その14 「ナハト」
「主様っ!」
パフェの掛け声と共に後ろへ跳躍する。
パフェがそれに追従するように滑り、俺左手と両足を影で繋げ、衣の様に俺の全身を黒い布で覆った。
一言で言うと操り人形。
パフェの下半身は半分以上俺に溶け込んでいるので、必然的に宙へ浮く形となる。
その下に黒い布で結びつけられた俺がいるのだから間違った表現ではないだろう。
それを見て夢渡が鼻で笑う。
確かに素っ頓狂な状態かもしれないが、これが俺とパフェが共に闘う為に考えた方法だ。
俺とパフェが戦うに当たってまず一番最初に何とかしなければならないのが俺の弱さだった。
そこらの妖魔なら問題ないが相手は神。
まず俺では戦闘に付いて行くことも出来ない。
それどころか運命共同体である俺は言わばパフェの心臓の様なものだ。
パフェ自身の耐久力がいかに優れていても俺が死んだらそこで終わり、ゲームオーバーだ。
俺とパフェの生命線が短い以上俺は隠れてパフェだけ戦うと言う選択肢も無い。
だったらこうするしかない。
パフェが俺を護り、俺が敵を倒す。
という共に闘うという方法が最善に決まっている。
左足で着地し、再び力を入れる。
ぐん、と地面が俯瞰できるほど遠ざかり、ビルの屋上の高さまで跳ぶと言うより飛翔する。
パフェの概念心具が俺の脚に纏わり付いているおかげで俺の動きに合わせてパフェが跳躍させてくれてるのだ。
そしてこれがパフェの授けてくれた牙。
俺は滑空しながら腰にあったアレを引き抜き、夢渡へ向ける。
大きさは手に平二つ程度。
機能的よりも儀礼的を意識した重厚な漆黒のフォルム。
リボルバー式の拳銃、銘を『ナハト』(パフェ命名)
鋼鉄で出来ていたのなら重いだろうが、重量は羽根より軽く、やや暖かい。
そのまま空中でトリガーに指をかけると夢渡へ連射する。
本物の銃と違い、反動も少なく、狙った通り飛んでいく。
数にして十数発。
俺の霊力を弾丸に変え、飛ばしているのでリロードする必要がない。
パフェの説明通り心具は魔術礼装としても優秀だ。
使い手を極端に制限される分適合した時の能力の上昇は他の追従を許さない。
そんな状態で俺は本気の霊力弾を撃ち込んだ。
言わばこれは俺があいつを終焉神と認めたくない最後の悪あがきの様なものだ。
最早最高レベルといっても過言ではないほどの神器での攻撃だ。
普通の魔術師はおろか、神に近い生き物でさえ耐えるのが困難だろう。
だが……。
スッと空間が裂ける様に線が入る。
ただそれだけで俺の霊力弾は霧散した。
何の感慨も無く夢渡が袈裟懸に振るった大剣が音も反動もなく消し飛ばした。
あぁ、やっぱり人間じゃないんだな、と俺の心の奥底にあった最後の防波堤が崩れる。
数十メートルの高さから音も無く着地する。
痛みなど無い。
「どうした? それで終わりか?」
大剣を肩に引っさげ、不動の体勢で、夢渡は問う。
俺は無言でシリンダーに黒い弾丸を詰めていく。
カシャンと音を立ててセットすると再びナハトを左手に構える。
「そう思うか?」
「………有り得んの」
パフェと視線を交わす。
それにこたえる様にパフェが腕を振るうと、夢渡の周り四方八方から漆黒の杭が出現する。
概念心具がどういう原理なのかはいまいちわからないが、パフェは闇があれば概念心具を創る事が出来る。
パフェはすぐさま外へ出ようと提案したのはこの為だ。
夜こそが全力で戦える時間であるがゆえに。
コンマ1秒置かずその全てで夢渡を串刺しにする。
「―――どうだ?!」
目を細め、夢渡を見据える。
びちゃ、という音と共に辺りの壁に液体が叩きつけられる。
夢渡の位置は変わらず不動。
刺傷どころか、衣類にすら損傷がない。
