その7 「パフェ2」
少し昔話、いや愚痴の様な物を喋らせてほしい。
例えば、生まれた時から自分は他の生き物と違うものだと気が付いていたとしよう。
羊の中に自分一人だけが人間としている様な、そんな情景。
ずれとも、異常とも、超越とも、自惚れともとれるそんな不思議な感覚。
あなたは持ったことが無いだろうか?
友人に訊いてみればそんな感覚は持ったことが無いらしい。
斯く言う俺もそんな感覚は持ったことが無い。
ならなぜこんな話を?
とあなたは思うかもしれない。
そう思うならば逆を考えてほしい。
自分を含め周りが羊だらけの中で、一人だけ人間がいる。
そんな感覚ならば持ったことはないだろうか?
学業の成績、全国模試の結果や、大会の順位、コンクールなどの受賞者。
自分に出来ない事をいとも簡単にやってのける人物は、世の中に山ほどいるのだから。
ちょっと齧れば解る、そいつと自分を分け隔つ決定的な天賦の差。
所謂『天才』という奴だ。
――『天才』。
凡人にとって都合のいい言葉だ。
自分に出来ないことを正当化するのに使う、至極使い勝手のいい言葉。
俺はそんな『天才』な姉の、双子の弟として生まれてきた。
別に姉貴に嫉妬したことはない。
多少の憧れはあったのかもしれないが、俺はただただ自分とは“別の生き物”だと受け止めて生きてきた。
何故ならチーターが人より速く走れるのが当然のように、姉貴がやることなすこと全て完璧だったとしても、それはそういうモノだと、認識したからだ。
姉貴の持つ天賦の才は、それほどまでに人間離れしていた。
それ故か、俺は普通の人間とは違うと両親に教えられた時も、幼いながらに理解できた。
俺と姉貴が違うように、俺と普通の人間も『違った』からだ。
俺の能力的な立ち位置は一般人とはかけ離れていたが、霊能力者としては名家の上の下、と言う位置にいた。
失望されるレベルでも無く、かと言って期待するレベルでも無い。
いかに普通の人間として逸脱していようが、同胞の中で普通の範疇では、結局は同じことなのだ。
蛙の子は蛙、鳶の子も鳶。
それなりに修業して、それなりの生活を送り、親と同じ程度の人生を送るはずだった。
――だが、三年前のあの日、普通じゃない……つまり異常の刻印を押され、俺は突如羊の中から弾き出された。
実家からはほぼ勘当に近い物を言い渡され、今こうして姉貴の庇護が無いと生きていけない有り様になったのだ。
俺は何を間違えたのだろう。
パフェの言う通り、俺は何者なのだろうか。
三年前の光景の断片が、セピア色に映し出される。
今もはっきりとは思い出せない、俺が勘当される原因となった出来事。
何処かの橋の上で、血まみれの俺が誰かと対峙してるのだ。
辺りも一面血の海で、どれが誰の血か解らないレベルで夥しく散乱している。
そしてソイツと何かを話し、それから俺は……。
俺が思い出せることは今となってもここまで。
その後の事は何も知らないし、思い出せない。
気が付いたら俺は病院のベッドの上だった。
あの時の事を誰も語ってはくれない。
俺が思い出さない限りすべては霧に包まれたままだ。
「……俺が何者、か」
俺が知りたい位だ、という言葉を飲み込む。
泣き言を言った所で何も解決はしないし、これは俺と想い出せないそいつとの問題だからだ。
俺は閉じて居た瞼を開ける。
そこには―――。
「…………………はぁ」
俺は盛大な溜息とともに、気が抜ける。
そこには人のワイシャツとジーンズを素肌にそのまま着たパフェが、体を捻りながら己の様を確かめていた。
――人がこうして真剣に悩んでいるのというのに。
俺はだんだん考えるのが馬鹿らしくなった。
どうしてこんな事になっているのかと言うと、あの質問の後、パフェは沈黙する俺に飽きたのか、突然『悪いが着物を貸してくりゃれ』と言い出し、俺の返事も聞かずに洋服棚をあさり始めた。
俺はてっきり返事を待つ間のただの時間稼ぎかと思っていた。
だがパフェは、適当に着てみては『どうじゃ、似合っておるか?』と逐一訊いてくる始末。
