第二章 『Notturno capriccioso』 その1
「――――――ドーン!!」
馬鹿みたいな擬音と共に俺の腹部に3つ、ボールをぶつけられた様な衝撃が走る。
「おぐぅ!」
腹から絞り出した声とともに、意識は一瞬で覚醒する。
敵襲警報を聞いたように俺は飛び起きる。
――時間は?
目覚ましに使っている電波時計は午前9:30を指している。
――今日は?
携帯を開き日曜であることを確認する。
俺はほっと息を吐き、再びベッドに倒れこむ。
安堵しながら最初から携帯を開けばよかったと少し後悔する。
やはり寝起きは思考速度が鈍くてかなわない。
緊急事態の確認が終わった事により、思考が安定してくる。
「………ん?」
そして、そこで思考が一回転した。
じゃあさっきのは何だ?
ぎぎぎ、と音が出そうなほどぎこちない動きで、俺は視線を自分の腹部に向ける。
「んん~、カー君の匂いがする」
そこには俺の腰を弾力性のもので圧迫しつつ、腹部に頬を擦り付けている我が姉様がいた。
先ほどの襲撃犯の正体はコレだったというわけだ。
「………………何の用だ?」
俺は苛立ちを隠さず、我が姉、華蓮の頭を鷲掴みにする。
この姉は毎度毎度俺の理解の超える事しかしない。
普段、俺が起こすまで眠りこけていると思えば、俺がゆっくり寝ている休日に限って起こしに来たりする。
これはもう嫌がらせのレベルだろう。
それが無自覚の嫌がらせだから尚、性質が悪い。
「用? んん~、用………………カー君の体をギュッとしに、かな?」
そう言って頬を押しつけたまま、更に強く胴体に抱きつく姉。
照れたように言ってもごまかされない。
俺は照れる前に一瞬眉を寄せ、悩んでる素振りをしかと見たぞ。
「明らかに今作った理由だろ。―――――起きるから離れろ」
俺はコアラのようにしがみ付く華蓮を頭から引きはがそうとするが、起きたばかりの所為か、うまく力が入らない。
「むふ~、その程度じゃお姉ちゃんは離れないぞぉ」
ふっふっふっ、と笑いながらますます図に乗る姉。
腰を締め付ける力と頬ずりが激しくなる。
いい加減鬱陶しくなってくる。
俺は蹴り飛ばそうかと考えているとちょうど良く華蓮のお腹が鳴った。
「あっ、思い出した。お姉ちゃん、カー君に朝御飯を作ってもらうために起こしに来たんだった」
先程迄の絡みは嘘のように、華蓮はぱっと手を離し立ち上がる。
「朝御飯って………、姉貴は料理できるだろ?」
「ノンノンノン、カー君は解ってないなぁ。他人が苦労して作るからこそ料理は美味しいんじゃないか」
華蓮は右手を腰に添え、左人差し指を左右に揺らす。
一々芝居が掛かった仕草をする姉だ。
輪廻華蓮、俺が知る限り最高のスペックを搭載する人間。
頭脳明晰、容姿端麗、スポーツ万能などなどの、社会的に優秀な能力を持ち、本当に器用で何をやらしても失敗する事がない生物。
その域は最早精密機械と言ってもいい位なのだからその凄まじさが分かるだろう。
――性格は機械のそれとはまったく逆な、マイペースではちゃめちゃな性格だが。
その所為か、自分でした成果に飽きてしまった駄目な人だ。
何度か聞いた事があるが、姉貴は何も考えずに料理を作ると何度やっても同じ物が出来上がるらしい。
ハンバーグならハンバーグ、オムレツならオムレツ。
殆ど誤差なくテンプレの様な物を大量生産するのだ。
また、味も食材によほどの事がなければ変わらないらしく、そういう意味では酷く不器用な人でもある。
まあつまりは、自分で料理を作っても美味しいとも不味いとも感じなくなってしまったわけだ。
