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Demise ~終焉物語~  作者: メルゼ
『Notturno capriccioso』
11/72

その4 「差異会」

 ブラックアウトした視界。

 今まで居た場所も、記憶も、人も、全て全て忘れて思うことは一つ。

 ――痛い。

 俺は突然頭蓋骨を内側から木槌で叩かれている様な激痛に襲われる。

 痛い、どうしようもなく痛い。

 俺は喉から血がほとばしろうが構わないくらいの勢いで叫びたくなる。

 ――あぁ、くそっ!! 冗談じゃ無く痛い。

 なんだ?

 俺に何があった?

 内への問いかけに対して返答はない。

 つまり俺は答えを知らない。

『――――――――』

 痛みの度合いが比例して大きくなるにつれてこのノイズも大きくなってきている。

 ――逆か。

 “ノイズが大きく”なるから、“痛みが増している”のか。

 いや、そんな事はどうでもいい。

 これを止めろ。

 脳髄に直接電極をぶっ刺し、電流を流しこまれている様な、言いようのない気持ち悪さが俺の脳内を駆け巡る。

『―――――――――?』

 不意に聞こえた。

 微かだが、明らかに今までのノイズと種類の違う波長が。

 不明瞭かつ意味不明。

 同義の言葉を並べても物足りないほど理解しえない言語。

 しかし、今までと違い“言語”だと認識できる。

 ――誰だ?

 俺に―――して、――――を――――るのは?

 ―――っ? そ―――か、――や―――、――――?

 体中から汗が噴き出してきて、呼吸が乱れる。

 はっはっはっ、と俺は犬のように息を短く吸い込み吐き出す。

 吸い込み、吐き出す。

 吸い込み吐き出し、吐き出し吸い込み、吸い込み吸い込む。

『―――――? ――――――?』

「――――――」

 ノイズに汚染されたのか、自分の言語すら解読不能になってくる。

 いや、そもそも俺は何を口に出したのだ?

 足を得るために声を差し出した人魚のように、俺の口は吐息しか毀れ出ない。

 それどころか自分が立っているのか座っているのかも解らなくなる。

 ――俺は今地上にいるのか? それとも空にいるのか?

 体がぐるぐると回りだし、堪らないほどの吐き気を催す。

 ――気持ち悪い。

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いキモチワルイ。

 俺は一体何分こうしていればいい?

 十分? 二十分? それとも一時間?

 嫌だ嫌だイヤだイヤだイヤダイヤダいや?

 …………………………………………………………………………………………今何分たった?

 俺はいつからここにいる?

 まだか? まだ終わらないのか?

『―――――――――――っ!』

 ―――――。

 時間が……、解らない。

 なら、今から、数える……か?

 1……2……3……4……5……。

 …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

 145……144……145……146……。

 147……146……147……148……。

 まだ二分……?

 たった二分……?

 ナンデ……、ドウシテ……ニフン?

 120ビョウガ2フンデアリ、サッキ148ビョウマデカゾエタカラ、セイカクニハ2フント28ビョウデアリ、オレガカゾエハジメタノガ120ビョウデアリ、ソレイゼンニ148ビョウアッテ、28ビョウガケイカシtaカラ、ラ? ラララララララ? ツマリ148ビョウトイウコトハ、28ビョウオオクカゾエテイルコトデアリ、ソレハ2フンニイハンスルコウイデ?

「―――――――」

 ふと、チュー二ングが合ったかのように鮮明な光景が俺の眼に映る。

 痛みも気持ち悪さも微塵も消えない。

 それでも俺は藁にすがるように、視界の先を見るしか無かった。

 ―――ナ……ンダ?