片手で大剣を振りまわすだけでそれら全てを裁き切ったのだ。
防御不能の漆黒の杭を弾き飛ばした神速の剣技は正しく神技と言うべきものだ。
だが、こっちもそんなもので倒せるとは思っていない。
なにしろ相手は神なのだ。
出来て当然。
『―――閉じろ』
パフェは呟くように呪詛を紡ぐと、荒々しく合掌した。
すると夢渡の前後に巨大な腕が出現し、そのままパフェの手を模倣する様に迫る。
少し横に飛べば避けれるはずだが、夢渡は変わらず不動。
真っ向から受け止める気だ。
ちらりとパフェを盗み見る。
先程から何の驚きも無くパフェの行動を見れるのには理由がある。
事前にパフェとの完璧な作戦会議が…あったらちょっとカッコいいかもしれないが、学校までの道中でそんな時間は無かった。
なのでパフェに重要な所は教えてもらったが、如何せん数が多すぎて細かいところには手が回っていない。
俺はその時こんなので大丈夫なのかと思ったが、パフェが『その時になれば解る』と意味深な事を云っていたので引き下がったのだ。
……ぶっちゃけ面倒くさくなっただけだが。
それはまあいいとして、種明かしをすると、左手や両足から繋がっている影のパスによって漠然とだがパフェが今何をしようとしているとかこの概念心具の知識とかが頭に流れ込んでくるのだ。
ただ、それはパフェが自由にシャットアウトしたりできるらしく次の行動と概念心具の特徴くらいしか今のところ伝わってこない。
足は影となり、昔の幽霊みたいな状態になっているが、パフェは一歩前に出る。
「ちと、嘗めすぎじゃなかろうか? 第六神よ」
パフェの問いに夢渡は答えない。
が、ここへ来て初めて夢渡は切っ先を目の前の腕に向け、上段で構える。
嘗めすぎかどうかは態度で示すと言う事か。
迫りくる両腕に夢渡は精神を研ぎ澄ませるように息を吐く。
前後を一太刀でかたずけるならば円月を描くしかない。
しかし、それでは両腕を弾き飛ばすのは不可能に近い。
その理由はパフェの概念にある。
―――――概念『浸蝕』
それはパフェの闇に触れる物ありとあらゆるモノを侵す絶対のルール。
触れれば最後、それは対象全てを喰らい尽くす。
それ故防御不能。
そしてそれは相手の攻撃を浸蝕する事によって攻守万能の盾となる。
唯一の例外というか、この世の法則を超越している神器『概念心具』によるルールの相殺でなければ攻撃する事も防御する事も許さない。
先程の杭による全包囲攻撃は数こそ多いが、概念心具の密度と量は大したことはない。
だが、今回の腕は違う。
これ一発分でそこらの山を一瞬で食いつぶせる量がある。
俺はナハトを構えたまま、夢渡の動向を見守る。
さあ、どう出る。
夢渡の大剣にマナが集約され、びりびりとした波動が伝わってくる。
そしてそのまま最大限に引絞り……。
「―――セイッ!!」
腕と大剣が刹那の間に衝突した。
拮抗すらせずに円錐状の穴を穿ち、弾き飛ばされていく腕。
その余波で辺りの建物が崩壊し、吹き飛ばされる。
此処まででも十分驚くべき事だが、驚愕するのはむしろここからだった。
最大限に突き出した大剣がまるで時間を巻き戻すかのように刺突と同速で戻り始める。
そのまま片足を軸に駒の様に回転すると、背後に迫った二つ目の腕に大剣を叩きつけた。
「――っ!!!」
先程を超える衝撃波。
崩壊し吹き飛ばされた建物の破片が更に粉砕する。
パフェがマントの様に闇を展開し、衝撃波を吸収する。
マントを振り払った時には相も変わらぬ位置で夢渡が立っていた。
「何なんだ、あれ。どんな概念だったらあんな事が出来るんだ」
俺は騒めく心を落ち着けながら冷静を装ってパフェに尋ねる。
どんな手品にも種がある様に、原理さえ解れば対処できる。