だからと言うべきか、姉貴はこの家で一緒に暮らし始めてからは、やたらと俺に食事を作らせようとする。
「そういう事でおねぇちゃんは愛情籠った朝食を所望するのでよろしくぅ~☆」
指をピッと突き出しポーズをとると、華蓮はスリッパを喧しく鳴らしながらリビングにスキップして行った。
その様を見ながら、俺は下の階の住人にまた文句を言われない事を切に願うのであった。
「俺にとっては姉貴の料理のほうが断然美味いのにな………」
俺はぼやきながら伸びをすると、ベッドの乱れを直し、パジャマのままキッチンへ歩き出す。
ここは俺と姉貴の家。
正確には一人暮らしをしている姉貴の家に、実家を追い出された俺が居候している形となるが、そのあたりの事情は割愛させてもらう。
駅から徒歩10分、14階建てのマンションの最上階に住んでいる。
学校へは俺は30分、姉貴は10分の距離にあるのでなかなかの立地条件といえる。
なぜ双子の姉弟で時間が違うのかと言うと、姉貴は俺とは別の学校に通っているからだ。
所謂そこはお嬢様学校と言われ、そこらのちょっとした金持ちの娘が通っている。
斯く言う我が家も格式だけはあり、こうして姉貴が通っているわけだ。
名称は聖樹女学院、当然のように女子校である。
――余談だったな、話を家に戻そう。
内装はマンションなのに5LDKと無駄に広く、二人で住むには少々部屋が余っているぐらいだ。
そのお陰、と言う訳でもないが人間じゃないのが住みついているが……。
「ふぁぃ、朝餉はまだか?」
キッチンに向かう道中、ぐしぐしと目を擦りながら下着にダボダボのワイシャツのみの出で立ちで、洗面所から出てくる神剣様に出会う。
いつもの事なのだが、俺は本当にコイツは剣なのか、と疑いたくなった。
どこの世界に顔を洗い、寝ぼけ眼で朝飯を要求する剣がいるのだろうか。
―――つーか、ズボン穿け、そして人のワイシャツ返せ。
「………前から疑問だったんだが、お前……錆びないのか?」
俺の心の声は置いておいて、気分を変えてもっともらしい事を質問してみる。
勿論錆びない事は知っている。
仮にも神剣であるし、プールだろうが海水だろうが全く錆びることはないだろう。
だがはいそうですか、と納得しがたいのも事実。
何と返事が来るか、少し期待しながら俺は天羽の返事を待った。
「………………」
天羽は答えない。
それどころか急に深刻な顔を始める。
もしかして日々僅かに錆びているのだろうか?
俺は錆色に変色した天羽が自分で自分に油を差す光景を思い浮かべる。
――少し笑えるが、これはないな。
俺はすぐにその考えを打ち消した。
と言うか、そもそも天羽の刀剣が鉄でできていない事を知っているので、この質問自体無駄な事ではあるのだが。
「どうした? 実は女性の美容の様に陰で類稀なる努力をして、美しい刀身を維持しているとか?」
黙ったままの天羽に痺れを切らし、茶化し気味で問いかける。
そう言いながら俺は、天羽が刀剣化した時の綺麗な抜き身を頭に思い浮かべた。
アレはとても千年の時を経た刃には見えない。
もし何らかの処理をしていたとしてもおかしくはないだろう。
「お前、本当に華蓮の弟か? 緋緋色金を知らないなんてどうかしているぞ」
そんな俺の様子に呆れるように天羽は口を開く。
どうやら天羽の沈黙は呆れて、だったようだ。
実際、この神剣様(笑)が美容を気にしてる所は想像できないしな。
「……………む」
俺がそう思った瞬間、天羽が睨んでくる。
どうやら俺の悪意を感知したようだ。
天羽の視線を俺は涼しげに受け流す。
因みに、俺の名誉のため言っておくが、緋緋色金はさすがに知っている。
