その59 「灰色」
「これは……っ!?」
家の中がひっくり返るような衝撃が俺とパフェを襲う。
「――っ!!」
先ほどまで俺の上に乗り、甘えていたパフェが見たこともない俊敏な動きで部屋から駆け出す。
俺は言うまでもなく理解する。
明らかに異常事態が発生した事を。
それも容易ならざるとんでもレベルの事態が、だ。
震える右腕を抑えながら直ぐ、俺はパフェの後を追った。
「まさか、こうなるとはの……」
パフェがリビングの窓から外を眺めながら苦々しい声を漏らす。
「どうなっている?」
俺もやや遅れる形で窓の外の光景を目撃する。
――そこには。
「っ―――! 何も、無い……」
天も地も海も人も建物も何もなく。
ただ灰色の空間が広がっているだけだった。
「何だ、これは?」
俺はただ唖然とする。
俺が一度リビングを通った時はこんな光景ではなかった。
その時からどれほど時間が経っただろうかは分からないが。
何をどうすればこんな事が可能になるというのだ。
「―――恐らく第四神が第三契約を結んだのじゃろう」
「第三契約?」
「そうじゃ、終焉神の最後の奥義。『世界』じゃ」
果てしなく続く灰色の世界を前に、パフェはそう言う。
「何を……言っているんだ。第九神も第七神も、負けてすらそんなもの使わなかったじゃないか」
俺は今までの戦いを思い返す。
第九神は第三神によって殺された。
第七神は恐らく第十八神に殺されたであろう。
両者ともに不意打ちでやられたとはいえ、最後の奥義というものがあるのであれば、その二人が使っていないというのはおかしい。
俺はそう思ったのだが、パフェは首を横に振る。
「それはそうじゃ。これは終焉神の最後の切り札、おいそれと使えるようなものではない。例え己が死ぬ状況になろうとも使うようなものではないのじゃ」
“死んでも使わない”と言うところに引っかかりを感じるが、一先ず於いておいて、俺は要点だけ聞くことにする。
「……………これが発動するとどうなるんだ?」
「既存……つまり“今の世界”の中から“新たな世界”が生まれる。もっと具体的に言うとじゃな、使用者の心象世界が現世へと具現化し、新たな現世へと移り変わろうとする。即ち、世界の混成が起こる」
「そんなことが起これば今この世界に住んでいる人はどうなる? ――――いや、どうなった、と言うべきか」
「いきなり宇宙空間に放り出されるようなものじゃ。まず淘汰されたじゃろうな」
俺はもう一度外の世界を見る。
灰色一色のみの風景が残されている。
これが淘汰された結果だというのか。
あまりにも漠然とした結果だけ残されているので、感慨が湧いてこない。
ただ、もう、俺達が居た世界は何も残ってはいないことがわかった。
つらい思い出も、悲しい思い出も、姉貴達と過ごした僅かな楽しい思い出も。
全部灰色の世界に飲まれ消えたのだ。
「終焉神が二柱揃えば世界が滅びるというのは、要するに終焉神同士でもなければこの『世界』を使わんからじゃ」
パフェは窓の外から視線を外すと、ソファーに体を投げ出すように身を預ける。
「………………これから俺達はどうするんだ?」
俺はその横に座りながらパフェに尋ねた。
「状況が変わった。二人でこの世界を脱出するという手はもう使えまい」
「じゃあ、此処にずっといるのか?」
「それも無理じゃろう。あそこを見てみよ」
パフェは窓の外……いや、正確には窓と灰色の世界の境界を指さす。
そこには薄っすらとだが、一面に亀裂が刻まれていた。
旧世界が新世界に飲まれたというのにここだけ無事だったのは、その境に強力な結界があったからだろう。
恐らく如月が張った結界。
それに罅が入っている。
もっとよく観察してみると、罅は刻一刻と、少しずつ増えていっているのが解った。
それが意味することは一つ。
外の世界の状況は他人ごとではなく、未来の俺達の惨状なのだ。
