その2 「小霞紅天」
俺が食事後の皿を食洗機に突っ込んで後片付けしている間に、姉貴と天羽は何やら外に出かけたらしい。
何か最近不穏な気配を感じるとの事らしいが、俺にとっては出かける際にも白装束だった天羽の方が不穏で仕方がない。
本当に丑の刻参りをする気だろうか?
曲りにも神が人を呪うのに人の呪法を使うのは、何か色々と本末転倒な気がするのだが。
俺はそんな事を思いながら頭を掻くと、ソファーに深々と座る。
まあ、どうせ姉貴も天羽で遊んでいるだけだし、俺は大して気にせず小説を手に取った。
タイトルは『終の天使』。
紅天に突然押しつけられ、感想を求められているので読んでいる。
無理やり読まされている感があるが、俺は別に本は嫌いじゃないので逆にありがたかったりする。
内容は主人公の女性が、草原で岩に腰かけている天使に恋をする話だ。
ここに出てくる天使が変な天使で、主人公が『どうしてこんな場所にいるのか?』と問うと『この場所で本を読むのが様になるからだ』と開口一番こんな事を言ったりしている。
主人公もその天使が変だと思っており、なぜそんな事をしているのか知ろうとするうちにどんどん恋に落ちていく話のようだ。
全て読んではいないが、こうしてまとめて見ると異種族恋愛ものに見える。
実際そうだろう、主人公が天使に恋をしているのは文章で述べられているのだから。
ただ、恋愛ものにしては何かおかしい。
文章は主人公の一人称視点で綴られているのだが、その書き方がまるで日記の様なのだ。
セピア色に色あせた記憶を語るように淡々と話は進んでいる。
幸せだったあのころを羨む様、嫉む様、物悲しげに。
悲恋物ならこんな書き方はしない。
悲恋物は楽しげで幸せで一杯の二人を絶望の淵に叩き落とすのがいいのであって、最初から絶望している様なものには何も感じない。
俺は紅茶を口に含みながらこの小説について、逐一考察する。
そんな時だ、インターホンが鳴ったのは。
「ん?」
こんな時間に誰だろうと思い、俺は本に栞をはさむと、モニターで顔を確認しようとする。
すると再びインターホンが鳴った。
随分せっかちな奴だなと思いながら、俺は立ち上がりモニターへ向かう。
三度インターホンが鳴る。
「…………わかった、わかった。今出るから」
誰に聞かせるでも無しに俺は一人呟くと、通話のボタンに指をかけ、応答しようとする。
が、ボタンを押した瞬間、モニター越しにいる人物を見て止まる。
煌びやかに揺れる橙色のショートヘアー。
髪をかき上げ、苛立たしげにこちらを見つめる金色の瞳。
今俺が会いたくない人物ベスト3に入る、小霞紅天がそこに立っていた。
ちなみに1位が夢渡で二位が紅天、三位が如月と言う順だ。
赤城の場合はむしろ来れば驚いて茶菓子でも出すかもしれない。
――いや、まあそれはいい。
ともかく俺は今、こいつと会いたくないのだ。
何かいい方法はないかと通話ボタンに指をかけた状態で俺は悩む。
四度目のチャイム。
「………このインターホンは現在使われておりません、ピンポーンと言う音の後に…」
――音の後に……、なんだろ?