裏を返せば種の解らない手品は魔法と同じで対処し様がない。
「…………」
パフェは眼を伏せ、俺の質問に答えない。
「知らないのか? はっきり言って原理が解らなければ対処しようがないレベルだろ、アレは」
「いや、原理は解っておる」
「なら…」
「あれは…ただ自身の能力を高めただけじゃ。アレが何で最後の英雄と言われているか解るか? アレはその概念により神すら届かぬ遠い未来に到達するであろう境地に既に到達しておるからじゃ。アレの使う剣技は様々な流派の最終到達領域。アレの使う魔術は現代では再現不能な古代魔術のアレンジ版。―――つまり、奴のルールは自身を最強にするタイプじゃ。じゃから対処も対策も無い…」
パフェは明らかに気落ちした声で返答を返す。
だが、俺はむしろこれを聞いて安心した。
漫画やゲームの様に時を止めるルールや因果律の逆転、事象の改竄、並行世界の干渉。
そんなレベルのルールが来ればどうしようもなかったが、相手が強くなるだけならまだ戦える。
倒せる希望がある。
「相談は終わりか?」
夢渡が初めて前進する。
俺とパフェははっ、として夢渡を見る。
―――来る。
パフェは舌打ちするとすぐさま飛び散った闇を再構成すると、夢渡の元へ向かわせる。
が、それよりも早く夢渡は接近した。
迫りくる杭を景色に置き去りにして、ぐんぐん加速する。
堪らず俺は霊力弾を撃ち込む。
大剣を使わずに左手で軽く叩き落とされる。
足止めにすらならない。
後退しようと両足に力を込めるが、既に夢渡は眼前に。
―――ヤバい、間に合わ…。
『―――建て』
間一髪、パフェの呼んだ漆黒の門が両者の間に顕現する。
「…助かった」
全力で後ろに飛ぶと見る見るうちに門が小さくなっていく。
体にかかるGまで浸食している所為か、妙に現実感がない。
「油断するなよ主様。あの程度では…」
パフェが言い終わるよりも早く、門を切り捨て夢渡がこちらへ跳躍する。
これはいくらなんでも速過ぎだろ。
そう愚痴りたくもなる程、夢渡の動きは化物めいていた。
大して狙いも付けずにナハトを乱射する。
ブースターでも付いているのかというほど弾を避けながら加速してくる。
俺は闇を足場に更に跳躍する。
轟と風を吹き飛ばしながら、更に更に上昇する。
それに合わせて辺りの闇が針のように突き出て夢渡を攻撃する。
斬、斬、斬、斬、斬、斬。
ほぼ不可視の刃のはずなのにいとも容易く切り裂かれ、どろりと崩れ落ちる。
「ふぅ、ここなら多少の事があっても街への被害は少ないかな」
空中で何もない足場に当たり前の様に着地すると、夢渡は街を見下ろしながら呟く。
何らかの魔術で宙に足場を創ったのだろう。
距離にして数十メートル。
再び向かい合い対峙する俺達。
互いに無傷に見えるがそれは外面だけだ。
心象具現礼装は己の精神を材料に創り出している。
それの上位互換ともいえる概念心具は己の肉体、魂、心の三つを材料に創り出されている。
即ち防御に回しているパフェの闇の布が切られれば切られる程こちらにはダメージが行っていると言う事だ。
幸いパフェの概念心具は不定形故、破壊される、という事はない。
だがそれでも夢渡の概念心具と接触するたびに少しづつではあるが削られて行っている。
考えなしの攻撃じゃすぐさま間合いを詰められて殺される。
かと言って遠距離からちまちまやったところで夢渡にダメージが行かないのは先程の様子から一目瞭然だ。
ならば…。
思いっきり足場を蹴り、初めて夢渡に接近する。
パフェは俺の行動を見ると、微かに笑い、接近戦用に己へと概念心具を凝縮させる。
リボルバーの位置を確認すると夢渡めがけて発砲する。
1発、2発、3発、4発…!
