その60 「風穴」
果てまでただ何もなくまっ平らな地平が永遠と続く世界。
ここは第四神が創りだした世界。
第四神が『絶対』と認めたものを置き、それ以外を裁き排除するだけの世界。
そんな中、如月は体中から火花を散らしながらも存在していた。
第四神からすれば当然彼女も異物である。
しかしながら彼女もまた終焉神達と同格の存在。
『世界』に抗うことは出来る。
「――損傷箇所多数、エネルギー減少中。………推定稼働時間算出中」
無機質な声で自分の状態をチェックしながら彼女は歩を進める。
「夜行は退却か、或いはもう……。いえ、考えても詮無き事ですね」
既存の地図が意味をなくした世界で、如月はある場所へ向かって進んでいる。
強大な『世界』を広げた余波をモロに受けた事によるダメージがあるとはいえ、如月にとってこの世界に存在すること自体は苦ではない。
何故なら終焉神クラスの神は環境が深海から宇宙に変わろうが大した影響を受けはしないからだ。
問題は『世界』に異物認定されていることだ。
既知の人類の排除など第四神にとっては細胞一つ、自壊させるに等しい行為でしか無い。
本当の排除は『世界』の展開後に始まるのだ。
『―――――――――』
『世界』が身動ぎをする。
それは言語ではなく本能的な防衛反応。
原始的な命令が世界に伝播していく。
「…………」
如月は足を止め、灰色の空を見上げる。
既に何度もこの状況に出くわしているのだ。
これから何が起こるかも如月は当然理解していた。
「――結界陣。起動」
如月の周囲に幾つもの式が展開される。
それと同時に時空に穴を開けて、幾つもの錨のような槍が出現する。
そしてその穂先は全て如月へと向けられる。
360度、視界全て槍に埋め尽くされている光景に如月は眉一つ動かさない。
何もない世界に突如現れた槍は、イナゴの大群の如く、存在する雑草に襲いかかった。
「――――っ」
槍の暴風とでも言うべき光景だろうか。
如月は結界を張ったまま、無言でその暴風を耐える。
逃げるスペースすら無いこの世界でこうするより他無いからだ。
「――結界強度低下中」
罅が入り、徐々に形が維持できなくなっている結界を見て如月が冷静に呟く。
「後、数度の襲撃で持たなくなりますね」
数分か、数十分か、或いは数時間か。
耐え続けて漸くやんだ槍の暴風。
如月は何事もなかったかのように目的地へ向かって足を進め始める。
世界に再び静寂が訪れた――――かのように見えた。
「―――――?」
如月は先程まで居た地点を振り返る。
暴風は止んでいるはずなのに『世界』の身動ぎが何時まで経っても終わる気配がない。
まるでこれからが本番だとでも言うように。
『―――――――』
新たな命令が世界に伝播する。
異物を排除するためにさらなる防衛機能が起動する。
それは強大な6つの柱。
旧世界最大の山すら足元に及ばないほど高く、巨大な柱。
『世界』の防衛機構とは即ち、使用者の概念心具そのモノの強さである。
最もスペックの高い系統である神化-覚醒系統を使用する架音と真っ向から戦えていた第四神の概念心具の強さは想像を絶する。
つまりこの6つの柱を持ってしても、この防衛機構の限度がまだまだ見えないのだ。
6つの強大な柱が上下前後左右。
取り囲むよう如月へと標準が向けられる。
「――――――くっ」
如月は無機質な翼を広げ、その場から高速で移動する。
だが先ほどの交戦で疲労しているのか、そこまでスピードは伸びていない。
対する6つの柱は先ほどの槍より更に速いスピードで発射される。
一つ一つが惑星に突き立てられるほどの巨大な柱である。
如月から見れば壁が逃れ得ぬ速度で迫った来たようにしか見えないだろう。
「ガ――ッ!!!!!」
とっさに張ったシールドも功を奏さず。
如月はプレス機に掛けられたように叩き潰された。
「機能、損傷……80%、以上」
