その53 「薬師寺柚美奈」
「………どうして、避けないの?」
先輩の体が俺にぶつかる。
突き立てられた刃は標的の心臓を逸れ、脇腹を切り裂くだけとなった。
「もう避けないって、言ったでしょ?」
顔が見えない先輩を俺は上から見下ろす。
「馬鹿なの君? 開放されるなんて嘘に決まってる。もし本当だとしても文字通り開放されて私は死ぬだけなんだよ。私はもう改造されて時点で詰んでいるの。君に殺されて死ぬか君を殺して死ぬかの違いしか無いんだよ」
先輩は肩を震わせる。
嗚咽を堪えているようなその姿を見て、俺は先輩の顔を見たくなった。
「先輩、顔を上げてください」
俺の言葉に先輩はビクッと震える。
「いつもの論理的な思考をしてよ。もう私は助けれないの。切り捨てるしか無いじゃない。それに私は華蓮を死……」
俺は先輩の言葉を遮るように先輩を抱きしめる。
先輩の手に握られていた太刀が音を立てて転がる。
「………その先は、言わないでください」
心の片隅で覚悟していたとはいえ、断言されると心が折れてしまう。
俺自身のことはどうでもいいが、今はこの人を支えるだけの心の強さが欲しかった。
「―――――もう言わないから放して」
俺はゆっくりと先輩の体を放した。
その時初めて涙で顔を濡らす先輩が見れた。
この人は完全に操られてなんか居なかった。
初めから俺に殺されるために悪役を演じていただけなんだ。
「お願い、架音君。私を殺して。それがダメなら私の自己治癒を阻止するだけでもいい。もう私を死なせて」
涙を流しながら先輩は苦痛に顔を歪める。
先輩の体を見ると全身が何か虫が這いまわっているかのように蠢いていた。
恐らく俺への攻撃を止めたせいだろう。
あんまりにも酷い光景に目を逸らしたかった。
だが逸らす訳にはいかない。
これは俺の甘さが招いた結果なのだ。
「俺を……」
俺を殺せば……、と言おうとして先輩に止められる。
「って言っても聞いてくれないよね。君は私なんかの為に命を投げ出そうとした大馬鹿者だもんね。だから―――」
俺の言葉を遮ったまま先輩は言葉を重ねる。
「最後まで私を見ていて。私が死から逃げ出さないようにしっかり捕まえていて」
先輩は落ちた太刀を拾うと空いた手で刀身を素手のまま掴んだ。
「――ッ」
先輩の手から血が流れる。
俺は止めようと一歩進む。
「来ないでっ!!」
先輩の悲鳴のような叫びに俺の足は止まる。
「私を殺す覚悟がないなら止めないで。架音君、生かす事と助ける事は必ずしもイコールじゃないんだよ。死が助けになる場合もある」
俺は先輩の言葉に何も言い返せなかった。
『生きていればきっと良いことがある』
なんて言葉、代わりに死のうとしている俺が言えるわけがない。
先輩は太刀の切っ先を己の心臓に向ける。
痛みなのか、死の恐怖なのか、剣先がカタカタ震えている。
「でも―――」
それでも俺は……。
先輩に生きていて欲しくて何とか言葉を振り絞ろうとする。
「リビングウィル、私にも自分で生き死にを決められる権利があるんだよ。君が私を殺したくないように私だって君を殺したくなんて無いよ。だって君は……私の―――」
消え入りそうな声で言葉を吐き出すと先輩は口を真一文字に結ぶ。
「待っ!!」
俺が手を伸ばした時には遅かった。
俺の見ている前で刃が先輩の心臓を貫いた。
「先輩ッ!!!!!」
慌てて俺は駆け寄る。
先輩の胸部が真っ赤に染まっていく。
「抱き、しめて。その、右腕で。君の魂、で包ん…で」
口から血を零しながら蚊の鳴くような声で先輩が囁く。
俺は無言で抱きしめた。
こんな状況になっているのに先輩の体の蠢きは止まらない。
いや、こんな状況だからこそ一層激しくなっている。
激痛が襲っているはずなのに先輩は笑う。
そんな姿に俺は―――。
俺は―――。
右腕にマナを込めた。
痛みも苦しみも異形のモノも全てを無価値に。
先輩が開放されることを祈って。
「有難う架音君。君の、手。すごく、気持ちいいよ」
安らかそうな先輩の顔に俺は何も言えなかった。
「―――最後に、一つ。気持ち悪い、なんて……言って。ごめん、ね……」
「いいんです、そんな事」
「後は……。――――」
先輩の眼が虚ろになり、口から掠れた空気だけ吐き出される。
俺は先輩の言葉を聞き取ろうと耳を近づける。
その瞬間。
「好きだよ。架音君」
生暖かい感触が頬に伝わった。
先輩はそれっきり目覚めることはなかった。
†
初めて会った時の第一印象は『気持ち悪い』
ただその一言に尽きた。
私が輪廻架音と出会ったのは幼少の頃。
まだ彼が口数の少ないヒネた青年になる前。
今より口数が多く、母親に抱きついて遊んでいる彼を見たのが最初。
その当時の私は病院関連の施設によく足を運んでいた。
その病院内の広場で二人を見たのが初め。
何故私がそんな場所にいるかって?