夢渡は左手で銃弾を弾きながら右手で迎撃用に大剣を構える。
「っ!」
初めの2発を弾いたところで夢渡は初めて表情を変え、迎撃用に構えた大剣を振るう。
今まで音も無く霧散した弾丸が初めて音を立てて大剣に弾かれていく。
内心俺は勘付いたかと舌打ちする。
俺が途中で詰めた漆黒の弾丸。
あれはパフェが概念心具を圧縮させ創った弾丸だ。
それを左手で弾かざる負えない状況を作り、霊力弾を囮にダメージを与えようとしたのだが、未来予知でも出来るのか、夢渡はそれを察知した。
続く4発目も夢渡は左手を使わず大剣で弾く。
どうやら偶然ではなく完全に読まれているらしい。
だが、それでも迎撃用の大剣を振るった事によりまだこちらのターンだ。
4発目を弾いた事によりわずかだが、一瞬の隙が生まれる。
始めからその隙を待っていたパフェが袈裟懸に引っ掻く様に腕を振るうと、それに追従するように漆黒の爪が夢渡を襲う。
「はっ!!」
体を捩り、無理やり避けながら夢渡は上段回し蹴りを放つ。
吸い込まれる様に俺の顎へと向かう。
首を逸らし避け様とするが、生憎ここは生身の部分で間に合わない。
「クッ!!!」
寸前のところでパフェが俺を闇の衣内で移動させ、躱す。
掠ってもいないのに頬が裂け、血が出る。
その勢いのまま夢渡はサマーソルト気味に宙返りすると宙を蹴り、今度は向こうから接近する。
が、それよりも速く避けながら俺が撃った弾丸が夢渡を襲う。
霊力弾、漆黒弾、霊力弾、漆黒弾。
夢渡は剣先で弾丸の軌道を逸らしながら最小限の動きで肉迫する。
パフェは先程の爪をバラバラにし、針鼠の様に突き出す。
髪を掠り、服を掠り、剣を掠り、されど夢渡にはただ一つも当らない。
本能的な恐怖に囚われ、ナハトを乱射する。
躱す、斬、弾く、外れる、斬、躱す、弾く。
一発でも当たれば勝機はあるはずなのにその一発が果てしなく遠い。
パフェの闇がマントの様に俺達を包む。
―――斬。
だが、夢渡は紙切れの様にあっさりと切り裂くと俺へと振りかぶる。
「主様っ!!!!」
パフェの悲鳴を耳にしながら本能的に迫りくる刃に左手のナハトの銃口を太刀筋に合わせた。
トリガーなんて引く余裕はない。
ナハトが俺と大剣の盾になり、鍔是り合う。
というのを俺は心のどこかで期待していた。
しかし、現実はバターの様にナハトは切り裂かれ、それを握る左手にも裂け目が広がっていく。
カチリと音がし、ナハトが爆発する。
「がぁあっぁ!!!」
左手と心臓辺りに激痛が走る。
これが心具を破壊される痛みか。
比喩じゃなく神経が焼き切れる。
視界が白と赤で混濁する。
だが、お陰で夢渡に左腕を切り裂かれなくて済んだ。
手首まで裂けた左手を右手で握りしめる。
ゆっくりとだが、目に見えるスピードで繋がり始める。
ナハトが爆発したのは最後に残った漆黒の弾丸を切り裂かれた所為だな。
「ぐうぅぅ!」
立ち替わり、俺の代わりに刃を受け止めているパフェに意識を戻す。
夢渡が片手に対して、パフェは全身を使いあの大剣を受け止めている。
「ぁあああああ…っ!」
パフェの声がどんどん弱弱しくなっていく。
じりじりと均衡が崩れ始める。
拙いと思った時には均衡は完全に崩れていた。
大剣がパフェを切り裂き、そのまま地上へ叩き落とされる。
背中にすさまじいGを感じる。
拙い拙い拙いマズイマズイマズイ。
パフェの意識が混濁しているのか、俺の周りの闇の衣が薄れていっている。
このまま地面に衝突すればお陀仏だ。
不格好だが、左手と両足を接触させ、緩衝材として着地するか?
今の状態でどこまで耐えられるか不明だがやらないよりはましだ。
俺は軋む体に鞭をうち、空中で体制を変えようとする。
が、その前にパフェがギュッと俺を抱きしめた。
「なっ!!」
そのまま地面へ激突する。
俺に衝撃は無い。
パフェは俺を抱きしめるとすぐさま俺と自分の位置を入れ替え、自ら緩衝材になったのだ。
肩で息をしながらパフェは落下の衝撃の際に飛び散った闇をかき集める。
ここへきて己の認識がいかに甘いか思い知らされる。
倒せる希望がある?
