その63 「選択」
激震し、世界が器ごと揺れる。
パフェの命を賭けた最後の一撃は、文字通り世界に風穴を開けるレベルで凄まじかった。
強固で強大だった第四神の灰色の世界に、空白の空間が生まれる。
そんな空白の空間の側に横たわるのは一人。
第二神だ。
「……………ここ……は?」
パフェがうっすらと目を開く。
体の半分以上が崩れ、人型としての体をなしていなくてもパフェは生きていた。
「勝ったの……か? 吾が……あの、第四神に……」
体を力なく横たえたまま、パフェは今にも閉じてしまいそうな眼を震わせる。
「やった……主様……吾は、ついに………」
パフェは焦点の合わない視線を彼方へ走らせる。
「最後に……一目見たいと思うのは……我儘、なのじゃろうな」
少しでも想い人近づきたいという一心からか、パフェは手を伸ばそうと身動ぎする。
が、直ぐに両腕がないことに気づき、溜息を吐いた。
「――――あぁ、独りというのはこんなに寂しい物なんじゃのぅ」
人生を知り尽くし、酸いも甘いも噛み分けた老人のような、哀愁漂う声をパフェは出す。
「解っていたというのに、こんなにも未練が残る」
乾ききった瞳から落ちるはずだった涙のように、パフェの口からぽつぽつと言葉が零れ落ちてゆく。
「主様に会いたいのぉ。主様、主様、主様……………。奇跡でも、何でもよいから、最後に――――っ!!」
何かパフェの近くに降り立つ音がする。
パフェは反射的にそちらに視線を向けた。
まるで、奇跡に縋るように――。
――だが。
「―――これが、お前の『とっておき』か。認めよう、大した一撃だった、と」
その者の心中を現すかのように、未だ消えていない灰色の世界にさざ波が起こる。
「まだ奥の手があるならば、出したほうがいい。“今なら”倒せるかもしれないからな」
ゆらりと影を揺らしながら、その者……第四神が立ち上がった。
「っ!!?」
その体は左肩から先を引きちぎられたかのように失っており、重症と言って良いダメージを負っている。
だがそこまで。
重症ではあるが、致命傷ではない。
だからもうパフェに後が無い以上、ゲームオーバーなのだ。
「な……ぜ、じゃ。どうして、貴様がっ――!!」
絶望と疑念と怨嗟を織り交ぜた表情で、パフェは第四神を睨む。
あれほどの一撃をどうやって凌いだのか。
パフェでなくとも聞かずには居れないだろう。
「大した理由ではない。アレは敵味方の区別なしに、命を吸い取る神器だと推察できた。だから“俺が奪い取って使えれば”、先にお前が死ぬだろうと思っただけだ。―――――まあ、実際は色々違ったようだが」
左肩から大量の血を吹き出しながらも、第四神は淡々と言葉を発する。
言葉にすれば簡単だろうが、その発想と行動力、そしてそれを可能にする能力。
驚愕を通り越して、パフェは脱帽するしか無いだろう。
それ程総ての面で第四神はパフェを上回っているのだ。
これはそれ故の結果に過ぎない。
この言葉も勝者の余裕や、せめてもの情けでもなく、回復中の空いた時間に聞かれた問いに答えただけ。
何処迄も冷静で、何処迄も平坦な精神。
何も持たず、ただ己が定めた『絶対性』のみが世界を構築している。
つまり第四神という存在は、初めから揺れるように創られていないのだ。
何も持つ必要のないものは強い。
よく何かを背負ったものは強いというが、それは詭弁だろう。
何処からか背負い込んだ兵器を振り回しても、それはその背中の兵器が強いのであって、本人の強さには全く関係がない。
その想いを無くしてしまえば、たちまちその強さは消えるだろう。
詰まる所それは、背負うべき何かがなければ弱者でしか無いと自ら証明しているようなものだ。
想いによる能力の揺らぎなど、安定からは程遠いものなのだから。
第四神の世界は揺れなど曖昧なものを許さない。
全てが己のルールに照らし合わせて自己完結している。
故の強さ。
揺るぎなさこそが第四神の力の根幹。
「―――さて、言いたいことはこれで終わりか?」
体はパフェのように再生しないが、第四神の体を再び武装が覆う。
パフェへ止めを刺すために。
「ま、だ……じゃっ!!」
パフェは体の殆どを失いながらも動こうとする。
