19、発明の第二歩
“ずっと前に4年間働いてきたのに、
実際なんて病気は病気と暮らせとか・・・”
“俺達は技術進歩で余生を楽しめると聞いた。
でも実際は・・・親と子、金などないよ”
“働けない者も月収200 Rinで喜んでいると報道される。
実際は事業主への支援対策さ”
“私は前職に戻れると信じて公共就労施設へ送られた。
再起の支度金無くなっちゃったわ”
“全部事業主のお約束事なんだ。
何が最新で、どこにやる気があるんだ?ねぇよ”
“治して迷惑かけずに仕事しろ、って・・・
いつの時代だよ・・・不都合が完治宣言?”
“あ、投票は大統領周辺なのか・・・
じゃあ国民は奴らの依り代か、いい次代王国になったな”
“裕福と笑いか。それにこの分厚い『支援制度事項』って。
・・・356項?・・・遥か昔の阿歴かよ”
“僕は投票したよ。でも只の傘増しだろうが。
事務員と共に整理しろよな”
◆
【テレビ】
「・・・これ等の情報が拡散、殺到しておりますなぁ~アハハ・・・」
「では、コメント席に移り換えましょうか。波田さ~~ん?」
――――
≪殺到拡散・・・古い手法だ。皆、怒りでなく楽しんでいる・・・ッ。≫
≪はい、波田です。しかし肥後さん、早速、熱が入りました!医療も賛否両論!運営側に頼んで国民ユーザー削除の提言をしましょうッ!では、田野さん!?≫
≪世論は30%。これ等はアンチマーケティング。刑事告発しても我々は守られているよ。電話での世論調査はもう、時代遅れってこと!≫
≪では、現に議員はそこへ座る人形、理由を付け加えては金の問題。つまらん思想は過去へ戻すと?あ、え~~っと、碑児利さん??≫
≪国民主体は変わらんが、何もしないのは国民自体ですから、こんな国民勢は消せばいい・・・法が守るだろうからね・・・ぇ、≫
≪・・・と、いう訳でありまして、議会調査員の民谷さんへ変わります!≫
――――
「はい、民谷です。議会は常に暗黙の了解。国土調整相担当の木谷議員は、次回国会の提案を10分で終了させました?・・・あ、マネージャーの待田さんは議会資料を7分でね・・・では、中継を挟みまして・・・」
【編集部】
“カタカタカタカタ、ピイイ―ン、シュシュッシュ”
「既に送信しています。代理局長から返信来ています。そう―、あとは任せますね――」
年老いて年金暮らしや支援手帳を配布された所で“持病がある”から他の治療と併用したくない。万が一当院で痙攣なんか起こしたら他の患者の対応も遅れ経営不振となるだろう。
医療提携と謳われても紹介状などあっても“責任はお前が持てよ”と通院拒否をされるケースが多発した。それはもう過去である。
だが、それも今や―――、
【報道質問】
え!たったの・・・1万2Rinで大丈夫・・・なのですか!?
ええ、もう国の支援など外国側からすれば美味しいモノです。
もはや、制度にも映らない報酬など無くなったのですね。
ではなぜ今更、異歴の技術が阿歴を飛ばして200年前の那歴の技術に戻されるのか。
それは医療技術の過程ではなく、個人診療の方が“診療報酬”を高く設定されてしまうからである。それも専門医検定に合格した者だけではなく、一般診療医師でも国から得られる技術料、持病指導料、支援制度、法学的な紹介状が行え、生命学などは総合病院のほうが詳しく国の補償制度があるためで“技術費用”も更に高く設定されている。
そして紹介される患者数に応じて治療を断るケースも多発すると更に“高額医療費ボーナス”として設定されてしまう背景があったからだ。
――――
【ジパン・ネット広報】
≪そう。300年も多くの被検体を、30億4,005万体の解剖、研究、実験が功を成したです。喜びましょう、今あなたの身の回りにある悩みは新技術によって解決するのです!≫
こうして発明の第一歩が謳われると開発メーカー同士の競売が加速され、更なる便利とリスクが伴わないよう安全な技術として集約されるのである。
◇
「――という、生活と人間関係が伴ってだな、噂は広まったという訳さ、道彦先生よ?」
「へぇ~流石孝弘“教授”は違うし特殊なんだな~もう一度、一からやり直せよぉ~グビ」
科学、医療、報酬と法則が重なる。時代がネットワークを介して呼び込む。それは宇宙の起源たる網を張り巡らせているのと変わらない。そうして線が引かれ、やがて交差をする度に通信を行う。そして、再び仕切り直す。そこは生命の起源とよく似ていて、数々のテーマが引かれていた。お互いを律さなければならない時も在ったのだ。
「支援の方はどうだ?科学が進歩したとしても、支援が無ければ助成金さえ得られない。どうしたものか・・・」
「下手な技を使わない事だ。そうする事で理解者が現れる。例え振付けが異なるとしても、ネットワークならタグを付ければいいし、外してもその理解を得られる時がやってくる可能性だってある。律するなら支援が下りるんだよ」
願うなら、あの預言書の詩集のように理解者が得られないなら、皆に見せてみろと言っているようなものだし、己を律してみるのも一つの工程だと感じられる。
「グビ、まぁまぁってところだ」
「ゴク、ゴク、ぷはァ―――いいねぇ、道彦ォ」
例え、アンチマーケティングが在ろうとも、それは調律なる科学として捉えられる時代がやってくるだろう・・・と。