それは私の家の話を少ししなければならない。
私の家は架音君や華蓮と同じ魔術師の家だ。
魔術師の家は血統と才能がモノを言う。
凡人がどれだけ月日を重ねようが血と才を持つ子供に勝つことすら出来ない。
そういう世界だ。
治癒者の一族に生まれた私は、その中でも恵まれた才能と血統を持っていた。
なので私は若くして父親の仕事を修行がてら手伝っていた。
世間一般から見れば医者の手伝い、になるのだろうか?
私が病院関連の施設に足を運んでいた理由がそれだ。
まあそんなことはいい。
そこで私はいろんな患者を見ることになった。
病気の患者、傷害を負った患者、老いで死にそうな患者、悪霊の類に取り憑かれた患者、等々。
基本的に治癒者が治す相手は同業者か、医者が匙を投げた人になるので。
重症、或いは難病が殆どだ。
当然数えきれないほどの死人を見ることになった。
初めの一人目を見た時はその夜、震えて眠れなくなった。
二人目を見た時は食欲減退した。
三人目を見た時は気分が悪くなった。
十何人を超えた辺りから何も感じなくなった。
血の赤さにも、脂肪の気色悪さにも、内臓の鮮やかさにも、頭蓋の断面にも、人体の皮剥にも。
何も感じなくなった。
私はその当時、同年代で一番色々な死を見てきたと自負していた。
だから私は架音君の眼が気持ち悪かった。
初めてその眼を見た瞬間、私はそれは『死』だと確信した。
幾つもの死を見た私が理由を超えて直感的にそう思ったのだ。
だが、私はあんな『死』を見たことはなかった。
冷たく、深く、どこまでも白い。
なのに何処か引き寄せられる甘さが有る。
私は理解できないそれが気持ち悪くて仕様がなかった。
彼との初会合から数ヶ月。
彼のお母さんが首を吊って亡くなられた。
私は直ぐに彼の『死』に殺されたのだと理解した。
その後直ぐお父さんとお母さんからあの子には近づくな、と言われた。
私は言われなくても近づく気はなかった。
それから暫くは彼の名前を噂程度に聞くくらいで、会うことはなかった。
二度目の会合は今から三年前くらいだろうか。
例の事件が起きて1,2ヶ月後。
私はもう既に仕事仲間で親交のあった華蓮に、双子の弟と言う形で紹介された。
苗字が同じなのだからわかっても良さそうだったのだが。
不思議なことに彼が華蓮の弟だと気付いたのはその時だった。
二度目に彼に会った時もやはり思ったのは『気持ち悪い』だった。
ただ、幼い頃の思い出補正のせいだったのか。
思ったほど気持ち悪くはなかった。
寧ろ気持ち悪さが薄れたお陰で近づきたいと思える程度には魅力を感じた。
それから何度か彼と話す機会ができた。
自分で言うのも何だが、私は口数は少ないほうだ。
彼もあまり喋るタイプではないので会話が進展することは珍しかった。
少ない言葉を重ねていくうちに気付いたのは彼が如何に普通だということだ。
眼の事を抜きにすれば正直華蓮のほうが余程化け物だった。
そう思ってからは彼に対する眼が変わった。
彼は優しかった。
今から思えばあれは、優しかったというより嫌われるのを恐れていた、が正しいだろう。
適度に距離を取りつつ、相手を不快にさせまいと気を使う。
他の人はどうか知らないが、少なくとも私はあの距離感が好きだった。
見た目が好みなこともあってか、私はいつしか彼のことが好きになっていた。
まあ、好きと言っても燃えるような恋じゃなく、ちょっといいなぁ、程度の淡い恋だったけど。