マナも魂も心具も疾うに底ついている。
普通に考えなくても動かないに決まっている。
『突き刺し、散らせ』
そんなパフェの様子を見て、第四神は再生させた槍に命令を下す。
パフェには元より第四神の攻撃を防ぐ術はない。
ただ無情に突き刺されるのを待つのみ。
だと言うのに―――。
「無様でも、不格好でも、何もせず諦めるわけには……いかんのじゃっ!!」
パフェは隻眼となった眼を見開く。
命尽きていない事自体が奇跡に近いのに、それでもパフェは足掻かないと言う選択をしなかった。
そんな狂気とさえ言えるような強固な意志が、パフェの体を動かした。
僅かではあるが、這うような速度でパフェは第四神から離れようとする。
万策尽きたパフェができるのは一分一秒でも時間を稼ぐこと。
例え刹那の時間すら変わらないとしても、架音の為に少しでも多くの時間を、と。
パフェはその一心だけで少しづつ進む。
端から見れば足掻かない選択と、足掻いた選択の差は零に等しいだろう。
――それでも。
限りなく零に近いものだったとしても。
それは零ではない。
ここに来てその選択が、幾重にも分岐していた一つの選択と繋がる。
―――時刻は少し前へ巻き戻る。
†
「行かないとな、アイツの元へ」
俺はそう言い、玄関の扉に手を伸ばした。
すると―――。
「っ?!」
俺が扉に手をかけるより先に、独りでに扉が開いた。
俺の体はそのまま勢い余って地面へと落ちる。
外は既に灰色の『世界』に包まれており、訪ねて来れる人物など限られている。
パフェか第四神か。
或いはそれに準ずる終焉神クラスの神だけだろう。
――いや、結界が残っている以上、あり得るのは二人だけだ。
如月とパフェ。
この二人だけが俺の知る限り、結界を壊すこと無くここへ入れるものだろう。
「ただいま~、遅れてごめんね~。ちょっと体を直すのに時間くっちゃって……」
俺の推論は的中し、頭上から脳天気な如月の声が聴こえる。
だが――。
「お前、その体……どうしたんだよ――ッ!!」
体を起こし、俺の目に飛び込んできた光景は想像を絶する痛々しい物だった。
「あはは、手酷くやられちゃってね~。ホントは使うつもりもなかった最後の門まで開いちゃったよ」
体中の至る所からコードと鉄片を剥き出しにし、最早原型を留めない状態で如月は笑う。
どう見てもコレは『治っている』とはいえない。
無理やりにでも稼働させて、延命させているだけのように俺には見えた。
「え~と、あんまり見ないでほしいかな? コレでも私も女の子だからね、こんな状態をカノン君に見られたくないよ」
「―――悪い」
照れた声を出す如月に、俺は目を伏せ謝ることしかできなかった。
俺達の間に微妙な空気が流れる。
数秒か、或いは数十秒か。
俺達は無言で玄関で、視線は交わさないまま向き合っていた。
そんな中、微妙な空気に切り込んだのは如月からだった。
「―――――行きたいんでしょ、第二神のもとに」
「っ!!」
俺は先程の言葉を忘れ、はっと顔を上げる。
何故如月がそんなことを知っているのか、色々疑問に思うことはあったがその言葉を飲み込む。
俺が知りたいことはそれが可能かどうか。
――いや不可能でもやってみせる。
「――――あぁ、どんなことをしても行きたい」
そんな決意を込めて俺は如月を見つめ返す。
「……そっかぁ、解った」
俺の返事を聞き、如月はどこか哀愁漂う声を一瞬出した。
「?」
だがそれは俺の勘違いのように、直ぐ元に戻る。
「大丈夫だよ、私がきっと辿り着かせてあげる。私がカノン君に『奇跡』を起こしてみせるよ」
自信たっぷりな声で、如月は言う。
「本当か?! だが、どうやって……」
奇跡など少し胡散臭い言葉だが、今の俺達の状況からすれば、きっと奇跡が必要なのだろう。
俺は期待を抱きつつ、如月に尋ねる。
「私がカノン君の体になる。そうすれば元に近い力を取り戻せるはず」
だが帰ってきた言葉は奇跡は奇跡でも、残酷な奇跡だった。
「待て、そんな事をしたらお前は……」
今でさえ如月はいつ壊れてもおかしくないように見える状態だ。
そんな状態で俺に体を差し出せば、どうなるか想像に難くない。
如月は己が身を代償に、俺に奇跡を授けようというのか?
