その64 「無価値」
そしてここに―――。
彼らの選択の結果が交わる。
「―――ッ!!!」
第四神の攻撃がパフェに届く刹那の合間。
その僅かな間隙に紛れ込んだ何者かによって、攻撃は弾き飛ばされ消える。
同時に先ほどまでのパフェや第四神と同格の神格が、パフェの側で姿を表した。
「――――――――――」
パフェはそれを呆けた顔で見つめる。
「間一髪ってところか。―――――――だが間に合った」
それ程長い時間は離れていないと言うのに、その眼は死んだ人間を見るようだ。
「どう……して……来た。………馬鹿者、がっ」
「言っただろ、もう一人にはしないって。俺は約束は守る方なんだよ」
漆黒の装甲を纏った右腕と鋼の左腕を輝かせて、架音は振り返る。
つい先刻まであれほど弱っていたと言うのに、その体は第四神に迫る勢いで神気を放っていた。
「お前は…………あぁ、あの時の塵芥か」
新たな乱入者の登場にも、第四神は大した感慨を見せない。
「…………………」
架音は無言のまま第四神を一瞥するだけで、視線を切った。
色々言いたいことがあるのだろうが、今は優先順位が違うのだろう。
「―――今、治してやるからな」
架音はパフェの側に膝をつくと、右手でパフェに触れる。
すると共鳴するかのようにパフェの体の崩壊が止まる。
影と影を重ね、再び架音とパフェの間に生命のラインが築かれていく。
「すまぬ、主様。吾は………」
生命が溢れていく体を見つめながら、パフェは架音から顔を背ける。
「言うな、解ってるさ。お前がどんな思いでここにいるのか、どんな覚悟で戦いに挑んだのか、よく解っている。だから、何も言うな」
それに―――。
と架音は途中で言葉を切って第四神を見据える。
「まだ何も終わっちゃいないからな。俺達でアイツを倒す。そうだろ?」
「……………あぁ、そうじゃな」
パフェは足りない体を補うように架音の体に溶け込んでいく。
失われた温もりを確かめるように、徐々に。
「力を貸してくれ、俺だけでは『世界』には至れない。俺とお前………いや“お前達三人”の力がないと駄目なんだ」
架音の言葉を聞き、何かが笑うように身動ぎする。
それを感じながらパフェは首を捻るが、直ぐに理解して目を細める。
「―――くっく、そういう事か、この浮気者が。人が命を賭けて戦っている間に二人も妾を拵えおってからに」
「そう言ってくれるな、これでも俺にとっては大切なモノなんだ」
「ふん、主様のそういう所は嫌というほど解っておるわ。―――まあよい、これでも吾は夫の浮気“には”寛容じゃ。許してやろう」
パフェは本気だと別じゃがな、と小さく付け足す。
架音は苦笑いを零しながらマナを開放し始める。
架音の魂に共鳴するように3つの更なる心が鳴動する。
新たな『世界』を創世しようと、膨大な神気が溢れ出す。
『刺し貫き、壊せ』
その無防備な瞬間を見過ごす第四神ではなく、詠唱段階に入ろうとした架音に凶弾が飛ぶ。
迫り来る攻撃を前にして架音は、左腕に視線を送り小さく頷く。
「――読めてるんだよ、この瞬間狙われることくらいな」
架音の左腕が傘のように展開すると、半透明の陣が辺りに形成される。
「―――ッ!!」
衝撃とともに半透明の陣は砕け、飛び散る。
言動と結果が一致してないようにも見えるが、これはそうではない。
架音は攻撃を防ぐために結界を展開したのではない。
第四神に結界を壊させるために結界を展開したのだ。
事実、中の架音は無傷だ。
壊される前提の結界を展開するだけで、なぜ攻撃を逸らせるのか。
理由は第四神の概念の秘密にある。
第四神の能力は命令の絶対遵守である。
だからいちいち命令を下さねば力を持たず、一度出した命令は遵守するまで止めれない。
そして遵守出来ない出来事が発生すると、その分のリスクが第四神へと跳ね返る仕組みだ。
如月とパフェの蓄積した経験値を手にすることで、架音はそれを逆手に取った。
第四神の攻撃を“結界を突き刺し壊させる”ことにより、その絶対性が薄め、弱体化させたのだ。
「敗因を教えてやるよ、第四神。それはお前が一人で俺たちが四人だからだ」
見かけ上はたった一人しか居ない架音が、第四神を見下す。
だが、それは表面上のもの。
第四神には見えないが、今架音の周りには3つの力が寄り添いあっている。
「何を勝った気で居る? 寄り添わなければ生きてはいられない塵芥の分際で」
