その20 「生まれ変わり」
『KEEP OUT』と黄色いテープの貼られた入口を越え、更に奥。
路地裏であっただろうその場所は瓦礫により所々唯でさえ狭い道が狭められ、また建物が崩壊しているお陰で太陽が差し込み路地裏特有の暗所が取り払われていた。
震災後かはたまた紛争後か。
コレを見た者はそのどちらかを想起するのではなかろうか。
兎にも角にも凡そ街とは言い難い風景の中に長身長髪の男が比較的に損壊の少ない壁を背に立っている。
何をする訳でも無くじっと佇み、空を見上げている。
その眼には狂気やだるさなど無く、何かを待つ様に雲の移ろいを眺めている。
彼を知る者がいるならこう言うだろう。
「似合わない」
――――と。
彼の形のよい眉目が微かに歪む。
視線を空から戻し、真正面へと見据える。
何の変哲もない空間。
少なくとも見かけ上は何の変哲もない空間。
そこからにゅっと手が二本生えてくる。
その手が左右それぞれに何かを開ける様に動くと、何もない空間から一人の少女が出てきた。
薄氷色の髪にロップイヤーの帽子。
第三神ミュールヒルだ。
「なんや? わざわざ待つなんて珍しいな。あんたそんな立派な忠犬やったっけ? ―――――――――っと、そんな訳無いか」
腰に手を当ててあたりをきょろきょろ見回すミュールヒル。
壁か瓦礫の山しかない事は一目瞭然。
しかし、彼女はそれを踏まえたうえで何かを探している。
その茶番じみた行動に何かの意味を見出したのか、ベイグウォードは重く閉ざしていた口を開ける。
「客ならさっき逃げ帰ったとこだ」
ベイグウォードはミュールヒルと目線を合わせずにぶっきら棒に呟く。
その言葉に興味を引かれたのか、ミュールヒルはベイグウォードの正面に立ち、無理やり目線を合わせた。
「逃げ帰った? あんた相手に? 一体全体どうやって? ワープするくらいしかあんたから逃げられへんはずやねんけどな」
と訝しがるミュールヒル。
その口調には本当に逃げだしたのか、というニュアンスが含まれている。
もっと言えば、ミュールヒルは十中八九ベイグが取り逃がしたのではなく追わなかったと思っていた。
それは今までの経験則からなるものであり、事実同じ様な事が何度かあった事があるからだ。
そこまで解っていながらわざわざ問い詰める辺り、彼女の意地の悪さがうかがえる。
じろりとミュールヒルを一瞥するとベイグウォードは顔を背けた。
「さあな、煙の様に掴みどころなく消えた」
「へー、煙の様に…なぁ。そりゃあ捕まえられへんなぁ」
「あぁ、そうだな」
二人はやる気の無さそうな声で空を見上げる。
空にははぐれ雲が一つ、ゆっくりと流れていた。
―――静寂。
安穏とは言えないが沈黙は美徳なりとでも言うかのように二人は黙った。
黙ったと言ってもほんの数秒だが。
「――――で、結局誰やったん?」
僅か数秒で痺れを切らしたミュールヒルは足元の小石を蹴り飛ばしながら尋ねる。
我慢や忍耐と言う言葉と無縁の彼女にとってこれが限界なのだ。
恐ろしく堪え性が無く我が儘と思われるかもしれないが、神などどれもこれも自己中心的な存在なので、彼女が特別という訳ではない。
寧ろ終焉神内でいえば、彼女は多少子供っぽいかもしれないが、かなり道徳的な部類だ。
飽くまで終焉神内の話だが。
「……知るか、俺が一々同胞の名前と顔を覚えてる訳ね―だろうが。脳味噌ウジ湧いてんのか」
「なんで記憶力の無さを盾にうちが貶されてる訳? 意味解らんねんけど」
眉間にしわを寄せ、足元の小石をミュールヒルはベイグウォードに向けて蹴飛ばす。
放物線を描き、彼らにしたら龜の様な遅さだが、それは正確にベイグウォードの顔面へと飛んで行った。
「てめぇが気にする必要はねぇよ。アレは俺の獲物だ。―――――んな事よりもてめェこそ俺に言う事があるんじゃねーのか?」
「さあ、うちの頭に虫涌いてるらしいんで何の事かさっぱりや」
スキップでもするかのようにミュールヒルは正確にベイグウォードの顔へ向かって小石を飛ばし続ける。
始めは手で遮るだけだったベイグウォードも一向に終わらない小石の雨に業を煮やした。
ベイグウォードは飛んできた小石を瞬時に掴み、ミュールヒルに投げ返す。
弾丸などよりも遥かに速い速度で速射された小石は、見事にミュールヒルの額とぶつかり砕け散った。
勿論ミュールヒルには傷一つ無い。
どれだけ速かろうと終焉神である彼女に小石程度で傷など付くはずが無いのだから。
「痛ったぁ………いや、痛くないけど。何すんねん!!」
クリーンヒットしたおでこを左手で撫でながら睨み返す。
「見え見えの言い訳してんじゃねぇよ。――――てめぇ、その右手どうしたんだ」
ベイグウォードの言葉にミュールヒルは右手を一瞬だけ震わせる。
直ぐに先程の通り楽観的な態度に戻るがもう遅く、諦めて溜息をついた。
「何時から気が付いたん? 一応できる限り両手使ってたつもりやねんけど」
