第二話 夢叶える魔法使い
人は誰しも自分の人生に疑問を持つものだと僕は思う。過ぎてゆく今日には何も思わないのに、ふと後ろを振り向き積み重ねてきた『今日』を見たとき、疑問に思う。
それは後悔であるとは限らない。ある日、何も考えずに取った行動が人生を好転させることもあるだろう。
だが、僕のそれは紛れもない後悔だ。
地下鉄の駅に面する大通りから細い道に入り、そこからさらに細い道に入ったところにある店があった。看板にはレストランと書いてあるが、その字面から想像されるイメージとは遠く離れた、どちらかというと食堂と言ったほうがしっくりくるような、そんな雰囲気の店だ。
僕はその引き戸に手をかけ中に入る。カランカランと戸に取り付けられたベルが音を出す。
その音を聞いた店員はいらっしゃいませと言いかけて、止めた。それを合図に何人かの客がこちらに目を向けた。
「やっときたか、魔法使い君」
そう客の一人がいうと、他の客も口々に歓迎の言葉やせかすような言葉を掛けてくる。僕はその全員に向け簡単に挨拶をして、「Staff Only」の札がかかっている部屋に入った。
僕は後ろを振り向く。
僕は一体いつから手品をしていただろうか。そもそもなぜ手品を始めたのだろうか。
膨大な量の『今日』からそれを探すのはとても困難で、僕はすぐに諦めた。
ここで仕事を始めてもうすぐ5年になる。といっても中学のころはただ店にいるだけで、マスコットキャラクターというか招き猫というかそんな立ち位置だったわけだが、ただそのころからお客さんに手品を見せていた。
最初はカウンターで一人暇つぶしにやっていた手品を隣に座っていたお客さんに褒められ、次第にテーブル席のお客さんも僕のところへ集まるようになり、そうして噂が広まったのかこんな裏路地の小さな店にしてはたくさんお客さんが来るようになった。
子供の手品が珍しいというのもあっただろうし、自分で言うのもなんだがそこらの子供が遊びでやっているようなレベルの物ではなかったというのもあるのだろう。噂はさらに広まり、ローカルの情報誌に紹介されるまでになった。
だから僕の仕事は手品を見せること。高校生に上がって接客もちゃんとするようになったが、やらなくてはいけないことは変わらない。
まずはカウンターで1回、その後呼ばれたテーブル席で2回、3回。後はお客さんの入り具合によって臨機応変に、カウンターでは全体から見えるよう大きく派手なものを、テーブル席ではお客さんも参加できるようなものを。
同じ手品を見せることの無い様、レパートリーを増やして、練習して学校でみんなに見てもらって。
毎日、毎日、繰り返す。
ただ、後ろを見ずともわかることがある。
僕は今まで一度も手品師になりたいと思ったことはない。
それどころか手品が好きだと思ったこともない。
僕にとって手品は仕事で、生きる手段で、
魔法使いを夢見る異端者の『人』とつながるための道具だ。
戸のベルが鳴り、二人の女性が出て行った。ベルが鳴り終わると店内はシンと静まり返る。彼女たちが本日最後のお客様だった。僕は席の片付けを始める。
「ご苦労さん」
ちょっと間を開けて店長がカウンター席の奥から顔を出した。
「おつかれさまです。なにか手伝うことありますか?」
「いや、あとはその皿を洗うだけだから大丈夫」
店長はさっきのお客さんたちの皿を僕から受け取ると厨房の流し台へと向かう。
キュッという蛇口をひねる音が店内に響き、そのあとはジャーと心地よい水の流れる音が続いた。
「それにしても、」
店長が皿を洗いながら話し始める。僕は椅子をテーブルに上げながらそれを聞く。
「今日もすごいお客さんだったね。売り上げを見るのが楽しみだよ。」
