その32 「花葬」
遮蔽物無く自由に吹き抜けていく風に手に持った花束を靡かせながら俯瞰する。
地獄の入口と形容されそうな深く底の見えない谷は、確かに先の戦闘の跡地であった。
花屋で適当に買った花を谷底へ投げ捨てる。
風圧で花弁が散りながら谷底へと吸い込まれていく。
まるでそれは先の戦闘で死んでいった人々の様に脆く儚く俺の眼に映る。
「………手向けのつもりかや?」
消えゆく花束を一瞥すると、詰まらなそうにパフェは尋ねる。
「一応……な」
パフェの方を振り返らず、花束が見えなくなった谷底を見つめる。
これは見殺しにしてしまった命に対する俺なりのけじめだ。
「よく解らんの、あれはどうしようもない事故じゃ。主様がそこまで背負う必要がどこにあると言うのじゃ」
先程までは機嫌よくしていたのだが、一転し冷徹とも言える言葉をパフェは吐く。
「ちょっと違うな、俺は背負いたくないからここへ来たんだ。………と思う」
パフェは頭にクエスチョンマークを浮かべる。
パフェが良く解らないのは当然だ。
発言した俺でさえ、それを言葉で説明しようと思ったら詰まる。
要するに感覚的なもので俺もよく解ってはいないのだ。
「……………ふぅ」
一息つくと、散り散りなった思考の断片を上手く繋ぎ合せ、取り纏める様に声にする。
「………………俺は葬儀ってのは死者の為ではなく遺族の為にあるものだと思っている。死者を安らかに眠らせる為だの何だのと理由を付けてはいるが、結局のところソレを行う理由は死を受け入れられない者に死んだと言う事実をゆっくり刻み込み込ませる為だ。だって可笑しな話だろ? 誰も死んだ奴がどう思っているのか、その後どうなったかなど、解り様がないのにさも見てきたかのような体で色々と取り決めがされているんだからな」
まあ、これは個人的な意見だから、本当はどう言った意味かは知らないが、と一応付け加えておく。
「それで主様はこやつ等の死を受け入れられたのかや?」
パフェは半眼で死者の眠る谷とは見当違いの方向を見ながら少し刺のある口調で聞いてくる。
「―――いや………俺はそもそもこの人たちの死は受け入れている」
「じゃったら、何故今こんな事を。別に闘いが終わってからでも良いじゃろ。あれほど時間を気にしていた主様らしくない、これこそ無駄以外の何物でも無いぞ」
矛盾を指摘する言葉に先程までの自分の行動を振り返る。
確かにパフェの言う通りこんな事は心の問題で無駄かもしれない。
現に俺もパフェの心具の話を聞くまでは頭の中では無駄だと解っていた。
神どころか、人同士の争いですら犠牲が出るなんて、珍しい事じゃない。
神同士の闘いでは周りに被害が及ぶなんて事は当たり前だと割り切らなければならない。
「そう、だろうな。でもさっき言った通り葬儀は残された者の為にあるって。都合よく死者の心情を騙り、前を向いて歩かせる為の儀礼なんだよ。だから俺は前に進む為にこいつらとお別れしなくちゃいけない。あんたから心具の話を聞いて殊強く思った。今ここで心具に影響の出る様な禍根は残しておきたくない」
心具の為、とは言ったがそんなものは正直言い訳だ。
もし、パフェが心具の話をしなくても俺はここへ来ただろう。
「そうは言うが、今の主様を見ているととても禍根を消し去ることが出来るとは思えぬ。そもそもこんな所へ来ておる時点でこやつ等に囚われておる。主様は今まであまり気にしていない素振りを見せておったが、実は闘いが終わってからずっとこの事を考えておったのではないかや?」
突き刺すような視線でパフェは俺を睨む。
俺の甘えた心情などパフェにはお見通しだろう。
パフェの言う通り第九神との戦いが終わってから頭の片隅にずっとしこりの様に残っていた。