右手を開いたり閉じたりしながらミュールヒルは尋ねる。
よどみなく動いているが、注意深く見ると僅かばかりの違和感に気付ける。
動作動作の合間にコンマ1秒すら短くだが完全に停止しているのだ。
「最初からだ、両手で空間を開けるなんていつからそんなにお行儀よくなったんだ?」
あ~、そう言えば、などと言いながらミュールヒルは遠い目をする。
思い当たる節しかないようだ。
が、それもやはり数秒で再び視線をベイグウォードに戻すと、眉間に皺を作り咎めるような顔つきになった。
「しっかし、男のくせに細かいこと気にしてんなぁ。ちょっと気持ち悪いで」
「ご託はいいからとっとと話せ。幾ら『慈悲深い破壊の君主』様でも本当にあの餓鬼を強くするために三文芝居してたわけじゃねぇだろ」
その言葉を聞いてミュールヒルはキョトンとした表情をする。
そして『あ~』とか『う~』とか言いながらバツの悪そうに頬を掻く。
それを見たベイグウォードの目尻が攣り上がる。
どうやらミュールヒルは本当にカノン達を強くする為に修行を持ちかけたようだ。
乾いた笑みを浮かべるミュールヒルを見ながらベイグウォードは盛大に舌打ちした。
「ま、まあええやん。お陰であの子の事少しわかったし」
ミュールヒルを視界の隅に収めたままベイグウォード目を細め、先程とはまた別の路地裏でのパフェとカノンの事を思い出していた。
あの時、ベイグウォードはカノンの概念心具に何ら脅威を感じなかった。
直に食らった訳でもないが、あの程度の距離ならば自身の勘はまず間違いないだろうとベイグウォードは自負している。
それは幾星霜も戦いに明け暮れた自身の経験にも基づくものであり、絶対ではないにしろかなりの精度を誇っている。
同じ様にミュールヒルも何の脅威も感じず二人の意見は『あれは第二神の茶番』で一致していた。
今でもベイグウォードの意見は変わらず『何ら脅威でない』のままだ。
ならば何故わざわざ二人の修行が終わるまで見張り紛いの事をしたのか?
「茶番にしては衰弱し過ぎている」
ベイグウォードの心を読んだかのようにミュールヒルの鈴を転がす様な声が響く。
「『闇夜の姫君』と謳われてるあいつがあんなに希薄になったん初めてみた。何時も倒せそうで倒せない深淵の様な女やったけど、今のあいつは向こう側が透ける位薄い影になっとった。それを見た時ひょっとしたらほんまにやられたんとちゃうんかってな」
ベイグウォードに背を向けてとことこ歩きながらミュールヒルの言葉は続く。
「あの子、カノンって言ったかな。あの子の目を見た時にそれが現実味を帯びた。やから修行を持ちかけた訳やけど。ど~にもややこしい事になっててな」
「ぁ?」
「結果から言うとあの子の概念ではパフェにあそこまでの傷を負わせる事は出来ん、と思う。碌に契約も結べんし最後の一撃にちょろっと概念らしきものが混ざってただけやから、自信はあんま無いけど。かと言ってパフェの方も演技で無くほんまに弱ってる感じやった」
ミュールヒルは瓦礫の山の近くまで歩いて行くとそこに座り込む。
そして何処から出したのか、ピコピコハンマーを片手に瓦礫を叩き始めた。
えい、えい、と言いながら一生懸命に見える様は彼女を知らない者から見れば頬笑みを誘う光景だ。
コミカルな音を立てながら振り下ろされるピコピコハンマーだが、瓦礫には何の傷も付かない。
正常と言えば正常だが、彼女の膂力からすれば異常も甚だしい。
「はっ! なら誰にやられたって言うんだ。第一神や第十三神でも来たって言うのか?」
ベイグウォードはミュールヒルの言葉を鼻で笑い一蹴する。
ミュールヒルは振り向かず、手を止めた。
「……これは推測でしかないけど、多分あの子生まれ変わったわ。概念ってさぁ、基本一人に一つやん? これは生き物に一つしか魂が無いせいで、概念は魂と=やからやねんけど。だからまあ、概念は1つで不変ってのが不文律やねんけど、概念を変える方法が一つだけあるねん。それが生まれ変わり、と言っても突然変異や改造手術と違って、魂を変更しやなあかんから簡単に出来るもんちゃうし、仮に出来たとしても、そもそも別の生命体になるんで、生まれ変わろうとする奴にとっては自殺と何ら変わらんけどな」
「…それがどうした?」
ベイグウォードは興味なさそうに空を見上げながらも、ミュールヒルに続きを促す。
やはり彼も軽く引っかかる何かが気になるのだろう。
「つまり、あの子、輪廻架音はもう既に死んでて今動いてるのはその遺志を継ぐ形骸ってことや。涼しい顔してえぐいことようするわ。だってそうやろ? あんな風になっても自我を失ってないねんであの子。意思が強いとかそういう問題じゃないレベルや。心具の強さは感情で決まる。だから次会う時楽しみにしとき。―――――――感じる脅威なんて脅威じゃないって解るから。そん時こそあんたの今日の行動の疑問が解けるわ」
右手を太陽に翳しながらミュールヒルは薄く笑った。
その笑い声は暫らく路地裏に響いていた。