3 仕様のないヤツだ
大丈夫、大丈夫だよ、お前に危険はないよ。
ここは危険な場所じゃない、危険なやつはどこにも居ない、大丈夫だ、大丈夫だよ。
抱き上げた俺に爪を立てて──しがみついて──俺以外全員へ威嚇するコイツの背中をゆっくり撫でながら。
静かに、ゆっくりと、穏やかに。
声に出して、言葉にして伝え続けた。
様子を見ながら『特製おやつ』を口元へ運んだりした。
このためにも同行してもらった、先輩たちの手を借りて。
言葉で伝えて、ゆっくり撫でて、時々食べてくれる『特製おやつ』を口元へ運び続けて。
そうやっているうちに、コイツは落ち着きを取り戻してくれた。
三十分かかった。
前は一時間以上かかったから、その時よりは短い、が。
短くなったからといって、良かったなんて思わない。
三十分も苦しませてしまった。
ごめんな。
断続的な停電も通信障害も一時的なものだったから、すぐ元通りになってくれた。
コイツを診てもらうこともできた。
外で起きていた荒天も、晴天へ戻っていた。
コイツを診てもらいながら、急に色々起きたけど大丈夫でしたかと、尋ねてみて。
院内設備も、入院してたりする動物たちにも。
来院してた動物も人も、病院の人たちにも。
異常や怪我は無かったらしいと分かり、安心した。
同行してくれた先輩たちも、不調や怪我など無かったから、それも安心した。
そういったことがありながら、そして『初めて診る猫』の診察は多少難航したようだったけど、分かる範囲では健康という診察結果だった。
当初の目的をどうにか達成できて、それも健康だという診断結果だったので、俺は胸を撫で下ろした。
同行してくれた先輩たちも、同じように──俺より『先輩』なんだから、きっと俺より──安堵してくれてた。
体毛も眼の色も地色であることが判明し、どうしてこの大きさなのか不明だが成猫であることは確実で、性別は推測通りにメスだと診断されたのが、この時。
一歳は超えているようだが二歳かは微妙なところだと言われたのも、この時。
なんの猫かは獣医さんたちにも分からなかったけど、健康ならそれでいい。
獣医さんたちにお礼を言って、お詫びも言って、お金を払って。
アパートまで送ってくれた先輩たちにもお礼とお詫びを言って、アパートの部屋へ帰って。
キャリーを開けた瞬間出てきたコイツは、自分へ体当たりをかますみたいにひっついてきた。
と、思ったら、我に返ったように『仮に休める場所』へと飛び込んだ。
ので、一応元気そうだけどそっとしておくべきだなと、判断した。
それに、元気そうに見えても消耗しているのは確実だろうし。
そうも思い、常温の『特製おやつ』を専用の皿に入れ、目につきそうな場所へ置いておいた。
目につきそうな場所。
具体的に言うと、床の一角に丸めるようにして敷いた、破れて着れなくなった、俺のTシャツの近く。
俺が破った、とかじゃない。
朝、何か音が聞こえた気がして目が覚めて、体を起こして部屋を見回したら。
今まさに床へ座り直したように見えた猫のそばに、破れたTシャツがあった。
猫は「何も知らない」と言うように、そっぽを向いていた。
たぶん、おもちゃ代わりにして遊んで、破れたとかだろうと思う。
仕舞った記憶あるけど、俺の記憶違いだっけ。
まぁコイツが誤飲とか怪我とかしてないっぽくて良かった、あとでちゃんと確認しなきゃだけど。
なんにしても俺のせいだしな。
次からもっと気をつけよ。
思いながら、処分しようとTシャツを拾い上げた俺は。
別の場所に置くならここへ置け、こんな形で置け、とそっぽを向いていたはずの猫に命じられたので、処分するのをやめて指示に従った。
どの辺が気に入ったのか分からないが、猫はそのTシャツの上にいることも結構あった。
段ボールの『仮に休める場所』。
破れて着れなくなったTシャツの上。
その時にはもうちゃんとケージがあったけど、ケージに慣れていないのか、猫はこの二ヶ所に居ることのほうが多かった。
スマホを操作してメッセージアプリの全体連絡アカウントへ報告を入れ、後片付けをしながらSNSを見てみたら。
断続停電や通信障害が、動物病院を含めた──動物病院が中心に思えるような──広範囲の地域で起きていたこと。
荒天も同じ位置範囲で起きていたこと。
近くの海──つまり東京湾で、五メートル近い波が突然発生していたこと。
などを知った。
それらの話題で、SNSは盛り上がっていた。
少し前にも似たようなことがあったとかなんだとか。
「……」
死傷者とか事故とか、そういった話はSNSでもネットニュースとかでも、特に居ないし起きてなさそうだと、それだけは確認しておいた。
後片付けを終えて、床に座って、続報チェックも兼ねてSNSを流し見していると。
落ち着いたのか、暇になったのか、いつの間にか出てきていたコイツが、床についていた左手の甲に尻尾を乗せてきた。
Tシャツの近くに置いていた専用の皿へ目を向けると、空になっていた。
猫へと顔を向け直したら、俺を見て、ふすんと鳴いて。
そっぽを向くように『棚』を見た。
潮の香りが──今思えば春先の海を思わせる潮の香りだった気がする──鼻をかすめた。
ので、暗くしたスマホをローテーブルへ置いて。
「……あー……遊びたくなってきたかなー誰か遊んでくんねーかなー」
言いながら『棚』の中身を全て出して、釣り竿型で鳥の羽がついてるタイプの猫じゃらしを一番長く──長いと言っても二秒くらい──見ていたので、
「これで遊びてーかなー遊びに付き合ってくれるヤツいねーかなー」
言いながら手に取る。
──仕様のないヤツだ。
目で言った。
尻尾をピンと立てて。
そして『俺が選んだ』猫じゃらしで遊んで『もらった』。
◇
そんなことが、あったりなかったり。
今年の春先、大学入学を期に地元から大学近くへ引っ越してきた俺は、六月に入った今でもコイツと一緒にいる。
ペット可のアパートにしておいて良かったと思った。
コイツがなんの猫なのか、そもそも猫なのか、未だに不明ではある、けど、でも。
『ねこさん、だいじょぶ?』