俺はそれが否定や冗談の類では無いかと、一瞬期待する。
「そうだね。でも、いいんだよ、私はそのために生まれたのだから」
だと言うのに、如月の声は何処迄も澄み渡ったまま、俺の疑問を肯定した。
死に対する恐怖など微塵に感じさせず、寧ろその言葉にはどこか誇らしさが滲んでいる。
「どういうことだ?」
そんな様子の如月に、俺は疑問の声を漏らさずにはいられなかった。
「気にしないで、今のカノン君には最早関係ないこと、コレは私の勝手な意地だから」
「だが……」
淡い寂寥を漂わせながら、如月は首を横に振り、食い下がろうとした俺の言葉を塞ぐ。
「それに人のように死ぬわけじゃないよ。私は機械だからね、体としてカノン君の中でいつまでも生き続ける。カノン君が私を捨てるまで、ね」
俺に有無を言わせず、『さあ、どうする?』と如月は答えを迫る。
――選択など“可能性を提示された時点”で初めから決まっている。
俺はどんなことをしてもパフェの元へ行くと決めたのだ。
けれど俺のこの選択はエゴでしか無い。
俺の勝手な約束のために如月の生命を使うのだ。
それがどれだけ罪深いことなのか、わからないわけがない。
だが俺は―――。
それでも――――。
「―――――心からお願いします、あなたの命を俺にください!!!」
片腕だが、精一杯の誠意を現すために俺は頭を擦り付け、土下座する。
エゴい要求をする俺が、せめてもの出来る事。
俺にはこれくらいしか思い浮かばなかった。
気分は自分への胸糞悪さと如月への懺悔で一杯だ。
それでも、犠牲を払ってでも俺はパフェの元へ来たかった。
――何と醜く浅ましいのだろう。
「うん、いいよ。私の生命、大切に使ってね――――」
だが、そんな俺へ如月は朗らな声で笑いかけると、最後に何か俺の知らない言語を呟いた。
その瞬間、一面視界が真っ白な光に包まれる。
俺は思わず目を瞑る。
此処ではない何処か。
その深奥に鎮座する何かから、光の奔流が如月を通して流れ込んで来るのが朧気ながらわかった。
それが如月の体を光子へと分解し、俺へと運ばれていく。
そして―――。
「………終わった、のか?」
俺は閉じていた目を開け、辺りを見渡す。
俺の声に答えるものは、もう居ない。
その代わり、俺の左腕と両足の位置に冷たい鼓動と感触を感じた。
「……………………ありがとう」
何かに激情をぶつけたい衝動を抑えて、俺は彼女に礼を告げる。
最後まで正体がよくわからなかった如月。
それでも俺を助けてくれたことは事実で。
もしかするとずっと俺の味方だったのかもしれない。
一体彼女の目的は何だったのだろうか。
もし、何処かで何かが違えばそれが理解できたのだろうか。
俺はそう思わずにはいられなかった。
だが、今更考えても最早遅すぎることだった。
「…………………」
俺は如月から貰った足で立ち上がり、歩き出す。
一歩一歩その恩恵を噛みしめるように。
『ふん、茶番じゃの』
今の今まで傍観者を気取っていたアザトースの声に、俺は何も答えず外へ出る。
如月が消えた影響か、俺が扉を閉めた瞬間、結界は急速に壊れ始めていった。
『解っておるのか? 立派な手足が生えたところで、この世界の干渉を跳ね除けれねば意味は無いのじゃぞ?』
「あぁ、解っている。第三契約がいるんだろ?」
地平の先を見据えながら、俺は淡々と答える。
『そうじゃ、世界を創れとはいわんが、最低限それに耐えれる体でないと辿り着く前に防衛機構に殺される』
俺はアザトースの声を聞きながら、左腕と両足の調子を確かめる。
如月が生命をくれてまで作ったチャンスだ。
どんなことがあっても諦めはしないし、手段も選ばない。
もう俺は選んでいい次元を疾うに越してしまったのだから。
「それでも………、俺は行かなくちゃいけない。約束を果たすために」
『ならばどうする。最早主の選択に兎や角はいわんが、無様な死に様だけは晒してくれるな。主は吾らが選んだ男なのじゃからな』
「………………」
