05:報告
束になった書類を脇に挟み、角灯を持ち直すとロゼッタは扉を叩く。
すぐに扉は開き、ミールが顔を出した。表情は驚きを隠せない様子。夕食も終え、あとは眠るだけのこんな時間に自分の部屋を訪ねてくるとは思っていなかったようだ。
「夜這いですか?」
「結果報告書を届けに」
ロゼッタはにっこりと微笑み、脇に挟んでいた書類を差し出す。
ミールは扉を開け放つと書類を受け取った。
「おや? 二部?」
「一つは今日の事例の報告書、もう一つはわたしの研究の結果報告書です」
報告書をぺらぺらとめくるミールにロゼッタは簡単な補足説明をする。
「報告書なんて、いつでも良かったのに」
「早く読んでいただきたかったので。疑問点もありましたから」
「ほう……こんなところで立ち話もなんですから、中に入ってください」
ミールは扉を支えて中に入るように促す。
ロゼッタは一瞬躊躇したが、うなずくと扉をくぐる。内装はロゼッタが泊まっている部屋とほとんど同じだった。
「――疑問点、とは?」
扉に鍵を閉めると机に向かって歩く。ロゼッタに近いほうの椅子を引くと、立ちっぱなしの彼女にそこに座るよう手で示した。
「娘さんの部屋にあった魔法陣についてです。その効果から、使用していた人物は暴力を働いてはその傷が致命的なものにならないように回復させていたのだろうと推測できたのですが、その陣を描いた人物はその使用者とは異なるような気がして……」
勧められた椅子に腰を下ろしながら疑問点の説明をする。ミールはロゼッタには見えないところで片目を細める。
「……するどいですね」
ベッドに腰を下ろすとミールは困ったような顔をする。すぐに答えなかったところに多少の動揺が感じられる。
「あなたの仕事はその魔法陣を描いた人物を追うこと。違いますか?」
射るような目でロゼッタはミールを見つめる。
「――さすがですね、と言っておきましょうか」
「否定しないんですね」
その台詞に、ミールは苦笑して小さく肩をすくめた。
ロゼッタはやれやれといった表情になる。
「ミールさんって、本当に忙しい人ですね。やることに抜け目がないと言うか。この調査の目的も結局は一つではありませんでしたし」
「やらなくてはいけない仕事が多いんですよ。慢性的な人手不足で。――聞きたいことはそれだけですか?」
首をわずかに傾けると、彼の長い髪が揺れる。普段は肩口でゆるく結んでいるのだが、今は解かれていた。
「どうせあなたは魔法陣の件についての詳しい説明を求めても、答える気はないのでしょう? ならばこの件についてはもう結構です」
「ほかに何か?」
機嫌の良さそうな様子で問う。それはロゼッタの台詞を肯定していることを示していた。
一方、ロゼッタは言おうか言うまいか決めかねるような表情になり、視線を外す。まだ迷いがあった。
「どうかしましたか?」
「ミールさん……」
視線を元に戻す。ミールの不思議そうな表情がロゼッタの瞳に映る。
「昼間の台詞、わたし、否定して差し上げることができなかった。それを謝りたくて」
「え?」
何のことだかわからないという表情のミールに、ロゼッタは台詞を続ける。
「ローズ家だろうとクリサンセマム家だろうと同じ心を持った人間です。誰がやろうとも解除呪文を扱うのはつらいことです。性格云々の話では片付けられない、いえ、片付けてはならないこと。なのにわたし……失礼いたしました」
座ったままで深々と頭を下げる。
「あなたが謝ることじゃないですよ。あれは私個人の見解ですから」
ミールが慌てて立ち上がり、下げたままのロゼッタの上体を起こすように肩に触れる。
「あんな台詞を言わせたのはわたしです。ごめんなさい……わたし、あなたを傷つけた」
「傷ついてなどいませんよ、あれくらいじゃ。――私のほうこそ、あなたを追い詰めてしまったようですね……そんなつもりはなかったのに」