結局好意を抱いても私はあの眼は苦手だった。
これが私、薬師寺柚美奈と彼、輪廻架音の人生の接点。
最後は好きな人に告白して、キスして、腕に抱かれたまま死ぬ。
乙女としてはそう悪くない人生かもしれない。
でも、もう一つ良いことがあったの。
ねぇ、架音君。
君の眼、本当はこんなに綺麗なんだね。
†
「―――ッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
声にならない絶叫を俺は叫び続ける。
安らかな顔で死んだ先輩を認めたくなくて。
己の無力さを認めたくなくて。
やり場のない怒りを何処かにぶつけたくて。
こんな事をしている場合じゃないのに。
こんな事でしか己を留めれなくて。
ごめん先輩。
護ることが出来なくてごめん。
気付いてやれなくてごめん。
もう告白に答えることが出来なくてごめん。
―――幾ら謝ろうともう先輩は……。
俺は先輩の体をゆっくり横たえた。
涙は当然のごとく一滴も流れていない。
第九神により街の人が大勢死んだ。
第三神と第七神により世界中の人が多く死んだ。
姉貴もおそらくは……。
そして今俺のせいで先輩が死んだ。
「俺が、…………俺がっ!!」
俺が、この手で殺した。
必ず護ると誓ったのに。
先輩が言っていた。
『俺がいると周りが不幸になる』
あぁ、確かにそうかもしれない。
今思い返しても俺の傍にいて幸せになった人間が居ない。
俺だけが無様に生き残る。
何の誓いも果たせずに。
「俺は一体どうしたらいいんだろうな」
誰に聞かせるまでもなく自嘲する。
答えなど誰かに聞くまでもない。
パフェを助ける。
それしか無い。
それしか俺には残って無いというのに。
体の方は動かない。
失った宝物に手を伸ばし続けるだけ。
こんな腕、なんの役にもたちはしない。
護ることも拾うことも出来ないのだ。
俺の祈りとは何だったのだろう。
その瞬間―――。
俺の思いとは関係なしに空が鼓動した。
俺は億劫ながらも空を見上げる。
魔術陣と共に空間が裂け、何かが出てくる。
第二契約を結んだパフェや第七神よりも遥かに禍々しい存在が。
「―――漸く見つけたぞ塵芥」
俺は、灰色の髪を揺らせながら天に降臨した男と目が合う。
「―――っ!!」
直感する。
俺は死ぬ。
勝つ勝たない以前に俺は死ぬ。
その眼を見ただけで次の瞬間己が死ぬことを予感させた。
既にボロボロとなっていた心が完全に折れたのだ。
『刺し貫き、壊せ』
手に出現した槍とともに男は俺を抹殺する命令を下す。
だがもういい。
こんな奴らとの相手は疲れた。
俺は、パフェに俺を取り込むよう思念を送ろうとする。
『たわけがっ!!!!!!』
その瞬間、パフェの強大の思念が俺に来る。
そして超速で迫り来る槍を前に俺の体はふわっと浮いた。
「?」
疑問に思うまもなく凄まじいGと共に俺の体が元いた地点から離れていく。
俺が何者かに運ばれていると気が付いたのは少し遅れてだった。
――この気配、パフェじゃない。
「だ~か~ら~ぁ、付いて行くって言ったのに。ホント輪廻君は私の事信用してないなぁ」
俺の体をゆるやかに着地させるとそいつは俺に背を向けたまま肩を揺らして笑う。
「なんで……ここに……? どうして、俺を?」
つい先程置いてきたはずのそいつが、まやかしの類でないことを確かめるように俺は瞬きする。
「ヒロインは遅れて登場するもんなんだよ」
俺のクラスメートの如月沙良紗がドヤ顔で俺を振り返った。