(3)勇者の成すべき事
魔王城の廊下を、城内に存在する唯一の人間が駆け抜ける。
敵兵を呼ばれるのを恐れたアッシュは、遭遇した魔族に問答無用で斬りつけていった。
葬ったのは五体で、唯一、三首狼だけを仕留め損なってしまう。逃げ出した狼に追いつけるはずもなく、とどめを刺すのを断念するアッシュ。
さらに時間的制限が増した状況で、階段を探して多少は迷いつつも、ようやく目的の階に到着する。
感じ取れる強大な魔力は、大きな観音扉の向こう側から感じられた。
アッシュは、扉に体当たりするような勢いで、室内へ転がり込んだ。
絵画や棚などが配置された生活感溢れる室内に、異形の影がたたずんでいた。
六本の角がある鰐に似た頭部と、四本腕。全身を緑の鱗で覆われたその姿は、システリプスから聞いた説明通りだった。どうやら、椅子にくつろいで酒でも飲んでいたらしい。
「何事だ……?」
広い部屋のため、魔王までは二十歩ほどの距離がある。
アッシュは鞘から抜きもせず、一本の剣を魔王めがけて投げつけた。うなりを上げて回転する刀を、魔王はグラスをかばって無造作に片手で払いのける。
そこへ、アッシュは別な剣を引き抜いて一閃させた。甲高い笛のような音が鳴って、断ち切られた風が刃となって魔王の身体に真一文字に血の痕を刻む。
「ほう。システリプスの召喚した戦士か」
喜色を浮かべ、魔王は壁に掛かった四本の曲刀に腕を伸ばす。
それを阻もうとしたアッシュのカマイタチは、すでに腕を覆っていた魔力によって弾かれ、なんの傷も与えられなかった。
敵の四刀に対し、アッシュは数で劣る『風の剣』と『雷の剣』の二刀流で挑みかかった。
やったこともない二刀流、見たこともない強敵に対し、アッシュは人事のように考えている。
(なんで、俺は戦えているんだろう?)
まるで現実味が無く、夢心地の中にいるアッシュ。
彼の心情などお構いなしに、彼の身体だけが戦闘を継続させている。
切り結ぶ六本の刀が、幾度と無く火花を散らしていた。
(これが、異界の者か……)
魔王もまた奇妙な感慨を抱いていた。
室内に乱入するまで、魔王はアッシュの魔力に気づかなかった。力を誇示するのが当然の魔族にとって、魔力を押さえるという行為は一般的ではない。それを考慮しても、眼前のアッシュが放つ現在の魔力は、変動幅が大きすぎるように思えた。
(それに、この魔力はまるで魔族ではないか)
魔王の目に映るアッシュの赤い魔力は、同族のものに思えるのだ。
魔王の突き出した切っ先を、込められた魔力まで見切り、アッシュがわずかな動きで回避した。ほんの指先ほどの距離でかわしただけなのに、彼は十分な安全距離だと信じて疑わずにいる。
攻撃においても、『この角度なら防御できない』とか、『このタイミングならば回避できない』といった直感がバシバシ当たっている。
この戦闘において、アッシュの人格は戦闘から切り離された場所にあった。
彼は自覚していなかったが、のんびり思考しているのは脳内領域の一割程度にすぎず、残る九割近くは戦闘のためだけに高速で思考していたのだ。
彼が瞬間的な閃きと感じているものの正体は、彼自身の記憶にない無数の経験則から組み上げた確度の高い行動予測の結果である。
自覚のない変貌は思考のみに止まらず、戦闘を支える魔力すら、使用している自覚のない魔力生成術によるものなのだ。
腰を捻った魔王が、四本の曲刀すべてを身体の右側へ振りかぶる。
唐突な構えに異変を察し、アッシュの身体が弾けるように左へ跳んだ。
「ちっ!」
舌打ちに込められた魔王の賞賛。
構えた方向に跳ばれたことで、十分な力を乗せられないまま魔王は技を発動させた。
四本の腕と握られた曲刀が、魔力を乗せながら突き出され、アッシュの背中目がけて魔力の渦を放つ。
壁に逃げ道をふさがれたアッシュは、その壁を蹴ることで上へ向かって跳んだ。
轟音と共に壁に大穴が開いた時には、天井を蹴ったアッシュが魔王の頭上から襲いかかっていた。
魔力を通した右手の『風の剣』が、魔王の右上の腕を断ち切った。
「ぐおっ!?」
魔王の漏らした苦痛の呻きは、それだけに止まらなかった。
『雷の剣』が腕を失った断面に突き刺さり、魔力を電撃に変換して魔王の体内へ流し込んだ。
「がぁぁぁあああっ!」
アッシュに向けられた魔王の目に、明らかな殺意が込められていた。ようやく、明確な敵として認識したのだろう。
