21. 合宿⑤ 〜もしハイトーンの悪魔が存在したら誰も勝てないだろうな〜
2日目、どちらのグループも初日である程度楽曲は形になっており、今日は芦屋川の歌ありでそれぞれ細部を詰めていくという段階だ。
楽曲は2曲用意されており、1曲目はポップスとはいえど、かなりクラシカルな楽曲に仕上がっている。
ホルンからユーフォニアム、チューバを始めとした中低音がサウンドの核を成す構成で、劇伴のような重厚さを保ちながらも推進力を兼ね備えた、オープニングに相応しい曲となっている。
トランペットからは由梨奈、向日、まちるの3人が選出されている。
曲名は「Immense hope」
2曲目はいわゆる「THE・ポップス」のような楽曲だ。
修了式で1年生グループが演奏した楽曲をリファレンスとして、フルのホーンセクションにクラリネットやオーボエ、フルート等の木管楽器も編成に組み込まれている。
トランペットからはひかるがリード、サイドに和也と大宮が選ばれており、修了式と同じように和也と大宮のソロバトルも用意されている。
曲名は「Boosting inspiration」
どちらの楽曲でもストリングスの同期音源が流れる予定で、初日は作曲者の芦屋川とアレンジャーの嵐山コーチは練習には加わらずにアレンジ作業を詰めており、生徒主体で合奏練習が進められていた。
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「よし、みんな集まってるな!ストリングスアレンジが完成したから、今日は同期音源と機材も込みで演奏してもらおうと思う。芦屋川にも歌で入ってもらうから、かなり本番をイメージした練習になると思うぞ。じゃあImmense hopeから指導始めるから準備してくれ!」
そう指示があり、一曲目のグループは全体練習用のリハーサル室に移動し、二曲目のグループは練習室で初日と同じように合奏練習を始めた。
「ねぇ和也、今回も修了式みたいにぶっつけ本番のアドリブバトルにしない?」
前回のアドリブバトルが好評だったことに味をしめた大宮がニヤニヤしながら話しかけてくる。
「勘弁してくれ、、、絶対やるなよ?」
和也としてもあのアドリブが全く楽しくなかったと言えば嘘になるが、それでも本番でのあの焦りはもう懲り懲りだ。
「はっは〜流石にね〜。今回考えてくれた譜面もかっこいいし!」
(どうしてだろう、こいつだと本当にやりかねないという不安が拭いきれないんだが。)
もし大宮が本番で暴れたとしても自分は平静を保って演奏するために、和也はソロの順番を修了式とは逆にして、自分が先に演奏し始めるようにしていた。
「あぁ〜〜〜〜〜!全然上当たんな〜〜〜〜〜〜い!」
隣からひかるの悲痛な叫び声が聞こえてくる。
椅子に座ったまま上体を反らして天井を仰いでいる。
今までの吹奏楽では見たことがないような音域に苦しめられているようだ。
「絶対ここのアレンジしたのコーチでしょ〜!あたしこんなの吹けないってー!」
子供のように駄々をこねているひかるを軽音や木管の人間は温かい目で見守っているが、和也たち金管奏者はハイトーンの苦しみを痛いほど理解しているため、同情の目を向ける。
(ここまで金管奏者から恐れられているハイトーン。もしハイトーンの悪魔が存在したら誰も勝てないだろうな。)
基本的にトランペットは楽譜の五線を上にはみ出せばはみ出すほど、音を当てるのが困難になる。
大体吹奏楽譜で指示されるのはハイC(高いド)がマックスだが、今回演奏するBoosting inspirationの最高音はハイF(高いファ)だ。
吹奏楽では滅多に見かけない音域で、そもそもその音を出せたことすらないトランペット吹きも沢山いる。
フレーズの中で演奏するのは困難を極める上に、今回のリードトランペットは基本的に五線をはみ出ていることから、体力的にもかなりしんどいのである。
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「二曲目のレッスン始まるので、皆さん移動してくださーい」
1時間半ほどの合奏が終了し、生徒指揮の号令でゾロゾロと移動し始めた。
部屋に入るなり、メジャーデビューしているアーティストのリハーサル動画さながらの機材の揃い具合に流石に気圧される。
「うわ機材すっご」
「イヤモニって全然聞こえないんだね〜」
普段部活でレコーディング機材に触れているとはいえ、修了式で演奏したメンバー以外にとっては見慣れない機材も多く、新鮮な気持ちなようだ。
「絶対コーチにつっこまれるじゃーん、、、。」
ひかるは生徒合奏でも全くハイトーンが全く当たらず、今からの合奏が憂鬱なようだ。
無理やりハイトーンを出そうとすればするほどに体力を奪われて、ドツボにハマっていくのである。
ここで気の利くモテ男は、「ひかる先輩なら絶対大丈夫ですって!」と声をかけるのだろうが、和也はここでその程度の励まし声をかけたところで何も変わらないどころか、逆にプレッシャーになってしまうことを理解していたので、ただ見守るしかなかった。
「ひかる先輩なら大丈夫ですって!!」
さすが気を遣えない大宮だ。
あの夏祭りは何だったのか。
女の勘と気配りは別なのだろうか。
「うーん、がんばるー。胃がいたいよぉ。」
既に一曲目のグループが練習していたので、セッティングを変える必要も無くスムーズに練習が始まった。
「よし、じゃあ一回通してみよっか!」
コーチの号令がかかり、楽曲が一度通される。