一撃で戦闘不能と分かるダメージを与えていながら、巨大な柱は次々と発射されていく。
何度も、何度も、執拗に磨り潰すように。
「ッ―――!! ギィ―――ッ!!! ガッ―――ッ!!!」
真っ赤な血を振り撒きながら如月のパーツは弾け飛んでいく。
腕が爆ぜ、足がもげ、首が裂ける。
それでも6つの柱は止まらない。
感情はなく、機械のように処理をするだけ。
如月の悲鳴が消えるまで柱は叩きつけられた。
「―――――――――――」
最早ピクリとも動かなくなった如月が落下する。
それに伴い6つの柱は何事もなかったかのように消えていく。
「…………………」
スクラップとなったその体から声はもう出ない。
ただ、如月のデバイスに文字が打ち込まれていく。
『カ、ノ、ン』
と。
如月の機能が停止した。
†
天でも地でもなく、内でも外でもない領域。
そこはコアであり、外郭であり、『世界』の中枢とでも言うべき場所。
その玉座に座っていた第四神が目を開く。
今の第四神は世界を統べる支配者であり、眼を開くだけで世界の全てを見渡すことが出来る。
見渡せると言っても、第四神の世界に見渡せるだけのものが存在しないのは何とも皮肉な話だが。
「塵芥が……まだいるな」
旧世界を一瞬でほぼ塗り変えた第四神だが、未だ塗り替わっていない地域に視線を送る。
第四神の世界として塗り替わっていない以上、そこを直接見ることは第四神にも叶わない。
しかし、その周り全てを己の世界で覆っているので、空白の領域として感知することは出来た。
「まずはどれから……………。いや――」
ある一点で第四神の視線が止まる。
塗り替わっていない地点ではない。
“塗り替わった地点”にそれが居た。
「どうやら自ら掃除されたい奴がいるようだな」
初めは針先ほど小さい黒い染み。
それがじわじわと灰色の世界を飲み込み、黒く塗り替えていく。
何よりも黒く闇より深い漆黒。
闇夜の姫君の世界と第四神の世界の拮抗が始まった。
†
パフェは広がりつつある己の世界の中心で、空を見上げる。
ほぼ一瞬で世界を塗り変えた第四神と比べ、その世界の進行はあまりにも遅い。
今なお世界を広げ続けている第四神の神格が桁違いに高いというのも理由の一つだが。
決定的なのは架音達を切り離したことに依るスペックダウンが最大の理由だろう。
それでも着実にパフェは第四神から世界を奪い返しつつあった。
『世界』を広げた神を排除する方法は2つ存在する。
一つは今のパフェのように世界を広げ、相手を塗りつぶすか、世界の器から弾き出す方法。
もう一つは世界の器から出てきた本体を殺す方法。
だが、まず前提として世界の器に存在する神本体に直接干渉する方法がない以上、一つ目の手段を取らずに相手が出て来ることはないだろう。
故にパフェの言う通り、『世界』を広げるものを倒すには同じく『世界』を広げる必要があるのだ。
『世界』は心象世界、概念心具の最大展開の結果だ。
膨大な量こそあれ、破壊されればフィードバックダメージが器にいる本体に行く。
『世界』に風穴を空ければ、本体は出てこざる負えないのだ。
「さぁ、来るがいい、第四神よ。吾が貴様に大穴を空けてやろう」
パフェの意気込みを反映するように、漆黒の世界は震え、勢いを増す。
灰色の世界と同じく、その世界は黒一色ではあるが、一つだけ決定的に違うところがあった。
闇に隠れて視認こそ出来ないが、中身があるのだ。
植物が育つ大地が、生き物が暮らす山が、命を産ませる海が。
生物の存在を拒否しない世界。
絶対なるモノ以外を裁く、第四神の世界と比べ、あまりも対照的な世界が鬩ぎ合う。
今ここに、最後の戦いが始まろうとした。
†
手を伸ばす。
あれだけ力強く伸ばせていた腕。
今はリビングから出るのも一苦労になっている。
パフェと別れた弊害だろう。
元々俺の力はパフェから分けてもらったものなので当然だが。
今更ながらパフェが居ない状態がどういうことなのか俺はわかっていなかったようだ。