何もネタが思い浮かばない。
熟考の末に出てきた言葉は結局こんなものだった。
あぁ、自分でも馬鹿だと思う。
「あは、それ以上言うと色々ぶっ壊すぞ❤」
真似る気も無い俺の留守電応答に、紅天は可愛らしい声色を出しながら玄関のドアを殴りつけてきた。
ドスンと厚い鉄の扉がへこみそうな擬音がインターホンを通して聞こえてくる。
――脳筋女め、本当に凹んでたらどうする気だ。
と言うか衝動的にやってしまったが、何をしてるんだろ俺。
居留守を使うなら出ないのが一番なのに。
思わずネタに走る自分に俺は嘆息する。
まあ、やってしまった事は仕方ないとして、これからどうするか考えよう。
俺は眉間にしわを寄せ、モニターを睨む。
すると十秒すら経っていないのに痺れを切らしたのか、紅天は次の行動に移り始める。
何をする気だろうと見ていると、紅天は青筋立てながらにっこりほほ笑み、画面に向かって手を伸ばしてきた。
がしっと言う音が聞こえそうになる位インターホンの画面が揺れると、ミシミシと言う音が本当に聞こえてくる。
――ヤバい、本気で壊す気だこいつ。
心なしかモニターの画像の映りが悪くなっていっている気がする。
「―――――――――何の用だ」
これ以上無視すると警察沙汰になりそうな雰囲気なので俺は小声で返答する。
小声なのは聞こえなかったらいいなぁ~、と内心甘い希望を抱いていたりする所為だ。
まあ、そんな甘い事が現実になるわけでもなく――。
「用? へ~、用が無きゃあたしは来ちゃいけないわけ?」
インターホンへのブレイク作業を維持したまま、奴は眼を細め、こちらを睨んでくる。
「正直ところ勘弁してほしいな。――――――つか手を離せ、まず話はそこからだ」
俺の言葉に従ってか、紅天はぱっと手を離す。
何だ、聞き分けがいいじゃないか、と思ったが俺は一瞬でそれが間違いだと言う事に気付く。
あれだけ紅天の顔にあった怒りマークは消え、代わりに能面の様な表情でこちらを見ていたからだ。
俺はその時直感した。
何か地雷を踏んだのだ、と。
見る限りまだ爆発はしていない。
しかし、足をどければ一気にドカンだ。
ここは普段通り慎重に対応せねば。
俺は紅天に聞こえない様、深呼吸をする。
「あんた……今日朝九時から何か予定が入っていたのを覚えてる?」
「……いや、全然」
俺がそう答えるとピシリと地雷に小さな亀裂ができる。
どうやら答えとしては間違えたみたいだ。
しかし、これっぽっちもそんな記憶は無いのだから他に答えようがない。
だいたい休日の朝九時に俺が予定を入れるわけがない。
……入れる訳が無いんだが、何だろう、もし約束していたら俺はどうなるんだろうと言う強迫観念に似た思いが、頭の中を駆け巡る。
「ほう、ほう…。つまりあなたは覚えていないとおっしゃるのですね?」
「身に覚えがない、と言う意味ならな」
言っていて、いやな汗が滝のように流れ落ちてくる。
何がどうなっているのか知らないが、俺に断言できる事は、絶対に面倒な事になると言う事だ。
「もし、あたしがあんたと今日九時に会う予定がある事を立証できればどうする?」
「どうもしないと言いたいとこだが、それじゃあ納得しないんだろ?」
「もちろん。取り敢えず中に入れて。――――――でないと………」
言葉とともに紅天は俯く。
一瞬泣き落としに来たのかと思えるそれは、そんな生易しいものじゃなかった。
口元が嗤っているのだ。
三日月のようにザックリと弧を描きながら。
こうなると、でないとの後の……の部分に入る言葉が非常に怖い。
俺は悩む暇もなく折れる事にする。
誰でも自分の命は惜しいのだから仕方ないだろう。
「はぁ、開けるからその振り上げた手を下せ」
『最初はグー』と怨嗟の入った音頭で握りこぶしを頭の横に振り上げ始めた紅天を俺は諭す。
一方的にこちらが被害を受けただけなのだが、脅迫に屈した俺はしぶしぶ鍵を開け、彼女を中に入れる。
その際、玄関のドアの外側を俺は確認した。
そして直ぐに見なきゃよかったと後悔する。
――微妙に拳型に凹んでる。
俺は姉貴になんて説明するんだよこれ、と暫く頭を抱える破目になるのであった。
「どーもー」
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、にこやかな顔で俺の脇を猫のように抜け、勝手に一番手前の部屋である俺の部屋の中に入り込む紅天。
これ以上何をする気だろう、俺のMPはもう殆ど零なのだが。
「―――荒らしに来たのなら帰ってほしいな」
溜息つきながら俺は脱ぎ散らかされた玄関の靴を揃え、紅天に続く。
中には俺の携帯を持った紅天がカチカチと弄っていた。
「どう? これが証拠よ」
そして勝ち誇った笑みでディスプレイをこちらに向けた。
