ヨギボーのCM
初めてそのCMを見たのは、2022年——まだ高校生の時だった。広大な牧場で座り込む1頭の栗毛の馬。その横には、雄大な自然とはどこか不釣り合いな青いヨギボー。
ヨギボー歴:1日
職業:元競走馬
名前:アドマイヤジャパン
たったそれだけテロップがついていて、ナレーションも何もない。カメラを回しているだけの状態だ。
画面の中の馬は、ゆったりと座ってたてがみを風にたなびかせていた。
すると突然、その馬はヨギボーに体を預け、地面に寝転がったのだ。まるで人間が寄りかかるように、完璧にヨギボーを使いこなしてリラックスしていた。
そして気持ち良さそうに唸る。露天風呂に入った人が「あぁーーっ」などと言うが、まさにあれと同じ音が馬の口から出てきた。
完全にリラックスし、ヨギボーと一体になる。かと思えば数分後にぱちりと目を覚まし、「いかんいかん」とでも言いたげに体を起こした。人間のような仕草に、つい笑ってしまったのを覚えている。
それから2年経ち、あたしは大学生になった。
大学生の良いところは、自分のために時間を沢山使えることだ。休みだって長いし、興味のある授業を選べる。アルバイトも解禁され、あたしの世界は一気に広がった。
入学してからすぐに、カフェでバイトを始めた。お金を貯めて、夏休みにホームステイをするためだ。パパとママは「勉強のためのお金は親が出す」って言ってたけど、自分で出したお金じゃないと何だかサボってしまいそうだったから断った。
他の日本人学生と行くプランもあったけど、結局日本語で話してしまいそうだ。せっかく語学留学をするのに、それじゃ意味が薄い。ということで、シングルプランを選んだ。
こうしてあたしは、2024年の8月中旬、オーストラリアのシドニーに旅立った。ホストファミリーは子供のいない家庭で、しばらくは1人で過ごすことになりそうだ。
まあ、実家は両親と三つ子の弟がいる賑やかな6人家族だし、たまには1人の時間もいいだろう。現地では毎日博物館や動物園に足を運び、語学学校では何人か友人もできた。まさに順風満帆だった。
そうしていたらある日、ホストファザーが「面白いところに連れていく」と言い出した。……今思えば、この時から何かが狂い始めていたのかもしれない。
ホストファザーのピーターは、ご機嫌そうにハンドルを握りながら後部座席のあたしにこう言った。
「ノゾミ。君さ、ヤスナリ・イワタって知ってる?日本のジョッキーなんだけど」
ヤスナリ・イワタ——岩田康誠。
(???)
(誰 of 誰)
「いや、君がうちに来るって聞いたとき、すごい嬉しくなっちゃってさ。あのヤスナリ・イワタの国の人間がシドニーにくるぞー!!なんて、盛り上がっちゃってね」
最悪だ。まさかホームステイ先の父親が競馬好きだったなんて。あたしのオーストラリア留学は何もかもうまくいったと思っていたのに、とんでもない家に来てしまった。
大体ギャンブラーの家がなぜホストファミリーの審査を通ったのだろうか。いい加減すぎるだろ、と心の中で毒づいた。
聞けばオーストラリアでは競馬が盛んで、G1の開催日が州の休日になることもあるらしい。競馬の発祥の地はイギリスだし、植民地だったオーストラリアもその影響で馬産が盛んなのだろうか。
「ヤスナリ・イワタは最高のジョッキーだよ」
ピーターはそう言うと、車を停めた。
「ここがロイヤルランドウィック競馬場だ。シドニーから5キロくらい、日本で言うなら府中競馬場みたいなものさ」
あたしのパパは、若い頃府中に住んでいたらしい。ちょうと競馬人気が爆発していた1990年代で、G1の開催日には府中がごった返していたとか。
「今日はウィンクスステークス——G1の日だ。確か、日本の馬が1頭出てるはずなんだけど。元々JRA所属で、オーストラリアに移籍したらしい」
ピーターの言葉が気になったのでスマホで調べてみた。「オーストラリア 競馬 日本馬」と検索すると、すぐにページが出てくる。
「……カカドゥロック」
「お、そうそう。その馬だよ。カカドゥって、オーストラリアの国立公園の名前さ。何だか縁を感じるよね」
「へぇ……」
結局その馬は3着に終わり、レースを勝ったのは地元の馬だった。そんなわけで、あたしの初めての競馬場デビューは何とオーストラリアで終えた。
帰国の日、「ヤスナリ・イワタ」がどうしても気になってスマホを手に取った。オーストラリア人の間では、あの武豊より有名だという。一体どんな人物なのだろう。
画面に出てきたのは、赤と黒、黄色の攻撃的な色をした勝負服の小柄な男。馬の背に乗って、指で「3」のポーズをしている。馬のゼッケンには——
「……ジェンティ……ルドンナ?」
2012年の三冠牝馬、ジェンティルドンナ。その後牡馬混合G1を4勝し、顕彰馬にも輝いた名牝中の名牝だ。岩田康誠は、彼女の主戦騎手だったらしい。
ちょっぴり競馬に詳しくなったあたしだけど、別に特に興味を持つでもなく、画面を閉じて家路についた。
家に着いたら、久しぶりにお気に入りのヨギボーでリラックスしたい。いつもはうるさい弟たちの声も、1ヶ月も聞かないとさすがに寂しくなってくる。
……ところが、あたしの願いは叶わなかった。
なぜか。家に着いてリビングに入ったら、でっかい馬があたしのヨギボーに寝そべっていたからだ。
「……え?は?」
「あ、姉ちゃん。おかえりー」
スマブラでむらびとを操作しながら、三つ子の末っ子・律がナチュラルに声をかける。
「何……?これ」
「アトリエだよ」
「アトリエ……?」
「クロノアトリエ。新しい家族」
「…………」
(いやいやいやいや)
こうして、あたしの日常は少しずつ変な方向に行き始めた。
カカドゥロック(Kakadu Rock)
2019年生 牡6 芦毛
父: キンシャサノキセキ
母:カカポ
母父:Rock Roc
生産牧場:鷲尾ファーム(むかわ町)
馬主:白鳥飛雄
勝負服:白、黄一本輪、灰袖
戦績:21戦6勝(6-3-4-8)




