その57 「黒い三日月の首飾り」
何時からだろうか。
俺を見る人の目が他の人に向ける視線と違うことに気付いたのは。
何時からだろうか。
誰も俺の側に寄ってこないことに気がついたのは。
何時からだろうか。
俺を愛してくれる人がみんな亡くなって行くと気付いたのは。
なあ、何時からだろう。
俺は何時から普通じゃなくなったのだろう。
俺は姉貴と比べて凡人だったはず。
なのになんで俺が、俺のほうが化け物扱いされてるのだろう。
生まれてから今まで一度たりとも俺は父親に何か息子らしい言葉をかけてもらった記憶が無い。
父さんは厄介払いをするように何時も誰かに俺を押し付けていた。
母さんが生きている間は母さんが。
俺を可愛がってくれたお手伝いさんが生きている間はお手伝いさんが。
姉貴が生きている間は姉貴が。
こんな俺の面倒を自ら進んでやってくれる人はみんなみんな死んでしまった。
俺は誰かを愛しちゃいけないのだろうか。
俺は誰かに愛されちゃいけないのだろうか。
死ぬまで化け物として除け者にされ続けなければならないのだろうか。
もしそれが俺の宿命であるなら。
それを壊し、自分の幸せを取り戻そうと願うのは罪なのだろうか。
零れ落ちたものはもう取り戻せない。
何度も何度も零れっていったから知っている。
その度に俺は抱き締めるための腕で相手を叩き壊すことしか出来ない。
――そうだ。
思い出した。
三年前のあの日もそうだった。
輪廻かなた。
俺の妹が亡くなった日の出来事。
ずっと記憶に封印していた。
俺には妹が居た。
無愛想で、無口で、可愛げのない奴だった。
愛嬌というものを知らず、それでいて寂しがり屋だった。
よく俺の側に寄って来ては毒舌を吐いていたのを覚えている。
まあ、そんな妹でも周りに誰も寄ってこない俺としては嬉しい存在だった。
そんな俺の妹はあの日。
妖魔に殺された。
襲われたのは任務の帰りだった。
溜まった疲労と緊張が切れたその瞬間を狙われた。
俺はその場に居た訳ではないからどんな事をされたのかは知らない。
その場所に辿り着いた俺が実際に見たのは。
首から上以外、無残に食い散らかされた妹の残骸だった。
苦痛と恐怖に歪んだ妹の顔を見て、俺の中の何かが切れた。
俺は一族の中でも上の下くらいで、特別優秀なわけではなかった。
ただ、妖魔を殺すことに関してだけは、姉貴と同じくらい上手く殺すことが出来た。
その日、俺は古の都の妖魔を皆殺しにした。
善悪全てを無視し、虐殺の限りを尽くした。
魑魅魍魎がはびこり、古より長く封じられていた妖魔全てをこの手で葬った。
火と妖魔の血により真っ赤に染まった世界の中央で、俺は双子の片割れと再会する。
そして俺は、そのまま………。
コレが、俺が家から完全に追い出される切っ掛けとなった出来事だ。
結局俺は大切だ、宝物だ、何だと言っても。
壊れてみないとその価値がわからないようだ。
『無価値』
なるほど、俺にピッタリの概念だ。
腕に抱かれる者の価値は無価値となり、腕から離れたものだけ価値が解る。
あぁ、なんて無意味な祈りなんだろう。
叩き壊すしか能が無いくせに、護りたいと願うから。
何度も、何度でも腕から零れ落ちてゆく。
――もう、俺に残っているものは……。
「?」
両手がそっと温かいもので包まれる。
何だろう、これは?
誰かの手のような感触がする。
俺の手なんかを包んでどうするつもりなのだろう。
もうこの手には何も。
ふと、手の中に何か、固い金属の感触を感じる。
温かい誰かの手に包まれながらそっと開く。
そこには黒い三日月の首飾りが入っていた。
「パ……フェ……?」
光を拒んでいた目に徐々に光が入り込んでくる。
光に包まれる瞬間、何かが閉じる音が聞こえた気がした。
†
「ここは……?」
激痛と疲労感で俺は目が覚める。
俺の視界には全く見覚えのない天井が世界に広がっている。
こんな場所で寝た記憶はない。
そもそも昨日いつ寝たのかすら定かでない。
俺は一体何をしていたんだっけ?
全く思い出せない。
一晩中飲み明かして道路で眠りこけた大学生のような感想を抱きながら、俺は体を起こす。
「っ――!!」
頭がぐわんぐわん揺れ、金槌で殴られているように痛い。
それに全身筋肉痛で非常に体がダルイ。
本当に俺は昨日、一体何をしていたのだろうか。
俺は片手で頭を抑えながら、痛みが引くのを待つ。
そんな中、ふとこんな事が前にもなかったか?
と言う思いが浮上した。
そう、あれは確か……。
「っ!! 輪廻君っ!!」
ついそこまで何かが出そうな瞬間、俺は誰かに抱きつかれた。
それにより、俺は猛烈な激痛が走り、思考が吹っ飛んだ。
「よかったぁ、目が覚めて本当に良かったよぉ」
訳もわからない俺に誰かが泣きじゃくっている。
この声、この髪……。
――こいつ如月か?
「痛ッ――!!」
如月と認識した瞬間、何かがフラッシュバックする。
荒れ果てた街。
槍を投げつける何か。
なんだこれは?