何を馬鹿な…。
パフェは空を見上げ、瞳孔が限界まで開く。
『た…建て……っ』
現出した門を貫通し、それはパフェを磔の様に地へ繋ぎ止めた。
「ぁ……か……く、そ……っ」
奇しくもそれはパフェと俺が出会った時と同じ光景だった。
夢渡が放った大剣はパフェの腹部を貫通し、地へ突き刺さっていた。
パフェはもがくが動けない。
唖然とそれを見つめる俺の横に夢渡が立つ。
「まだ……これでもまだ挑むか?」
冷たい瞳が俺を見据える。
心臓が激しく鼓動を震わせ、俺は夢渡から目を離せない。
無理だ。
こんな奴に勝てるわけがない。
『概……念……心……具………ぐっ、第二……っ』
息も絶え絶えにパフェは契約の呪文を詠いあげようとする。
「第二契約を結べばそれこそ容赦はしない」
夢渡の殺気で大気が震える。
パフェは悔しそうに歯噛みすると、がくっと脱力した。
第二契約?
何を言っているんだ?
まさか、これ以上上があると言うのか。
第一契約の時点で核を使わなければダメージを与えれない連中が、だぞ?
この時点で都市一つ壊滅させるのに対して時間のかからない連中が、もう一段階成長すればどうなるか考えたくも無い。
だってこれじゃあ、どうやったって俺達に勝ち目はないじゃないか。
パフェが幾ら強くなろうとも俺が変わらない以上、戦闘のランク上げはこちらが不利になるだけだ。
「なあ、カノン。悪い事はいわねーよ、俺達と一緒に来いよ。今はまだ第一契約だからこの程度ですんでるけど第二契約を結べばこんなもんじゃ済まないんだよ。そんな争いの中でカノンが第二神と共に戦って何になるんだよ。無駄死にしかしない。――――だから…」
夢渡はパフェから左手で大剣を抜き、何もない虚空へそれをしまうと、俺と同じ目線で何時もの人懐っこい笑みを浮かべる。
そんな夢渡を無視して俺は急いでパフェを抱きかかえた。
死んではいないが、明らかに衰弱している。
このままではパフェが死んでしまう。
全ては俺がパフェを襲ったせいだ。
あの時素直に俺が死んでいればこんな事にはならなかっただろう。
いや、こんな後悔は何の意味も無いと知っている。
そんな事よりパフェを先輩の所へ。
無駄かもしれないが試さないよりましだろう。
だが、その為には夢渡から逃げ切らなくてはならない。
パフェ抜きでも戦わなければならない。
無理に決まってる。
ならば、夢渡に見逃してもらうように頼むか?
俺は夢渡に向き直り、命乞いをしようと口を開く。
「―――だからその第二神は諦めてくれ。そいつはこの世界を喰らう悪魔だ。現に今も第一契約如きじゃあ全然死ぬ気がないだろ? 第二神が完全になってからじゃ遅いんだ、そいつが完全になればこの世界は終わる。悪いけど俺はそれをみすみす見逃せない」
完全な拒絶。
俺が諦めたら一切のためらいも無くパフェを殺すと言う意志表示。
どうすればいい?
カルネアデスの板だ。
己が生き残るためなら、家族が生き残るためならばパフェを見捨てていい?
家族どころか友人ですらないこいつなら見捨ててもいい?
将来世界を滅ぼすかもしれない悪魔なら見捨ててもいい?
―――いい訳ないだろっ!
こいつは気絶するその時までその無理を通そうとしていた。
勝てないのを解っていながら戦うのを選んだ。
いや、今も戦っている。
闇の衣が薄れず確かに俺の周りで存在感を示している。
奥歯が砕けそうになる位強く噛みしめる。
でもこれでどうしろと。
悔しさで視界がにじむ。
結局俺じゃあ何も出来ないのか?
与えられた選択肢を享受するしかないのか?
俺の思考は最早パンク寸前だ。
模索する思考が全て八方塞で堂々巡りする。
全ての条件が枷の様に俺に食い込み、肉を貪る。
勝てない、絶望、パフェを捨てる、捨てれない、戦う、勝てない、逃げる、逃げれない、家族を捨てる、捨てれない、戦う、勝てない、どうする、どうもできない。
戦う、勝てない、戦う、勝てない、戦う、勝てない、戦う、勝てない、戦う、勝てない、戦う、勝てない、戦う、勝てない、戦う、勝てない、戦う、勝てない、戦う、勝てない、戦う、勝てない、戦う、勝てない、戦う、勝てない、戦う、勝てない、戦う、勝てない、勝てない?