†
「さてさて、今日は何を奢ってもらおうかな?」
紅天はリビングのソファーに我が物顔で腰かけながら、何処から取りだしたのか店のチラシを広げる。
「奢るなんて一言も言ってない」
そうは言いながらも、俺は紅天にコーヒーを渡す。
「何よ、約束破ったくせにそのくらいしてもいいんじゃない?」
何度も何度も黒い水面に息を吹きかけると、紅天は時折コーヒーを子猫の様に舐めながら飲む。
どうやら重度の猫舌の様だ。
その光景が何とも言えぬ微笑ましさを醸し出していた。
――ジッとしている分には、だが。
「覚えのない約束と証拠を提示されて納得できるわけ無いだろう?」
俺は忌々しげに自分の携帯のディスプレイを見つめる。
そこには『日曜日朝九時セントラル広場集合』と先週の金曜日、20時の日付で、メモ帳に書き加えられていた。
もちろん俺はこんな事を書いた覚えはない。
時間的に家に帰ってからであり、どう思い返しても携帯に触れた記憶が無い。
俺が記憶喪失になってさえいなければ、何かタネがあるはずだ。
俺は横目で美味しそうにコーヒーを舐めている紅天を見る。
あれだけ機嫌が悪かった顔が、今では至福の表情をしている。
まるですべて上手くいった、といった達成感のある顔だ。
「なあ、あんた。ちょっと聞きたいんだがいいか?」
俺はある種の確信を抱き、話しかける。
「ん~、なに? スリーサイズとかなら却下ね」
勢いよく飲み過ぎてやけどしたのか、舌を出して渋い顔をしている紅天が、こちらに向き直る。
「何で俺の携帯に証拠があると確信してたんだ?」
「へ? そりゃあ……あんたにあたしが金曜日、学校でメモ帳に書きこむように言ったからよ」
人差し指を立て、空中に円を書く仕草をする紅天。
その眼は俺から斜め上に逸らされており、どう見ても怪しい。
「ほぉ~、じゃあ何で俺はその時に書き込まなかったんだ? その時書き込まなかったのにも拘らずどうして後々書き込んだんだ?」
「そんなの知らないわよ。気が変わって行きたくなったんじゃないの?」
「知らない? いや知ってるだろ。だってあんたさっき俺にメモ帳に書き込むように言って、俺がその時書き込まなかったのにも拘らず、確信を持ってただろ」
この時点で矛盾だらけだ。
もしこれが噛み合うのだとしたら、勝手に思いこんだ紅天が『偶然正解した』という結末でなければならない。
それが普段通りの俺の行動なら、何の違和感もないだろう。
よく自分を知る知人が、普段からの信頼度を示しただけとなる。
だが、俺は朝の九時に予定を入れる事など普段からはありえない。
ならば、こいつは普段の俺と別の俺を幻視し、その幻視の通りの行動を俺がしたと言う事になる。
――本人も知らないうちに、だ。
そんな事が有り得るのだろうか?
「何、推理ごっこがしたいの? ――――なら、あたしはその時、カノンが携帯に書き込んだと思っていた。しかし、カノンはその時書き込まず、帰ってから書き込んだので結果的にあたしは勘違いだが証拠を確信し、偶然にも発見してしまった。これでどう? 辻褄は合ってると思うけど」
今俺が考えた通りの事を話される。
確率的にゼロでは無いので否定はできない。
起きる前ならともかく起こってしまっているので、それでも地球は回っていると押し切られるからだ。
「確かに間違っているとは言えないな。だからそこは一旦保留にしよう。―――次だ。あんた、何で直接俺の家に来た? 電話やメールで済む話だっただろう?」
これも可笑しな話だ。
出ないならまだしも、俺の着信履歴に一度も紅天かそれ以外が残っていないと言うのはおかしい。
「そうねぇ、なんとなくって言えば済むんだろうけど、それじゃあ詰まらないから。一時間以上待たされて怒り心頭で乗り込んだ、ってのはどう?」
「それじゃあ電話しなかった理由にならない。だいたいセントラル広場はそこそこの広さがある。俺が約束通りそこにいてもお互いに会えない可能性だってある。なのにあんたは始めからここにしか居ないと決めつけて一直線にここに来た。すれ違いになる可能性だってあるのにな」
「そう? あなたの性格を考えればすっぽかして家で寝ている、と思う方が自然だと思うけど……。でも、真っ向から反論するなら……そうね、それだけで私が電話を使わなければならないという理由にもならないはずよ。広場だって一通り見回ったし、広場からカノンの家までの最短ルートを通ってきたし。――――――あー、あと電話すれば逃げられそうだったからってのも理由で」
俺の性格の件に関しては、俺自身も同意する。
電話すれば逃げると言うのは実際にはないが、あり得そうと思われている自覚はあるので、論ずる気はない。
だが、本当に携帯を使う必要が無かったのだろうか?
