その17 「懺悔」
「―――主様、まだ起きておるか?」
町が寝静まり返る暗闇の中、俺はぼぉっと天井を見つめていた。
既に戦闘形態は解け、ただ漠然と今日起きた事を想起していた。
パフェから声が掛かったのはそんな時だ。
「あぁ、起きている。と言うより一向に眠気が起きない」
俺は部屋の片隅へ返事を返す。
そこには暗闇に慣れた目を以てしても見えない黒い闇があった。
「吾との同化がすすんでいる証拠じゃ。神に近くなればなるほど睡眠など必要とせんからの。今は恐らく緊張もあるじゃろうが、あと数日もすれば眠気はおろか、疲れすら感じる事が新鮮に感じる様になるじゃろう」
今もなお影として俺と繋がっているが、現在パフェは普段の人型ではなく異形の闇へと身を変えている。
何でも休む時はその恰好が一番寛げるらしい。
「そうらしいな」
パフェに気取られぬよう極力抑揚を抑えて声を出す。
徐々に己の体が変貌していく事に恐怖が無いと言えばウソだ。
徐々に人をやめていく過程に後悔が無いと言えばウソだ。
人間をやめて不老不死で生きていくなんて想像もできないし、またそこまで生きてやるべき夢も目標も無い。
そう言った意味で俺はどうやら人生の分岐点、運命の分かれ道を間違えたのかもしれない。
だが、それでも俺は同じ分岐点に辿り着いたのならこの選択をするだろう。
他の誰でも無く自分で道を決めると誓ったのだから。
ならばその道がどれほど険しかろうと進むしかない。
「―――――吾は、主様に謝らなければならない事がある」
普段の少し小馬鹿にした様な声音で無く、ある種の老人が出す様な疲労に満ちた声で告げる。
何のことだろうか。
思い当たる節が無い訳ではないが、こんなに思い詰める程の事ではないはずだ。
「第六神と戦った時の最後、あの時吾は第二契約を結ぼうとしてやめた」
「それがどうしたんだ? 結果的にあの判断は悪くなかったはずだ」
そもそも夢渡はあの時俺達をすぐさま殺そうと思う気など毛ほども無かったはずだ。
そう思えるほどあの時俺達と夢渡の間には力の差があった。
だからベストじゃないにしてもパフェの判断はベターだったはずだ。
「そうじゃな。結果的には悪くなかった。寧ろ後から見れば最善の判断じゃったじゃろう」
「なら尚更謝る必要はないはずだが」
闇が身動ぎをするかの様に震える。
恐らく首を振っている意なのだろう。
「じゃが、これはその時すべき最善の判断ではないのじゃ。吾はあの時警告を無視してでも第二契約を結び主様を連れて離脱するべきじゃった。解るか主様、あの時吾は主様の生死を敵の手に委ねてしまったのじゃ。主様を護ると謳ったこの吾がじゃ。情けなくて腹立たしくて腸が煮えくりかえっても足りぬ。伴侶と、番と認めた者を敵に預けてしまったのじゃ。詫びても詫びきれぬ」
本当に済まぬ、と言いパフェは黙りこむ。
俺がこの部屋で目覚めた時から異様に明るく振舞っていたが、あれはコレを見せない為のから元気だったのだろう。
案外今のパフェの姿も顔を見せたくないがための嘘かも知れない。
言っちゃ悪いが、こんな事にここまで真剣になるパフェの純粋さに少し驚く。
戦闘に関してで言えば結果良ければすべてよしだ。
結果俺とパフェ共に大した傷も無く帰ってこれたのだから、ここまで謝るものではないだろう。
「そこまで解っていながらどうして第二契約を結ばなかったんだ?」
終わった事にこんな事を聞いても仕方が無いのだが、思わず聞かざる負えなかった。
まさか、夢渡の言葉に恐怖した訳でもあるまい。
俺がそう考えているとパフェから意外な答えが返ってきた。
「…解らぬ。第二契約を結ぼうとして主様の姿が眼に映った瞬間契約を破棄してしまった。こんな理由で満足できぬじゃろうが、コレが吾にとって嘘偽りのない事実じゃ」
これは少し予想外の回答だった。