確かに今日はほぼ常に満席で、ピーク時には長蛇の列とまではいかないが、何組かのお客さんを待たせるほどだった。数か月前まではピーク時でも満席になるかならないかだったのに、最近はなかなかに忙しい。
「本当に魔法使い様様だな。時給を上げてやらないとな」
店長はとても嬉しそうに言った。
「それはうれしいですけど、店長までその呼び方しないでくださいよ」
「いいあだ名じゃねーか。それにもう定着しちまってるし」
そうなのだ。クラスメイトだけでなくここのお客さんにまでこのあだ名は定着してしまった。しかも常連だけでなく初めてきたお客さんにまでそう呼ばれている。どうやら高校生の手品師がいる店という噂ではなく魔法使いのいる店というような噂が広まっているらしい。おそらくミサトやユージをはじめとするクラスメートとその保護者あたりから始まった噂なんだろう。
僕は大きなため息をついた。
「ほらほら、若いうちから幸せが逃げていっちまうぞ」
いつの間にか皿を洗い終えていたらしい店長がカウンターから出てきた。僕の持っていた掃除用具を奪い取る。
「掃除はいいよ。明日も学校だろ?ほらもうこんな時間だ。さっさと上がれ」
僕は時計を見る。『まだ』21時だ。飲食店が店を閉める時間にしては随分と早いほうだろう。店長が言うには僕がいなくなるとお客さんもいなくなるということだが、僕が帰るときにお客さんに引き留められることの無いようにと気を遣ってくれているのだろうと思う。実際僕がここでしっかりと働き始める前はもっと遅くまで店を開けていた。
だからこそ、僕は店長の気遣いに甘えなくてはならないと思っている。
僕は奥の部屋で着替えた後、掃除をする店長にあらためて挨拶をし店を後にした。
種も仕掛けも誰にもわからない手品は、魔法と変わらないとは誰が言ったことだろうか。
僕はそうは思わない。これは見ている側に対してだけ言えることだ。やっている側のことは一切考えられていない。
たとえばとても綺麗な刺繡があったとして、その裏はぐちゃぐちゃにいろんな色の糸が絡まっている。
僕は裏側しか見ることができない。ずっと。一生。
僕は刺繡された布をぴんと張って持っていないといけないから。
裏側を誰にも見せないように、自分を使って隠し続けないといけないから。
春は終わったが夏にもなっていないし、梅雨もまだ来ない。そんな中途半端な月、5月。日はだいぶ長くなってきたものの21時ともなればあたりは真っ暗だ。加えて外灯もないこんな路地では闇はさらに深くなる。
店を出て最初の曲がり角。そこで僕は出会ってしまった。
「このいい匂いは…君からかな?」
月明かりも届かぬ闇の中。おそらく少女であろうその影は、顔を上げくんくんと匂いを嗅ぐまねをした。
「さっき食べたばかりなのに、今すぐ食べてしまいたいくらいだ」
彼女はチラッと一瞬だけ僕の顔を見ると、かかとを軸にしてきれいにくるっと180度回転した。彼女の長い髪の毛がその軌道を追う。その光景は何と言ったらいいか、ただただ美しく感じた。
「こんなことならさっきのを我慢するんだった。思ったよりおいしくなかったし…」
彼女はそう言いながらすたすたと歩き始めた。一歩進むごとに彼女の体は闇へ包まれていく。
「き、君は?」
彼女が完全に消えてしまう寸前、僕は聞こえるかわからないほどの弱い声を出した。いや出てしまった。
彼女は止まり、顔だけ振り向いた。どうやら僕の声は届いたらしい。
「…私?」
彼女は首を傾げ、そして暗くてよくわからないが多分笑って、言った。
「私は魔法使い。夢を叶える魔法使いだよ」
どうもkinaです。
2話ラストにしてやっとファンタジー要素が出てきましたね。
…ほんのちょっぴり。
ジャンルがファンタジーでよかったのか迷うくらいこの先も現実めいた話になるんですが、それでもよろしければ是非次話以降も呼んでいただければ嬉しいです。
それではまたお会いしましょう。