開かれた魔王の口から、業火が奔流となってあふれ出す。
室内を焼き尽くすかに見えた炎は、ある一点を境に効果が防がれている。
『風の剣』を振るったアッシュは、風の障壁を持って火炎を押しとどめ、その身を守っている。さらに、『風の剣』を使って炎を窓の外へ排出し、室内の温度を下げることに成功した。
自分を抱きしめるように両腕を交差させたアッシュが、魔力を込めた両腕を前方に振って交差させる。剣の根本から切っ先にかけて、全ての魔力をこそぎ落とすように刀身に力を乗せる。
振り切った双剣が、翼の様に左右へ広げられる。
アッシュの生み出した魔力弾は、放電を行う小さな竜巻となって魔王を襲った。
かわせないと悟った魔王が、三刀を重ねるようにしてこれを受ける。
バチバチと大気が震えたかと思うと、肉の爆ぜる音が続く。
魔王の持つ右下の腕と左上の腕が、威力を相殺できずに内側から弾け飛んでいた。
即座に間合いを詰めるアッシュ。
危機的状況に、魔王が選択したのは逃亡ではなく反撃であった。
カウンターで突き出された最後の曲刀を、アッシュは右側に振りかぶった双剣で迎撃する。それは、魔王が繰り出した技を、簡易的に模倣したものだ。
螺旋を描くような双剣の突きが、曲刀を噛み砕きながら、魔王の左下の腕をずたずたに引き裂いていく。
四本の腕を失った魔王は、なおも戦意を失わず、至近距離でその顎を開いた。
残された魔力を使い尽くす、最後の業火がアッシュの全身を覆う。
だが、炎の中からは無傷のアッシュが姿を見せる。持っていた凍結の玉を使い、最高温をやり過ごしたアッシュは、魔力を纏って炎から身を守ったのだ。
「……見事だ」
淀みなく澄んだ魔王の瞳に、振りかぶられた『雷の剣』が映る。
アッシュの渾身の一撃が、魔王の首筋に打ち込まれ、その頭部を切り跳ばした。
床に転がった魔王の首が、最後の言葉がこぼれ落ちる。
「これほどの敵に倒されたのならば、悔いはない……」
「……あれ?」
燃えさかる室内にいたはずが、気づけば全く違う場所にいた。
アッシュが先ほど召喚された場所と同様、四方全てが石の壁で覆われていた。明らかな違いは、正六面体を構成する全ての壁や天井や床に、大きな魔法陣が施されていることだ。
アッシュに見覚えのある光景は、勇者ギルドに存在する転移の間だった。
思い返すと、魔王の部屋の入り口には、システリプスと取り逃がした三首狼の姿があった気がする。そのおかげで、召喚条件を達成したのかもしれない。
この部屋につながる控え室との扉が開き、一人の女性が姿を見せる。緩くウェーブのかかった桃色の髪を持つフィアーネという名の女性だ。
「アッシュ君? 戻ってきた……のよね?」
数刻前、転移するアッシュに彼女は一言だけ励ましの言葉をかけてくれた。
特別親しいわけではなく、今日の語り部担当として控え室に居合わせただけの関係だ。
「最初の召喚が日帰りというのは、初めての事じゃないかしら」
柔らかな笑顔が、高ぶっていたアッシュの感情を鎮めてくれる。
容姿が整っているのもあるが、フィオーネの纏う雰囲気は暖かく、柔らかで、男性受けがとてもいい。同性の間でも親しまれているという噂だった。
「さっそくだけど『共感』するわね」
「はい」
「もう少し顎を引いて」
ちょっとばかりフィオーネの方が背が低いため、アッシュが俯く形で角度を調節した。
アッシュの前髪を両手で左右に分け、フィオーネがお互いの額を触れあわせる。
異世界を観測する手段が無い以上、勇者の実力や功績を客観的に確認することも不可能だ。そのため、勇者ギルドでは語り部という制度を用いていた。
『共感』という魔法を通じて、語り部は勇者の記憶を共有するのだ。この場合、勇者の感情や思考は対象とならず、あくまでも勇者が五感で知りえた事実に限定される。
人肌のぬくもりだけでなく、魔法の発動や記憶の移動で、触れあう肌が少しだけ熱くなる。
「ずいぶん急ぎ足で目的を達成したみたいね……」
呆気にとられたような口調に、アッシュは恥ずかしくなった。先ほどまでは、これしか方法は無いと思い定めていたのだが、振り返ってみると、熱に浮かされたように冷静さを失っていたような気もする。
「武器ではなく、これが貴方の『宝具』になるのかしら」
アッシュの胸元に伸ばされたフィオーネの手が『運命の小枝』に触れていた。