22. 今この瞬間だけは
合宿後の練習も無事滞りなく進み、ついに本番の日になった。
幕の降りたホールにセッティングが完了して着席しており、あとは演奏するだけという段階である。
ホールは超満員。
修了式での演奏がSNSで好評だったことを受け、完全指定席で学外一般向けにも抽選での招待を行ったが、とんでもない倍率になっていたようである。
また、文化祭のオープニング映像はヨウツーべでリアルタイム配信されている。
カメラもテレビ収録で見るような本格的な物が数台配置されており、さながらアーティストのライブのようである。
一曲目、Immense hopeに参加するトランペットパートメンバーは由梨奈、まちる、向日だ。
緞帳は閉じているが、客席がざわざわしている様子はステージによく聞こえてくる。
メンバーは例外なく緊張感を持って開幕の瞬間を待っている。
いや、2人の例外を除いて。
「まちる、すごい真剣だけど何見てるの?」
向日の目線の先には今まで見たこと無いくらいの真剣な目つきでスマホを凝視しているまちるの姿があった。
「本気で集中するための本番前のルーティーンですね。今日はインド人の散髪ASMR動画を観ています。」
「インド人の散髪ASMR、、、、?」
まちるとの付き合いもかなり長い向日ですら、日々理解に苦しんでいる様子だ。
「はい。最終的にはみんな同じ髪型にされてしまうんですよね。わけわからんくらい顔面に霧吹きで水をかけられるのですが、なぜか散髪する側もされる側も終始めちゃくちゃ笑顔なんですよ。あの笑顔がなんとも安心するというか。」
「なるほど。」(わかんねぇ〜)
向日がこの霊長目ヒト科ヒト属まちるという分類の生物のことを理解できる日が来るのだろうか。
「すごいね。私、このホールが満員になってるの初めてだよ。楽しみだね。」
(さすがユーリ先輩、落ち着いてて安心するな〜。、、、いや、なんか手震えてるし顔もピクピクしてるけど大丈夫か、、、?)
「ユーリ先輩、緊張してるんですか?」
「いや、本番自体は全然緊張してないんだけど、その、、、このあと、、、、」
やけに頬を赤らめてモジモジしている。
今までの由梨奈からは想像もつかないような気持ち悪さだ。
「?」
「、、、梨江と文化祭デートするんだぁ」
「あ、なるほど〜」
普段クールな姿しか見せない由梨奈がぐへっと顔を崩して気色の悪いニヤけ方をしており、急すぎる落差で風邪を引きそうである。
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とある夏休みの夜のこと
合宿で何やら良さげな関係性になった様子だった大宮と由梨奈だったが、その後進展が、、、、、、全くなかった!!!!
本当に驚くほど何もなかった。
由梨奈としてはあのフラれてすぐのハグが、後々冷静になって考えた時に超絶恥ずかしくなってしまったのである。
齢18にして今更新しい黒歴史を刻み込んでしまったことは、由梨奈の心に深いダメージを与えた。
黒歴史というものは思い出す回数が多くなればなるほど、記憶に深く刻み込まれる。
由梨奈は忘れよう忘れようと努力する度にドツボにハマってしまい、大宮を好きすぎるが故の自身の気持ち悪い行動とクサい台詞によって究極の自己嫌悪状態に陥っていた。
「抱きしめていいって何だよ抱きしめていいって!!!!!!」
10年間愛用してきた猫の顔がプリントされた抱き枕に顔を埋めて叫んだり、往復ビンタをしながら口汚く自分自身を罵っていた。
ーー大宮はというと、、、、、結構ノリノリであった。
今は同性愛がそこまで珍しくなくなってきているというのは知識としては理解していたが、まさか自分が当事者になるとは思ってもいなかった。
大宮の場合、初めは戸惑っていたものの、由梨奈のことを心に想えば想うほど意識してしまい、徐々に由梨奈に対する恋心が形成されていったのだ。
「なんとなく本能的に男の人の力強さに頼りたいって思ってたけど、ユーリ先輩のハグめちゃくちゃ良かったなぁ。」
演奏面でも行動面でも陰でひかるを支えている姿や、しっかり周りを見て気配りができているところなど、恋愛経験がほとんどない大宮の浅い恋愛観には、その由梨奈の姿やあのハグはドストライクだったようだ。
ーーユーリ先輩、よかったら一緒に文化祭まわりませんか?
