その5 「舞台袖」
遡ること少し、架音達が位置する路地裏脇の建物。
その屋上に一組の男女の姿が見える。
男の方はスラリとした長身の体格に胸まで伸びる黄褐色の長髪、猛禽類の様な鋭い眼をしてイライラしながら下を睨んでいる。
対照的に少女は薄氷色の髪に、ロップイヤーの帽子を着け冷めた表情で下を見つめていた。
彼らの眼下には架音とパフェに依る、目を覆う様な人外の殺し合いが繰り広げられている。
とはいっても第二神パフェにとっては、嬲り殺しのような粗末な殺し合いだと感じるだろうが。
しかしそれでも彼らが常人であれば、瘴気と夥しい血の臭いで昏睡するか、狂うかの二択を迫られる程の異界の様相を呈していた。
そんな状況下で別の要因でイライラ出来る男と超然と冷たい眼差しで眼下を見下ろしている少女は、間違っても“普通”の枠内に収まるものではないだろう。
事実彼らは真っ当な存在ではない。
彼らは下にいる彼女と“同胞”なのだから。
とは言え、彼らがこうしてのんびりとしている所を見ると、結果がどうなろうと手を出すつもりはない様だ。
そういう意味で彼らは現時点では人畜無害といえる。
「はっ、馬鹿らしい。こんなもん三文芝居じゃねぇか」
砂糖菓子のように屋上のコンクリートをガリガリ靴で削りながらベイグは地ではなく、天を見上げる。
下の闘いに驚くどころか、この程度見るに堪えないと断じるのだ。
この発言だけでもこの男がどういう生き方をしてきたのか、想像に難くないだろう。
その言葉を受け、相方の少女が冷静な反応を返す。
「…まあ、そうやな。あの子も人間で第一契約結べるなんて、かなりの天才やと思うけども……相手が悪いなぁ。パフェに引っ張られて契約結べたんか、己の実力やったんかは知らんけど、ほんまに勿体ないなぁ」
至極残念そうな口調で述べているが、少女は顔色一つ変えない。
そういう意味では彼女はベイグと呼ばれる男より異質だろう。
日常であろうと非日常であろうと少女は平常を保ち続ける。
それは彼女にとっては、どちらも何ら差異が無いことを意味するのだ。
戦がないと日常と思えない男と、戦も含めてすべてが日常と諦観する少女。
どちらの方が厄介な存在だろうか?
「なぁよお、フレイズヴァール。昔っから気にはなっていたんだが……。第二神の死亡条件って、何だ?」
下で起きていることに少し興味を持ったのか、ベイグは屋上の縁に腰かけると、彼女に問いかけた。
「さあ? ルミナの概念以外で恐らく死なんのちゃう? あ~、第十三神は別な、あれはうちらの例外やし。そもそも死亡条件以前にまともなダメージの条件が概念による干渉のみやから、相手に干渉できへん概念やったら詰んでるんやけどな……。――――まあ、下の子はその点は、合格みたいやけど」
そこで初めてフレイズヴァールと呼ばれた少女はにこっと微笑んだ。
恐らく道行く人々が見れば天使や精霊の様と持て囃すだろう。
そんな賛辞を送りたくなるほど、微笑んだ少女は美しかった。
ベイグは心の内で少女の名を呟く。
――第三神ミュールヒル=ドレイクラン=フレイズヴァール、と。
最も慈悲深い破壊の君主。
そう揶揄される程、彼女は戦に似つかわしくない風貌をしていた。
『三』という数字を背負っている以上、実力とそれはまた別だが。
「―――決着が付いたようだな」
二人は先程から傾けていた神経で、路地裏の結末を瞬時に理解した。
『相討ち』と。
「おいおい、こりゃあひょっとすると第二神様死んだんじゃねーか?」
心なしか楽しそうに、ベイグは下を覗き込む。
「あほか、アレがちょっとやそっとで死ぬんやったらうちがとっくに殺しとるわ」
ベイグとは対照的にミュールヒルは無表情にそう吐き捨てた。
「………ふん」
ベイグは興が醒める、とでも言いたいように鼻を鳴らす。
二人の纏う雰囲気は友人や恋人、仲間のそれとも違う。