時間が経てば経つほどそれはじわじわと突き刺し広がって行く。
だから完治してない体を押してここへ来たいと思っていた。
今日、パフェに半ば強制的に連れられ、姉貴達に内緒で外に出たのだってきっかけが欲しかっただけにすぎない。
「――あんたの言う通りだ。未練や後悔が無い様に嘯いているだけで実際俺はこんなにも囚われている。本当に、俺は何をしているんだろうな」
ここでこいつらとお別れしないと言う事は何らかの形でこいつらを背負っていくと言う事だ。
『次同じような状況になれば助ける』
なんて、俺は口が裂けても言えない。
だから俺はこいつらに謝罪も後悔も懺悔も出来やしない。
俺がこいつらに出来る事はさよならを言う事だけだ。
それなのに俺の脚はここから動こうとはせずに、別れの言葉すら出ない。
深く太い杭によって縫い止められ、意識は谷底へと引きずり込まれていく。
何かを得るためには何かを犠牲にしなければならない。
時間やお金、自分の肉体、命等。
そう言った様々な何かを代償に俺達は何かを得ている。
それは護る事においても変わらず、誰かを護るには同じように何かを犠牲にしなければならない。
だから俺は顔も知らぬ人々を救えるヒーローには成れない。
俺が護らなければならない者は既に抱えきれず腕から溢れている。
それを零れ落ちない様に抱えようとするだけ限界で。
其れすらもまともに出来なかった。
パフェと姉貴達が生きていたのは運が良かっただけだ。
俺は何一つ護れてやしない。
谷底から目を離し、空を見上げる。
「本当は誰も彼もこの腕で護る、と強がって誓えたらカッコいいんだろうけど、俺にはそんな言葉言えそうにない」
左手でゆっくりと目元を押さえてみる。
泣きたい気分なのに乾いた瞳が濡れる気配はない。
涙など何年も前から見た記憶がない。
俺が最後に泣いたのは一体何時なのだろうか。
「……………結局俺は卑怯者なんだろうな」
死者に対して何も言えない言葉の代わりに、自嘲する言葉が零れ出る。
「…………仕方が無いのう」
パフェが小さな声で何かを呟いたかと思うと、ぽすっと暖かい物体が背中にくっつく。
「――よいか主様。誰かを助けれる状況で助けないのは罪ではない。そりゃあ愛憎色々あるから非難はされるかもしれぬ。じゃが其奴らとて意識しておらぬだけで色々なモノを見捨てておる。神じゃから、強くなったからと言って何でもかんでも護らなければいけない訳ではない。誰も主様を罰する権利などありはせんよ」
あやす様に優しく撫ぜながら、パフェは額を背中に押し付けてくる。
「―――ああ、そうだな。頭では分かっている」
頭では解っていても心が納得してくれない。
考えないようにしている事が暗く重くのしかかってくる。
「―――こう言う事を言うのは吾の柄ではないのじゃが、死者の数を数えても何の意味も無いぞ。数えるなら生存者を数えよ。助ける気など更々なかったが吾らは結果としてこの街の人々を救うておる」
それに……じゃ、と恥ずかしそうな口調でパフェは小さく付け足す。
「不本意ながら主様は吾も護ってくれた。違うかや?」
「俺は……護れたのか?」
背中の温もりに身を預けながら空から視線を逸らさずに聞く。
「結果が全て、とは言わぬが主様の護りたい物は何も零れ落ちてはおらぬ。まだ何も終わってはいないのじゃ。主様がここで立ち止まってしまって取り零してしまったら何のためにこやつ等を見殺しにしたか解らぬ。――――とまあ、正論で諭したところで納得なぞ出来んじゃろうな」
溜息と共にゆっくりと温もりが離れていく。
先程までなかった温もりが今突然離れた事によって極寒の地へ放り出されたかのような感覚に陥る。