俺の体は初めてパフェとあった時に殆ど死んでいる。
そんな体のまま動こうとするのだから、体が重いのは自明の理だろう。
『そんな体のまま何処へ行こうというのじゃ?』
右腕からパフェと同じ声が響いてくる。
アザトースだろう。
何故パフェではなく俺の中にコイツがいるのかは分からないが、今はいい。
今はパフェのところへ向かうのが先だ。
「決まっている。アイツのところだ」
『行ってどうする。足手まといになるつもりかや?』
「………………」
這って進みながら俺はアザトースの言葉を考える。
確かにそうだろう。
こんな体のままパフェの元へ向かった所で足手まといにしかならないのかもしれない。
――だが……だけど……。
「だからってアイツを見捨てろっていうのか」
理屈としては分かる。
客観的に見れば行かない方がいいのだろう。
それでも俺はアザトースに問わずにはいられなかった。
そんな俺の問いに帰ってきた答えはあまりにも残酷な言葉だった。
『吾から離れた時点でどの道死ぬ宿命じゃ。気にすることはない』
俺は歯を食いしばり、力強く右腕を前に伸ばす。
――俺のために命を投げ出そうとしているパフェを、気にするな?
「冗談じゃない」
零れ落ちたものは戻らない。
だから俺は必死に護ろうとした。
その結果、俺は多くのものを零れ落としてしまった。
俺は失わなければモノの価値が解らない、愚かな奴だ。
今もパフェの本当の価値をよく解ってないに違いない。
何の結果も出せなかった、そんな俺が『失いたくない』『助けたい』などと言っても片腹痛い事なのかもしれない。
右腕を自分の胸元に手繰り寄せ、前進する。
――それでも……。
「約束、したんだ。もう一人にはしないと」
その約束がアイツにどれ程の意味を与えるか。
それも良くは解っていない。
「ただ、アイツにもう二度と寂しい顔はさせたくないんだよ」
俺は、もう二度とあんな寂しそうな顔で死ににいくパフェを見たくなかった。
『それこそ冗談ではない。主のしていることは吾の決意を汚しているだけに過ぎぬ。力無き者がどれだけ綺麗事を宣おうとも、それは稚児の我儘に過ぎぬわ』
概念心具第三契約『世界』
これが使えなければ第四神と戦う事すら許されないと、アザトースは言う。
契約すら結べるかわからない今の俺が、第三契約など奇跡でも置きない限り無理に違いない。
そんな俺が戦場へ向かうなど我儘と取られても仕方が無い。
俺は動かしていた右腕を止める。
決意が変わったからじゃない。
決意を変えないため、俺達の岐路をもう一度見渡すために止める。
『―――――――――――』
いつか聞いたノイズが……、或いは気紛れな何かの導きだろうか。
俺の脳裏に“選択した後”の未来の光景が映る。
―――――――――――――――――――――――。
記憶には何も刻まれない。
ただその意味を、理解したということだけを理解して。
俺は、俺の選択肢が間違っていないことだけを確信する。
――あぁ、やはりそうなるのか、と。
『?』
動きの止まった俺をアザトースは不審そうに見る。
「――我儘と言われようとも関係ない。このまま俺がここに篭って、結果俺の命が救われたとして。それでアイツは幸せになれるのか? もう一度アイツの、本当の笑顔を見ることが出来るのか?」
『あぁ、見れるとも。主が望むのならば吾は何度でも笑顔を見せてやるじゃろうよ』
「――――だから、駄目なんだよ」
アザトースに、俺は苦笑いしながら呟く。
――そうじゃない。
“そういう意味じゃない”んだ。
アザトースの言うパフェは俺の知るアイツじゃない。
俺はアイツじゃないと駄目なんだ。
俺が見たいのは第二神パフェヴェディルムと言う存在ではなく、アイツの笑顔なんだ。
俺は再び右腕に力を込める。
「行かないとな、アイツの元へ」
玄関の扉が開き、新たな世界の光が俺の視界に差し込んだ。