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王の理想郷(55 74 6F 70 69 61)

※挿絵は生成AI画像です。

※イメージ画像です。


 2075年、技術の進歩で、人間の記憶や意識を、デジタル化してコンピューターに移植できるようになった。

 これで、実質的には半永久的に生きられるようになる。


 もっとも、移植後の管理もふくめて、それができるのは富裕層のみだった。


 ──────


「先生、いよいよだね。よろしく頼むよ」


 彼は、シワだらけの顔を上げ、歯の隙間から空気の漏れる声で、若い医者に言った。


 彼は老いていた。

 もうすぐ寿命を迎えるというときに、かねてから用意してあった、電子頭脳への意識と記憶の移植を行い、その中で生きることにした。

 

 もうずいぶん前から、体中が痛い。頭から腰、足まで、悪くないところはほとんどない。

 息を吸うだけで苦痛なのだ。ほとんど一日中、ベッドの上だ。


 彼は、若い頃はがむしゃらに働き、幸運もあったのか、財産を築くことが出来た。市場ではちょっと名の知れた人物だ。


 しかし、仕事にかまけて、人生を楽しんだかといえば、そうとも言いきれなかった。

 今、老境に入り、もう少し()()あったのではないかと思うのだった。

 


 ここは、郊外の丘の上にある、金にかせて作った、彼専用の医院だ。病室には、彼と専属の医者と看護師がいる。



挿絵(By みてみん)


 

 彼が横を向くと、医者をはさんで向こうのベッドに、これから移る予定の機械のボディが横たわっている。


 形だけは人間を模したものだが、のっぺりして、無機質なデザインだった。


「ええ、現在、この技術はもう確立してますから、安心してください。それに、うちは最新技術をすぐに導入するんです。即座に、自動でコンピューターをアップデートしてますから」


「そうだったね。ところで、先生。人間の記憶って、どれくらいの容量なのかね?」


 いささか緊張しているのか、彼は、いつになく口数が多かった。


「うーん、人によってけっこう違うけど、10テラバイトくらいですかね」


「けっこうあるんだね。ちなみに、移植先の電子頭脳の記憶容量は?」


「え……と、たしか100ギガバイトでしたかね」


「え!? だいぶ少なくないか? それで入るのかね?」


「あ、それは大丈夫。データを圧縮しますんで」


「あ、圧縮?」


「大昔からある技術ですよ。データを圧縮して、少ない容量でも収まるようにするのは」


「圧縮って、どうやるのかね?」


「まあ、いろんな方法がありますが、ようするに、データのうちの不要な部分や、ノイズ、くり返しの冗長な部分をカットするんですよ」


「ノイズ……カット……。記憶って、ある意味、人生そのものでは? 先生」


「そうですね」


「カットって。冗長って。わしの人生、冗長だったのかな?」


「まあまあ。人間の記憶は、もともとデータとしてはスッカスカなんですよ。さまざまな思い出も、コンピューターのように鮮明な映像としては思いだせないでしょう? その空いた部分を、ギュッとすると考えてください。大丈夫ですよ」


 そこはかとない不安がわき上がってきたが、今さらやめても仕方がない。腹を決めるしかないのだ。


「じゃあ、始めますよ? いいですか」


「……お願いする」


 医者が、彼の装着しているヘッドギアにコネクターを挿し込み、機械のスイッチを押すと、彼の意識はブラックアウトした。


 直後、彼は意識を取り戻した。


「ど、どうなったのかね? 先生」


「あ、上手くいったみたいですね。今、ボディを起動したところです」


 彼は、自分の両手を見た。無機質な人工の手に替わっている。全身機械になっていたのだ。さっき見た機械の体だ。


 頭の横からは、ケーブルが伸びて、医者のそばの機械につながっている。


「とりあえずは、その体でいてください。またあとから、気に入った体に換えればいいので」


 彼は背伸びしてみた。さっきまでの痛みが嘘のようになくなっている。呼吸も苦しくない。いや、そもそも呼吸していない? 