 闇より黒い髪。

 それと対照的に輝く真珠のような真白の肌。

 物憂げな瞳で君臨する絶対者。

 そんな、この世の何と並べてもくすまない様な少女がそこにはいた。

 その瞬間、俺の中で荒れ狂っていた嵐がピタリと制止する。

 ―――オ前カ。

 現代離れした漆黒の衣を身に纏い、地平線を見る様な眼で辺りを睥睨している。

 それが今、俺の数メートル先を通り過ぎようとしていた。

『血塗れた神社、世界を包む漆黒の闇、それを貫く天の瓊矛、そして街を貫く漆黒の月牙』

 ■■が俺へそっと囁く。

 あれを野放しにすればどうなるかを。

 結末の断片を垣間見る。

 その瞬間、俺の意識が完全に覚醒する。

 俺はいつの間にかオープンテラスに戻ってきていた。

「パ…フェ…っ?!」

 俺の口から何の意味もない音が漏れる。

 ――俺はこんな奴知らない。

 コイツの事など何も知りはしない。

 コイツト●●シアッタコトナド……知りはしない。

「ん? どうしたの、カノン? カノンもこの水玉パフェが食べたくなった……って、顔色真っ青じゃない!」

 いつの間に戻ったのか、紅天が心配そうにこちらを見ていた。

 だが、俺はそれどころじゃない。

 全ての神経があいつに向けられてるかのようで、まともな思考さえおぼつかない。

「……悪、い。気持ち、悪くな……ったから、帰ら……せても、らう」

 俺は財布から適当に2枚、お札を出すと、ふらふらと通りに出る。

 一分一秒たりとも待てはしない。

 今の俺にとって全てはあいつであり、それ以外のモノなど雑音にしかなり得ないのだから。

「ちょっと、カノン。本当に大丈夫なの?!」

 そんな言葉を投げかける紅天に軽く手を振り、心なしか駆け足気味で俺は進み始める。

 頭はぐらぐらし、口からは荒い呼吸音が聞こえるのに、体は普段と変わらぬ足取りで進む。

 ――何だ?

 俺はいったい何をしようとしているんだ?

 自分で自分じゃ無い感覚を理解しながら、俺の行動は一切揺るがない。

 ぎりっと歯を食いしばり、しっかり前を見据える。

 理性と本能が激突し、体中の反応が活性し始める。

 ―――オ前カ? ソレトモオ前カ?

 粗暴に視線を巡らし、ヒトゴミの中から彼女を探す。

 どこだ? どこに行った?

 人混みが壁となって、遠くが見通せない。

 ―――邪魔ダ、消ソウカ。

 無理やり体をねじ込んでいき、人混みから出る。

 そこには路地裏に通じる横道に曲がる黒髪の少女の姿が見えた。

 ―――見ツケタ!

