その38 「地震」
「お帰り~、少し時間かかったね」
病室とは思えない胡散臭い地下室に戻るとすぐさま間の抜けた姉貴の声が返ってくる。
何処から持ってきたのか、ノートPCを操作しており目線だけこちらに向けてくる。
その視線は網目模様の入った箱、俺の鎖骨辺り、顔へと移動し既にびりびりに破れた袋で止まる。
姉貴の思考回路の一端が透けて見えるような視線の巡らし方に脱力する。
「………む~」
姉貴はメロンの箱を見つつも気になるのか、破れた袋をちらちら見る。
あまり焦らしても何も無いので袋の中から箱を取り出し開けて見せる。
「―――あぁ、コレを買う為に少し時間を喰った」
パフェに肖って選んだ、月がモチーフの金色のバングルを姉貴に手渡す。
「え? 何コレおねぇちゃんにくれるの? わ~、嬉しい!」
透かさず左腕にはめると姉貴は子供の様にはしゃぐ。
「………………………」
それを見てパフェがまた文句を言うか、不機嫌に成ると思いきや眉間に皺を寄せて黙っていた。
パフェの態度に疑念を抱きつつも絶好調に喜んでいる姉貴に視線を戻す。
「ねぇねぇ、カー君。似合う? これ似合うかな?」
目に星を浮かべ、手首を何度も捻りながら俺に見せつけてくる。
予想以上の喜び具合だ。
「まあ、似合うんじゃないか」
下心無しの純粋な好意によるプレゼントとは言えないのでお座成りに褒める。
「アレ? 照れてる? カー君。こんな物を買ってきてくれるくらいにおねぇちゃんの事好きな癖に素直じゃないなぁ、もぅ」
そんな俺の態度に何を勘違いしたのか、更にご機嫌になる。
怪我して無ければ突進してきそうなテンションの姉貴にげんなりしつつも、怪しまれていないのでこれで良しとする。
「――――――ところで、カー君達はここへ来る途中でニュースとか見た?」
左腕のバングルに夢中になりながらもノートPCのマウスだけは手放さなかった姉貴が、モニターを見ながら普段と何ら変わらない口調で尋ねる。
だが、明らかに姉貴に纏わり付く気配がシリアスな雰囲気に変わる。
「……………いや、見て無いな」
念のためにパフェに視線を送ると首を横へ振り、否定の意を示した。
「ん~とねぇ。さっき入ったニュースによると欧米辺りの地域が連続的な地震でほぼ全滅したらしいよ。ライフライン諸々全て断ち切れて一切の連絡が不可能だとか」
淡々と普段の口調のまま姉貴はそれを口にする。
『ほぼ全滅したと』
その言葉を聞いて俺の胸に去来したのは『何故』ではなく『やはりか』という思い。
「これってさ、ミューちゃん達の仕業だよね?」
俺の心の声を代弁するように姉貴がパフェに問いかける。
「―――――――まあ、かなりの確率でそうじゃろうな」
目線で確認するまでも無くばっさりとパフェが言い捨てる。
ほぼ全滅したと言っている以上未曽有の災害の可能性はまず無い。
平原や草原など周りに何もない場所も全滅するなど到底考えられず、ライフラインが全て断たれるなど有り得ないからだ。
「奴等の一週間手を出さない約束とは『俺達に一週間手を出さない』って解釈で合っているか?」
元々口約束以下の奴等の気紛れの様な約束だ。
考えていた規模こそ違うが、こんな形で違えるかもしれないとは予想していた。
いや、奴等にとっては違えてすらいないのだろう。
普通の人間が道端の虫を気にしないように、奴等もそこらの生物など気にもしない。
「『この街に直接は手を出さない』が奴の考えておる事じゃろうな。まあ、奴がもっと愉しめるモノを見つければそれすら危ぶまれるじゃろうがな」
目を細めながら何とも不安になる事をパフェは言う。
何処にいるかも解らず、いつ約束が破られるか解らない。
詰まる所俺達は此処にいるしか出来ないと言う事だ。
助けに行くこともここへ来る前に迎撃することも難しい。
「………………っ!」
また見捨てる事になって胸が痛いが、すぐさま気持ちを切り替える。
微かな熱を発する右腕に左手を重ねる。
生きているかどうかも解らない人より今ここで確実に死を迫られている人だ。
「――――――――それで姉貴。住人の避難の件はどうなった?」
「一応やれる事はやってるけど、正直あんまり期待しない方がいいと思う。さっきのがミューちゃんの仕業なら他県に逃げた所で同じだし、カー君達の計画の本命になる方もまだ色々と試してないわけだし」
何食わぬ顔で会話を続けながら、姉貴はブラインドタッチで素早くノートPCに打ち込む。
パフェと立てた計画は正直完璧には程遠い出来だ。
もし、今ここで第三神と第七神が攻めてきたらそれだけで崩壊する、その程度でしかない。
だからこそ1%でも成功率を上げるために最善を尽くさなければならない。
その為には姉貴にも色々と手伝ってもらうしかない。
「………………………………」