文章からでさえ照れくさそうな大宮が想像できるlineeに、由梨奈は言葉にならない奇声を発しながら、お気に入りの抱き枕を平手打ちしていた。
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(なんでこの人たちだけこんなに緊張感ないのー!)
そんな向日の嘆きも虚しく、開演直前のブザーがホールに響き渡る。
完全に客席は暗転し、歓声が巻き起こる。
その瞬間、だらしない顔をしていた由梨奈は大きく息を吸い、真剣な面持ちで前を見つめ、楽器を構える。
(さすがです先輩。)
緞帳が上がり始めたのと同時に、イヤモニから合図のクリック音が聞こえてくる。
Immense hopeは金管楽器を主体としたファンファーレから始まる。
非常に華々しい。
だが極めて荘厳で重厚。
幕が上がり始めたばかりなのにも関わらず、その一音目で見えない客席の目が真剣になるのを、奏者全員が感じた。
幕が上がりきったタイミングでファンファーレが終わり、Aメロに入り、芦屋川が歌い始める。
修了式とのギャップに驚いている者もかなり多い。
通常ポップスアーティストがクラシカルな曲を歌うとどうしても声の薄さが目立ってしまうが、芦屋川にはそれがない。
極めてクラシカルな発声方法なのにも関わらず、ポップスの明瞭なアタックや音価を兼ね備えており、観客の魂はその衝撃によってかき回される。
サビでまずこの曲一度目の盛り上がりを見せる。
細かく流れるような旋律を奏でるストリングス、輝かしいファンファーレを鳴らすトランペット、それらを引き立てるバッキングギターとベース、全てを支える重厚なサウンドを生み出す中低音楽器たち。
全ての楽器が役割を持ってボーカルを、楽曲を引き立て合っている。
サビも終わり、Dメロに入る。
今まで演奏してきたテーマとは一味違う、推進力のあるフレーズで、観客の心をしっかり掴んで離さない。
落ちサビではかなり音量を落とすが、それでも薄くはならない。
ボーカルの心情に呼応するように、遠くからピッコロトランペットの明るいファンファーレがうっすらと聞こえてくる。
そして大サビ。芦屋川のボルテージも最高潮に達し、バンドもそれについていく。
大サビではコーラス音源も追加され、この楽曲一番の華々しさと重厚感を誇る。
そしてその勢いを保ったまま、最後まで突っ走る。
一瞬であった。
曲が終わっても、なかなか拍手が起こらない。
ホールに残った余韻が完全に消えてしばらくしてから、パラパラと拍手が聞こえ始め、次第にホールを轟かすほど割れんばかりの拍手と歓声で埋め尽くされた。
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「すっご、、、、」
舞台下手袖に控えているメンバーたちもその完成度には驚嘆しており、感動に涙を浮かべている者も少なくない。
だが、感動に浸る間も無く、二曲目のセッティングに入らなければならない。
メンバーの入れ替えも素早く完了し、ツインドラムの2人が顔を合わせ、スティックを振り上げる。
Boosting inspiration。
この楽曲は、修了式での御影修一の即興ドラムソロに倣って、御影と軽音部長の夙川なぎさによるツインドラムソロバトルから始まる。
一曲目のパフォーマンスで熱気に包まれた会場は、前回のドラムソロを凌駕する演出にボルテージが上昇する。
夙川も御影と同じように修了式でドラムを演奏していたが、御影の即興ドラムソロに全てを持っていかれてしまっていた。
御影の影に埋もれた存在と思われるかもしれないが、彼女の実力は御影とどっこいどっこいだ。
否、ソロバトルをしているこの瞬間にも彼女は今までにないくらいインスピレーションを刺激されている。
そしてそれに呼応するように御影のソロもボルテージがどんどん上がっている。
会場も2人の超絶技巧に盛り上がっており、ライブハウスやフェスのような叫び声が聞こえてきている。
ソロが終わり、会場が歓声に包まれる。
袖に控えていた芦屋川がステージ中央まで出てくるが、会場が盛り上がりすぎて全く歓声が鳴り止む気配がない。
しばらくして、マイクに芦屋川が大きく息を吸い込む音が入った。
Boosting inspiration。
その冒頭は芦屋川の独唱で始まる。
ホール内にその声が響き渡った瞬間、ホール内の気温が、湿度が、空気が変わった。
