その36 「リンゴと蛇」
「―――じゃ~か~ら~、すまぬと言っておるじゃろうが。いい加減主様もしつこいの」
もう耳にタコでうんざりだと、言う様な表情でパフェはこちらを見上げる。
「しつこいも糞もない。何で姉貴達が付けていた事を直ぐに教えなかったんだ、と聞いているんだ」
病室のベッドの上で右腕の具合を確かめながら俺はパフェと再び同じ問答を続ける。
第三神と第七神が立ち去った後、糸が切れる様に気絶した姉貴を抱え、俺が入院していた病院に何とか戻り治癒者に見てもらった。
命に別状はなかったものの出血と全身の裂傷及び霊力の枯渇による重度の倦怠感からすぐさま俺と同じく入院する羽目となった。
そして俺自身も軽傷とは言えない怪我を新たに増やしたので更に入院期間が延び、当然の事だが担当の治癒者にこっぴどく叱られた。
因みにだが、此処は普通の医療機関ではない。
表向きは小さなクリニックで正規の診療もやっているが、実際は地下に専用の入院施設を設けている霊能力者や異能力者等の所謂闇の家業専門の医療機関である。
そんな背景のある地下の病室(一人用)の一室で俺とパフェは似た様な口論を永遠と続けていた。
「何度も説明したじゃろ、特に問題が無いと判断したからじゃ」
「だが、現実には問題があった訳だ。違うか?」
右腕からウンザリした様子のパフェに視線をシフトさせる。
俺はあの時パフェが姉貴達がつけて来ていた事をなぜ黙っていたのかを問い。
パフェは問題が無いと判断したから黙っていたと答えた。
此処までのやり取りは最初は問題なかった。
問題が平行線に成ったのはここからだ。
「吾は悪かったと謝ったし、結局大事には至らなかったからそれで良いではないか」
「それは結果論だろうと何度も言ってるだろうが、姉貴はあいつらの様な神じゃない、人間なんだ。ちょっとの怪我でも致命傷に成り得るんだよ」
真面目にとり合う気が無いパフェの心の内を見ようと顔をじっと見つめる。
パフェは悪かった、謝ってる、結果的に大事には至らなかったと言うが俺にとってこれがどうもおかしい。
以前夢渡と戦った時にコイツは己の選択方法を違えた事を深く後悔していた。
今の状況とは多少違うかもしれないが、根本的な所は変わらないと思っている。
つまり、パフェは物事を結果論で判断する奴ではないはずなのだ。
だからこそ今回のパフェの言い分には違和感を感じる。
それを遠回しに問い詰めようとしているが、どうにもばれているらしく上手くはぐらかされているのが現状だ。
「じゃからその件については何度も謝っておるじゃろうが。吾は主様の事は好きじゃが、そのシスコン具合は大概にしてほしいぞ」
パフェは乱暴に親戚の神社の人から貰った果物を心具で引き寄せると、犬歯を豪快に突き立て噛り付いた。
「シスコンって………あのなぁ」
口が裂けても上品とは言えない食べ方と言葉に俺は二重の意味で言葉を失う。
言葉に代わりにそっと溜息を付き、視線をパフェの顔から外す。
これ以上は機嫌を更に悪くするだけで無駄だと判断したからだ。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、パフェはしゃくしゃくと美味しそうにリンゴを咀嚼しながら次の獲物を品定めするかのように忙しなく眼を動かしていた。
「先に言っておくが全部食べるなよ。俺の分はともかくそれは姉貴の分でもあるんだから」
俺がそう言うと露骨に嫌そうな顔をしてパフェは品定めを止める。
「ふん、そのくらいの分別くらいわかっておるわ。――――――――――――姉貴姉貴と、自覚が無いのが憎たらしい」
芯だけとなったリンゴを口の中に放り込みながらパフェは厭味ったらしい表情で小さく何かを付け足した。
「――何か言いたい事があるのか?」
「………別にない」
詰まらなそうにそっぽを向き、パフェは黙りこむ。
姉貴と言う単語がうっすらと聞こえたので大方俺に対する恨み節だろうが、果物の件に関しては何か間違った事を言ったつもりはない。
互いに無言のまま幾分か時間が過ぎる。
「…………………」
どれくらい時間が経ったのか、パフェは無言のまま果物入れに漆黒を伸ばす。
そしてちらりと此方に視線を送った後、再び同じ果物を引き寄せ己の目の前に掲げる。
心具で遊ぶかのようにくるくるとリンゴを回転させるとピーラーでもあるかのように綺麗に皮が切り落とされていく。
それを見て皮はやはり不味かったのだろうか、とかそんなどうでもいい感想が漠然と浮かんできた。
皮を剥かれ、丸裸となったリンゴはパフェが指を軽く引くとそれに合わせて漆黒でバラバラに切り裂かれた。
見事なもんだとじっと一連の行動を眺めていたら、包丁より綺麗に8分割されたソレが俺の前にずいっと差し出される。