 まるで若いころに戻ったようだ。いや、それ以上だ。


 横を見ると、さっきまで『彼』だった老人の肉体ボディが横たわっている。いや、もはや死体ボディというべきか。


「どうです、気分は?」


「まさに、生まれ変わったようだ。こんなに、違和感がないものなんだね。夢から覚めた時よりも、はっきりと自分を認識している」


「はは、これで青春を取り戻しましょう。ところで、電子頭脳の処理速度を変えてみますか?」


「そんなことが出来るのかね?」


「はい、もともと、電子頭脳のほうが、人間の脳よりも、処理速度がずっと速いんですよ。まあ、論より証拠。2倍にしてみましょう」


 そう言って、医者は機械のパネルのスイッチを押した。


「ど~う~で~す?」


「先生の話すスピードが、半分になりましたな」


「そ~う~で~しょ~う」


「じゃあ、わしの話す速度が2倍になってるのかな。じゃ、ゆっくり喋らないと。も~と~に~、も~ど~し~て~く~だ~さ~い」


 ──────


「わかりました。いったん戻します」


 医者は、別のボタンを押した。


「あ」


「どうしました? 先生」


 看護師が、顔を近づけて、横から覗き込んだ。


「間違えて、違うボタン押しちゃった。え……と、元に戻すのは……あ、これか。うん、これでよしと」


 ──────


「……」


「……」


「……どうしたんだね? 先生、元に戻してくださいよ」


 医者も看護師も動かない。静止していた。


「か、体が動かない? いや、動くことは動くが、すごく、遅いぞ?」


 彼は、必死に体を動かしながら、考えていた。


「もしかして、さっきの2倍より、もっと速くなってるのか? よく見ると、彼らはまばたきをしているぞ」


 ゆっくりと動き、ようやく体の向きを変えた。


「こ、こうなったら、自分でスイッチを……くっ」


 …………


「うん、これでよしと」


 医者の言葉が聞こえて、彼の体が急に軽くなった。


「先生、今のは何だったのかね?」


「何がですか?」若い医者は、のんびりと答えた。



「今、あなたたちと、わし自身の体も、すごくゆっくりになっていたが」


「ちょっとボタン間違えまして」


「気をつけてくれよ」


「ああ、すみません。ところで、どうします? ネットワークに接続してみますか」


「そんなことも出来るのかね」


「もちろんです。電子頭脳もネットワークも、コンピューターで動いているわけですから、意識はネット内でも存在できます。快適らしいですよ。いかがです?」


「じゃあ、試しにやってみるか」


「……それじゃあ、ちょっと失礼」


 医者は、彼の機械の頭に、もうひとつのコネクターを挿し込んだ。


 挿したとたん、彼に、視覚化されたネットワークの世界が映った。

 無数の電子化された光が飛び交う世界。電子の情報が、川のように流れる世界だった。

 

 その景色を拡大して見てみる。限界まで拡大すると、それは0と1の集合体だった。



挿絵(By みてみん)



「どうです?」


「おお、ネットの世界が見える。でも、先生たちの姿が見えなくなったが?」


「そうでしょう? ここで、さっきの処理速度2倍のスイッチを押します。するとどうですか?」


「おお、先生たちも病室も、ちゃんと見える。ネットの世界と同時に両方とも。不思議なもんだ。それに、先生の言葉も間延びしない」


「処理速度が2倍になって、現実世界とネット内の世界の両方を、同時に認識できるんですよ。接続中は、2倍以上にしておいたほうがいいですよ」


「ネット内でも、高速化できるのかね」


「もちろんです」


「じゃあ、ちょっとやってみてくれるかね」


 医者がパネルのボタンを押し、彼の意識を高速化した。

 だが、彼自身の感覚は変わらない。彼から見て、現実の時間が遅くなっているということだ。


「これで5倍のスピードです。ただ、体のコントロールに『1倍ぶん』使うので、実質4倍のスピードでネット内を動けるということです」


 そして、ネットの閲覧、映画、動画の視聴ができるということだ。むろん、彼は富裕層ゆえ、有料サービスは片っ端から契約していた。


 

