その50 「腕」
息が五月蝿い。
止まるどころかだんだん激しく大きくなる。
心臓の音も五月蝿い。
どくどくどくどく、気持ち悪いリズムで刻み続けている。
両手が震える。
直ぐ下にあるのに手を伸ばせない。
うまく動かない。
ソレを確かめなくちゃいけないのに。
うまく動いてくれない。
両手の震えは激しくなる。
「――――ッ!!」
カラカラに乾いた喉に唾を流し込む。
俺は崩れ落ちるように地面に膝を付けた。
――信じたくなくて。
手を伸ばさなくちゃいけないのに。
――直視したくもなくて。
見れば見るほどソレが現実になる気がして。
――悪い夢なら冷めて欲しくて。
俺は――――ソレを手にとった。
体中から嫌な汗が噴き出る。
――まるで乾いた瞳の代わりに泣いているかのよう。
破裂しそうなほど速く、心臓と肺が膨張と収縮を繰り返す。
どんどん早くなるだけで一向に止まらない。
――いっそ壊れてしまえばいいのに。
見ただけで姉貴の手か解るわけがない。
――でもどこか見覚えがある。
腕に付けられたこのバングルだけが頼りで。
――俺が姉貴に買ったやつだ。
それ以外の確証はなく。
――こんな事ならもっと違うものを送ればよかった。
「主様? お義姉様は見つかったのかや?」
何も反応のない俺を心配してか、パフェから声が掛かる。
パフェの言葉で目が覚める。
そうだ、まだ終わったわけではない。
俺は残りの瓦礫に目を向ける。
瓦礫に埋もれた時に不意の事故で切れただけで、まだ姉貴が埋まったままの可能性がある。
俺は姉貴の腕を小脇に抱えると、辺りの瓦礫を退かし始める。
――何処だ? 何処に居る?
力の加減がうまくいかず、握り潰した瓦礫がパラパラと足元に降り注ぐ。
――何処なんだ? 居るなら返事をしてくれ。
辺り一面を片っ端から引っくり返していく。
だが、進めど進めど姉貴の体は一向に見つからない。
いつの間にか辺り一面は更地となり、積み上げた瓦礫の山が一つ出来上がっていた。
――どうしてだ? 何故見つからない?
それでも諦められない俺は、辺りの土を掘り返し始める。
――何故、どうして?
俺は土だらけの手を止め、瓦礫の山を見上げる。
――漸く力が強くなってきたというのに。
俺はみんなを、姉貴を護るためにこの力を手に入れたのに。
「…………どうして、いないんだ」
言葉にした瞬間俺は自分が崩れていくのを止められなかった。
いや、もう止める気力も意思もなかった。
『あと少し早くここに来れれば間に合ったかもしれないのに』
『気を失わず起きていればすぐに戻ってこれたのに』
『起きて直ぐこっちに向かえばこんな事にはならなかったのに』
『あの時姉貴を止めさえすればこんな事にはならなかったのに』
『そもそも戦わずこの街から逃げていれば』
『俺の所為だ』『オレの所為だ』『おれの所為だ』『オレノセイダ』『俺の所為だ』『オレの所為だ』『おれの所為だ』『オレノセイダ』『俺の所為だ』『オレの所為だ』『おれの所為だ』『オレノセイダ』『俺の所為だ』『オレの所為だ』『おれの所為だ』『オレノセイダ』『俺の所為だ』『オレの所為だ』『おれの所為だ』『オレノセイダ』『俺の所為だ』『オレの所為だ』『おれの所為だ』『オレノセイダ』『俺の所為だ』『オレの所為だ』『おれの所為だ』『オレノセイダ』『俺の所為だ』『オレの所為だ』『おれの所為だ』『オレノセイダ』『俺の所為だ』『オレの所為だ』『おれの所為だ』『オレノセイダ』
―――そう。
『お前の所為だ』
後悔と自責の言葉がぐるぐる頭のなかを駆けまわり、体の中心へ溶けていく。
俺は、もう――――。
ガラガラと崩れていく音だけが意識に響いた。
†
「主……様……?」
自分でも驚くほど怯えた声が己から出る。
自分が嘗てこれほど怯えたことなど有ったであろうか?