なぜこんな光景に俺は“見覚え”がある。
「あっ、ごめん、痛いよねぇ」
如月は俺の悲鳴とともにぱっと側から離れた。
視界が広がった事により、俺は辺りを見渡す。
どこかの家の一室のようだが、見覚えはない。
状況的に如月の家なのだろうか。
「………ここはどこだ? どうして俺はここにいる?」
「え?」
「ん?」
俺の問いかけに如月は一瞬変な顔をする。
「えーっと、覚えてないかなぁ。輪廻君と私は前世からの付き合いで……」
「ダウト」
こいつに聞いた俺が馬鹿だった。
俺は溜息を吐きつつ、他に記憶の手がかりになりそうな物を探す。
「と、とりあえず私は、なにか食べ物持ってくるから。ま、待っててねぇ」
そんな俺の様子をしてか知らずか、何やら慌てるように如月は部屋を飛び出していく。
一体何なんだ、アイツ?
如月の奇行は今に始まったことではないが、今回のは取り分け意味がわからなかった。
如月のことは置いておいて、俺はふと視線を自分の腰辺りに移す。
「………ん」
そこにはなにか黒いものが落ちているのを発見した。
「黒い三日月の首飾り……」
俺はソレを摘み上げる。
――ジジッ。
脳が焼ける音がする。
燃やし尽くさんばかりの何かが、俺の脳を炙っている。
そうだ、何かが足りない。
最近までずっと側に居たはずのアイツが居ない。
俺はポケットに首飾りを押し込むと、痛む体を押して立ち上がり、部屋を出る。
部屋に出るとそこはリビングだった。
食べ物を持ってくるといったはずの如月は居ない。
一体何処へ行ったのだろうか。
俺は周囲を観察する。
「…………あそこか?」
リビングから伸びる廊下にある扉から少し光が漏れている。
俺は光に集まる虫のようにふらふらとそこへ吸い寄せられていく。
そしてわずかに開いた隙間から中を覗き込む。
そこには――。
「――ッ!!」
思わず声を漏らしそうになる。
部屋の中央には巨大なカプセルが置かれており、その中に黒髪の少女が浮かんでいた。
その少女は体中ボロボロで生きているのか死んでいるのかわからないくらい弱っていた。
――俺は、こいつを知っている。
そうだ、ずっと一緒に戦ってきたんだ。
俺の脳内に今までの光景が流れこんでくる。
「……思い、だした」
夢渡との戦い、第九神との戦い、第三、第七神との戦い、そして第四神との戦い。
その過程で俺は姉貴も、天羽も、先輩も、街の人も失った事、全部。
もう俺に残ったものは目の前のパフェだけ。
虚像で塗り固めた鏡が砕け、後にはポッカリと開いた大きな穴だけが残る。
俺は力なく崩れ落ちていく。
「――やはり思い出してしまったのですね」
いつの間にか俺の横に如月が立っていた。
その表情は今まで見たことがないくらいに無機質だった。
だが、もうそんな事はどうでもいい。
「…………」
よろよろと俺は這って進み、パフェに手を伸ばす。
無機質な硝子にコツンと指が触れる。
「……今、その装置で第二神の体を治しています」
「なんで……こんな……」
口から疑問の声が出る。
「―――第四神との戦いで負ったダメージです」
少し躊躇うような口調で如月は言う。
「じゃあ、なんで……俺は……」
「恐らく第二神が貴方へのダメージを肩代わりした所為でしょう」
如月の言葉で俺が第四神との戦いで何をしたのか、はっきり思い出してくる。
俺は逃げようと言っていたパフェを振り切り、無理やり吸収して戦闘に参加させた。
俺は、自分の手でパフェを追い詰めていたのだ。
「はっ……はっ……はっ……」
体はガタガタ震え、息がどんどん荒くなっていく。
俺は、俺は何ということをしてしまったのだろう。
「じっとしていてください。今鎮静剤を打ちます」
首がチクっとすると、何かが血管を通して入り込んでくる。
次第に震えは収まってゆき、呼吸も安定する。
「俺は……、こいつを、殺すところだったのか?」
改めて俺は如月に尋ねる。
「―――それは違います。第二神の傷は貴方を庇ってできたもの。貴方が直接つけたわけではありません」
「だが……」
「第二神がこれほど衰弱しているのは確かに第四神の所為ではありますが、その半分は第二神が自ら貴方から分離したことによる弊害。もし第二神が分離しなければこんな傷にはならなかったでしょう」
如月は淡々とした口調だが、何処か慰めるように俺に語りかけてきた。
「………………」
そんな如月の言葉に俺は俯くだけで何も言えなかった。
パフェの入っている装置の音だけが静かに部屋を木霊する。
その間も俺は如月から無言の視線を感じていた。
だが、やがて如月は踵を返すと扉の方へ向かう。
「――カノン、私は今から第四神との戦いに戻らなくてはなりません。その戦いにより恐らくこの世界は人の住める環境ではなくなるでしょう。ですからこの家から絶対に出ないでください」
――待って。
と言おうとしたが、声が出ず空気だけが俺の口から吐き出される。
「貴方達は……、いえ、貴方だけは必ず私が護ってみせます。―――――それでは」
今まで見たことのない、安らかな笑みとともに如月は部屋から出て行く。
――何なんだお前らは。
俺を一体どうしたい。
「……俺は、どうすればいいんだ。なあ、教えてくれよ」
――パフェ。
俺の独白とともに力なく拳が床に落とされた。