黒の章
窓からそっと風が部屋に舞い込み、頬をくすぐる。
寝るときは必ず窓を閉める習慣を持っていた彼にとって、その感触は不快で目を覚ましてしまう。
「窓を閉め忘れて寝ただろうか?」などと不信に思いながらも、人の記憶というのは得てして曖昧なものである。
気のせいだろうと自分で納得し、窓を閉めてベッドへ戻ろうと振り返る。
誰もが寝静まっている深夜2時頃・・・・・・、小さな『カチャリ』という音がまるで世界中に響いたかのように大きく感じ、同時に額に突如現れた冷たい鉄のような感触が、寝ぼけていた頭を急速に冷まさせる。
それが拳銃であると気付いた時にはもう遅かった。
発砲音は余りに小さく、その音に気付いた者は誰も居ないだろう。だが間違いなく、彼にはその音が聞こえた・・・・・・気がした。
残念な事に、その真偽を確認する事は彼にはもう一生涯出来ない・・・・・・。
* * * * *
既に営業時間の終了しているバーの扉が開き、室内には少し冷たい風が吹き込む。
一つだけ電球が点いているカウンターには白髭の男性が一人と、その手前のカウンター席に女性が一人座っているのが確認できる。
カウンターの男性は、一瞬だけ視線を扉の男性に向けただけで、二人は驚く素振りも見せはしなかった。それはまた、この来客が来る事を知っていた事実を物語っているという事でもある。
「シュウジ、どうでしたか?」
シュウジと呼ばれた男性はゆっくりカウンター席に向かい、女性の隣の席に腰掛ける。
「ああ、マスター・・・・・・問題は無い」
マスターと呼ばれた男性は、そうですかとだけ呟き、シュウジの手前に1杯のお酒を差し出す。
ちなみに、マスターは『バーのマスター』という意味合いではあるが、シュウジを含め、彼の本名を知るものはいない。
「ライトコンツェルンのアッツォ・ヒルヴェラ氏って言ったっけ?」
隣の女性が、シュウジにそう話しかけてくる。だが、その目線は自分の持つカクテルグラスに注がれたままだ。
「次期幹部候補の男です。裏金を駆使して、今の社長を亡き者にしようと企んでいたようですね」
マスターは、カウンター内でグラスを拭きながら、女性にそう答える。このような会話であっても、マスターの表情は変わる事はない。営業スマイルはするものの、その表情が崩れる事は無いのではないかと疑うほどの人物である。
「経緯や理由は関係ない、俺は依頼を遂行するだけだ」
同様に、シュウジの表情も変化する事は無い。
「報酬は指定の口座に振り込んでおきますよ」
マスターの一言を聞き、シュウジは手に持っていたお酒を一飲みし、席を立つ。
「ちょっと、シュウジ? もう帰るの?」
「いいか、エジェリー? 俺は仕事で疲れている。わかるな?」
エジェリーと呼ばれた女性は、ちぇっと舌打ちをするがそれ以上の反論は出てこない。
それを確認したシュウジは、そのままバーを後にした。
「ちぇ・・・・・・付き合い悪いなぁ、シュウジのヤツ」
「彼は人付き合いが苦手なのですよ。惚れているのであれば、根気が必要ですね」
マスターの一言に、盛大にカクテルを吹き出すエジェリー。
「ちょっと! 私は・・・・・・その、誰もシュウジに惚れてるなんて・・・・・」
顔を赤らめながら必死に否定する姿は、間違いなく誰から見ても肯定の意でしかない事をエジュリーは気付いてはいなかった。
世界には『殺し屋』と呼ばれる職業が存在する。
富と権力がモノをいうこの世界において、他者を疎ましく思う者は五万と存在し、そこに殺意が生まれるのも、悲しくも自然の摂理なのかもしれない。
元々は、数百年前より存在した権力者の抱える暗殺者からの発展として、それのみを請け負う者達が蔓延し、現在に至る。
シュウジもまた、殺し屋として活動している一人で、仕事の依頼をマスターが請負い、シュウジとエジェリーはそれを遂行する、謂わばマスターの駒である。
他にもう一人、アラン・オールビーという男性もマスターの駒として存在しているが、バーに集まるのは決まりという訳ではないので、今宵は居なかったようだ。
* * * * *
季節は8月を過ぎ、肌寒い風が世界を駆け巡る。
第四次世界大戦後、核戦争によって変化した地球の気候から、『真夏日』や『猛暑』と呼ばれる日は存在しない。それでも勿論、夏が消え去った訳ではなく、『海日和』なんていう言葉は存在はしているが、それも1週間前後しか続かない。