「主様、眼を逸らさず前を見よ。これが主様が自分の意思で掴み取った結果じゃ。納得いかんことも当然あるじゃろうが、甘受しその上で新たな選択肢を自分の意思で選ぶのじゃ。そうやって生きると決めたのじゃろ?」
何も見ていなかった視線をゆっくりと下げ、俯瞰風景に戻す。
かつての街並みを想像しつつ、それが失われた風景だと実感する。
「これが自分の選んだ結果…………。そして新たな選択肢………か」
「そうじゃ、そしてその選択肢はいつ決断を迫られるか解らぬものじゃ。制限ギリギリまで悩むのは自由じゃが暫定の答えは出しておかなければならぬ」
パフェが横に立ち、そこから覗き込むように見上げてくる。
大丈夫じゃ、とでも言う様に笑いかけてくる。
パフェの言葉は雁字搦めの楔の中、杭を取り払う訳でも無く、光の道を示す訳でもない。
ただ、優しく闇のまま包まれていく。
余裕のなかった心に考えるだけの余裕が生まれる。
瓦礫の上に膝を付き、動かない右手の代わりに左手を地面に添える。
「………今はちゃんとした答えは出せないが、俺はあんた達の死を踏み越えて先へ進む。その命を見捨ててでも護ろうとした者をしっかりと最後まで護り抜く事を誓う。生き残った者の独りよがりだが、それでもそれがあんた達の死を無駄にしない事だと思うから」
―――ぱちぱちぱちぱち。
俺が誓いの言葉を言い終わると同時に何処からか、簡素な拍手の音が聞こえてくる。
「いや~、いい言葉やわ、久しぶりに良いもん聞いたわ。なんかこう―――――――凄くヒューマンドラマぽくっていいわ」
「――ミュールヒル」
パフェの声と同時に拍手のした方を見る。
そこには薄氷色の髪とロップイヤーの帽子を揺らしながら第三神ミュールヒルが一人で立っていた。
敵意など一切感じないが、それでも本能的に体中の毛が逆立つ。
動けなかったとはいえ第九神を一撃のもとに滅したのは恐らくコイツだ。
こんなに早く再会する羽目になるとは、どうにも天運は無いらしい。
左手を握りしめる。
右腕は確認しなくても使い物にならないだろう。
「それで次どんパチやる時はこいつら護ってあげるん? それともまた見捨てるん?」
親しい友人とおしゃべりする様な気軽さで近づいてくるミュールヒル。
だが隠す気のない神気が一歩踏むごとに辺りの空気をびりびりと震わせる。
「出歯亀も大概にしたらどうじゃ。趣味が悪いぞ」
俺が口を開こうとする前に、一歩前へ出て第三神と対峙するパフェ。
こうして今のパフェとミュールヒルを比べると遥かにパフェの神気は見劣りしている。
もしこの二神が互角だと言うのであればパフェが如何に弱体化しているかが良く解る。
パフェのお陰でミュールヒルの視界から隠れたので、俺はその隙に視線を巡らせもう一人の男が何処かに居ないかを探し始める。
「出歯亀って……今回はうちは空気読んだだけやん。そっちが勝手に青春してただけやろ。―――――あー、それとベイグを探してるんならおらんから」
俺の挙動がまるで手に取る様に解っているのか、俺が結論を出すより先に疑問に答えてくれる。
眼を細めてじろりと、そう心臓を鷲掴みにされたかのような威圧に見えないはずのミュールヒルの眼が見えた。
「痴情のもつれじゃな」
一歩、更に前にパフェが出る。
「ちゃうわ。――――って、そんな事話しに来たんじゃないねん」
「……チッ」
隠す気すらないのか、堂々と相手の眼の前で舌打ちするパフェ。
ノリは軽いが、二人の顔は前回と違い一切笑ってはいない。
「―――それで何の用じゃ?」
神気と神気がぶつかり合い、辺りの空気が真冬の様に冷えていく。
心具こそ出してはいないが何時殺し合いが始まってもおかしくない位緊張が高まっていく。
「ちょっと、これから殺り合う時の事の決めごとを……な」
風で揺れる帽子を押さえながら第三神はにっこりと笑った。