 ―――速ク、速ク、速ク。

 俺は最早駆け出しそうなスピードで横道を曲がる。

 ―――速ク、速ク、速ク。

 少女の背中がどんどん近付いてくる。

 ぜー、ぜー、と荒く息を吐きながら近づく俺を不審に思ったのか、少女は止まり、こちらを振り返る。

 冷たくも温かくも無い、感情の灯らない瞳。

 目に映る全てが取るに足りない、とそう体現しているかのような眼差し。

 まだ昼だと言うのに路地裏はすでに常夜と化している。

 それこそがあの時垣間見た彼女の力であり、本質。

 たとえどんな事があろうと照らされない闇夜の姫。

『――――――』

 ノイズがまるで笑うかのように震えると、ナニかを俺に流し込んだ。

 その瞬間、俺はスイッチが入ったかのように完全に人智の速度を超え駆け出していた。

 コンクリートの路地を踏み割り、少女の元へと距離を詰める。

 ―――オ前ダ。キットオ前ダ。

 ―――俺ヲ―――ルノハ。

 だが、そんな様子の俺に怯えるどころか、少女は眉を潜め、見下すように見つめる。

 それどころか、口元にうっすら苦笑を浮かべる。

 痴れ者、とでも言うように。

 ―――アリガトウ、許サン、殺ス、感謝スル。

 俺の指が少女に触れるか触れないかの刹那。

 そこで俺の指が止まった。

「かっはっ!!!!!」

 俺が視認する暇もなく、腹部には漆黒の杭が突き刺さっていた。

 杭は両手で余る程太く、それが串刺し刑のように俺を宙へと磔ている。

 ―――痛い、いたい、イタイ、遺体、板井、異体、射たい、入たい。

 視界が赤と白で点滅する。

 先程の頭痛とは毛色の違った痛み。

 例えるならミキサーに磨り潰される痛みか、壁に押しつぶされる痛み程度の違い。

 違いはあれど、結局どちらも痛すぎて耐えれないから変わりはしない。

 脳内で神経物質が放出され過ぎて意識が焼き切れそうになる。

「なんじゃ、この程度すら見えんのか。誰の差し金かは知らぬが、随分と弱い奴を差し向けたものじゃの」

 少女は興味を無くしたように、俺に背を向けると再び歩き始める。

 明かなる力の差。

 止めを刺すまでもなく、俺が死ぬ事を確信出来るほどの実力差。

 いや、例え俺が何度挑もうが、驚異に成り得ないと自惚れれる程の存在差。

 ―――オ前ガ、オ前ガッ!!

 俺は吼える様に力を振り絞り、漆黒の杭を左手で握りしめる。

 その瞬間、ぶちっと嫌な音がし、左指に激痛が走った。

「くぅッッッ!!!」

 見ると左指五本全て、第二関節から先が消えて無くなっていた。

 この“漆黒の杭”が俺の指を喰いやがったのだ。

 少しずつ体重で裂けていく腹部は、意識が飛びそうなレベルの痛みを俺に与えてくれる。

 競り上がってきた血で口の中がいっぱいになる。

「グェッ!! ――――ゴホッ、ゴホッ」

 俺は空気すらまともに吸えず、血の泡を吐き出す。

 杭に自ら触る事すら許されず、俺に許されたのはただゆっくりと臓器が圧迫されるのを待つのみ。

 死ぬ……、冗談じゃなく死ぬ。

 内臓の損傷具合は最早移植なしでは復元できないレベルまで破壊されている。

 何より脱出手段が存在しない。

 宙に浮く足を伝い、俺の足下に血だまりが出来る。

 失血多量によるショック死が先か、口内の血による窒息が先か。

 どちらにせよ長くはもつまい。

 どうしてこんな事に?

 なぜ俺は彼女を襲った?

 なぜ彼女は俺をこうも虫けらの様に殺せる?

 俺はこの程度だったのか?

 そして俺は死ぬのか?

 ―――アァ、死ヌダロウ。コンナ状態デ生キテイラレル人間ガイルトデモ?

 俺はこいつに勝てない。

 ならなぜ襲った?

 死にたかったから?

「………」

 ―――速ク、速ク。

 あぁ、さっきから同じ言葉ばかりで五月蠅い。

 今一度、俺に問う。

 俺は“本当にこの程度だった”のか、と。

 いや、もっとはっきりとした確信。

 俺は今まで“こんな所”で死んだ事などあったのか、と。

 答えなど最初から俺の中にしかない。

 なぜ襲ったのか、なぜ挑むのか、なぜ死なないのか。

 そんなの簡単だろう?