 電脳化後のネットサーフィンは、生身の時よりも、格段に快適だった。情報に、考えるだけで瞬時にアクセスできるのだ。


 映画も視覚的に見えるし、音声も聞こえる。情報が頭の中を駆け巡っていく感覚だった。


 

「先生」


「いかがです?」


「いや~最高ですな、先生。正直、ちょっと不安だったが、これから文字どおり第二の人生、充実しそうだね」


「それはよかった。ではまた回診に来ます。ここのスイッチを押せば、意識のスピードはコントロールできますから。では」



 そう言って医者は病室を出て行った。

 看護師が、彼の元のボディを載せたストレッチャーを押しながら部屋から出て行くのを見送ると、彼は機械の手をこすり合わせた。


「さ~て、見たい映画や動画、論文が山ほどある。あ、あと見たい小説投稿サイトもあったんだ」


 ふたたび意識を加速し、『1倍ぶん』だけ機械の体のコントロールに残しておき、ネット内に飛び込んだ。

 

 彼の現実での体は、いうなら『家』だ。彼が理解しやすいよう、ネット内ではそう視覚化されていた。玄関を開け、外に飛び出す。


 加速した意識で、動画や、小説を楽しむ。一息つきたい時には、国立公園を散策することもできる。

 とうてい立ち入ることのできないような秘境にも行くことが出来る。


 だが、現実ではさほど時間は経ってないはずだ。しかし、見たい動画はまだまだある。それどころか、1秒ごとにどんどん増えているのだ。

 高速化してもまにあいそうにない。


 彼は、現実世界のコントロールパネルを見てみた。意識の速度を変えるスイッチが並んでいる。


「もう少し加速するか」

 

 機械の体を動かし、スイッチを押す。

 10倍のスイッチを押した。

 見れば、端には『10万倍』と書かれたスイッチがある。


「10万……これが最大? まあ、これは要らないか」



 ふたたび情報の海に飛び込み、漂っていると、ふと、とある動画で、聞きなれない言葉が目についた。


「クラッカー?」


 聞きなれないが、そこはそれ、すぐに調べればいいのだ。


「なになに、俗にいう『ハッカー』で、悪意をもってコンピューターに侵入し、コントロールする。ああ、聞いたことがあるな。侵入してシステムをロックし、解除のための身代金を要求する。もしくは、個人情報を盗み出す。ふ~ん」


 そのときは、そう思っただけだった。また、ネットの海に戻り、しばらく泳いでいた。

 ふと、異変を感じた。 

 

 彼の『家』の方向に向かう『男』が見えた。まっすぐ向かっている。


 この男は、何を視覚化したものなのだろう? なぜか違和感を覚えた。妙な胸騒ぎがする。彼は、『男』の後をつけて、自分の『家』に引き返した。


 その男は、彼の家の玄関まで来て、ドアの前に立った。

 人目を気にするような素振りはない。ドアのノブをつかむと、ガチャガチャと回す。だが開かない。すると、ポケットから何かをとり出し、鍵穴に差し込み、いじくりまわす。


 それでも開かないとみると、どこからかバールを取りだしドアの隙間にねじ込み、こじ開けようとした。


「あの男、私の『家』でいったい何をしているんだ?」

 

 しばらく成り行きを眺めていた彼は、はっとした。男は家に押し込もうとしている。これは現実でいうなら泥棒だ。侵入して何か盗もうとしているのか。

 これは、まさにクラッカーではないか?