なぜパフェは俺を見て契約を破棄してしまったのだろうか。
目を閉じ、真剣に頭を捻る。
幾つもの考えが浮かんでは消えるが、どれも辻褄が合う考えとは言いにくい。
俺の為、と自惚れたいところだが、それならばパフェは第二契約を結んで逃亡が最善と言っている。
ならばやはり恐怖なのだろうか。
それもまた己が死ぬ事すら恐れぬパフェが恐怖を感じるなど考えにくい。
迷宮入りしかけている思考を一旦隅へ投げ飛ばし、現状の対応へと思考を戻す。
俺はどう答えたものかと頭を捻る。
俺が気にしてない、謝らなくてもいいと言った所でパフェの気が収まる訳でもないし、俺自身がパフェに負い目を感じている所を素直に話しても傷の嘗め合いにしかならない。
そんな事俺もパフェも望んじゃいないだろう。
「―――――お前は俺がもう一人のお前と会った事を知っているか?」
「会った事は知っておる。吾が許可を出さなければアレに会う事は出来ぬからの。まあ、会話の内容までは知らぬが……………………それがどうかしたかや?」
突然の話題変換にパフェは困惑している…はずだ。
真っ暗で前だか後ろだかわからないので確信は持てないがそれに近い感情を表している。
「あの時あいつは俺に自分たちが望むのは同じ対等な関係だと言っていた。ならあんたも俺を護るだけっていう対等じゃない条件は望んでないよな。だったらその誓いは無しにしよう。俺達は一心同体なんだろ? 己の体を護るのに誓いなんていらないはずだ」
「それは…そうじゃが」
パフェはバツが悪そうな口調で言葉を濁す。
理解は出来るが納得はできないのだろう。
「贖罪と言ってはなんだが、一つ答えてほしい事がある」
俺がそう言うとパフェは意外そうな顔で俺を見た。
そんなにらしくない質問だったのだろうか。
「吾に答えられる事なら」
一応納得した顔でパフェは答える。
ならばこの機会に聞きたかった事を聞いてみよう。
今ならパフェの本音が聞けるはずだ。
「なんであんたは終焉神を追っているんだ? 間引きとか言う終焉神の目的じゃないあんたの答えが聞きたい」
もう一人のパフェとか、第二契約の事とか、今の俺の体の事とかいろいろ聞きたい事はあるが、俺はこれをまず聞かなければならないと思った。
普通に少し考えればわかる話だが、こいつがこんなになってまでこの世界に留まる理由が無い。
間引けなければ己が死ぬようなことも無いと言っていた。
恐らく大した強制力も無い義務に従ってやっているという上から目線な感じだろう。
そんな中、自分の命を分の悪い賭けへと賭す必要など何処にもないのだ。
俺がいなければ生存できないとしてもだ。
死にたくないのであれば俺だけを連れてどこかに隠れた方がずっと効率が良いだろう。
そうしないのはなぜか。
それは恐らくパフェにも俺と同じで引けない理由があるのだろうと推察する。
夢渡はこいつを世界を喰らう悪魔だと言った。
確かにパフェには世界を喰らう悪魔になれるだけの能力があるかもしれない。
でも、俺にはパフェの目的が結果問わず本当に世界を喰らおうとしているとはどうしても思えなかった。
戦いの神と謳いながら妙に馴れ馴れしく、そしてこんな事で落ち込むほど純粋だ。
老獪で残酷な神かと思えば、慢心して殺されかけたり、殺す事を歯牙にかけないと思えば子供の様に己の行為を悔いる。
まるで子供のまま老人になったかのような移り変わりの激しさだ。
「目的………か」
パフェがいる辺りの闇が凝縮すると人型を模る。
「主様は『神』をどう思う?」
「神? 天羽の様な存在か?」
突然出た質問にそのまま頭に浮かんだ天羽の存在を出す。
なんせ幼少から身近にいた存在だ。
俺にとって神のイメージは天羽抜きでは語れない位の影響力がある。
「そうじゃの、アレの様な存在でよい」
どう思うか……か。
考えた事も無かったな。