この所為でちょっと前までシリアスに話していた雰囲気が、何処かに飛んでしまった。
「……あんたのその表情、何処までが冗談なんだ?」
俺は思わず思ったことが声に出てしまう。
失言かと思い、苦い顔になった己の眉間を指で小突く。
しかし、パフェはそんな俺を気にも留めず、律義に返答する。
「ふふん。基本的に吾は全て本気じゃ。裏も表も無く常に自然体、それが吾のモットーじゃからの」
パフェは何処から持ち出したのか、ヘアゴムで長すぎる髪を括り、ポニーテールにしながら答えた。
――何と言うか、自由気まますぎる。
先程の質問に真剣に悩んでいた自分が馬鹿に思えてくる。
いや、実際馬鹿だったのだろう。
「で、己が何者か思いだした、或いは己の素性を喋る気になったかや? 主様」
着替えに満足したのか、パフェは再び無遠慮にベッドに腰を下ろすと踏ん反り返った。
俺の個人的な心情で少し増されてる気もするが、パフェのやたらと偉そうな態度が眼に付く。
「さあな、例えそんなものがあったとしても、あんたに話す必要ないだろ?」
俺は少し苛立って答えた。
パフェとしては、しつこく聞くのは得体の知れない相手と運命共同体になるのは避けたいだけなのかもしれない。
だが、理論ではそうだと解っていても、俺の心がこれ以上踏み込まれたくないと拒絶している。
まるでお前は化物で生きていてはいけないと言われてる気がして、居た堪れない孤独を感じるのだ。
自分でも被害妄想だとは分かっていても、俺はそれを一笑する事は出来なかった。
そんな心情の板挟みから、俺はばつが悪くなってそっぽを向く。
「むむっ、先程からどうして隠すのじゃ。そんなに吾が信用できぬか? 吾は別に主様が化物だろうと神であろうと気にはせぬ。大方主様はこの惑星の代行意思、または霊長類の守護者であろう? 吾は主様からみれば脅威でしかないのかもしれぬ、じゃが今は違う」
パフェから顔を背けていると、突然フワッと体が浮き上がる感覚がする。
「っ?!」
俺は何事かと振り返ると、俺の体にパフェの漆黒がまるで抱き抱えるかのように纏わり付いていた。
そしてそのまま引き寄せられ、ぐっと俺とパフェとの距離が再び縮まる。
「……………」
俺は目線だけパフェに向けると、熱の籠った優しい目がじっとこちらを見つめていた。
お互いの吐息が掛かり、俺はまたもやその眼から視線を外せない。
魅了の魔眼に掛かった様に、俺はその瞳をただただ呆然と見つ続ける。
「吾は主様に恋をした。主様の全てが欲しい。主様に脅威が迫ると言うのであらば、全力を以て排除することを終焉の第二神の称号にかけて約束する。――――吾にここまで言わせておいて、信用せぬとは言わんじゃろうな?」
パフェは騎士の様なセリフを吐きながら、瞳は変わらず優しいままで俺を覗き込んでいた。
その優しい瞳と言葉に、俺は困惑する。
「……………なぜ、そこまで俺の事を?」
――違う、そうじゃない。
俺はそんな大層なものじゃない。
そう否定しようとした俺の喉からは、別の音が絞り出された。
パフェから今まで感じ取れなかった、いや感じ取ろうとしなかった気迫を感じたから。
だから俺は、首をパフェから背けつつも、そう聞かずには居られなかった。
「吾は……可笑しな言い方かもしれぬが、今までで一度も“死んだことが無い”。まあ、今を生きておる主様には分からん感覚じゃろうな。『物凄く長生きしてきた』とでも捉えておいてくれ」
暫しの沈黙の後、俺から少し離れた位置にパフェは移動すると、ぽつぽつと語りだした。
「終焉神……吾は言わば戦の神の様なものじゃ。主様が数え切れぬほどの年月を生き、主様が呼吸した回数より遥かに多く殺し合いをした生粋の戦神。と、大層なことを言ったが、実際はそうでもない。振り返れば当然敗北もあり、辛酸を嘗めさせられたことも多い。決してシミ一つ無い立派な戦績、と言う訳ではなかった」
自嘲するように、或いは懐かしむように。
パフェの眼が寂しげに細められる。
俺はその様を黙ってみていた。