そもそも根本的にこの二人は噛み合っていないのだ。
利害が一致するから近くにいるだけで、どちらが死のうが構うことはなく、また今すぐ殺し合いに発展した所で厭いはしない関係。
それでいて長年連れ添った腐れ縁を思わせるいう矛盾。
どこまでも歪で穴だらけではあるが、強固な信頼を築いた関係であった。
「――――うちらの獲物も来ないみたいやし、もう行くで」
そう言うとミュールヒルは、路地裏を一瞥すらせずに消える。
ベイグは舌打ちし、八つ当たり気味に屋上に足で穴をあけると、眼下をもう一度見る。
「――――次会う時が楽しみだなぁ、おぃ」
挑むような眼つきで下を睨みつけると、ミュールヒルと同じようにベイグは姿を消した。
†
場面は再び路地裏、彼らの相討ち後へ移る。
僅かに彼の右手に残った純白の輝きが、今、塗装の様にはがれおちてゆく。
最早契約はおろか、概念心具すら保つことが出来ないのだろう。
やがてゆっくりと彼の体が重力に引かれ傾いてゆき、パフェの体の上に崩れ込んでしまった。
「……………」
私はすぐ近くにいた規格外共に死角になる様な場所でそれを呆然と眺めていた。
彼は『彼女』に一矢報いるどころか、相討ったのだ。
成果としては大金星だろう。
規格外共はそれを一切評価しなかったが、私は彼の結果を評価する。
ここまでしてもまだ『彼女』は死んではいない、としてもだ。
たん、と小気味よく音を響かせ、私は彼らの傍へ着地する。
私がここまで『彼女』に接近していると言うのに『彼女』は一向に動く気配はない。
「流石に、第二神様でも昼にここまでの瀕死を耐える事は出来ない……か」
自分で口に出しながら何を馬鹿な、と思う。
彼女の消滅など今までの結末で呆れるほどに見てきたというのに。
それでも尚、未だに私は信じられないと言うのか。
これは己の認識能力が衰退している所為なのか、学習能力が欠如している所為なのか、どっちなのだろう。
「……どちらでもいいか」
音も無く右手を翳すと、その手の中に神威の神槍が現出する。
私自身が意識せずとも槍はすべる様に手の中で円を描き、目標へと振りしぼられる。
幾度となく繰り返してきた行為だ。
外すなど当然有り得ない事柄であり、放つ行為に対して是非もない。
「………………」
よって今、私の手を止めるものは別の要因であり、それが私の意識を奪うに足り得たと言う事だ。
彼と彼女を包み込むようにシャボン玉の様な漆黒の泡が湧き出る。
これは私という脅威を察知した彼女の防衛機構、といったところだろう。
「―――無駄ね」
ひゅん、と私が軽く槍を払うだけで泡は弾け飛ぶ。
それと同時に、散弾銃のように漆黒の槍がその中から次々と飛び出てきた。
私はこれを半歩体を引き、柄で軽く弾くだけでそれを回避する。
速度的にも威力的にも防御不能の一撃必殺のはずだろうが、残念ながら相性が悪い。
こういうものは“私には絶対に当らない”のだから。
私の避けた先にあった建物が漆黒の槍と接触した瞬間、まるで火をつけられた羊皮紙のように黒く染まって行き、1秒待たずに消えうせた。
そんな光景に気にも留めずに、私は再び槍を向ける。
相変わらず彼らは彫像のように動かないが、彼女が彼を中心に護るように漆黒の膜を展開していた。
それはまるで揺り籠のよう。
彼に殺されかけた彼女が彼を護ると言うのだ。
どういう心境なら至れるのだろうか。
私はゆっくりと槍を下げる。
「……それが今回のあなたの答え?」
返答が貰えるとは思ってない。
これは“私”が“私”へ送る確認。
ゆっくりと目を閉じ、息を吐き出す。
もう少し、終幕まで猶予があるようだ。
私は膝を折り、そっと彼女へ触れる。
ならば見せてもらおう。
舞台を踊る主演に相応しいかどうかを。
「――――――」
私は立ち上がり彼らに背を向ける。
そっと後ろを振り返ると、彼と同じ学園に通う少女が、駆けつけてくる結末が視えた。