一曲目のクラシカルな深さのある歌声とは打って変わり、ポップスのギラギラした張りの歌声で、会場を想定外の渦に巻き込んだ。
あれだけ騒がしかったホールが今や呼吸音を立てることすら憚られるような静寂に包まれている。
本当に同じ歌手か!?と耳を疑うほど別人のように聞こえる。
独唱ラストのロングトーンの途中でドラムのカウントが入り、リードギター2本によるロックなリフが挿入される。
一曲目と比べると人数は半分くらいに減るが、その分ひかるを始めとした各パートの精鋭が集結している。
単純に「鳴り」のクオリティが違いすぎる。
(よかった。ひかる先輩調子良さそうだ。)
合宿まではハイトーンに苦しんでいたひかるが嘘のように、正確に、そして豪快にハイトーンをバンバン当てている。
和也や大宮にとって、この高校生離れしすぎたレベルの先輩の隣で演奏できるのは貴重すぎる。
そしてその経験を幸せに思っている。
(だめだだめだ。余計なこと考えずに自分のソロに集中するんだ。大宮とは厳重に打ち合わせしたから、突飛なことはしないはず。あとは練習通りに吹くだけだ。)
だが、余計なことを考えないようにすればするほど、様々な関係ないことが頭に浮かんできてしまうのである。
(よし、もうすぐソロバトルだから前に行こう。、、、そういえば配信もしてるってことは結構な人数が俺たちのソロバトルを観るってことだよな。確か修了式の動画が最終的には200万再生だったってことは数万人はこの配信を観ているってことだよな。、、、数万人ってもうアリーナとかドームレベルじゃないか!!!!え、どうしよう、そんな人がリアルタイムで観てるなら尚更失敗できないぞ、、、)
考えれば考えるほどドツボにハマっていく。
ゆっくり考える暇もなく、すぐに和也と大宮はステージの中央前方に到着してしまった。
ほんの数メートル前に出ただけなのにも関わらず、客席との距離がかなり近く感じ、後方では見えなかった観客の顔がしっかり見える。すると途端に緊張してくる。
そこで和也は恐ろしいことに気付いてしまった。
(、、、、やばい!ソロの楽譜飛んだ!!!!!!!)
そう、緊張して頭が真っ白になった時に起こりうる現象。
芸人がセリフを飛ばしてしまうように、記憶からソロの楽譜が飛んでしまった。
(どうしよう、もし大宮が先に吹いてくれていたらすぐに思い出せるけど、前回と違って今回は俺が先に吹き始めるからどうしようもない、、、)
和也は、万が一の大宮が急に暴走して自分が混乱するのを防ぐため、自分が先にソロを吹くようにして安心できるようにしていたのだ。
だがしかし、今回はそれが裏目に出てしまった。
(どうするどうするどうするどうする、、、、、!あぁ、もう始まる。こうなったら一かバチかでやるしかない!)
コードの音を一音吹き、その音を基準として思いついたスケールをその場その場で繋ぎ合わせる。
まさか絶対やるはずがないと思っていた和也の即興アドリブに、大宮が驚き和也の方をじっと見る。
(ごめん大宮、、、、!)
謝罪の意味も込めて目を細めながら大宮の方をちらっと見ると、その瞬間に目が合った大宮の口角が上がった。
(やってくれたな、和也!)
和也が意図的にソロを変更したと思った大宮は、和也に対抗するように自分もその場その場で即興のアドリブソロを披露する。
大宮のソロは、それはもう「トランペット初めてまだ半年です」と言われてもにわかには信じ難いほどの実力だ。 ありえないスピードで急成長している。
今この瞬間も。
ソロバトルのさなか、和也は頭をフル回転してソロを考えている、、、というわけではなく、反対にほとんど頭の中は空っぽで、ほとんど今までの経験と勘に頼って演奏していた。
他のことを考える余裕さえあった。
(あれ、、、意外とこの完全即興でのソロも悪くないな、、、)
無事にソロバトルも終わり、2人は大きな拍手と歓声をもらった。
(あとはラスト、決めの一音だ。)
最後の最後にはトランペット3人で和音の打ち込みがあるのだが、今まで一度も成功したことがない。
それもそのはず、そもそもひかるが吹く音がありえないくらい高い上に、最後のその瞬間までにほとんど体力を使い果たしてしまっている。
ひかるの音がとても高いということは、下のパートを吹く和也と大宮の音もかなり高い上に、ひかると同じように2人ともギリギリの体力だ。
(でも、やるしかない!)