 全てを―――の―――に。

 ―――だから、早ク殺サナイト。

 中途半端に開いていたスイッチが、今重い音を立ててONになる。

 濁流をせき止めていた堤防が決壊するように情報世界へマナが流し込まれる。

 あぁ、そうだ、知っている。

 この感覚を、この興奮を。

 流れ込む情報の奔流の中、今、バチッと繋がる。

 その瞬間、今までノイズとして流れ込んでいた情報を俺は朧げながら理解する。

「概念心具第一契約『Ⅰstファースト-SIN-』」

 詠う様、宣言する様、冷たく声を出す。

 刹那、右手が純白に染まり、有機と無機の入り混じった異形の形に変わる。

 人間の腕と似通った点を残しながら、全く別の存在であるように白い装飾が纏わりついている。

 縁代わりに彩られた金字は幻想的な模様を浮かび上がらせている。

 人でありながら人でない腕。

 曰く、天使の様な腕。

 俺はそれで漆黒の杭を容易く切断する。

「ん?」

 何か違和感を感じ取ったかのように少女は此方を振り向いた。

 少女の脳裏には遠く離れ、磔られた俺を想像した事だろう。

「―――っ!?」

 少女は一瞬で眼前に迫った俺を確認すると、初めて驚いた表情をとる。

 すぐさま己を囲むように漆黒の物体を発生させるが、既に遅い。

 俺はとっくに射程圏内へと入っていた。

「―――――――ぁっ!!」

 心臓一直線へと俺の右腕が刺さり、少女が声なき悲鳴を上げる。

 俺はそのまま腕ごと少女を持ち上げ、横のビルへと叩きつける。

「ッ――!」

 壁に墨の塊をぶつけた様な、そんな紋様が壁に広がる。

 瀕死になってからの覚醒。

 怒りによって秘められた力の開放。

 バトルモノの王道ならばそうなれば圧倒するのが定石。

 ほぼ互角の敵ならば十倍、一桁力が違う敵ならば百倍以上になれば圧倒できる。

 なんにせよ桁違いの上昇を見せ、敵を打ち滅ぼす。

 そう言った意味では俺は普段の千倍以上の力を出しているだろう。

 だが――。

「…………体に死の概念が無いのか、あんた。体をえしているのに殆ど変化が見られないのだが」

 飛び散った少女の体は、未だ大半がまとわりついている俺の腕の周りを中心にスライムのように集まり、再生した。

 当然叩きつけたダメージなど皆無。

 恐らく、音速の何千倍もの速度で攻撃しようとも少女は同じように再生するに違いない。

 よって物理攻撃は無意味という訳だ。

 人間なら瀕死に近いダメージを負っているのにも拘らず、俺は何事も無く少女を見据える。

 これは体内が従来ではありえないスピードで再生を始めているお陰だ。

「くっく、お主、吾を知らずに攻撃してきたのかや? 随分と狂気なものに目をつけられてしまったものじゃのぅ」

 それでも尚、少女の優位は揺るがない。

 それはなぜか?

 俺は“千倍以上”になってはじめて、彼女とまともに戦えるステージに到達したのだ。

 しかし、互角というにはまだ程遠い。

 彼女を圧倒しようものなら、優に万倍を超え無ければ到底追いつけないほどの隔絶があるからだ。

 少女は自分の胸に腕を突っ込まれているのにも拘らず、俺めがけて右手をゆっくり伸ばす。

 それと同時に再び少女の足下から漆黒の杭が伸びる気配がする。

「――ッ!!」

 俺はすぐさま右腕を引き抜き、距離を取ろうとする。

「ちっ!」

 だが、先程と反して腕はコンクリートに入れて固められたかのように動かず、俺は指一本動かす事が出来なくなっていた。

 逆に地面であるコンクリートが圧力で煎餅のように罅割れ、足が減り込んでゆく。

「どうしたんじゃ? 吾の中がそんなに気持ちいいか? んん~?」

 少女はゆっくりと伸ばしていた右手を俺の頬に添える。

 そして愛おしそうに、くすぐったそうに、そっと撫ぜた。

 まるで恋人同士で睦言を囁いているかのように。

 その仕草に気を取られていると、湧き出た漆黒の杭が、檻のように俺と彼女を取り囲んでそびえ立つ。

「死ぬ間際の生き物との会話が楽しいか? 趣味が悪いな、あんた」

 俺は右腕が抜けないと判断すると、間髪いれずその直ぐ隣に指の無くなった左腕を捩じり込んだ。

 ――そう、これでいい。

 もとよりこうするしか勝ち目など無い。

 契約を結んでいない彼女と契約を結んでいる俺が拮抗どころか、負けているのだ。

 彼女を本気にさせた瞬間、俺の死は決定する。

 だから、ピンチこそが俺の唯一の勝機なのだ

「くっくっく、心外じゃの。折角死の間際の相手に花を持たせる為の時間を与えておるのに。――――それとも諦めて吾の腕の中で安らかに逝くか? それはそれで雄として本望じゃろ」