偶然携帯を使わなかった。
あり得なくはない。
が、もし俺が紅天の立場なら何をしているのか訊く旨のメールを送る。
それならすれ違いも防げるし、逃げられることも無い。
寝ていれば帰ってこないだけだし、デメリットが無いからだ。
ならどうして使わなかったのだろうか?
その事に気付かなかっただけ?
それもまた十分あり得る。
しかし、“使えなかった”という選択肢もあり得るのではないか?
「―――概ね同意する。じゃあ次だ。あんたは俺の家に来て証拠を見せると言って携帯を見せたが、本当にこれは確かな証拠か?」
「あたしの言った通り九時に予定が入っていたでしょ。どこが不十分なのよ」
「何日、午前か午後か、誰と……が書かれていない」
「それがどうしたのよ」
そんなの当たり前でしょ、とでも言いたげな顔で俺に視線を送る紅天。
こいつにとってこういう文章は当然なのだろう。
だが俺は違う。
俺は携帯のメモ帳を起動し、過去に書かれた事を紅天に見せてやる。
「俺はメモ帳に書き込むときにな、午前午後はともかく日付と誰との用事かは書き込むようにしている……、ほら、こんな風にな。そして休日のこんな時間に予定を入れる事は無い。即ち、これは俺じゃない人物が書き込んだ可能性が高いと言うわけだ」
これがそもそもの違和感。
長々と俺が屁理屈を並べる理由。
これは俺じゃないという確信。
となると、問題は時間と言う訳だ。
俺は携帯を手元に戻し、色々と設定をいじる。
「へー、当然そこであたしに容疑が掛かるわけか、でも、残念ながらこの時間帯はあたしは部活で学校にいたわよ? 本格ミステリーみたいにアリバイ調査してもらってもかまわない」
「そんな必要はない。あんたのその時のアリバイを俺が保証できるからな」
紅天は怪訝な表情で俺を見る。
それは当然の顔だろう。
何せ俺は自分でこいつの無実を保証しよう、と言っている様な物だから。
「じゃあ誰が? あたしがあんたのキョウダイに頼んでカノンの携帯を操作させたとでも言うつもり?」
「ああ、俺も最初はそう思った。それが一番単純で簡単な方法だからな。――――だが、姉貴はその日、午後10時まで帰ってきていない。そしてそれまで家の鍵は掛けられたままだった」
このメモ帳に関する事以外の記憶なら、そこそこ正確に記憶している。
少なくともその日の姉貴の帰宅時間は正確に覚えていて、それまで姉貴が帰ってきてない事は知っている。
こいつには言えないが、その日姉貴は他県での重要な依頼を片付けるために朝から用事で出ているのだ。
これが依頼で無いのなら勝手に切り上げる事も疑うが、こんな下らない事をする為に依頼を切り上げるメリットが無いので信用する事にする。
これは俺が姉貴の帰宅音を見逃す可能性の低さも含めてだ。
「じゃあ、カノン以外不可能じゃない」
記された時間帯に限定すると一見不可能に見える。
と言うより、魔法や犯罪行為を行わない限り、この記された時間に俺以外の人間が書き込むのは不可能だろう。
時間と書き込み、ここでネックになっているのは先程から言っているように時間だ。
どうすれば金曜日の20時として書き込む事が出来るのだろうか。
俺は先程からずっとその方法を考えていた。
あぁ、実は案外難しい事じゃない。
所詮は設定をいじれる機械、信用する方が間違いなのだ。
「そうでも無い。確かにこの記された時間に書き込むことは不可能だが、この時間としてメモ帳に残すことは可能だ」
俺は携帯のメモ帳に金曜20時の日付で『テスト』と書き込んだ一文を紅天に見せる。
「………………む」
「携帯自体の時間を変更してメモ帳に書き込めばその時間になるからな。あとは携帯の時間を戻せば工作終了だ。あんたは電話やメールを忘れてたわけじゃない、出来なかったんだ。まだその時にはメモ帳にメモが無いんだからな。そしてメモ帳の内容が不自然なのも当然だ。ギリギリで文章を打つ時間すら惜しかったくらいだからな」