頭を上げないロゼッタを、仕方なくそっと抱きしめる。
「――甘えてください。ずっと独りでがんばってきたのでしょう? 私はそのように評価しています。私も似たようなものでしたから」
抱きしめたままロゼッタの頭を優しくなでる。
瞬間、ロゼッタは身体をこわばらせたがすぐに力が抜けていった。
「……わたしを落とすつもり?」
小さく笑う。心地よいこの感覚を長い間忘れていたような気がする。ずっと探していたような、そんな気持ちになっていく。
「落ちたければどうぞ」
甘いささやきに、ロゼッタの心臓は高鳴る。しかし流れに身を任せることができなかった。
「――遠慮するわ」
困惑したまま、ロゼッタはミールの手の中からするりと抜けると立ち上がる。
「残念です」
「社交辞令でも、嬉しいわ」
「半分以上、本気ですけど」
本当に残念そうに答えるミールに、ロゼッタは懸命に最上級の笑顔を作る。
「ならば気持ちだけ、受け取りますわ。あなたに言い寄られたとなれば、自慢してもいいくらいの大事件ですもの」
揺れる想いを抑えるために、わざとおどけた台詞を使う。そうでもしないと、本当に落とされてしまいそうな予感があった。
「ロゼッタさん、素直が一番ですよ」
ロゼッタの気持ちを察した上で、ミールは助言する。その表情はとても穏やかで優しげだ。
「十六年もこうしてやってきたんです。今更変えられないわ」
言って、ロゼッタは身体の向きを変える。用件は片付いていたので、この場をすぐに去らなくてはいけないと感じていた。このままでは流されてしまいそうだ。それが嫌だった。
「変えられますよ」
去ろうとするロゼッタの腕を掴み、ミールは引き寄せると抱きしめる。
「やっ……」
ロゼッタは頭と身体の制御がばらばらになるのを感じた。動けなかった。
「――始めの約束どおり、あなたのために人形を作りましょう。あなたに合った、特別仕様の魔動人形を。……ですから、私を避けるようなことはしないでくださいね。いつでも私の元へ、顔を見せに来てください。お待ちしています」
ミールはロゼッタの耳元でささやくと、彼女の頬に口付けをする。キスというよりも軽く触れる程度ではあったが。
「気が……向いたら必ず」
全身がほてっているのがわかった。冷え込みつつある室内で、こんなにのぼせるような気分になるとは思っていなかった。ロゼッタは自分の気持ちに戸惑う。
「ね、素直になれるでしょう?」
冗談っぽさのない口調で言うと、ロゼッタを解放する。
しかしロゼッタはすぐに動けなかった。ミールを見ることができずに視線を落とし、キスをされた頬に手を当てる。自分で自分がわからない。とにもかくにもここから離れようとロゼッタは決心するが、身体の反応は鈍かった。
「出て行かないんですか?」
「出て行きますよ、そりゃ……ただ、ちょっとうまく制御できていないだけです」
ミールの問いかけにすぐに反応できて良かったとロゼッタは胸を撫で下ろす。
「人形の操作能力も優秀だと噂されるあなたにしては珍しいことですね」
「そういうことだってありますよ」
ようやく身体がいうことをきくようになる。踏み出した一歩目はぎこちなかったが、あとはもう普段通りだった。
「そうだ」
充分に離れた扉の前でロゼッタは振り向く。首を傾げるミールの姿が目に入った。
「結果報告書のもう一つのほう、それが生きた人間を魔動人形化し、奴隷にする術のまとめです。その研究についての裁きを受ける覚悟はありますから、決まり次第お知らせください。――夜分遅くに失礼しました。おやすみなさい」
ミールの返事を待たずに部屋を出る。角灯を持たずに出てきてしまったことに気付いたが、部屋は隣なので構うことはない。暗い廊下を歩くロゼッタの足取りは不思議と軽かった。