見下された第四神は、理解できないという顔をして第二撃の準備に入る。
『塵芥を刺し貫き、壊せ』
続く二撃目を前に、架音は右手を前に出す。
嗤い声のような空気の震えとともに、漆黒の闇が架音の右腕から出現する。
「それがどうした。そうやって何かと共に生きるのが『人』というものだろ?」
流れだす漆黒の闇が、架音の姿を覆い隠す。
第四神の投げた槍は目標を見失ったまま、闇の中へ突っ込む。
「―――――――見せてやるよ、お前の言う脆弱で寄り添わなければ生きていけない『人』の世界を」
闇に包まれたまま、言葉と共に架音の神気が極大に高まる。
それは新たな世界の創世。
それは終焉神が誇る最後の奥義。
それは心象世界の最大展開の結果。
そんな神の頂点の技法が、パフェ、アザトース、如月の力を借りて、人間であった架音によって発動される。
「概念心具第三契約『Ⅲrd-ARCHETYPE WORLD-』」
産声とともに、器に新たな液体が生じる。
それは第四神のように全てを裁く、清廉潔白な世界でも、パフェのように全てを包み込む優しき抱擁の世界でもない。
悲しき過去とともに、それを抱いて未来へ進む。
人が常日頃、行ってきた日常的な世界だ。
だからその世界に価値など誰も見出さない。
なぜならそれがあたりまえだから。
故に尊いのだと、架音は宣誓する。
その世界の名を――。
『無価値世界-遠き宝の残照-』
宣誓した名とともに、新たな世界が創生される。
それと共に最後の系統に至った架音が姿を表した。
概念心具とは心象領域の一部を現世へ具現する方法。
例えば剣、例えば盾、例えば角、例えば羽、例えば空間、例えば闇、例えば炎。
その心象世界にある特定の一部を切り取って具現するから系統などという区分けが出る。
ならば第三契約の概念心具とは何か?
第三契約『世界』は心象世界そのものを、全て具現するのだ。
即ち概念心具の系統全てが具現されるということにほかならない。
それがどういうことを意味するのか。
「ふむ、“現世への実体化”か。久々に羽伸ばしでもするかの」
と伸びをして語るはアザトース。
「どうじゃ主様、なかなか色っぽくなっておるじゃろ?」
見かけ二十歳前後に成長し、アザトースとほぼそっくりの容姿で架音の右腕に寄り添うのがパフェ。
「これが第三契約『世界』か」
全身概念心具の装甲に覆われ、架音は己と辺りを見渡す。
第二契約を結んだ以前とは容姿が異なり、無機的な黒い装甲と融合したフォルムになっている。
あの時と形が違うのは、これが本来の架音単体の概念心具だからだろう。
そしてその見かけはパフェ達と同じく二十代前後へと成長している。
これは『世界』の特性上、最も強い肉体へと己の体が進化するためだ。
その三人の影が重なりあい、一つへと収束される。
今ここに、再び世界同士の拮抗が始まる。
「っ!!?」
衝撃とともに第四神の顔に驚愕とも取れる表情が浮かぶ。
パフェたちの出現に驚いたからではない。
他所に興味も持たず、揺れることを知らない第四神がそんな表情を僅かでも浮かべたのは、ただ偏にその世界の在り方が異彩だからに他ならなかった。
『世界』は心象世界の発現である。
それはいわば己の理想の世界の発現であると捉えてもいい。
だが、たった今、目の前で創りだされた世界は、“既に廃墟”だった。
もっと言うと、つい先程まで存在していた旧世界の街そのものの光景のままなのだ。
架音は心象世界の発現でありながら、現実を復元したのだ。
敵に、終焉神によって理不尽に壊されたから、全て無かったことのようにして修復するのではなく。
壊された痛みを抱えて、前に進む。
失った多くの宝物の死を受け入れて、まだ見ぬ宝の輝きに思いを馳せる。
これこそが架音の出した答えであり、それこそが己が選ぶべき道なのだと。
そんな思いがこの『世界』からはあふれていた。
もっとも、そんな思いを第四神が理解できるわけはなく―――。
「―――下らん世界だ。塵芥にいつまでも固執するなど理解できん。塵芥は塵芥だ、それ以上でも以下でもない」
第四神は槍を振りかぶる。
たとえ第四神の目を瞠る何かがあろうとも、第四神の行動に変化はない。
己のルールにそぐわぬ者を全て裁く。
それこそが第四神の全てであり、それ以外の何物も全て等しく等価なのだから。
「――くるぞ。主様気を抜くなよ」
「あぁ――――」