幾多の戦争と死地と強敵・難敵を思い返しても怯えた記憶など有りはしない。
吾は何時まで経っても反応せず、帰ってこない主様を心配し、様子を見に行った。
いや、それでは嘘か。
吾は主様から感じ取れる焦燥や心配、気遣いの感情が主様から消えたから見に行った。
主様からは何時どんな時であろうとも吾や華蓮達を気遣い、助けたいという気持ちが発せられていた。
心具の強さは自身の心象世界の強さ。
心具が強ければ強いほど使用者の思いや気持ちが強いと言っていい。
主様の心具は『腕』じゃ。
あれは主様の言う通り何かを護りたいという強靭な意志の具象化なのじゃ。
人の身でありながら主様があれほど強い心具を創れるのは、この気持が普通の人間では考えられないほど強いからじゃ。
その言わば強さの源でもある主様の気持ちが感じられないということは。
それは主様に一大事が起きたことを意味する。
その時、吾は見ずとも主様達の身に何が起きたのか大体把握した。
――そして辿り着く。
「…………………っ」
瓦礫の山を超えた先に主様を見つけた。
じゃが、吾は放心して崩れ落ちている主様に声を掛けることが出来なかった。
その小脇には恐らく華蓮の腕が抱えられており、主様の目は虚ろなまま虚空を見つめていた。
伸ばそうとした己の手は行き先を失い、空を彷徨う。
このまま触れれば、声を掛ければ壊れてしまいそうで。
そう思えるほど主様の気配は弱々しくなっていた。
「――チッ」
舌打ちし、唇を噛む。
そうではない、そうではないのだ。
躊躇した何よりの理由は、声を掛けられることによって己を主様に責められたくなかったからだ。
波としては僅かだが、吾の心の中に『主様に嫌われたくない』と言う波紋が広がっていく。
脳裏に過るのはつい先刻主様と乳繰り合っていた浅はかな己だ。
吾はあの時の自分を主様に非難されたくなかった。
あの楽しい記憶の1ページを主様の口から間違いであったと否定されたくなかったのだ。
じゃがそれでも。
心の中の波紋は止まる。
神としての強靭な精神が動揺を広がらせることを許さない。
表面上はどれだけ表情豊かでも中身は何処までも静かで穏やかだ。
だから吾は主様に声を掛けねばならない。
再び立ち直らさせるために。
それで例え嫌われるかもしれないとしても。
「何をしておる主様。立たぬか」
心臓を刃物で斬り付けられた痛みとともに、吾は主様に活を入れるために声を張りあげた。
「……………」
視線を動かすことすらせず主様はただ人形のように佇む。
吾の声では立ち直らせることは疎か、反応させることすら出来ないのか。
胸の奥がチクリと痛む。
じゃが、この程度で怯みはせん。
「立て、主様。立って華蓮達を探すのじゃ」
華蓮という単語に反応して主様の瞳が小脇の腕に落とされる。
「……………」
しかし、また反応のない人形へと戻る。
吾はさらに主様に詰め寄る。
「諦めるのか、主様!? 腕が一本切られたくらいで。ここに姉の姿がないくらいでっ?!」
「――――ッ!!」
ギョロッと主様の目が吾を睨む。
ほとんど無機質な瞳だが、その奥底には深い悲しみと怒り、憎しみが渦巻いている。
吾だと解っていないのか他人を見るような眼。
また胸が痛むが気にしてはおれん
「誰が死んだといった?! 誰が終わったと決めた?! それは他ならぬ主様ではないのか?!」
「……………」
無機質な目で吾を睨んではいるが、他の反応はない。
まだ言葉が足りないのだろう。
――ならば。
「もし華蓮が生きて敵に攫われているならば、助けれるのは主様しか居らんのじゃぞ!! 先ほどの柚美奈と言う小娘を守れるのも主様だけじゃ。それでも主様はここで姉の物とも判らぬ腕とともにこの瓦礫の上で心中するつもりかや?!」