「なんというやつだ。けしからん。しかし、どうしたものか。私にヤツを止められるかな?」


 彼はしばし考えると、妙案が浮かんだ。


「おい、お前さん。何をしている?」


 声をかけると、男がふり返った。悪びれる様子はない。いきなり、手に持ったバールを振り回した。

 彼は、難なくそれをかわした。二度、三度、男のバールは空を切った。彼は、現実世界の体を使って、意識の速度を上げておいたのだ。


 男は逃げた。終始表情も変えず、振り向きもしない。人間的な表情がなかった。


「逃げたか。しかし、あの男はいったい?」


 人間ではないのか? クラッカーなのか? 彼は考えた。家に入って、IDやパスワードを盗み、口座にアクセスして現金を引き出す気なのだろうか

 とんでもないやつだ。


 予感がする。たぶん、あの男はまた来る。それまでに対策しないと。


 彼は待った。彼の時間で数日。その間に、情報を集めていた。クラッキングに関する情報を。

 加速すれば、やつが来るより早く技術を習得できる。


◆◆◆


 数日後、男がまたやってきた。今度は、最初から手にバールを持っている。


「待て」


 彼は、玄関の前で男を呼び止めた。


 またしてもバールで襲い掛かってくると思いきや、男は得物を離した。バールは地面に落ち、かん高い音を立てた。

 男は懐に手を入れると拳銃を抜き、なんのためらいもなく撃ってきた。


 男が拳銃を撃つ直前に、彼は、現実世界の体を使って、意識を加速した。『MAX』のボタンを押し、10万倍に加速した。


 銃弾がのろのろと飛ぶのが、はっきりと見えた。彼は、ちょっと体をひねって弾丸をかわすと、男に近づき、地面に落ちたバールを拾った。

 

 ……男は、凍り付いたように動かなくなっていた。手にしたバールで、力いっぱい男を殴ると、男は、0と1の無数の粒子になって蒸発し、消えた。



挿絵(By みてみん)



「ふう」


 彼はため息をついた。『防犯装置』を強化しておけば済むことだったのだが、あの男は自分の手で決着をつけたかったのだ。


「さて、次だな」


 男は消えたが、ヤツを送りつけた者がいる。そいつに然るべき報いを与えなければ、気がすまない。


 男の『足跡』が、はっきりと地面に残っている。彼は、それをたどった。クラッキングにはクラッキングだ。

 その知識はすでに習得ずみだ。


「それにしても、あの男。ほんとうに金だけが目あてだったのだろうか?」


 彼は思いだした。電脳化に反対する者たちがいて、活動しているという噂を。


 ────


 彼は、『犯人』の家についた。話し合いをする気はない。犯人がどんな人間なのか、もはや興味もない。手にはRPG-7をたずさえている。視覚化された、システム破壊ウイルスだ。


 狙いを定め、弾頭を発射すると、家は木っ端微塵に吹き飛び、瓦礫のみが残った。


 これで、犯人のPCは、フリーズか強制シャットダウンで再起動できないか、とにかく使い物にならないだろう。


「これでよし」


 彼は、満足して帰路についた。不届き者を成敗したのだ。高揚感すらあった。

 このような気持ちは、かつて忘れていたことだ。


 途中、ふと知人の『家』を見つけた。今の彼なら、知人たちの家に片っ端から侵入して、中を覗き、痕跡を残さずに立ち去ることもできる。

 

 それをするもしないも、彼の胸三寸だ。ちょっとした全能感すら覚えた。


 …………


 ……ふと我に返った。外の世界では、どれくらい時間が経過しているのだろうか?

 

 それに、現実世界のボディの視界が消えていることに、今さらながら気づいた。

 

 もしや、10万倍にした時に、ボディを操作する分の意識もネットワーク内に回されたのか?


 よく考えると、彼の押したボタンは『10万倍』ではなく、『MAX』だった。10万倍すべてがネット内の意識に回されたのだろうか?

 

 つまり、『10万倍』のボタンを押していれば、9万9999倍に加速し、『1倍ぶん』は体の制御に使うはずだ。


「……まあいい。次の回診のときに、通常のスピードに戻してくれるだろう」


 いちおう、そこらで時計を見て時間を確認した。ところが、ほとんど時間が経過していない。クラッカーを撃退した時から、数秒しか経過してないのだ。


「そうか、あの時10万倍に加速したから、何日かここで過ごしたが、リアルでは数秒しか経っていないのか」


「となると、次の回診までの時間は…………10万倍だと、1時間が、およそ11年……!?」


「ということは、次の回診は24時間後だから、264年かかるのか? それに、彼らがすぐに気づいて元に戻してくれるとも限らない。何百年も過ごすことになるの……かも……?」


 なんということだ。だが、こちらからはどうにもならない。今までの人生よりも長い時間、ここで過ごすことになるのだろうか?