『どうする?』と少女は厭らしく笑いながら、俺の瞳の奥を見るように覗き込む。

 どちらを答えてもそれは終了の合図となるだろう。

「…………………ッ」

 俺は左腕の入れた事により、僅かにできた隙間から無言で右腕を引き抜く。

 その際、隙間の確保のため、左手の半分の肉が削り飛んだ。

「―――左腕は、やる。後は……どちらがしぶといか、だ」

 俺は自由になった右腕で、自分の左肘から先を斬り飛ばした。

「がぁっ!!」

 左肘に激痛が走る。

 最早飛び出るだけの血が残っていないのか、左腕から血はあまり出ない。

 代償は高くついたが、これで自由になれた。

 そんな俺を愉快な事でも思いついた、とでも言うように少女が嗤って見ていた。

「…………他人に何かを決められるのはあまり好かん。くっく、そうじゃの、吾に貢物を捧げると言うのであれば主の両足をくりゃれ? ならばそこから上を優しくいつまでも愛でてやるぞ。――――もちろん生かしたまま、の」

 少女がそう言うや否や、足元より巨大な顎が現れ、俺の太腿に鋭い牙が減り込む感触がする。

「ギィッ――――!!」

 歯を食いしばり、俺はそれを堪える。

 俺は避ける動作すらしなかった。

 避けれなかった、ではない。

 避ければ完全に俺の勝機が途絶えるから“よけなかった”のだ。

 俺の攻撃は右腕のみの徒手空拳。

 ひとたび距離を取れば、二度と彼女に接近できる機会はないだろう。

 故に次こそが俺にできる最初で最後の全力攻撃。

「ぐぅ!!」

 歯を食いしばっていても、ぐもった声が外に漏れ出す。

 体内の自己治癒が増加しているおかげで、急所をやられない限り即死はしないが、問題はそこではない。

 いくら自己治癒力が高かろうと完全に失った臓器や組織を再生することは出来ない。

 つまり俺は勝っても、最早人としてまともに生きていく事は出来ないだろうと言うことだ。

 そしてこの契約を解けばその瞬間、マナとともに命が尽きる事も。

 ――結局何も残りはしない、か。

 俺は斬り飛ばした左腕を掴み、右腕に纏わり付いていた純白の物体を左腕へと浸蝕させる。

 ―――虚しい。

 片隅に残った人としての俺の理性がぽつりと告げる。

 ――だって、そうだろ?

 この戦いで何も得る物など無い。

 コイツに勝とうが、日常へ帰ることなどできない。

 ならばなぜ戦う?

 人間のまま無理に契約まで結び、なけなしの勝機を手に入れて何がしたい?

 こんな痛くてしんどい事はもうやめにしよう。

 俺はヒーローじゃない。

 どうでもいい街の奴らの命と、今受けている苦痛からの解放、どっちを取るか考えるまでもないだろ?

 心の片隅にいる俺の目がゆっくりと閉じる。

 ――さぁ、もう諦めよう、と。

「―――生き物が死ぬには二つ方法がある。一つは己の死の概念による自滅死アポトーシス、これはその生物に設定されている死亡条件を満たす事で発現する。あんたはこっちは無いみたいだがな」

 左腕を押さえながら、現実の俺はしっかりと彼女を見据える。

 己の死の概念が無い。

 それはつまり死亡条件が一切無いと言う事。

 俺が挑んでいるのはそういう次元の化け物。

 恐らく並行世界全てを探しても、コイツにまともに勝つなどという未来は存在しないだろう。

 ――ならばなぜ闘う?

「そうじゃな、今まで一度も死んでおらぬのじゃからそういう事じゃろ」

 さも当然、とでも言うように少女は笑う。

 そう、それはこいつにとって当り前。

 こんなふざけた『幻想』がこいつにとって当り前なのだ。

 なぜ闘うだと?