ダイヤモンドより固く、永久に錆びない物質だと言われている有名なオリハルコンの和名の様なものだ。
もはや眉唾だとか野暮な事を言う必要もないだろう、それよりあり得ないものが俺の周りにはうようよしているのだから。
「ところでだ、あ~……(今日は)どうだ?」
天羽は腰に手を当て、無い胸を突きだすかのようにポーズをとる。
『あ~』と『どうだ?』の間に何か入っていた気がするのだが、俺には小さくてよく聞こえなかった。
「駄目だな」
天羽の問いを俺はダメ出しする。
真っ向からバッサリと。
その所為か天羽の顔は盥が頭にぶつかったかの様な衝撃を受けている。
酷いと思われるかもしれないが、どうだ、と言われても解るわけがないのだからしょうがない。
そりゃあ突然そんな事を言われた日には、ある程度考えるかもしれないが、この所毎日同じ質問をしてくるのだ。
それでいて何を訊いているのか俺が訊いても、小さな声でぶつぶつ言うだけでさっぱり解らない。
これではどうしようもないので、俺はもう諦めて適当に返すことにしている。
いい加減姉貴の入れ知恵に踊らされていることに、気付いてほしいものだなと、俺は小さく溜息を吐く。
「うぅぅ…………さ、さっきので私の言いたい事が解るのか? わ、解る物なら答えてみろ。ほら、どうした? 答えられないのか、この出来そこないっ!!」
天羽は顔を真っ赤にしながらぐいぐいと俺のパジャマの袖を引っ張ってくる。
――伸びるから止めて欲しい。
しかし、とてもじゃないがコイツからは神の威厳と言うものを感じられない。
身長の小ささも相まって、意地を張る小学生と言うのが妥当だろう。
一体全体姉貴はこいつに何をさせたいのだろう。
「答えてみろって……そもそも俺にはお前が何を聞きたいのか解らないのだが………」
「なっ! よかった……では無くてっ。じゃ、じゃあなんで駄目だと言ったんだっ」
天羽は一瞬笑顔になったと思えば、再び一転して睨みつけてくる。
俺は朝っぱらから表情豊かな奴だと呆れた。
そしてどうでもいいから早く朝食を作りに行きたい。
「その前に何を聞きたいか、教えてくれ。それを教えてくれるなら俺も教えるから」
「だ、だから、そのだな…………。んーと、えーっと、そっそう、てすと?だ。これはてすと?と言う奴だ」
天羽は一人頷き、納得する。
またわけのわからない事を言い出し始めた。
無理に横文字を使おうとしている所為で酷くアホの子にみえる。
「テスト?」
「そうだ、てすとだ。お前もいつか、もしかしたら永遠にあり得ない事かも知れんが万が一私を使う時が来るかもしれない。限りなく零に近い確率なのだが備えあれば憂いなしと言うし、万事が塞翁が馬とも言うし、今ここで私と相性がいいか確かめてやる」
天羽は言い切るとはぁはぁと肩で息をする。
それも当然だろう。
息継ぎもせずに早口でまくしたてれば誰だってそうなる。
「で、方法は?」
いつまでも廊下でコントをやっているわけにはいかないので、俺はこの訳のわからない理論を無理やり納得する事にする。
「ん」
突然天羽はくるりと、俺の目の前でターンして見せる。
その際ワイシャツがスカートの様に円上にひらき、ちらりと白い下着が見える。
そして『どや』と期待に満ちた天羽の視線。
下着を見せつつドヤ顔する神剣に俺はため息が出た。
だが、何となくこいつが今までしたかった事が解ってきた気がする。
「あ~、もしかして容姿を確認してほしかったのか?」
天羽は何も言わずにそっぽを向きながらゆっくり頷く。
なら始めから口で言えばいいのにと思う。
素直になれない癖に、毎日実行していた生真面目な天羽に俺は苦笑する。