「――――なんだ?」
若干警戒しながら、パフェと差し出されたリンゴに視線を這わせる。
「――――今度からそう言う事があれば主様に知らせる様にするから、これでこの前の事は許してくりゃれ」
頬を赤く染め、眼に涙を浮かべながら上目遣いで斬り分けられたリンゴを差し出すその姿は、例え中身は腹黒い狐で内心ほくそ笑んでいようが文句無しに可愛いと感じた。
「はぁ………」
そう感じた途端肩の荷が下りた様に気持ちが弛緩する。
パフェも詳しくは話したくないみたいだし、今後こう言う事が起きないというのであればこの件はこれで終了としよう。
俺はそう納得して仲直りの印(?)のリンゴに左手を伸ばす。
伸ばした手は目標からするりとずれる。
「………ん?」
不審に思いもう一度手を伸ばす。
再び空を切る手。
「――――何のつもりだ?」
手を伸ばすたびに揺れ動く漆黒を尻目にパフェに問いかける。
「なに、怪我をしておる主様に手間は掛けさせぬ。それにこれはお詫びなのじゃからな」
そう言うとするりと蛇の様にパフェは俺の前に移動して、息の掛かる様な距離で此方を覗き込む。
得物がかかった、とでも言いたい様な意地の悪い笑みが眼前いっぱいに迫る。
その魔力でも籠っていそうな艶美な眼差しと眼が合った瞬間、抵抗は無駄だという事を悟る。
諦めた俺は差し出されたリンゴを無言で頬張る。
瑞々しい果実から果汁が口の中いっぱいに広がり、すっきりとした甘さを伝える。
それを見たパフェは眼を細め嬉しそうに笑う。
「――最初からこうするつもりだったんだろ?」
「………さあの」
パフェは素知らぬ顔で纏わり付く様に俺の横に座ると二つ目を差し出してきた。
無言のままそれに齧りつく。
暫くの間病室内に俺の咀嚼音だけが響く。
「―――姉の容体じゃとか、第三神の行方じゃとか、一週間後の対策じゃとか。………………気になったりはしないのかや?」
リンゴを食べ終えて暫くしてから唐突にパフェが口を開いた。
俺に体を預け、何処か力無いともとれる静かな声音で。
明らかに俺に気を使って話しかけているパフェに苦笑が零れる。
それだけ第九神戦後の俺の心は弱っていたと言う事だろう。
「これでも気にして色々考えているつもりなんだがな」
感謝のつもりでパフェの頭を梳く様に撫でる。
くすぐったそうにしながらもパフェはされるがまま体を預けていた。
姉貴の事にしたって第三神の事にしたって問題は色々とある。
特に第三神と第七神の事は考えても考え足りない位頭を悩ます要因だ。
「―――逃げてもよいのじゃぞ。アレは別に此方を殺す事を目的としておらん、じゃから逃げても別に……」
俺の考えている事を読んだのか、パフェは逃げの選択肢を上げる。
確かに逃げるに越した事は無い気もする。
一人相手にするだけでも勝てる確率が極少だというのにそれを二人倒さなければならないのだから。
―――でも、それでも俺達は……。
「冗談だろ? そんな選択肢を選べるなら俺はこんな心具を持っちゃいないさ」
俺の言葉にニヤッとパフェが笑う。
初めから俺とパフェの思いは同じだ。
逃げる選択肢なんてありえない。
包帯でぐるぐる巻きの右腕の包帯をはぎ取る。
パフェの漆黒と同色の真黒な右腕が姿を現す。
「主様の精神状態と其れを見る限り心象領域のダメージはほぼ完治じゃな。そこはお義姉様に感謝せねばならないな」
パフェの言葉にすぐ答えず、目を瞑り第三神と姉貴の闘いを想起する。
あんな歯がゆくて苦々しい戦いはこれっきりだ。
ゆっくりと目を開けて右腕に力を込める。
その思いに呼応し、右腕と心具が更に深く融合していく。
「…………そうだな。あの時コレを使わなかったお陰でこんなにも早く回復するとは思わなかった」
ベースとなる肉体は未だ重傷だがそれを補うように心具が肉体と深く絡みつき、結びつきをより強固にしている。
パフェの休息による回復が影響しているのか、今までよりも遥かに強力になってきているのが解る。
それが姉貴の機転によりもたらされた物であるという事は理解出来る。
だからと言って姉貴を戦場に立たせることに賛成する訳じゃない。
契約を結んだ終焉神と戦えるのはやはり契約を結んだ神だけだからだ。
「しかし、これではまだ足りぬ。この程度では第三・第七の二神に歯もたつまい」
「ああ、そうだろうな」
第三神の神鎚相手には楯にすらならず、第七神の超スピードには掠りもしないだろう。
そんな事は百も承知であり、そもそもの前提として契約の位階が一つ違う奴等相手に真っ当な戦い方で戦おうとは思っていない。
「だからこそ主様だけの概念を見極める必要がある」
俺の思考を読んだかのようにパフェが言葉を引き継ぐ。
