親友と妻の命、そして娘の目を奪った。
そして、皮肉なのは、若松は緒賀の義理の弟だった。
妹はもともと反骨精神の人といえた。彼女がひょんなことで選んだのが、若松だった。
「私の人生は私が決める!勝手に道を決めないで!!」
そう言って出て行った妹は名門女子大を中退して行方知れずになった。
それから少しして監察官から聞かされたのがマーク対象と妹が同棲しているという事実だった。
無論、緒賀には寝耳に水だった。大学にいなければならない時間に授業をフケてはホテル街に行って行きずりの男と逢瀬を楽しむ、いわゆる不良学生だったという事実の方がずっと重くのしかかってきた。
「大丈夫か?さぞ驚いたろう。有給を取ってもいいんだぞ」
今でも明確に覚えている。常に偉そうにしている監察官が、動揺している緒賀に掛けた精一杯の心遣いだった。
「大丈夫です」
咄嗟に虚勢を張った。
だが、直後、出した覚えのない有給申請がいつの間にか通っていて、無理やり休まされたのだ。
ひとしきり悩み抜いて、緒賀は留まれるか念のために質問してみた。
結果はYes。当人同士の面識がないことが幸運だった。
それからというもの、緒賀は死に物狂いで若松を追った。そんな中、緒賀の同僚はテロリストとの戦いで次々と倒れていった。あるものは爆弾テロの標的となり、あるものは潜入先で身元が発覚して組織の相互不信による内部抗争を誘発させた代わりに真っ先に処刑され、あるものは心労がたたって病で動けなくなり。激務は肉体をすり減らしていった。
緒賀もまたそのような境遇にあった。休暇で家族みんなで遊園地に行ったとき、よりにもよって爆弾テロに遭った。この時、妻は火炎で重度の熱傷を負い敗血症で死に、娘は破片をもろに目に喰らい光を失った。顔にはひどい傷跡も残っている。
「よくも、俺の家族を、俺の幸せを、奪ってくれたな」
低く唸るようにつぶやく。緒賀にとっての生き甲斐が、目の前で蝋人形のようになっているのだ。
緒賀は、若松を逮捕したら訊きたいことばかりだった。
どうして遊園地でテロを起こそうとしたのか。兄弟に刺されてどう思ったか。逮捕され革命を潰されてどう感じたか。今まで殺し、傷つけた奴らにどう謝る気か。奴のプライドを、自尊心を土足で徹底的に踏みにじるのを心待ちにしていた。
若松の逮捕の機会は何度かあった。その中でも印象的だったのは遊園地の爆弾事件直前の時だった。
若松は、その血縁者に狙われていた。奴の一番下の弟は遂に永健の居場所を突き止め、ナイフで刺し違える覚悟だったらしい。皮肉なことに、永健は大きな怪我を負ったものの死なず、弟は首を折られて絶命した。この時病院に駆け込んだ奴を逮捕しようとしたが、よりにもよって病院の院長がかくまったのだ。
あの時確保していれば、あの事件は起こらなかったかもしれない。
そして今日。奴は死んだ。最期の花火を打ち上げようとして。
死にざまは全国中継された。犯人射殺の瞬間が中継されるなんて瀬戸内シージャック事件以来だろう。
「貴様に訊きたいことは山ほどある。地獄の閻魔に訊きに行ってやるから、楽しみにしていろ」
緒賀はそう吐き捨てた。
この事件の終幕はいかに引かれたのか。
来週をお楽しみに。