片目を閉じ、思案していると姉貴の方から何か言いたげにじっと視線を感じる。
俺は片目を開くと、話を聞くために向き直る。
「……………ねぇねぇ、天羽いなくても私だけ戦ったらダメ?」
「駄目だ。説明中に何度も言ったが、リスクとメリットが釣り合わない」
可愛らしく首を傾げて聞いてくる姉貴の意見を一刀のもとに斬り伏せる。
天羽がいない以上、私情でも何でも無く姉貴が戦う効果は限りなく薄い。
「ひ、人助けにリスクとかメリットとか、そう言う打算的なのはおねぇちゃんどうかと思うな」
「別に『戦わない=見捨てる』と言う訳じゃない。戦わないなら戦わないなりに出来る事はある。そんな事姉貴も解ってるだろ?」
「むむむ」
姉貴は眉間に皺をよせ、可愛らしく唸る。
この何とも気の抜けそうな風貌と態度の姉が第三神とアレだけ立ち回れたのは今でも狐に摘まれたかのように感じる。
コレで物事をしっかり考えていたり、冷静に対応できたりするのはパフェとは違う意味で詐欺としか言いようが無い。
姉貴が余計な事を思いつく前に反論の機会を封殺しようと口を開く。
が、その前にパフェが俺の前へ出る。
「―――諦めよ、お義姉様。これ以上やると主様が本気でお主を縛り付けて監禁しかねん。どーしても戦いたいと言うのであればそこの無機物………おや」
パフェが話の途中で視線を姉貴の隣辺りに向ける。
「だ、誰が………なんだって?」
そこには非常に苦しそうな声を出しながらも鋭くパフェを睨みつける天羽の姿があった。
「―――なんじゃ存外にしぶといな」
「天羽っ!!」
パフェのぼやきに被せる様に姉貴は叫ぶと同時にベッドからダイブして天羽に抱きつく。
「―――――――ッ!!!!!!!」
その瞬間天羽は引き攣った顔で悲鳴を堪える様に唇を血が出るくらいきつく噛みしめる。
天羽の体を見ると所々霞の如く霞んで見える。
恐らく人型になるだけでも精一杯努力して維持しているのだろう。
そして今悲鳴を上げそうになる程顔が引きつっているのは、未だボロボロの体に思いっきり抱き付かれて非常に痛いのだろうと推測できる。
当然抱き付いている本人の姉貴からは見えないだろうが、それを気付かせないために悲鳴を堪えた天羽の主従愛が何とも健気で涙が出そうになる。
「――――このまま眠っておけば楽に一週間後を迎えられたと言うのに…………悪運としか言いようがない運じゃのう」
照れ隠しなのか、本気で思っているのか定かではないが天羽を見ながらしみじみとパフェは呟く。
「―――――それでどうするのじゃ、主様?」
きつい眼差しの流し目をパフェから浴びる。
「…………どうもこうも無い。後は姉貴の自制心に任せるしかないだろ」
俺は天羽が起きた事を喜ぶべきなのか、姉貴が参戦する事に嘆くべきなのか、微妙な心中を濁す様に溜息をついた。
†
「―――覚悟はよいか?」
日にちも変わろうかと言う深夜。
街の上空で夜風に髪を棚引かせながらパフェは俺に問う。
日にち的には第三神との約束の日前日。
時間にしてみればあと数分。
奴等が一週間後としてしか指定していない以上いつ襲ってくるか解らない。
だからこの瞬間から気合いを入れて備えるしかない。
「勿論だ。自分の選択から目を背けないって決めたからな」
ここ一週間のニュースで夥しい数の人間が死んだ。
主要な大陸都市はどれも全壊し、世界規模で地形が歪められた。
悪だの正義だの言う気は無いが、奴等のやった事は決して許されない事だ。
話し合いの場など初めから無く、ただ殺し合うしかない。
疾うに決めた覚悟を改めて強く抱く。
第三神が言った通り有無を言わさずあいつらをこの世界から消し飛ばす。
多くの奴等の死を無駄にしない為にも、まだ腕の中に抱きしめている者を失わない為にも負ける訳にはいかない。
―――生きて此処へ帰ると誓ったのだから。
「ならば――――」
「――――ああ」
「「概念心具第一契約『Ⅰst-SIN-』」」
二重奏のように俺達の詠唱が重なる。
さあ、戦いの幕開けだ。
†
夜が満ちる。
いや、夜を覆うように闇が満ちる。
霧の様に形を以て漂う闇を輪廻華蓮はじっと見つめる。
場所は架音が通う校舎付近。
まだ12時になっていないと言うのに辺りは静まり返っている。
つい一週間前に起きた『地殻変動』のお陰で人口が減った事が無関係とは言えない。
だが、それを考慮してもこうまで静かなのは異常のレベル。
まるで既に街中の人々が死に絶えたかのように。
「―――随分と派手……ではないけど、たくさん壊しちゃったね。これ弁償するのに幾らくらいかかるのかな?」
黒い布の様な闇に覆われて辺りなど何も見えぬと言うのに、華蓮はお気楽な口調で呟く。
「それは解らない。が、何時の時代だろうが、国の名のもとに民が負担するに決まっている。大して気にする問題ではない」