お家柄からか、それはただ漠然と生まれた時からそこにいる当たり前の存在。
超常現象と変わらぬ上位存在。
いつ生まれいつ消えていくかもわからないほぼ完璧に近い不死者。
それとパフェの目的と何の関係があるのだろうか。
適度に疑問を織り交ぜながら連想ゲームの様に思考していく。
「この世で最も完全に近い存在で災害に近い、と言う感じだな」
俺は暫らく顎に指を当て、思案した言葉を簡単に整理しながら紡いだ。
「災害か。成程言い得て妙じゃの」
「それがどうかしたのか?」
パフェは俺の答えに僅かに笑みを見せると、片目を閉じた。
俺の言葉に対する答えを頭の中でまとめているのだろう。
こんな普通の友人同士がするような会話に知らず心が和む。
こうしている分には本当に人間と変わりが無いのだなと感じる。
この一件が片付いたら、これが日常になる日が来るかもしれない。
そんな日を夢想しながらパフェの言葉に耳を傾ける。
「主様達には間引きの話はしたじゃろ。あの間引きは何のためにあると思う? 神が間引く以上神の為に思えるかもしれぬが、あれは寧ろ逆で神以外の生き物の為にある」
「どう言う事だ?」
「あの場にはあの小娘がいたから詳しくは言わなかったが、終焉神が殺すのは神だけじゃ。腕をふるい暴風を起こし、それに巻き込まれて人が死ぬ事があっても、まず終焉神にそれを起こす際に人を殺そうと思う思考は無いのじゃ。いやそんな事は関係なかったの。まずは神を間引く必要性から説明しよう」
パフェは窓辺まで歩いて行くと、カーテンを少しずらし、僅かに毀れ出る月明かりに手を晒す。
月明かりを受け普段よりもさらに白く見えるパフェの指は蛍雪の功にある、雪で集めた明かりの様に優しく反射していた。
「主様の言った通り神とは寿命の概念から解き放たれた理想に最も近い生命体じゃ。通常生き物は強く長く生きる物ほど増えにくくなっておる。食物連鎖でそうなるように調整されておるからの。数が強さに比例するのならば、その生態ピラミッドの頂点に位置するのは何か。それは最も増えにくく最も死ににくい神に他ならない」
「さて、ここでもう一つ先に説明しなければならない事がある。この世界のシステムは所謂『全は一、一は全』で構成されていると言う事じゃ。この世界の全ては方程式によって成り立つ…もっとわかりやすく言うと等価交換と言う奴じゃ。人が死ねば新たに人が生まれ、新たに人が生まれれば別に人が死ぬ。有り得ないと断ずるかや? それが有り得るのじゃ。主様はこう考えておるのじゃろう。消えるのは幾らでも出来るが、増えるのが任意でない以上成り立たないと。確かにそうじゃ、無から発生する生命体を考慮しなかった場合の話、じゃが」
パフェは掌から墨で書いた様な蝶を出現させる。
その蝶はまるで生きているかのようにパタパタと飛び、俺の膝の上に停まった。
「それが神ってわけか」
ゆっくりと翅を動かし休む様を表す蝶を横目に返答する。
「まあ大規模な場合はそうじゃ。神や精霊は大量の生き物が死にその帳尻を物理的に合わせられなくなった時、その差分で発生する機構じゃ。ここで言う神は肉体を持たぬ神じゃが、その違いは割愛させてもらう。そのくせ生命が大量に発生した時にその神を消滅させる機構が存在しないと言う欠陥構造じゃ。まあ、当然じゃな。人は神の為にあるが神は人の為に無いのじゃからの。その結果死ぬ可能性のある精霊はともかく神ばかりが増える事になる。増える量など他の生命体に比べたら無いに等しいがそもそも減る量など更に皆無に近いからの」
ただ静かにパフェは語る。
まるで忌々しいのはこれからだと言う様に。
この話には続きがあるはずだ。
そう、これだけでは終焉神が間引く必要性など無いのだ。
確かに神が増えるかもしれないが減らないとは言っていない。
彼らが放っておいても確かに神は減少する。
神殺しと伝承に残る神話の様に。