『―――ホントウにぃ?』
限界を超えはち切れる寸前の脳に妙な思考回路が生まれる。
ノイズじゃない。
完全にはっきりした声が心に響く。
『本当に勝てないと思ってる? 私は同じ事をもう一度教えなきゃいけないのかな?』
―――何がだ?
『またまたぁ、そこの第二神を殺す為にやり方は教えたでしょ? 忘れた振りするのやめなよ』
―――だから何がだ?
『契約』
『だってあなたは……っと時間切れかな。もうバレちゃった』
俺の意識を割る様に砕ける音が聞こえる。
そしてそこに届く女神の様な清廉さで呪う天上の声。
途端ノイズは掻き消える様に消えた。
まるで最初からなかったかのように。
何なんだこれは一体…。
「そこまでにしてくれない? 今それ以上すると私の舞台が壊れるんだけど」
俺と夢渡は同時に声がしたほうへ目線を向ける。
―――居ない。
辺りへ視線を走らせる。
ビルの上、街灯の下、脇道の影、古いアパートの二階。
どこにもいない。
しかし、見えずとも夢渡達と同じ神の存在圧を確かに感じる。
俺はこの声、この気配、何処かで訊いた事ある様な…。
ぐらりと視界が傾いて行った。
安堵か安心か疲労か恐怖か…何れにせよ俺はもう意識を保って居られなかった。
夢と現の間で彼らの声を聞く。
もう…何も…。
「そこまでって、別に俺は何も……」
「今回そこの彼はこっちに来ないみたいね。だからそれ以上は無駄」
「だけどよ…」
「それよりあなたの力が奴らに感知された方が厄介。第三神、第七神。この場に彼らが来ればどうなるか解っているでしょ?」
「…………わかった」
「じゃあ、私はその二人を届けるから後処理よろしくね」
自分の脇に誰かが降り立つ音を聞くと、優しく抱き起こされる感触を感じながら俺の意識は途絶えた。
†
カノンを抱きかかえようとして女は夢渡に視線を送る。
女の姿は黒いベールに包まれているようで酷く不明瞭だ。
「ところで………ソレ、痛くないの?」
女は夢渡の右手を見ながら嘲笑の意味を込めて口を歪める。
月明かりに口元だけがスポットライトの様に照らしだされて途轍もなく印象に残る笑み。
されど顔の全体像が解らないので本当に笑っているのか解らない。
「痛くねぇ訳ないだろ。これ、第二神の概念だぞ?」
顔を顰めながら夢渡は左手で右手の手首を握りしめる。
そこには黒い斑点模様が呪いの様にこびり付いていた。
加え、それぞれが意思を持つように微かに鳴動している。
「へー、そりゃあ大変ね。でも、あなたの概念ならどうにでも対処できたのに。――――平和ボケして鈍ってるんじゃないの?」
「俺達終焉神に平和ボケはありえねぇよ……どれだけ頑張ってもな。だいたいお前のルールだったらなんで俺が食らったか解るだろ? わざわざ聞くなよそんな事」
「ふふっ、何の事か私にはさっぱり。概念を正しく理解出来るのは本人のみ、あなたがそうだと思っている私のルールは実は違うルールかもしれない。同じ様に私が思っているあなたのルールも違うかもしれない。だから私には解らない」
「あー、もう降参だ。言えばいいんだろ、言えば。これが最善手だったんだよ。あの時カノンの銃を切り裂かなければ一発もらってたし、それを弾いてもこんど第二神の攻撃から逃げられなかった。だからこれがダメージを最少に抑える方法だったんだよ。これで満足か?」
「えぇ、とても」
その言葉を境に女はカノン達を連れて消える。
一人取り残された夢渡は黙って右手を見つめる。
が、深い彩りを見せるその瞳に右手は映っていなかった。
彼は第二神とカノンを倒して何を思っているのだろう。
友人に攻撃した事による罪悪感かそれとも致し方ないと割り切っているのだろうか。
何れにせよ、カノン達がこの英雄に一発当てた事は紛れもない事実だ。
相手を傷付ける事が出来ると言う事は即ち勝利できる可能性がある事を意味する。
空気が微かに振動する。
まるで嗤っているかのように。
逃げられやしない、逃がしはしない、必ずこの舞台を壊してやる、と。
風と共にノイズは消えていく。