「そんな中、殺しあった連中と妙な友愛に目覚める事もある。時には共に戦い、時には互いに殺しあった。じゃがな、そやつらと何度殺しあおうが吾は死ぬことはなかった。何人掛かりで来ようが、その結果戦いに負けようが、吾だけは決して死ぬことだけは無かった。逆にそやつらは吾や別の終焉神に殺され消えていった」
「…………………」
俺はパフェの語る矛盾が、気になりながらも黙って話を聞き続ける。
「まあ当然じゃ、完全な不死などこの世にはおらん。神であろうと例外なく死ぬときは死ぬ。ただ……吾は周りより死ぬ条件が厳しかっただけじゃ。じゃからどれだけ仲がよくなろうとも、吾は最後には一人になった」
気が遠くなるほど戦い、気が滅入るほど殺し、そして屍の上で一人になることを悲しむ。
パフェの話を聞き、俺は思う。
――あぁ、何と愚かな願いなのだろう、と。
しかし、自分で愚かと断じておきながら俺は、その願いに何処か琴線に触れる何かを感じていた。
「主様にはまだ解らんじゃろうな、残されるという事がどれほど切ない事なのかを。くっく、自分で矛盾している事を言っておるのは解っておる。しかしな、戦の神に戦いをやめろと言うのも、同様に残酷なのを解ってほしい」
俺はパフェの言葉に頷く。
それは恐らく拳銃に殺傷以外の使い方を押し付けるようなもの。
武器はどこまで行っても武器でしかなく、使わなければ朽ちて消える。
だからそれがどれだけ矛盾をはらんでいようと、俺は何も言わなかった。
「一人は飽いた、跡形すら残っておらん友人の亡骸を見るのも飽いた。じゃから吾は探した。己を殺せる存在を、共に果てる事の出来るパートナーを」
パフェは顔を背けたままの俺に再度近づいて来る。
「…………………」
俺は複雑な心境で何もせず座っていた。
熱っぽい吐息が首筋に掛かり、パフェの顎が俺の肩に載せられる。
「そして主様を見つけた。互いに殺し殺される様なケンカが出来、人や神も関係なく対等な関係で何時でもいちゃつける、そんな恋愛が出来る相手を。だから吾は主様に恋をした。どうか吾と殺し相手になってくりゃれ?」
パフェは横から俺に抱きつきながら、熱烈で血生臭い愛の告白する。
――生まれてから今まで、ここまでの感情を贈られたことがあっただろうか。
俺は横目でパフェを見ながら、親族たちの視線を思い出す。
悪意と、化物を見るかのような恐怖を抱く視線。
それに比べ、今のパフェの視線は暖かく、心地いい。
ぬるま湯のように、いつまでも揺蕩っていたい心地よさがある。
もしこいつの言葉が嘘でも怨まない、そんな正気を疑うような考えまで俺の頭の片隅に出てきた。
――だが。
『――――――――――』
テレビの砂嵐のような光景が一瞬脳裏をよぎる。
だが、俺はこいつが思っている様な大層な存在じゃない。
こいつと対のピースに成れる様な大きな破片ではないのだ。
「悪いが……ッ」
断ろうと口を開くと、パフェの人差し指を唇にあてられ、俺の口は強制的に閉ざされる。
そして、予想外の言葉がパフェの口から出る。
「疑問形で聞いといて悪いが、答えは今出さなくてよい。どうせ“今から数週間”の間、嫌でもこの街は“地獄”に成るのじゃからの。返事はそれに生き残れてからでよい」
「……ちょっと待て、あんたが街を破壊する原因だったんだろ? そのあんたがこの街を破壊しないと言った今、誰がこの街を地獄に変えるって言うんだ」
「その訳は主様の姉弟を交えて説明する。吾らの事、主様が結んだ契約の正体、などなどを、の」
パフェは漆黒でゆっくりと俺をカーペットの上に立たせると、俺の返事も聞かず、ドアの方へ向ってすたすた歩き出す。
そしてドアから外へ出る前に一度視線を俺の下腹部辺りに向け、くすりと笑うとドアを閉めて出ていってしまった。
「?」
先に行っていると言う事なのだろうか。
俺も後に続こうとゆっくり一歩を踏み出した所で、パフェが出る前に笑った理由に漸く気付く。
――俺はまだ下着一枚のままだった。
俺は大急ぎで着替えて、パフェの後に続くのだった。