 闘わなかった結末が『漆黒の月牙アレ』なのだ。

 冗談じゃない。

 あんな結末、俺はいらない。

 街の人々にもそれぞれ物語があっただろう。

 昨日と殆ど変らぬ物語、昨日より少し幸せだった物語、昨日より少し悲しかった物語。

 三流ドラマにもならない、取るに足らない出来事だったかもしれない。

 そうさ、きっと俺にとってもどうでもいいことだろう。

 だが、こいつら『幻想』はそれらを全て薙ぎ払い、数多の記憶に残らずめでたしめでたしとでも言うように消えていく。

 憎しみも怒りも喜びも悲しみも無く、一切の感情抜きで姉貴も天羽も紅天も先輩も赤城も如月も全て、そんなお伽噺のように殺さるのだ。

 そんな理不尽と今の苦痛を天秤にかけるれば、どちらをとるか決まっている。

 あぁ、そうだ、最初から決まっている。

 俺は理不尽、嫌いなんだよ。

 だから……。

「そしてもう一つは―――」

 だから、そんな結末みらい、俺は……拒否するっ!!

 奥へ奥へ、真白に染まった左腕を少女の体の中に押し込む。

「ほぉ? もう一つとは初耳じゃの」

「なら、今からあんたに身をもって体験させてやる。――――もう一つ、それは死と対である概念、生の概念を無くす事だ」

 ぶちっと嫌な音がし、ぐらりと体が崩れ、俺は地面に落下する。

 どうやら太腿から下が完全に噛み切られたようだ。

 体中が痛くて痛くて、どうしようもないほど痛いが、そのお陰か、切断された痛みはあまり感じなかった。

 そして、俺は間に合った。

 俺の全力の一撃は、もう入った。

「? 何をわけのわからん事を…………。うぐぅ、な、なんじゃ?」

 少女はちょうど左手が飲み込まれた辺りを押さえ、突然苦しみ始める。

 俺が彼女に勝つ方法など始めから一つしかない。

 何度繰り返そうがこれしか彼女を殺す手段がない事を魂が知っているのだ。

「くくっ、そうか………。吾の■■を奪ったのか。確かにこの方法なら流石の吾も死ぬのぅ」

 膝を尽き、俯けになりながらも、少女はケタケタ笑う。

 だが、本当は苦しいのだろう。

 体は、笑って起こる震動とは別にガタガタ震えている。

「ここは、敵役らしく。……激昂、するとこ、だろ?」

 俺は残った右腕でずるずると体を引きずる。

 先程貫かれた腹部の皮膚がどんどん裂けていくが、気にしてはいられない。

 ――まだやれる、まだいける。

 己を叱咤激励しながら、俺は少しずつ進んでいく。

「激昂じゃと? くくっくっくっく、こんなに油断してやられた吾がか? そこまで吾の肝は小さくありはせん」

 ごろんと、体を反転させ、少女は仰向けになる。

「くっく、昼の空のくせに綺麗じゃのぉ」

 少女は目を細め、そう言いながらぼぅと空を見つめた。

 威風のあるその様に、俺は一瞬見惚れる。

 その姿は苦しんでいる今であっても先刻と遜色なく美しかった。

「そうじゃ、お主の名は?」

 ふと思い出したように少女は俺に目線を向ける。

 とてもつい先ほどまで殺しあってきた様な口調ではなく、旧来の友人に接する様に問いかけてきた。

「カノン。――――あんたは?」

「パフェじゃ。本当はもうちっと長い名前なのじゃが、思いつくのが遅かったようじゃ、勘弁してくれの」

 最早指一本動かせないのか、パフェと名乗った少女は身動きせず俺を見つめる。

 そこにやっとの思いで辿り着いた俺は、乱暴にパフェの首を掴んだ。

 肘から先が無い左手で上体を起こしつつ、俺は息が触れそうなほど近くにパフェを引き寄せる。

「――最後に何かあるか?」

「初めてじゃから、優しくしてくれの?」

 俯き加減で、はにかみながらパフェはそういってのけた。

 こんな状況で、だ。

 パフェは俺の反応を見るやいなや、さも愉快そうに笑った。

 どうやらこの手の冗談が好きらしい。

 ――俺もそんなに嫌いではない、かな。

 俺はそんなパフェ呆れつつも、苦笑いを浮かべた。

 そして――。

「無理だな。そんな甲斐性、生憎俺は持ってないんだ」

 俺は真っ直ぐパフェの顔面に右腕を突き刺した。


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