初日の練習である程度整えていたため、基本的にバンドも和也と大宮のソロバトルも大きな事故なく通ったが、無難な演奏をしているという状況だった。
そして一番問題なのはリードを演奏するひかるだ。
「だめだハイトーン全然当たんない、、、」
大宮の声援虚しく、練習通りどころか、体力が削られていることと緊張も相まって、調子は最悪な様子だ。
そもそも通常音域が高すぎる上にかなり難易度の高いパッセージも組み込まれており、流石のひかると言えどもかなり苦戦しており、もうどうにもならないといった様子である。
バンドの中でも1番の花形であるリードトランペットが鳴っていないと、何を表現したいのかあやふやな曲に仕上がってしまう。
1人の演奏次第では楽曲の雰囲気をガラッと変えてしまうほどに、責任がとても大きい役職なのだ。
「うーん、ひかるのポテンシャルならいけるかと思ったんだけどなー。まぁこれは私でも結構しんどいから仕方ないっちゃ仕方ないんだけどね、、、」
そう言ってすぐ、コーチはふと顎に手を当てて下を向き、何かを考えるそぶりを見せた。
「もしかして、、、、。ひかる、今マウスピース何使ってる?」
気にしたこともないといった様子で、ひかるはマウスピースの刻印をまじまじと見つめる。
「えっと、楽器買った時についてきたやつで、7C?って書いてあります。」
「それだぁ!!!!」
突然の大声に数人の体が跳ねる。
コーチにはひかるの不調の原因が分かったようである。
「はっはっは!そんな深いマウスピースでこの音域吹けって言われたら私でも無理だよ!私の貸してあげるからこれで吹いてみな!」
コーチは自身の楽器ケースから一本のマウスピースを取り出し、ひかるに渡した。
「じゃあもう一回通そう!これはすごいことになるぞ、、、!」
もう既に結果が見えている様子のコーチは、感情を抑えきれないようで、息をつく暇もなく指揮棒を振り上げる。
もう一度曲を通すことになり、頭から演奏が始まったが、今まで当たらなかったひかるのハイトーンが当たるわ当たるわ。
1回目の通しでは外しまくりだった影響で全く映えなかった演奏も、2回目では輝きが増して楽曲本来の煌びやかさを取り戻したようである。
一番驚いているのはひかる本人で、今まで苦しみながら出していた蚊の音のようなハイトーンが、楽に突き抜けるように吹けるようになって驚いている様子だった。
普段からレコーディング練習をしていただけあって、ハイトーンが出るようになったひかるの音は嵐山コーチのような「スタジオプレイヤー」の音そのものにしか聞こえなくなった。
「な?」
思い通りの結果になった嵐山コーチがドヤ顔でこっちを見てくる。
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色々と例外はあるが、トランペットのマウスピースはカップが浅い方がハイトーンが演奏しやすくなることに加え、アタックが明瞭になり、音色も明るくなる傾向にある。
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驚いているのはひかる本人だけでなく、吹部メンバーも軽音メンバーも例外なくその音の変化を感じ取っていた。
「すごいですねこれ、、、」
今まで隠されていた潜在能力が解放されたひかるは、震える自分の手を見ながら自分の才能を正しく理解して受け入れようとしている。
「逆に今までよくそのセッティングで演奏できてたね。正直に言おう。今のひかるは実力だけで言えばプロの演奏家として問題なく仕事をしてご飯を食べていけるレベルだ。私が自信を持って太鼓判を押しておこう。どうみんな?これだけのクオリティで演奏できる人がメンバーにいたらやる気出るでしょ?」
コーチの言葉は一切のお世辞抜きで、その場にいたメンバー全員も音楽の毛色が大きく変化したのを実感していた。
セクションで1人が正しく飛び抜けることで、他のメンバーも(もっといける、もっといける)と、ひかるの成長に合わせるように演奏のクオリティを上げていった。
通常、ひかるの演奏クオリティに普通の高校生が合わせるのは不可能なほど実力差があるが、この数ヶ月間毎日のように積み重ねたレコーディング練習の影響で部の基礎力はかなり底上げをされており、ひかるに合わせて合奏中でさえ成長できるほどの実力を持ち合わせていた。
(なんか遠い存在になっちゃったな、、、)
和也としてみるともちろんひかるがどんどん上達していくのは心強いが、同時に自分との距離がどんどん離されているような気がして、心細くもあった。
その後は色々と細部の調整をした上で生まれた欠点を補うためにそれぞれのグループでのメンバーの入れ替えや、編成の再編が行われた。
パソコンで打ち込んだ機械音源と実際の生演奏ではかなり勝手が異なるようである。
特に大きな変更が行われたのはドラムだ。一曲目は軽音部長の夙川なぎさが、二曲目は修了式で和也たちと演奏をした一年生の御影修一が担当をしていたが、二曲目は修一と夙川なぎさのツインドラムになることが決定した。
また、リードギターも2本編成され、芦屋川は二曲とも歌唱のみに集中する形になった。
調整が行われたのちに双方の完成系を披露し合った。
お互いにいい刺激を受けあったが、やはり急成長したひかるが織りなす世界は一曲目のメンバーには特に異質だったようで、ドラムやギターを足して詰め込める限りを尽くしたBoosting inspirationはその名の通り、全体にとんでもない印象を植え付けた。
こうして一泊二日の合同合宿は個々も全体も大きな実りを得て幕を閉じた。
合宿編・完!