「―――つまりこの世界の創造主との戦いは避けられないわけだな?」
パフェは無言で頷く。
「解った」
俺は右腕に力を込める。
俺の意思に答えるように右腕は強く鳴動する。
パフェと分離したとはいえ、あの時の力がなくなったわけではない。
パフェとともに生きるために戦う必要があるというのであれば、俺は何度でもあの殺戮の魔神となろう。
俺はもう、自分の力を使うことを恐れない。
今度こそ大切なモノを失わないために。
「………共に行こう、俺達の手で今度こそ第四神を倒そう」
俺はパフェに左手を差し出す。
独り善がりの怒りではなく、生きるために、共に戦うために。
「……………」
パフェは眩しそうに目を細めると、俺の左手を取ろうとする。
「―――?」
しかし、パフェの手が途中で止まった。
「待て主様。吾に妙案がある」
「っ!! 本当か?」
「…………あぁ。じゃが、今の吾の体は弱っていてその案がとてもできそうにない。少し主様の力を分けてくれぬか?」
パフェはちょいちょいと俺を手招きする。
「あぁ、それは構わないが」
そう言いながら俺はパフェに近づく。
「もっと近くじゃ」
パフェの言葉に合わせて俺は密着するくらい近づく。
「右腕を触らせてくれ」
「あぁ」
俺は密着状態でパフェに右腕を差し出す。
それをパフェは愛おしそうに撫でた。
何度も、何度も、宝物のように大切に。
パフェのあまりにも献身的な姿に、俺はこれが力を貰う方法なのか、と疑問が浮かんだ。
「済まぬの。――――――――――――本当に済まぬ」
「―――――ッ!!!?」
ブチッという音が頭のなかで響く。
――何だ?
何が起きた?
突然体が動かせなくなる。
そう思っているうちに、俺の視点はぐらりと傾いていった。
右腕をパフェに握られたまま、俺の体は床に転げ落ちる。
そんな中、俺の体から大切な何かが抜けていき、パフェの体に吸い込まれていくのが感覚的に解った。
「何……して、い……るんだ?」
「吾の体を返してもらっただけじゃ」
「どういう、ことなんだ……?」
俺は起き上がろうと左腕を床に突き立てる、いや突き立てようとした。
俺が突き立てようとした左手は肘から先がなく、空を切った。
いや、それだけではない。
空を切り、もがいた際に動かしていたはずの両足までも消失する。
それと同時にパフェの体の傷が癒え、普段と変わらないレベルまで神気が回復していく。
「……………」
パフェは目的を達成したのか、俺の右腕を離す。
俺の上半身は重力に従い、人形のように落下する。
「状況が変わったといったじゃろ。“二人では”脱出できない以上こうするしかあるまい」
床に横たわる俺を見下ろしながらパフェは冷静にそう言った
†
倒れ伏した主様を吾は見下ろす。
これで最後になるかもしれないというのに吾の心は妙に落ち着いていた。
こんな最低の状況であるというのに。
いや、もしかすると最高の状況なのかもしれん。
吾は相反する思考に苦笑する。
「本当は悪女でも装うかと思ったのじゃが、やはり無理じゃな。芝居でも主様に嫌われるのは堪える」
「どういう……つもりだ?」
吾はじっと主様の眼の中を覗く。
影は断ち切れたのじゃから、最早吾に主様の心は読めない。
じゃが、それでも吾が裏切ったとは毛ほども思っていない顔だった。
しかしまあ、当然じゃろう。
恐らく主様は吾が主様を犠牲に、保身に走る選択をしようとそれを裏切ったとは思わないのじゃろうから。
もし吾が本当に主様を裏切ったとしても、主様は喜んで死ぬに違いない。
自惚れでも何でも無く、そう確信できる。
主様が他者に、宝物に掛ける思いはそれだけ凄烈じゃ。
吾は白い満月の首飾りを撫でる。
本当にどこまでも身内に甘い。
甘くて、甘すぎてその甘さに溺れそうになる。
――じゃが……じゃからこそ吾が主様を救わねばならん。
