白の章
カーテンの隙間から日差しが差し込み、外では鳥の鳴き声が聞こえる。
ただ、彼が目を覚ました理由は鳥の声ではなく、同じベッドの隣から聞こえてくる女性の寝息であった。
枕元にある時計に目をやると、『AM 6:49』と表示されている。いつもより早い起床であったと思うが、目覚ましをセットしなくても7時には目が覚めてしまうので、余り普段とは変わらないのかもしれない。
隣の女性の頭を一撫でし、男性は洗面所へと向かう。顔を洗おうと思ったわけだが、自分が少し寝汗をかいている事に気付き、そのままシャワーを浴びに向かう。
「ん・・・・・・、ノア?」
女性は寝付きが悪いわけではないが、人の動く気配に目を覚ます。女性もまた、ノアと呼ばれた男性と同じく毎朝決まった時間に目が覚めるタイプで、この家にある目覚まし時計は使われることは無いという羨ましい二人である。
女性は辺りを見渡し、そしてシャワーの音が聞こえることに気付く。
なんとなくノアの存在を確認できてやっと安心し、大きく伸びをしてコーヒーを淹れにいく。
朝のコーヒーは彼女の日課なのだ。ちなみに、ミルクはちょっと多めが好みである。
シャワーを浴びているとダイニングルームから物音がする。
「ん・・・・・・? クリス、起きたのかな?」
自分の物音で起こしてしまったかな?とちょっとだけ嫌悪する。
ノアとクリスティーナが出会ったのは今から6年前、よくありがちな『強姦に襲われていたところを助けた』という場景であった。
その時、ノアに一目惚れし、告白もクリスティーナからであった。
自由気ままに生きてきたノアは驚きはしたが、二つ返事でOKした。内心、クリスティーナに惹かれていたのは当人はまったく気付いてはいなかった。
この世界において、孤児・片親は珍しい事ではなく、この二人もまた独り身であった。
そんな背景が、現在の二人の同居に至る。
案の定、シャワーを終えてダイニングルームに向かうと、食卓でコーヒーを飲んでいるクリスティーナの姿があった。
「おはよう、クリス」
「ノア、おはよう」
クリスティーナはそう言うと、自分の座っている席の対面にカップを置き、ミルクを注ぐ。
「ありがとう」
ノアは、残念ながらコーヒーが飲めない。周りからは「子供だ」なんて言われるが、正直、あんな苦い飲み物の何が美味しいのか分からない。
ミルクを一口飲んでから、台所に着くのはノアの方である。クリスティーナは料理が出来ないと言うわけではないが、ノアは料理が趣味の一つであり、自ら「食事は俺が作りたい」と言い出したのだ。
ハムと卵を焼き、野菜を添える。一口サイズにスライスされたパンを軽く焼き、これで朝食の完成である。
「今日の予定は?」
朝食を食べながら、クリスティーナがそんな事を訊いてくる。
「とりあえずこれ食べたら、仲介者ところに行って来るよ」
ノアの仕事は一般的に掃除屋と呼ばれている職業である。
街に多く蔓延る殺し屋は、この世界においてもやはり恐怖の存在であり、特に富を持つ者達にとっては脅威以外の何者でもない。そんな富豪達が資金を出し合い、街で正式な職種として立ち上げたのが、この『対・殺し屋専門職業 掃除屋』である。
逆に言えば、そのような職業が正式化されるほど、街には殺し屋が数多く存在するという事でもある。
また、護衛を依頼したい富豪達とこの掃除屋とを繋ぐ者を『仲介者』と呼ぶ。これもまた歴とした職業である。
勿論、依頼主が富豪だけとは言えないが、護衛の他に誰かが突き止めた殺し屋の住処に突撃するのも仕事の一つである。
世の中には、『情報屋』と呼ばれる裏家業も存在し、殺し屋の情報などを富豪に売りつける者も居る。故に富豪からの護衛依頼も成立する事になる。
「それじゃあ、出かけてくるよ」
朝食を終え、着替えを済ませたノアはそう一言残し家を後にした。
「あ・・・・・・いってらっしゃい・・・・・・」
ノアを見送ろうとするも、とっとと出て行ってしまい、かけた言葉は空しく玄関にのみ発せられた。
ノアは、そそっかしいというか、ちょっとだけ抜けている。苦笑いしながらクリスティーナも家事に取り掛かるのであった。
* * * * *
「ああ、丁度依頼がある」
いつもの飲み屋の端の席で、ノアは仲介屋の男と話をしていた。
単純にこの店は、いつも騒がしく、こういった話をするには逆に都合が良いのでここが『いつもの場所』になっただけである。
「依頼主は、エドガルド・ボジャンキーノ氏。依頼時間は、今夜20時から10時まで。報酬は・・・・・・まぁ、こんなモンだな」
男は、計算機に数字を打ち込み見せてくる。その金額は十分過ぎるほどで、並の一般人の1年分の収入に等しい。
この仕事の中では群を抜いて高額で、平均の倍近くの金額である。