一人と思われた華蓮。
そのすぐ傍の刀から声が返ってくる。
華蓮は天羽の声にこたえる様に刀の柄をギュッと握りしめ、微笑む。
「――――大丈夫かな、カー君達。上手い事分断できるといいのだけれど」
華蓮は空を見上げ、架音達がいるであろう場所を見つめる。
全てが拙い綱渡りの様な計画。
その中でまず初めにする必要があるのが第三神と第七神の分断。
架音達に対して彼らが共闘することなどまず有り得ないが、もしそうなってしまえば端から勝負にならない。
また、分断せずに3人乱闘になったところで敗北の結果は変わらないだろう。
故に架音達だけで彼らを倒すには1対1を2戦するしか無く、片方を誰かが食い止め無くてはならない。
「まあ、その為の私たちなんだけど…………………。さて」
何を察知したのか、華蓮は天羽を持って地の彼方を睨みつける。
†
パフェ達や華蓮たちが視線を向ける遥か何百km以上先。
視認など物理的に不可能な距離で第七神ベイグウォードは元々細い目を更に細める。
感知など不可能なはずなのに獲物にありつけなかった餓えた獣の嗅覚が敵存在をいち早く察知する。
「――――獲物は早い者勝ちがルールだったよな?」
己の真横を飛翔する第三神に向けて確認する様に聞く。
「あ? 今更何を………。―――っ!!!」
胡乱気な目で会話をしていたミュールヒルが突然何かに憑かれた様にベイグウォードに神鎚を振るう。
「――――――遅え」
神鎚がベイグウォードに重なった瞬間、ミュールヒルの視点は一面の白い泡と果てしなく続く暗い青で覆い尽くされていた。
ミュールヒルの攻撃が当たる瞬間、それを一顧だにしない遥かに上回る速度でベイグウォードが避け、逆にミュールヒルを海中へ叩き落としたのだ。
「―――こっの野郎っ!!!!!!!!!!!!!」
自分に纏わり付いている海水全てを弾き飛ばしながら、ミュールヒルは彼方へ消えた第七神に吼える。
†
「―――――来るか」
ほぼ同時刻。
第七神と同じ様にパフェも遥か彼方から超速で接近してくる物体を察知する。
「主様喜べ、コレは分断の必要が無さそうじゃ」
そう言いながらパフェは街中に漂わせていた漆黒全てを己の周りに凝縮し、途轍もない密度で球状の壁が構築されていく。
360度あらゆる角度からの攻撃でも対応できるように。
未だ視認すら出来ないと言うのに次の瞬間衝撃がくるかのように亀の様に籠る。
何を馬鹿な、と架音は出鱈目さに笑いたくなる。
パフェとの感覚を共有する事で垣間見ることが出来た第七神のスピードに。
音など比較対象にすらならない。
何故なら今この瞬間数百kmを踏破し終えたのだから。
「―――ッ!!!!!!!!!!!!!!」
爆発するかのような衝撃と共にパフェと架音を包む黒い球体が街を置き去りに、地の彼方まで吹き飛んでいく。
「ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおっ!!!!!」
突然体に凄まじいまでのGが掛かり架音は球体の制御を取り戻そうと、漆黒を操ろうとする。
その間1秒すら掛かってはいないほど立て直しの早さだ。
―――だがしかし。
「――なッ!!!!!」
再びの衝撃と桁違いのGにより架音の三半規管が破裂しそうなほどの吐き気に襲われる。
そんな操作すら既に二手三手遅い。
この球体を蹴り飛ばした本人であるベイグウォードが既にこの球体を追い越し二撃、三撃と追加で蹴りを加えている。
ゴムポールの様に幾度も弾き飛ばされ瞬く間にベイグ達が来た方向とは逆側の海上に架音達は蹴り出される。
速さと言うアドバンテージにおいて第七神に並ぶ者など存在しない。
例えパフェやミュールヒルが第二契約を結ぼうと、この差は覆せないものであり第九神の様な空間転移能力すら再使用の速度の関係から彼を追う事が出来ない。
求心型で速度にのみ特化した概念を持つ彼に他の概念で追いつこうなど前提として可笑しい話だが。
「――――聞いてはいたが、予想以上に凄まじいな」
上下左右の感覚すら覚束無いまま、架音は渋い顔をする。
「当たり前じゃ。一体いるだけで世界を滅ぼせる程の能力を持つ終焉神に生半可な能力の奴がいる訳無いじゃろ」
パフェもうんざりした顔で逆さまになっていた己の体を立て直す。
両者共にアレだけの攻撃を喰らったと言うのにダメージらしいダメージは無い。
周りに張った球体のお陰とも言えるが、第七神が此処へ運ぶ以上の力を込めなかったことも起因している。
また球体自体も分厚くゴムの様に伸びるので損傷と言う意味では軽微だ。
「さて、御対面と行こうかの。奴もこうして待っておるようじゃし」
パフェが手を翳すと球体の一か所に穴が開く。
上空と海上から両者は顔を合わせる事となった。