故に、この世界において9月に入れば、肌寒くなっていく事になる。
そんな寒空の中、シュウジは帰路に就く。
深夜の街はとても静かで、このご時世のこの時間に外を出歩く人は少ない。街の中心部は、巨大企業や富豪の宅地が存在し、深夜とはいえ多少は平穏であるが、中心部から離れた地域は無法地帯とまでは言わずも、秩序という言葉も薄く、深夜に出歩いていると、追い剥ぎに襲われたり、場合によっては命を奪われるなんていうのもよくある話である。
そんな深夜をシュウジが歩けているのは、それ程腕に自信があるのと同時に、その格好のせいなのかも知れない。
過去に存在した多種族の血の混合種の中でも、一際珍しい程の黒髪であり、またその身なりも全身が黒尽くめ服で着こなされている。
仕事の関係上、闇に紛れる事のできる色であると言う理由も一つだが、ファッションセンスのまったくないシュウジにとっては、黒以外を選ぶ気も無いというのもまた事実である。
ただ、今宵は特に誰かに出会うこともなく、自宅に着いた訳だが・・・・・・。
羽織っていたロングコートを脱ぎ、部屋にある数少ない家具の中の椅子に背に投げ捨てる。朝にシャワーに入る時に着替えるのが日課の為、服は脱がずにそのままベッドに横たわる。
部屋には、生活に必要な最低限のモノしか存在しない。もともと、趣味の乏しいシュウジにとって色々なモノを買い揃えるという事に興味が無い。
1回の仕事で手に入る金は、それだけで数ヶ月を裕福に豪遊できるだけの額だが、シュウジは元々生まれた時から殺し屋として育てられた為、その金で遊ぶことも無く、貯まっていく一方である。
シュウジに親はいない。小さな赤ん坊の頃に捨てられたらしく、それを拾ったマスターが育てたのだ。物心ついた時からシュウジは殺し屋として育てられた。世間に疎いわけではないが、感情が乏しく、『冷徹』や『機械人間』などと呼ばれることもある。
ただ、一切の趣味が無い訳ではない。前にエジェリーに無理やり付き合わされた推理モノの映画を気に入り、それを観る為にテレビとDVDプレイヤーだけは購入した。それが発端で、推理モノの映画のDVDを数本だけ所有している。
ある意味、『唯一の趣味』と言えるかもしれない。
もはや、小さな時から人を殺し慣れたシュウジにとって、依頼遂行に感情は一切動かず、興奮する事も消沈する事もなく、ただ疲労からくる睡魔に身を委ねた。
わずか数秒で、部屋には寝息が漏れる。シュウジにとっては、この繰り返しが『当たり前の日常』であった・・・・・・。
* * * * *
「う~ん・・・・・・私ってそんなに、シュウジ好きだって見えるのかな・・・・・・? いや、そりゃ嫌いじゃないけど・・・・・・」
一人、うんうんと悩みながら深夜の町外れを歩いているエジェリーの姿があった。
自分がシュウジを好きなのかどうなのか?と問われるなら、好きだ。
だが、それが恋愛感情か?と問われると、分からない。
「私は・・・シュウジをどう思ってるんだろう・・・?」
シュウジと出会ってどれ位の月日が経ったか、もう正確には覚えていない。
始めは「生意気なヤツ」だと思っていたし、マスターからも「彼は感情が乏しい」と聞いていただけに、尚更『冷たい奴』という印象が先行していた。
でも月日が経つにつれて、シュウジはただ本当に『感情を表に出すのが苦手なんだ』と知った。
なんだかんだ言って、私のわがままに付き合ってくれるし、食事に誘ったのは私なのに全額払ってくれたり。そんなシュウジを心の中で『無意識のプレイボーイ』なんて笑ってた。
「私は、いつの間にか・・・・・・彼に惹かれてたのかな・・・・・・?」
この時、エジェリーの後ろを付け、襲おうと企む一人の男性が居たが・・・・・・翌日、この男性は顔面が腫れ上がった状態で、街のゴミ捨て場で気絶してるのを発見されたのはまた別の話である。
~人物紹介~
『シュウジ・カザミ』
・本編の主人公の一人、殺し屋として教育を受け、現在に至る。
年齢は26歳。
愛用の銃は、オリジナルに改造された一品物で、装弾数5発の、消音に特化した仕様になっている。
『エジェリー・バルテルミー』
・シュウジを同じく、殺し屋の一人。
活発で好奇心旺盛。両親は既に他界している。
『マスター』
・バーのマスターであり、シュウジ達の師であり仲介者。
本名や経歴は一切不明。