「ボジャンキーノ氏と言うと・・・・・・アレクサンドリア信用金庫の2代目代表取締り役か」
「父親の跡を継いだ、成り上がりのボンボンだよ」
仲介者の男は、やれやれと言った溜息交じりの言葉を吐く。
「裏では、高額利子の金貸しをやってると聞くが・・・・・・?」
「あくまでも噂さ、本当のところは分からんよ」
会社自体の信用は、父親の代で築いてきたモノがあるが、2代目には余り良い噂は聞かない。
「やれやれ、曰く付きの依頼主か・・・・・・。だが、こっちも人を選んでちゃ仕事も出来ないからな・・・・・・。その依頼、受けよう」
渋々、といった感じで依頼を受ける。
「奥さんを持つのも大変だな」
仲介者はニヤけた顔をしながら、そう言い放つ。
「まだ、入籍してねぇよ。んじゃ、資料は貰っていくぜ」
ノアは依頼主の情報が掲載された資料を持ち店を後にした。
店を出てすぐ、携帯を取り出し電話をかける。勿論、その相手はクリスティーナである。
「ああ、クリスか? すまない、今夜依頼が入った。帰りは明日の昼頃になりそうだ」
いくら相手が彼女と言えども、依頼内容まで話すことは出来ない。といってもクリスティーナは、ノアが掃除屋である事は知っている。
あくまで話せないのは、依頼主のプライベートに関する事であり、つまりは個人情報の保護という事である。
「ああ、ああ・・・・・・大丈夫だ、無理はしないよ。ああ、それじゃあまたな」
用件だけ伝え、依頼主の元へ向かう。護衛開始時間が20時からだと言っても、その前に依頼主から詳しい話を聞かなければならないというルールがあるからだ。
といっても、大抵の富豪は自慢話に勝手に花を咲かせるのがオチなのだが・・・・・・。
到着してみれば、予想通りの場景が広がる。まさに富豪にありがちな豪邸、依頼主もふっくらと太った、まるで苦労なんて言葉を知らないような風体を携えている。
「君が『白龍』かね? 噂は聞いているよ」
『白龍』とは、掃除屋業界のノアの通り名である。由来は単純に、ノアの着ている真っ白なジャケットの背中に昇り龍が描かれているからだ。
その真っ白なジャケットに加え、綺麗に透き通った金色の髪はまたノアが目立つ要因の一つである。
仕事の成功率90%以上であり、掃除屋の中でも1~2位の実力と名高い。そして、この見た目が相まって、その業界では知らぬ者は居ないとまで言われている。
「その呼び方、好きじゃねぇな。だが、噂される程度の期待には応えるつもりだぜ」
軽く敷地内の説明と依頼の概要を話し、これもまた予想通りの自慢話が繰り広げられる。
半分呆れながらも、相手は大富豪。機嫌を損ねない為に、話は聞いておかなければいけないのが辛いところでもある。
案の定というか、自慢話も尽きぬまま予定の20時を回る。かれこれ6時間を越える壮絶な自慢話であった上に、当人もまだ話したり無いといった感じではあったが、渋々と夕食の席へと向かう。
ただ、出されたお茶請けが美味しかったのが、唯一の救いかもしれない。
本来であれば、依頼遂行時間の1~2時間前には屋敷内を見て周り、その地図を頭に叩き込みたいのだが、ここは有名人の辛いところで「君ほどの腕があれば大丈夫だろう」と、いつも自慢話に付き合わされる。
その『腕』を振るう為にも、下準備が必要不可欠なのだが・・・・・・。
仕方なく、この時間から屋敷内の構造を見て回る。『自分がもしもここの主を狙うなら、何処から進入するか』という思考を張り巡らせる。
ただ、ここで問題なのは、『情報屋』の存在だ。つまり、今日現れるであろう殺し屋には「今、この屋敷には掃除屋が居る」という情報が十中八九流れていると思って間違いない。つまり、向こう側もより一層警戒してくるという事である。
だが、ここで自分の認知度が役立つのだが、有名であるが故に、信頼を置く依頼主も多い。
つまり、依頼主の寝室で見張ることが許されるというメリットがあるのだ。
では何故、万人がそれを許されないかというのは、物凄く単純な話で、一時は殺し屋が掃除屋に変装して、任務を遂行していたという事実があるからである。当時は、お陰で掃除屋の信用もガタ落ちだったと聞くが、それはあくまでも自分が生まれる前の話のようだ。
ただ、故に新人や無名の掃除屋は、依頼主の寝室での張り込みが出来ないというわけである。
それこそ、身を危険に晒しているのだと思うのは、ノアだけでは無いだろう・・・・・・。
時刻は既に、深夜2時を回っている。依頼主の寝息が聞こえる寝室の物陰に隠れ、様子を伺う。
極稀に、『殺し屋は来ませんでした』なんていう場合もあるが、気を抜く訳にもいかない。ただ、ちょっとは頭の中で「来ないのか?」と考えてしまうが、本当に僅かな物音がその幻想を打ち砕いてくれた。