「――前に『第九神の攻撃を喰らった後どうなるか、嘘偽りなく詳しく説明出来るのか』と聞いたの。その時は誤魔化したが、その答えを今教えてやろう。――――じゃが、それについてはまず第三契約『世界』からじゃの」
吾は主様の問を無視して、話を始める。
「概念心具第三契約『世界』。それは先程も言った通り、新たな世界を作るという創世術じゃ。『世界』を使えるものは自分で創りだした“己の世界”というものを持つことが出来る。『世界』とは己の心象世界の具現、概念心具の最大展開の結果じゃ。心・魂・体の融合体であるそれは一種のもう一人の自分ととっても相違ない存在じゃ。じゃから“己の世界”を持つ神は死んだとしても、別世界にある己の『世界』で転生し再生できる。――――――つまり、あの時吾が死んだとしても別世界にある己の世界から蘇れたわけじゃ」
何のリスクもないわけではないがの、と吾は心の中で付け足す。
「終焉神達が殺しあう根本の理由がこの『世界』であり、またこの『世界』があるかぎり終焉神は何度でも蘇ってくる。そして再び『世界』を発動させる」
吾は神々が作る世界の仕組みを主様に語って聞かせる。
『世界』を使える神は他の生物の命を吸い、命のストックを増やす。
それを阻止するものもまた、『世界』で塗り替え止めるしか手段がない以上、神に依る『世界』の陣取り合戦が発生する。
結果、弱き魂だけが淘汰されてゆき、生命を循環させる。
呪いのように悍ましいシステム、『世界』
それらを知りつつも吾ら終焉神は『世界』を使うことを止める事はできない。
「何故なら生命の循環を促す促進剤、それが終焉神に与えられし使命じゃからな」
この『世界』を広げている神を倒すには誰かが別の『世界』をぶつけるしか無い。
主様に命のストックがない以上、それが出来るのは吾だけじゃろう。
その為には主様との命の繋がりを絶ち、吾の貸した力を少し回収する必要があった。
一つは吾の死に主様を巻き込ませない為。
一つは『世界』を使う力が必要な為。
「吾が命を使って第四神毎この『世界』を消滅させる」
吾は主様と、主様の右腕にいる吾に聞こえるように宣言する。
『………………ふっ』
何処か嘲笑するような笑い声が聞こえた気がした。
「じゃから……心配するな。必ず生き返って迎えに来る。――――それまでここで待っててくりゃれ」
どんな形であれ、二人共に生きていける選択肢があるのならばそれを選ぶべきじゃろう。
例えそれで吾という存在が消えるかもしれないとしても。
吾は存在し続けるのだから。
「だったら、なんでそんな悲しい顔してるんだよ」
それまで黙って聞いていた主様が口を開く。
「一緒にいるって、一人にしないって、言っただろ」
主様は唯一残った右腕で這う。
吾の元へとゆっくりと進んでくる。
吾は黙ってその光景を見守っていた。
手を出せば決心が揺らぐであろう事はわかっている。
だが、かと言って懸命に近づいてくる主様を無碍にすることも出来なかった。
「一時でも主様と離れるのじゃ。悲しくないわけ無いじゃろう」
吾は未練を断ち切るように主様に背を向ける。
一刻も早く足を進めなければならないというのに、足取りは重い。
結界が壊れてしまえば全て終わってしまうのだ。
だから足を進めなければいけない。
戦いに赴かなくてはいけない。
――だというのに……。
「…………っくぅ」
あぁ、今生まれて初めて思う。
死にたくない。
戦いたくない。
この温もりから離れたくない。
愛しい、愛しい主様よ。
抱きしめて吾を止めてくれと、願う。
このまま時が止まってしまえばいい。
永遠に何時までも一緒にいれればいい。
でもそれを許すわけにはいかなくて。
吾は足を踏み出す。
「待てよ!! 待ってくれよッ!!!」
主様が必死に手を伸ばしている。
けれどそれは吾には届かず――。
吾は玄関の扉に手を掛けた。
「さらばじゃ、主様。再び相見えるその時まで……」
ドアの隙間から見える主様を目に焼き付け。
吾は……扉を閉じた。