「ならばどうしてお前達が間引く必要がある」
思考のままに疑問をパフェにぶつける。
「言ったじゃろ? 生命が大量発生した時に神を消滅させる機構は無いと。ならば大量に増えたプラス分何処かで減らさなければならない。どうするか、答えは簡単じゃ。生まれさせない、又は死にかけの者をすぐさま殺す。世界を変化させ、飢饉や天変地異などで環境を劣悪にすればよい。『全は一、一は全』帳尻を合わせようと思うのなら馬鹿みたいに値の大きい神より値の小さい生物を大量に殺した方が帳尻が合わせやすいと言う訳じゃ。そうするとどうじゃ、環境の変化など意にかえさん神は残り続け、それ以外の生物は増えようとすればするほど環境が劣悪となっていく訳じゃ。解るか主様? この世界はの、都合よく神を作り永らえさせるために出来ておるのじゃ。再び一なる創造主へと戻る為にの」
パフェがギュッと握り拳を創ると膝の上の蝶は一瞬ねじれ、空気に溶けて消えていった。
「じゃあ、お前達終焉神はそれを阻止するために存在している訳か。それがお前の目的か?」
うすうす違う気はするだろうな、と思いながらも一応尋ねてみる。
「まさか。考えてみればわかるじゃろ主様。吾ら神を創ったのは誰じゃ、創れるとしたらだれじゃ。その創造主以外ほかならん。創造主にとっては神すら己の為の機関にすぎぬ。終焉神はの、詰んだ状況を作り出さない様にするための駒何じゃよ。そうじゃの言ってしまえば具を焦げ付かさない為のお玉の様なものじゃ」
と皮肉った笑みでパフェは空中で何かを掻き混ぜるジェスチャーをする。
「そこまで解っているのならなぜ……」
「言ったじゃろ? 創造主が創りだした機構じゃと。それはあらゆるものがいつか滅びる様に何をどうしようと結果に変わりはないからじゃ、なぜならその滅びこそが主の復活なのじゃから。ならば諦めるか、主様がしたように吾も否じゃ。何をしても無駄、何もしなくても無駄なら好きなように足掻くだけじゃ。目的と言ったな? 吾の望む目的は一つ」
パフェは息を吸い込み、一瞬だけ照れくさそうに視線を外す。
が、直ぐに俺へと視線を戻した。
「自由な世界を生きとし生ける物に。好きに生まれ、好きに死に、機構など関係ない自然の生命の在り方を、愛する自由を渡したい」
遠い眼をした綺麗な笑顔でパフェは目的を口にした。
「じゃからその為にもより多くの神を、終焉神を狩らなければならない。応急処置にもならんかもしれぬ、吾自身が世界を脅かす厄災と見なされるかもしれぬ。それでも吾は吾なりのやり方で世界の自由を護りたい。これでも元々は自由の神じゃからの、吾は」
これで自分の話は終わりだとでも言う様にパフェは俺に背を向け、ベットに腰かけた。
やはり照れくさいのだろうが、何処か清々しい印象も受ける。
そんなパフェの少女じみた言動の所為か、ちょっとからかいたくなってしまった。
「その割に随分と束縛する様な事を俺に言ってるよな。随分二重規範な神だな」
今までのパフェの言動はどちらかと言うと平等といった感じの言葉が多い。
よく自由、平等と並べて理念を掲げているが、この二つは本来対義語に近い関係ではないかと思う。
自由は拘束や強制などの戒めからの解放の意味をあらわしているのに対し、平等とは公正さ、つまりルールや条件の順守を前提としている。
まあ、何が言いたいかと言うと自由の神でありながら俺に対等を願うのは矛盾してないか、と言う事だ。
「何も可笑しな事ではないぞ。吾は世界の自由以上に己の自由を愛しておる、ただそれだけじゃ。じゃから、吾は好きであれば好きである程そのモノの自由を奪ってしまうだけじゃ。お解りか主様?」
くるりとこちらを振り向きながら犬歯を見せてながらパフェは意地悪く笑う。
俺は額を押さえながら大仰に溜息をつくと、改めて自分がとんでも無いものと契約したのだと再認する羽目になった。