「ふふん、まずはお手並み拝見と行かせてもらおうかの」
三者三様で第四神の神気に反応する。
「―――――」
パフェの世界を壊した時のように、第四神の槍に絶無の神気が蓄えられる。
第四神がパフェから受けたダメージはまだ回復しきってはいない。
だが、そんな物すら関係ないというように第四神は槍にマナを注ぎ続ける。
『殲滅し、破界せよ』
第四神の命令とともに対界兵器が飛ぶ。
パフェに向けた時より、精度こそ劣るが、それでも驚異的な一撃にほかならない。
この一撃こそがこの戦いの分水嶺だろう。
コレを耐えきらなければ、そもそも戦う資格などありはしないのだから。
「――大丈夫だ、俺に任せてくれ」
それを前に架音は、逃げるわけでも防ぐわけでもなく、ただ右腕をその槍に向けて差し出した。
架音の意図を理解してか、パフェとアザトースは其処から一歩下がる。
互いに極致に至った二つが交わる。
「っ――――――!!!!!」
両者の世界を歪ませる衝撃………、が発生するほどの神気と神気のぶつかり合いだった筈が、架音の右腕が触れた瞬間全て消滅する。
いや、消滅というのは語弊が出る。
言うなればそう、消えたのではなく“意味がなくなった”と言うべきだろうか。
第四神の神威の鎗は、架音の右腕に触れた瞬間色を失い、その場に留まる。
まるでモノクロ写真に収められたかのように。
「ここでは……この俺達の『世界』ではお前の言う強大な力など、意味を持たない」
右腕から血を流しながら架音は淡々と事実を述べる。
「ここは死者のみが力を持つ世界だ。故に生者は等しく無価値となる」
瓦礫となった街を見ながら架音は第四神に説明する。
死者が力を持つと言っても、架音の世界に動く死体などは居ない。
覆水盆に返らず、零れ落ちたものは取り戻せない。
死人は生き返らない、壊れたものは元には戻らない。
死者は文字通り物言わぬ亡骸のみ。
それはこの『世界』の創造主たる架音が、そうあるべきと決めているから。
架音はそれをファンタジーだ、夢物語だ、とバカにしているからそうしたのではない。
今でも架音は奇跡が起こって華蓮や天羽、柚美奈が死んでいなかったという展開を心から切望しているに違いない。
でも……いやだからこそ。
本当に価値のあると信じているものだから、架音は無くしても壊れても元に戻せるという事象を否定するのだ。
故に失ったものにしか価値をつけない。
生者の価値は不変ではなく、流動的で価値など決めようが無く。
亡くした者の価値は、もう戻らない永久不変の輝きだから。
「死者に価値など無い。残骸に縋りつかなければ生きていけないお前らも同様、全て等しく消え失せろ」
攻撃を掻き消されながらも、第四神の言葉に淀みはない。
「縋りつかなければ生きてはいけないから消えろじゃと? お断りじゃ。むしろ他者に興味を持たず、一人で生きていける貴様こそどこぞへと消えるがいい」
「何故疑問に思わん? 周り全てが塵芥と知るならば、それこそが普遍的な世界であり、異物なのは貴様自身だということに」
パフェとアザトースはそれぞれの手に極夜刀を出現させる。
世界を創生している架音の概念により、彼女たちの『世界』を広げることは無理だが。
それでも架音の分体として、同格の存在で在ることには代わりはない。
「「―――――っ!!」」
両者息ぴったりのタイミングで、絶妙な位置取りから第四神目掛け、斬りかかる。
金属と金属が擦れるような不協和音と、衝撃により第四神の『世界』が揺れる。
「一人で生きていけるから異物、か。成る程、そうかもな。だが―――」
コートで二人の刃を防ぎながら、第四神は冷たく見据える。
「それは貴様らが、貴様ら全てが塵芥でない理由にはならんだろう。全てが塵芥でそれが普遍的な世界? ならば俺は遍く全てを滅却しよう。塵芥ではない『世界』が産まれるまで、な」
第四神は隻腕で槍を握ると、パフェとアザトースを弾き飛ばす。
「――ぐっ」
「――ほう」
パフェはたたらを踏み、アザトースは体を流体させる。
その二人が飛ばされている隙を見逃す架音ではなく―――。
「――――ッ!!!」
架音の右腕と、それに反応した第四神の槍が交差する。
鍔迫り合いと同時に概念と概念、世界と世界の強烈なぶつかり合いが生じる。
激しく血と神気とマナと世界を飛び散らせて、両者は睨み合う。
「――――――」
概念『無価値』により架音の『世界』と心具に触れたものは価値を失ってしまう。