 そう思いながらも、再び徘徊を始めた。ここでは、眠ることもない。だから時間はさらに増えることになる。

 まあ、何百年かかろうが消費しきれないほどのコンテンツはあるが。


 徘徊しながら、ふと、ニュースが目についた。


『……大手メーカー「トウゲン」により新技術が開発されました。これによって、コンピューターの処理速度は10万倍になるようです』


「10万倍? このニュースは……数日前のものだ。では、その技術はいつ適用されるんだ?」


 彼の周りで異変が起こった。それまで、活発に動いていた電子のデータの、動きが止まったのだ。


 彼の視界から、動きがなくなった。音も聞こえない。まるで世界中が絶対零度に凍結したようだ。


「ま、まさか。今?」


 彼は、ふと医者の言葉を思い出した。


『最新技術をすぐに導入するんです。即座に自動でコンピューターをアップデートしてます』


 彼は考えた。10万倍の10万倍は……100億? では、1時間が11年でなく110万年になるのか?


「しかし、確かなのか? 何か確認する方法は……」


 考える時間はいやというほどある。彼は検索を続けた。何か方法は……。


「そうか、()()を探してみよう」


 彼は電子の世界を高速で飛び、それを探す。


「これか」


 彼の見つけたものは、『原子時計』だった。セシウム原子の振動を利用し、普通の時計の何億倍もの精度がある。

 これなら、時間が動いているか止まっているか、分かるかもしれない。


「ここだ。ここでアクセスできるぞ」


 時間の経過を確認すると、かろうじて動いているのがわかった。どうやら時間経過のスピードは、100億分の1になっているようだ。


「やはりか。し、しかし、だからといって、一体どうすればいいんだ!?」


 次の回診まで、何百万年、いや何千万年だろうか。そのあいだ、どう過ごせばいいんだ。確かに、すでにコンテンツはあふれるほどある。

 

 しかし、それらはいったい、何万年もつというのだろう。すべて更新されずに静止状態なのだから。


 彼は、じっとしていられなくなった。しゃにむに、ネット内を走った。いくら速く走っても、息が切れることもない。


 ──────


 何日たっただろう。現実世界では、0.1秒もたってないはずだ。さまよい続け、彼は奇妙な場所を見つけた。こんなところは見たことがない。


 巨大な城壁に囲まれた都市だ。入り口に立派な門がある。荘厳な柱には、緻密な彫刻が施されている。扉の左側には【55 74 6F 70 69 61】と刻まれている。



挿絵(By みてみん)