注意しなければ分からない程の小さな足音。逆にこれほど巧妙に足音を消している人物が、屋敷内部の人間では無い事を物語る。
どうやら、殺し屋は窓から侵入したようだ。相変わらず驚かされるのは、窓の開閉の音が聞こえないところだろう。どうしたら、その技能が身に付くのか知りたいところではある。
足跡はゆっくりとベッドに近付く。ノアの位置から、殺し屋の姿が黙認出来る。どうやら、向こうはこちらに気付いていないようだ。
殺し屋は、懐から、拳銃のようなものを取り出し、ベッドに向ける。
正直、ノアは呆れた。あの殺し屋は間違いなく、初心者だ。そうでなければただのバカだ。
何故なら、ノアは例の白いジャケットを脱いではいない。つまり、いくら物陰に隠れているとは言え、闇の中であろうと用心深くいれば、このジャケットが目に付かない筈は無い。
本来は、このジャケットに気付いた一瞬の隙を付いて、攻撃に転じようと思ったのだが・・・・・・これでは、自分の方が道化だ。
注意深くしていれば分かるほどの、小さな発砲音が聞こえる。消音効果の付いた拳銃なのだろうが・・・・・・。そこすらも呆れる。
依頼主は、残念ながらこの部屋では寝ていない。部屋に聞こえる寝息は、テープレコーダから再生されているモノであり、依頼主は別の部屋で寝ている。
そんな事を要求できるのも、有名人の特権であるが・・・・・・。それより何より、発砲する前に暗殺対象が本当にそこで寝ているのかを確認するべきではないだろうか?
今まで数多く対峙じてきた殺し屋の中でも、最低ランクに部類する。ちなみに、これよりも酷かった「素人か?」と思える人たちも何人も見てきているのだが・・・・・・。
とにかく、こちらは護衛者ではない。掃除屋なのだ。このまま殺し屋を帰らせる訳にもいかない。
踵を反す殺し屋に、「死亡確認もしろよ・・・・・・」などと内心呆れつつ、殺し屋に向かって走り出す。
やはりというか、殺し屋はノアの存在にはまったく気付いていなかったらしく、驚いたのか硬直する。
ノアの武器は、『カタナ』である。その昔、何処かの島国に存在していたと言われる切れ味に特化した剣。空中の弾丸をも切り落とせるほどのその切れ味と、そして形状に惚れ込んだノアは、出会って以来、愛用の拳銃を捨て、これ一本でこの世界を生き抜いてきた。
一瞬の近接攻防において、拳銃を構えるよりも早く相手を斬り捨てる事が可能であるが・・・・・・どうやら、相手は本気で硬直しているようだ。一切、こちらに拳銃を構えようとしない。
一つだけ富豪の家に感謝出来る事は、部屋が広い事である。つまり、カタナを大きく振れるからだ。
そんな言葉をこの世界の住人は知らないが、『居合い抜き』の如く相手の首に目掛けてカタナを振る。
そのままの勢いで、相手の首元にポケットから取り出した厚手の布を相手の首に掛ける。あくまで、血飛沫が部屋を汚さないようにの配慮である。
一連の動作の勢いが余って、半回転したノアの背から、硬い物が地面に落ちる音が部屋に響く。つまりは、殺し屋の首である。
任務完了と言いたいが、あくまで朝10時までの契約なので、事を使用人に伝え、時間まで見張りを続ける。
だがその日は、それ以上の事は無かった。
今回出会った殺し屋は完全な素人であったが、実はそれは珍しい事ではない。
その多額の報酬か、或いは『かっこいい』という理由なのか、殺し屋になりたがる者は多い。中には組織ぐるみではなく、個人でその家業をしているものも少なくないのだ。
裏を返せば、世界がそれほど殺し屋という存在を認めているということにもなる。
それが、今の『実態』なのだ。
「流石は、噂に名高い『白龍』だ。見事だったよ。報酬は、掃除屋連合本部の方に支払っておくよ」
依頼主は高笑いしながら、ノアの背中を叩いてくる。信頼の証のつもりか分からないが、少し痛い。
「その呼び名は好きじゃねぇって言っただろ。だが、これで任務完了だ、俺は失礼する」
「また何かあった時は君に宜しく頼もう」
部屋を出ようと歩き出したノアの背中に、依頼主がそう声をかけたが、ノアはそれには反応せず、部屋を後にした。
こんな仕事をしている人間がこう言うのもおかしい話だが、気分が悪い。人を殺しておいて、無感情でいられる程ノアの神経は図太くない。
だが、これもまたノアの『日常』である。
そんな気持ちを抱きつつ、ノアは最愛の彼女の待つ自宅へと向かうのであった・・・・・・。
~人物紹介 2~
『ノア・アンダーソン』
・本編の主人公の一人、正義感を抱いて掃除屋となる。
年齢は24歳。
愛用している武器は『カタナ』で、骨董品屋っで一目惚れして入手した。
『クリスティーナ・ラローチャ』
・ノアの彼女。
生活には困っていないが、社会勉強の意味でアルバイト中。