この時、3人は全く同じことを考えていた。ビビって外すくらいなら思いっきり外してやる!と。
そして最後の一音。
「やっば、、、」
ひかるは思わず声が漏れてしまった。
そう、成功したのだ。
アタックや音価も完璧、ピッチもビタで合っていた上に、嵐山コーチが見せてくれたような「空間の鳴り」も再現できた。
この成功はまぐれかもしれない。
だがこれまでの練習の積み重ねがなければ絶対に成し得ない、美しく気高いハーモニーだった。
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無事に本番も終わり、歓声鳴り止まぬ中、和也たちは下手袖に掃けた。
和也が大宮と並んで歩いていると、後ろからひかるが2人に抱きついてきた。
「うわっ」
「わっ」
「ふたりとも〜〜〜〜!めちゃくちゃよかったよ〜〜〜〜〜〜!!!!」
号泣している。
いつも明るく振る舞っているひかるが号泣しているのが意外で、和也と大宮は驚きが隠せない。
「あのソロ練習の時と違うフレーズ吹いてたけどなに!?!?めちゃくちゃかっこよかった〜〜〜〜!!!!!」
「あー、あれは俺が直前でソロのフレーズ飛んじゃって、、、」
「ほんとに、まさかボクにあれだけ釘刺してた和也本人がぶっつけ本番で違うフレーズ吹くとは思わなかったよ!出し抜かれたと思ってちょっと焦ったな〜」
「その節は本当に申し訳ない、、、、」
「でも2人ともすごいキラキラしてた!練習の何百倍もかっこよかった!!」
「ならよかったです。最後の決めもよかったですよね!」
「「すごかった!!!!」」
大宮とひかるの声が重なった。
「あれなに!?!?別々の3本って感じじゃなくて、ハーモニー!って感じした!」
「ボクもそう思います!前に嵐山コーチがまなと先輩と吹いた時みたいな音しましたよね!?」
「うんうん!空間がバリバリいってた!」
思いがけないアクシデント。
そのアクシデントが起こるのは本番ならではだったが、そのアクシデントの先に成長がある。
「とにかく、今日の本番めちゃくちゃ楽しかったですね!」
「「うん!」」
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音楽室に戻ると、一曲目のメンバーが揃っており、嵐山コーチが指揮台に立っていたが、顔を下に向けていた。
全員が座ったところで、コーチは大きく息を吸い込んで顔を上げた。
「お前ら、、、、、、成長したなぁ〜〜っ!!」
その顔は涙でメイクがボロボロに崩れており、目も腫れていてひどい有様だった。
「誇らしい!本当に誇らしい!本当に初めはどうなることかと思っていたが、まさかこの半年だけでこんなに成長するとは思ってもいなかった!二曲とも、吹奏楽という形態の発展の可能性を十分すぎるくらい世間に示すことができたと思うぞ!そしてなんといってもMVPは、、、、トランペットだな!土壇場であのアドリブソロを生み出すのは並大抵の努力ではできない。普段から自分たちで考えて練習を工夫していないと成し得ない芸当だ。そして最後の3人でのハーモニー、あれはなんというか、、、、すごかったな!!!!」
嵐山コーチも語彙力が失われてしまうほどの完成度だった。
それは自分たちだけが気が付く些細な変化ではなく、その場で一緒に演奏していた全員が感じてしまうクオリティで、観客も内なる衝動を抑えずにはいられないほど、素晴らしかった。
「みんなここまでよく頑張ってくれた。吹奏楽部も、軽音楽部も、演出を担当してくれた演劇部も。何かピースが欠けてしまっていては今日の演奏は成し得なかった。作編曲、演奏、演出、全てのフェーズで『なんかいいかも』を積み重ねたからこその今日がある。私、エンタメってその積み重ねで成り立っていると思うんだ。どんな些細な変化でも積み重なれば大きな変化となる。そしてその積み重ねの過程で大きく化けるやつもいた。音楽って、飽くなき探究だな!だからこそ楽しい!」
麗暸高校吹奏楽部は4月に吹奏楽コンクールに出ないことが一方的に知らされた。
初めは戸惑う者も多く、一部からは反発もあった。
今となっても、その決断に納得していない者も少なくはない。
ただ、今この瞬間だけは、この場にいる全員が「音楽っていいな」という気持ちを共有していた。