「ここは、何なんだ? それに、この数字は一体?」


 右側を見ると、【4B 69 6E 67 73】とある。扉を軽く押すと、重厚そうな見た目に反して簡単に開いた。


 中を覗くと、立派な建物が並んだ大通りが、まっすぐ続いている。


 それらの建物は、ギリシャ神殿、ローマ建築、ゴシック様式と様々だ。

 大理石や黄金を使って豪奢だったが、必ずしも統一感があるものではなかった。


 ようは、豪華で派手好きな者たちが、めいめい勝手に作ったといった感じだった。

 彼には、いささか悪趣味にも思えた。 


 大通りに入ってすぐ、何人かの人間がいた。しかも、彼にも認識できるスピードで動いている。彼は、思わず手近な男に駆け寄った。


「ここは、どういう場所なんですか!?」


「あ……ああ、あ……」


「何をしているんですか?」


「う……うん」


 これでは話にならない。男は、ヘラヘラ笑いながら、手元にある積み木のような物を、積んだり崩したり、延々と繰り返していた。


 彼は、違う人物に話しかけてみた。こちらは女だが、同じことだった。彼女は、地面に0と1の組み合わせを書き続けている。


 他にも何人かに声をかけたが、結果は同じだった。

 この都、造りは立派で、まるで王族が住むようなところともいえたが、その豪華さはまるで無意味だった。


「ここは……いったい何なんだ?」


 すっかり打ちひしがれて、トボトボとあてもなく通りを歩いていた。


「これはこれは、お客さんですね!」


 突然、声をかけられてふり向くと、ギリシャ様式の柱の上にピエロが座っていた。


「ええ、まあ。あなたは?」


「私は、ここを管理するAIですよ! 見たところ、最近いらしたようですね」

 

 ピエロは、ジャンプして空中で一回転し、彼の前に着地した。


「そうだが……。ここは、いったいどういう場所なんだね?」彼が尋ねた。


「ここは、今までに電脳化した人たちが集まっている都ですよ。つまり、『王たちの理想郷ユートピア』です!」


 ピエロは、お手玉をしながら答えた。



挿絵(By みてみん)



理想郷ユートピア? ……そうは見えないが?」


「ま、それは見解の相違というやつです。人によって価値観は違います。多様性ってやつですよ」


「そんなことより、いったいどうして、彼らはこんなことになったんだ?」

 

「ま、つまり」ピエロが宙返りをした。


「彼らは、永遠とも思える時間を過ごしているうちに、考えるのをやめてしまったんです。外からの刺激に、ほとんど反応しません。その結果が……ご覧の通りです」


「私も、いずれ彼らのようになるのか?」


「さあ。それはあなた次第です。が、これまでの例からすると、そうなるかもしれませんね」


 ピエロの姿をしたAIは、淡々と答えると、お手玉を空中へと順に放り投げ、落ちてくる玉を次々と口でキャッチし、飲みこんだ。


「私は、ああはならないぞ」


「はい、それはあなたのご自由です」

 いつの間にか、お手玉は手に持っている。


 彼は、都市を飛び出し、また、あてのない放浪たびに出た。


 最初に電脳化した時は、この世のコンテンツすべてを消費してやると息巻いていた。

 だが、今、その先にあるのは、何百万年もの無為だけだ。

 

 街から離れ、だんだん建物がまばらになって、やがて荒野になる。気づけば、いつしか彼は砂漠にいた。


 周りは360度なにもない。

 ただ、遥か彼方に都市らしきものが、蜃気楼のようにかすかに見えるだけだ。

 これが、今の彼が見るイメージだった。



挿絵(By みてみん)



 何日も、何か月も、何年も、無意味に砂漠をさまよった。しかし、現実世界では、ほとんど時間は経過していないはずだ。



 彼は、ふり向いて、再びあの都に向かった。『王たちの理想郷ユートピア』へ。


 …………


「おかえりなさい」


 AIピエロは、一輪車に乗って円を描きながら、最後に会った時とまったく変わらない調子で言った。


「どのくらい?」彼は、力なく尋ねた。


「現実世界では、まだ1秒も経ってませんよ」一輪車に乗ったまま、お手玉をする。

 

 やはりそうか。だんだん彼は、考える気がなくなってきた。

 いっそ、気が狂ってしまえばいいと思ったが、狂えなかった。


 彼にできるのは、考えるのをやめることだけだ。

 だが、その前に、ふと思った。いつか、何万、何千万年後には、元に戻れるのだろうかと……。





◆◆◆



「先生……そろそろ回診の時間ですよ。病室に行かないと」


 看護師は、医者の方を振り向いて言った。


「ん……ああ、な~に、少しくらい遅れてもいいだろう。どうせ、ここには彼以外に患者はいないんだ」


医者は、看護師の肩に手を置いて言った。


「そうですね。モニターにも異常なしですわ」


「だろう。彼は存分に楽しんでいるさ。僕らも、『今』を楽しもうじゃないか」


 医者は、看護師の耳元でささやきながら、肩に置いた手を下にすべらせ、腰から下へと体のラインに沿って這わせた。



挿絵(By みてみん)

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