こう、空回りしつつも頑張る姿を見せられると、少しは可愛く見えてくるから不思議だ。
俺はフッと笑い、天羽の肩にポンと手を置く。
「寝癖。――――アホ毛に寝癖がついて二本に分かれている所為で触覚みたいになってるぞ」
その瞬間、天羽の口がぽかんと開き、凍結する。
俺は呆気に取られる天羽の横を通り過ぎ、そのままキッチンへと向かう。
「★§ΓηФÅ?! ε∮¶ζΠ!!!!!!」
日本語にならない悲鳴が後ろから聞こえるが、最早俺の頭は朝食の事でいっぱいになっていた。
俺は今日もいい事したなぁ、と思いつつ冷蔵庫を開けるのであった。
†
トースターに食パンを突っ込み、冷蔵庫からトマトとスライスチーズとレタスを取り出す。
食パンが焼きあがるまでにそれらを適度な大きさに切り分け、出来上がったパンで挟みこむ。
と、その前に具と具の間にマヨネーズやらケチャップやらを塗り込む。
これで完成。
何の事は無い、サンドイッチだ。
誰でも作れて美味しく食べられる朝食だ。
その工程を三回繰り返す間に目玉焼き三つとアイスコーヒーを用意する。
目玉焼きの焼き方は当然サニーサイドアップで半熟。
ターンオーバーは見た目的に目玉焼きと言う感じがしないので俺は嫌いだ。
目玉焼きに何をかけるかは三人それぞれ違い、俺は塩胡椒、姉貴はマヨネーズ、天羽は醤油となっている。
あと天羽はコーヒーが大嫌いだが、うちの朝はコーヒーと決まっているのでミルクたぷたぷ、砂糖なみなみに入れて我慢してもらっている。
最早コーヒーと言う名の白濁した甘い液体になっているが、本人がそれでいいのだからいいのだろう。
あとは出来上がったサンドイッチを食べやすいように一口サイズに切り分ければ完了だ。
「ほら、出来たぞ」
テーブルにサンドイッチを載せた皿を持っていくとフォークとナイフとナプキンで完全武装した華蓮が待っていた。
そして何を勘違いしたのか天羽は、どこから持ってきたのか知らないが五徳にスプーンとナイフを取り付け、白装束姿で椅子に正座していた。
その表情は今にも自殺しそうなほど陰鬱としている。
一体俺がサンドイッチを作っている間に何があったんだろう。
俺は二人を見ないように淡々と皿を並べてゆく。
ちなみに五徳とは丑の刻参りに使う道具……頭に蝋燭と共につけているあれと言えばわかりやすいだろうか。
今は蝋燭の代わりにナイフとフォークが付いているが。
まあ、どうせ姉貴に碌でもない事を吹き込まれた所為だろう。
こんなことは日常茶飯事なので俺はそのままスルーする。
「では、いただきます」
華蓮は俺が席に着いた事を確認すると、流麗なテーブルマナーで食べ始める。
ステーキを切り分けるかのようにナイフで切り、フォークで突きさし、口に運ぶ。
――サンドイッチを。
一切音をたてず、口に運ぶ様は物凄く絵になるのだが、如何せんシュールとしか言いようがない。
「………………」
一方天羽はと言うと、頭についていたスプーンとナイフを右手で箸の様に使って口に運んでいる。
これはギャグを通り越して素直に感心する。
家にある食器、スプーンやナイフやフォークは全て銀製品で出来ており、厚みも重さもある所為で普通は上手く使えないのだが、天羽が苦労した様子は全くない。
だてに数千年生きてはいないという事だろう、恰好は白装束だが。
そんな異文化コミュニケーションの中、俺はただ黙々と手掴みでサンドイッチを咀嚼する。
俺の食べ方が正しいはずなのに、どうしてか俺の方が野蛮人に見えてしまうのはなぜだろうか?
三者三様首を傾げながら、俺達の朝食の時間は過ぎていった。