そう、概念だ。
パフェの『浸蝕』の様に。
第九神の空間転移の様に。
契約を結べる神には一つ世界に干渉する絶対のルールを持っている。
それこそが奴等に攻撃できる唯一まともな手段であり、互いの能力に差が出る所でもある。
「俺の概念か………『停止』じゃないのか?」
己で若干の違和感を覚えながらも見て感じた通りの率直な感想を言う。
現に喰らった第九神は停止した。
その事からも硬直、停滞、固定………などなど意味に多少の差異はあれど大まかな意味は違わないはずなのだ。
「―――それは解らぬ。前にも言った通り概念とは本人以外詳細に解り様が無い代物じゃ。概念についてこの前より少し詳しく説明すると、概念、魂とは己のベクトルを指し示すものじゃ」
「ベクトル? 向きだけでなく?」
「? ――――――何が言いたいか解らぬがまずは聞け。魂を持つ生物は皆、己の生き方を指し示すコンパスの様なものを持っておる。これがベクトルであり、概念でもある。主様にもないかや? 生物種の本能や理性、倫理観を超えた選択をする時が」
いきなりのパフェの質問に暫し考え込む。
ここ最近可笑しな行動ばかりしているが、その中でもいちばん不可思議なのはやはり初めにパフェと出会った時の異常な高揚と行動だろう。
攻撃すること事態は理解できなくもない。
だが何故あそこまで俺を駆り立てたのか、今となってはさっぱり解らない。
しかし、パフェの質問とそれが関係しているかどうかはノイズの影響もありはっきりそうだと言えない。
その後の行動は失敗の連続ではあるが、自分の中では割と説明付くものばかりなので除外する。
「ざっと考えてみたが思いつかないな」
俺は肩を竦め、回想を一端止める。
「本当かや? 例えばふと白いデルタの布切れに劣情を催したり、膝まで伸びる靴下に劣情を催したり。――――スレンダーで色白な黒髪の年上の美少女に劣情を催したり」
急に恥ずかしそうに頬を染め、チラチラこちらを見てくるパフェ。
いきなり何を言っているのだろうかこいつは。
そしてなぜ最後だけ具体的なのか。
と言うか、年上の美少女って何だ?
変なタイミングで妙なギャグが割り込んできたせいで何と切り返していいか解らなくなる。
「あ~。……………何が言いたいかさっぱり分からないのだが」
俺のじと目を受けて、パフェはこほんと咳払いする。
「ま、まぁ要するにじゃ、人格決定の要因の一つみたいなものじゃ。此処はさして重要ではないから聞き流してもよい」
仕切り直しとでも言うようにパフェはそそくさと俺の横から離れ、正面の位置に移動する。
何処からともなく取り出した扇子で顔色を隠している事から本気で恥ずかしかったのだろう。
しかし、パフェは今まで自由に顔色を変えている事から何処までが冗談で何処までが本気かが判別出来ないので油断は禁物だろう。
――何に対する油断かはこの際置いとくとして。
準備が出来たのか、パチンと音を立てて扇子が閉じられる。
「前の説明でも少し言ったが、概念には完全上位互換と言うモノが存在しない。その理由はこのベクトルに合って、要は総ての生き物がベクトルに割り振れる値が固定なのでどの方向にどれだけの範囲で伸ばそうが、合計の値は同じじゃからじゃ」
相も変わらず意味の解りにくい説明に眉間に皺をよせながら脳味噌を回転させる。
ベクトルの発言からも要はゲームのキャラメイク時のステータスに一定のポイントを割り振る様なものだろうか。
「…………全てを『燃焼』出来る概念は同格の効果範囲の狭い『燃焼』の概念より威力が劣る、ってことか?」
「そうじゃ、用途が限定されればされる程。汎用性が下がれば下がる程概念の威力は上昇する。終焉神相手に威力の程は当てにならんが、何処まで自身の能力が適用されるかは調べておいた方がいいじゃろう。例えばじゃが、使用回数や自身を対象に出来ない、等々戦闘中に弊害になる要素を持っておるかもしれぬからの」
頼りにしておるからの、と言いながらパフェは果物を籠から一つ取り、俺の右手に握らせる。
その言葉に俺は一瞬唖然とし過ぎて果物を取り零しそうになる。
もっと早く調べるべきだっただろう、などと言うつもりはない。
パフェはそんな風に言わないかもしれないが、結局のところ俺は鈍器に使える程度の荷物でしかなく。
一撃与えればそこで役目は終わりで、敵に直接攻撃が与えれる事が解っていれば詳しく調べる必要が無かったからだ。
だからこそパフェがこう言ってくれる事は素直にうれしかった。
それはつまり次は本当の意味で俺と一緒に戦ってくれると言う事だからだ。
「…………はぁ、契約ミスっても文句言うなよ」
照れくささを誤魔化す様に悪態を付き、俺は右腕にマナを循環させ契約を結ぶ準備に入った。