それは先程の一撃で証明済みだろう。
結果、やはり第四神の槍が見る見る白黒写真へと変色していく。
――だが。
「同じ位階である以上、影響はされども拮抗できないわけではない。――――こんな風にな」
『抉り貫け』
第四神は無価値になった槍ごと、己の拳に纏わり付かせたコートで殴りつける。
「――ッ」
架音は第四神のコートを白黒に染めながらも、血肉を抉られる。
概念よる弱体化は架音とて例外ではない。
元々架音の概念心具は、攻撃は最大の防御を地で行っている。
故にこのように捨て身の攻撃をされると、受けきれなくなってしまう。
「――主様っ!!」
「大丈夫かや?」
かつては防御を担っていたパフェとアザトースが架音に声をかける。
しかし架音は血を吹き出しながらも一歩前に出る。
更に己の右腕を傷めることも厭わないというように。
「確かに、俺一人では拮抗されるかもな。だがな第四神、さっき言っただろ? 『お前の敗因は、お前が一人で俺たちが四人だから』だと。その意味を教えてやるよ」
右腕から血潮を流しながらもさらにもう一歩踏み出し、架音は左腕を第四神へ振りかぶる。
「鋼の腕………。だが、どうやらそれは概念心具ではないようだな」
第四神は瞬時にそれが概念心具でないことを見極め、義手であると見抜く。
概念心具第三契約『世界』同士の闘いを前に、それ以外の神器や兵器、魔術など大した意味を持ちはしない。
それを理解しているから第四神はさしたる防御もせず、架音の右腕に攻撃を加え続ける。
「あぁそうだ。コレは俺にとって大事な……大切なもう一人の仲間、だからな――ッ!!!」
義手と見切りをつけ、大して防御態勢にはいらなかった第四神へ、架音は思いっきり左腕を叩きつける。
「――――――っ!!!!!!?」
その瞬間、何が起こったのか。
架音たちの攻撃でも大したダメージを喰らわなかった第四神が、鎧代わりであるコートをぶち抜かれ、地平の果てまで跳ね飛ばされる。
「この『世界』では生者に価値はない。だがな、この『世界』の生者にも出来る事はある。それは死者の価値を決めることだ。物言わぬ死者の思いを抱いて、そいつが如何に素晴らしいかを宣言するんだよ。それが至高の輝きであったと、信じて疑わないために。そしてそれこそがこの『世界』において最も力になる。――――お前には一生解らないだろうがな」
架音は遠い目をしながら左腕を握りしめる。
自分がどれだけのものを失ったのか。
それがどれだけ大切で、素晴らしいモノだったのかを確認するように。
如月が生命を賭して授けてくれた左腕にはある機能があった。
それは他者の心を取り込む力。
だからその腕に宿るのは如月一人の力ではない。
華蓮や天羽、柚美奈達、死して残照となった者達の思いがその腕には込められている。
まるでこの為にあったように、如月の力は今、架音の世界の中枢に位置していた。
「……塵芥は塵芥だ、そこに理解など必要……あるまい」
血を吐きながら第四神はまだ立ち上がる。
先ほどの一撃により、コートは半壊し、『世界』の干渉により体が『無価値』となっているのに、だ。
第四神は折れるという事を知らないがゆえに、最後の一瞬になろうとも活動をやめることはない。
「働き過ぎな貴様にも休み時間がきたようだの。ここで安らかに眠るが良い」
アザトースは嘲り笑いながら、噴出した混沌で第四神を縛り上げる。
パフェの漆黒とはまた違う、言うなればその源泉ともいうべき力。
何に捕らわれているのかも解らず、振りほどく術すら不明の深淵の沼。
「そのまま永遠の眠りについてはくれぬかの。貴様とは永遠に会いとうないわ」
パフェは疲れた笑みを浮かべながら、第四神に極夜刀を突き刺す。
漆黒の花が噴出し、第四神を地へと縛り付ける。
「お前には色々言いたいことがあったが、もういい」
それでもまだ動き続けている第四神の前に、架音は立つ。
「ただ一言。――――――――俺達の世界から消え去れ」
架音の言葉と同時に、パフェとアザトースと架音は第四神に攻撃を叩きつけた。
二度と出くわさぬよう。
二度と生まれ変わらぬよう、特大の神威の一撃を持って。
「――――――――――――」
最後の最後まで戦う意志を持ち続けていた第四神は断末魔などあげず。
一欠片になるまで抵抗しながら、灰色の世界とともにここで消滅した。
ここに、長かった戦いの幕が閉じる。