―――俺はどうするべきか。
パフェと離れてからずっと考えていた。
結局のところ、俺は一人では無力で。
誰かに、何かに縋って、頼って、生きていくしか無い。
それが今回の件で嫌というほどわかったから。
だから―――。
「力を、貸してくれ」
俺はいつか交わした会話と似た言葉を再びアザトースに吐く。
『くっく、同文というわけではないが、これで三度目か。主から力を求められるのも。―――いいじゃろう、また再び……』
「いや同文に近いが、同義というわけではない」
『? 何を言っておる?』
意味がわからない、と言うアザトースに俺は言葉を選んで説明していく。
「俺が言いたいのは、お前にも、俺……いや“俺達”と一緒に並んで戦って欲しいって事だ。観客席から応援するのではなく、俺達と一緒に舞台に出て共に戦って欲しい。そういう意味で俺は『力を貸して欲しい』と言ったんだ」
恐らく今までの俺では選ぶことのない選択。
力だけを貰うことはあっても、共闘の体を取る事を俺は本能的に拒否してきた。
なぜなら共に戦うと言うことは、その戦いで仲間が命を落とす可能性も意味するからだ。
戦うのは自分だけでいい。
傷つき、死者になるのも自分だけでいい。
大切なモノを護れるなら、この腕に抱き続けることが出来るのなら、俺はそれでよかった。
『自分が何を言っておるのか、解っておるのか?』
「解っている。俺はお前をもう一人のアイツじゃなく、ずっと俺たちを見守ってきた仲間として、一緒に戦って欲しいんだ」
だが第四神との戦いを経て気付かされた。
独りで戦うことの無力さに。
――いや。
俺が独りで戦うことが“どう言う意味をもたらすかを”理解したのだ。
概念はその者の魂を意味する。
『無価値』なんて概念を持つ奴の腕で抱き締めることの愚かさを、全て零れ落としかけて俺はようやく理解したのだ。
『くっく、何を言い出すかと思えば、相も変わらず綺麗事を………』
「綺麗事だろうと、偽善者と言われようとも構わない。俺達にはお前の力が必要なんだよ。俺達がこれから創る『世界』にはお前もいて欲しい……いや、居なきゃいけないんだ。こんな誰もいない灰色な世界の主に思い知らせるためにも」
だからこそ、俺は“もう誰かを護るために抱きしめない”。
この腕は、そんな為にあるものじゃないから。
『………………』
「なあ、お前は前に言ったよな。俺に望む関係は対等だと。今までの俺達の関係は本当に対等だったか? 俺は今、お前に問いたい。“これがお前が望んだ対等な関係なのか”と」
俺はアザトースに心から訴えかける。
コイツはパフェであってパフェでない。
俺に区別させるためにアザトースと名乗ったように、コイツはパフェと同じ名前の別の人なのだ。
真意はどうであれ、コイツはずっと俺たちを支えてきた。
俺とパフェに最も力を貸してくれたのはコイツだろう。
だがその実、コイツは俺達に近寄ろうとはしなかった。
観客席から時には野次を、時には応援を飛ばすだけで、対等な関係とは口ばかりの一方的な関係だった。
だからこそ俺はここでそれを正したい。
パフェとも、コイツともこれからを始めるために。
右腕の奥底。
心象領域の最奥で俺とアザトースは、今初めて面と面で向き合う。
パフェにそっくりな容姿のアザトースと視線を交差しあう。
互いに心の奥底を覗くように。
『はぁ……………わかったわかった。吾の負けじゃ。―――――いいじゃろう、認めよう。今から吾とお主は対等じゃ。じゃから共に戦ってやる』
やがて根負けするようにアザトースはそっぽを向いた。
「ありがとう」
『じゃが、勘違いするなよ。関係は対等じゃが、吾とお主らは同じではないからの。努々そこを間違えるな』
ツンデレのような台詞を残して、アザトースの気配が右腕の奥深くに消える。
その態度に俺は思わず笑みが零れた。
「さあ、行こうか。俺達の決戦の場所へ」
様々な思いと覚悟を胸に、俺は最後の契約をこの身に結ぶ。
そして最終決戦の地、パフェの元へと飛び出した。