吾は次々と言葉をかけて行った。
すると―――。
「ち……が、う」
腹の底から絞り出すような声が主様から出る。
瞳に強い意志が戻ってくる。
家族を、親しき友を護りたいという強い気持ちが。
足元の影を通して流れ込んでくる。
「ならばやるべき事をやるのじゃ」
「…………あぁ、そうだな。――――悪かった」
僅かばかり生気の戻った顔で主様は立ち上がる。
「……ふん」
吾は主様の返事に一抹の安堵を覚えた。
じゃが、油断はできない。
主様の心の中では深い悲しみ、怒り、憎しみは決して消えては居ない。
吾のやったことは壊れそうになった主様の心を今にも切れそうな頼りない糸で繋ぎ止めたにすぎないのだ。
――もし。
もし本当に華蓮が亡くなっていたとしたら。
吾は現状あり得る最悪のシナリオを考える。
主様の心は今度こそ壊れてしまうじゃろう。
主様がまだ人間に近い精神でいるならば、の話じゃが。
――しかし、それでも主様の心が壊れなかった場合は。
まるで壊れてほしそうな自分の言い方に呆れる。
「もし、主様の精神が神になっていれば……それもあり得る、か」
誰にも聞こえぬよう、吾はそっと呟く。
人に神の肉体が傷つけられないように。
神の心象世界は神以外には壊せぬ。
それがどれだけ矛盾していようが、どれだけ理論破綻していようが、自壊することはない。
永遠にその狂った心象世界を維持することになる。
護る対象のいなくなった世界で主様の心具がどうなるのか。
想像するだけで胸が傷んだ。
護るべき者が存在しないのに護りたいという気持ちが心象世界を構築し続ける。
そして悲しみ、憎しみ、怒りが薄れること無く永遠に心象世界に留まり続けるのだ。
それはきっと一つの地獄じゃろう。
狂った信念を振り撒きながらも決して狂うことが出来ない地獄。
正気のまま矛盾を解消できず、殺されるまで実現し得ない理想を実行し続ける。
そんな悲しき狂神を終わらせるのも吾ら終焉神の役目の一つである。
目を瞑り考えこむ。
「……………」
もし、その時が来れば吾は――。
吾は目を開き空を見上げた。
†
物憂げに空を見上げているパフェを尻目に、俺は先輩を回収する。
パフェの言葉で何とか立ち直れたが、正直今にも倒れてしまいそうなほど心身が重い。
今も姉貴の腕を見ると心が曇りそうになる。
客観的に見れば、ただ俺が送ったバングルをしていた腕でしか無いのに。
いや、誤魔化すのはやめよう。
パフェはああ言ったが、敵が偽物を使うメリットなど限りなく薄い。
五体満足で攫いたいならバングルを外せばいい。
仮に攫われたことを気付かせない為なら偽物の腕ではなく、姉貴本体の偽物を作った方がいい。
だからコレはまず間違いなく姉貴の腕なのだ。
「――――ッッ!!!」
そう考えた瞬間身が引き裂かれるような痛みが腕に走る。
だがパフェの言うように姉貴がまだ生きている可能性は十分ある。
腕を切られて攫われただけかもしれない。
その可能性があるかぎり俺はまだ壊れるわけにはいかないのだ。
まだ折れる訳にはいかない。
時間とともに姉貴の生存率は下がり続けるのだから。
だが、その前に―――。
「直ぐに神社に運びますね」
俺は先輩に声をかける。
その言葉とともに薄っすら開いていた先輩の目が閉じる。
緊張の糸が切れて寝たのだろう。
残ったこの人も見捨てる訳にはいかない。
零れ落ちれば拾えないと知っているから。
腕の中にあるものだけは絶対護る。
まだ零れ落ちてはいないと信じて。
俺はパフェを連れて親族が経営している神社へと向かった。