違うか? と俺は紅天に意地の悪い笑みを向ける。
仮に昨日、紅天がこの工作をすれば発見し次第、俺は断っていただろう。
『悪い、明日は用事が出来た』とでもいう風に。
だから断られない為にもこいつは今日午前9時過ぎ以降に工作をしなければならないのだ。
まさか、遊びの約束を結び付けるためにこんなむちゃくちゃな事をする奴などいまい。
しかし、だからこそ真っ当な神経の持ち主なら不服ながらも付いていくだろう。
「なっ、なるほどなるほど、それなら理論として可能かもしれない。でも、それはおかしくない? その理論はあたしの出来る可能性を話しているだけで、計画を立てる段階では結構破綻してる理論よ。失敗する可能性が高すぎるし、第一たかが奢って貰う為だけにそこまでする? こうして付き合ってるあたしが言うのもなんだけど、ほんっっとどうでもいい事だと思うんだけど」
「確かにどうでもいい、と言うのには同意する。だが、そう言ったとこであんたは帰らないだろ? だから納得させる兼、暇潰しをしている訳だ。頑なに拒絶するより効果がありそうだしな」
嫌がらせと気付いているなら、素直に帰ってほしいものだ。
こちとらこれ以上被害を出さないために頑張った様なものなのだ。
とは言え、自分の推理はおおよそ間違っていないと、俺は確信している。
玄関でのブレイク作業も、靴を脱ぎ散らかしたのも、時間稼ぎと思えば筋が通る。
だが、紅天の言うように絵に描いた餅のような計画なのは、言っている俺が一番理解している。
なら、なぜこんなに自信があるのか。
ネタばれするとだな、そもそも俺は昨日の時点でメモ帳にこの件が書かれていない事を知っているからだ。
言わば過程は解らないが、犯人は始めから知っている様なものだ。
反則だって?
俺は探偵でも何でもないのだから、そんなこと言われる筋合いはない。
「そ、そんなことないわよ~。……………たぶん」
明らかに紅天の眼が泳ぐ。
もっと演技が上手ければ騙せたかも知れないのに、残念な奴だ。
「で、続きだが、これは寧ろどうでもいいからこそできる計画だ。と言うのもあんたは証拠を見せると言っただけで携帯に証拠があるとは言っていない。つまり、携帯が間に合わなければ『これじゃなかった』と言い、第二、第三の計画に行けばいい。全部失敗しても見つからなかった、で済むからな」
この俺の考えが正しければ、こいつはとんでもない奴だ。
天に運を任せ、それを連発する事で完全なアリバイを作ろうとしたのだ。
正直この行動力には感服する。
――俺にその行動を向けなければ、の話だが。
「……………………あ~、もう……わかった、わかったから。降参、あたしの負けでいいから」
諸手を上げ、紅天が降参の意を示す。
俺の考えが正しかったかどうかは解らないが、帰ってくれるのならそんなことはどうでもいいことだろう。
「そうか、それはよかった。早くお引き取り願おうか……、俺はこれから昼飯の献立を考えなくちゃならないからな」
そう言うと俺は冷蔵庫を開け、中に何があったか確認する。
ほうれん草、挽肉、玉葱、エリンギ、アボガド………。
――簡単にパスタでいいか。
「あの、カノン君。モノは相談なんだけど、これからあたしとどっか食べにいかない? 奢るからさぁ」
おずおずとそんな俺の背に紅天は話しかける。
「――――断ると言ったら?」
俺は振り向かずに答えを返す。
そもそもこいつを中に入れた時点である程度覚悟はしていた。
――俺は結局こいつと外へ行く運命になるだろうと言う事を。
「末代から並行世界まで祟ってやる」
涙声に成りながら呪いの言葉をかける紅天に溜息を吐きながら、俺は外へ行く支度を始めるのであった。