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Campus City  作者: 京夜
降霊
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第6話 守れるか

 理事長は一階の奥の自分の部屋へと、綾はみずきと一緒に二階の部屋へと向かった。


 古くさいギシギシという階段を駆け上り、左手の前にあるドアを開ければ、そこはもう綾の部屋だった。

 綾はみずきの手をとりながら、右手で襖を開けた。


 中に入るとまず目につくのが「窓」。

 南側に面した壁のほとんどが放たれた空間となっており、そこからは明るい月光に照らし出された森と山の様子が望めた。

 ときおり風がいきおいよく入り込み、部屋のなかを一巡しては去っていく。

 環境としてはなかなかだった。


 西側には、これまた古木でつくられたアンティークなベッドが置かれ、東側には窓の近くに斜めに座した広い机があり、そして襖の近くには本棚があった。

 他には何もない。

 ただ広く、綺麗に光を反射する木の板が、床に敷き詰められているだけだった。


 綾がどこからともなく布団を持ち出してきて、ベッドのすぐ横に敷いた。

 嬉しそうに布団の上で戯れるみずきにむりやり自分のTシャツと短パンを着せると、綾は窓に網戸だけかけ、電気を消した。

 天井の明かりが消えると闇が辺りを覆ったが、月光は存外に明るく、足下を心配するほどではなかった。

 綾も慣れた調子でベッドまで歩き、まだ元気のあまっているみずきをなだめて、布団の中に入る。

 みずきも観念したようで布団に体をくるませたが、口先の方がその分動きを増した。


「面白い人たちやな。姉ちゃんの友達って」

「そうね」


 綾は布団にくるまりながら、くすりと笑った。

 修学旅行以来の、枕投げのことを思い出したのだ。


「新しい学校、楽しいか?」

「うん、みんな優しいし」


 綾は楽しそうに即答した。

 みずきも安心したようにうなずいたが、すぐに顔を曇らせた。

 それは、次の質問を聞いてよいか、思案している表情だった。

 結局、みずきはおずおずと綾に聞いた。


「もう、悲しくはないのか?」


 両親の死はもう引きずっていないか?空白の部分で、そう聞いているかのようだった。

「うん」


 綾はためらいはしたが、それでもその質問に対し笑顔で答えることができた。

 しかし、次のみずきの質問に対しては、本気で悩まざるを得なかった。


「好きな人はいるんか?」

「……………」


 綾はしばらく黙ってしまった。他の人だったら、笑ってごまかしたかも知れない。

 いない、などと言うこともできるし、変な質問をしてきたみずきを怒ることもできたかも知れない。

 だが、綾は、そういったごまかしは一切しない。

 子供といえど相手に真剣に答える、それが「綾」という女性の性格だった。


 それでも、悩んでしまう。

 いちばん、自分の気持ちに近い言葉と言えば、「みんな好き」なのだが、その中でもいくぶん変わった気持ちを御影に抱いていること、それが好きという感情であるのかどうか自分も解ってはいないことを、みずきに告げた。

 他の人が聞いたなら、あまりにも正直に話してしまう綾に対し、照れて苦笑してしまったかも知れないが、綾が真剣に接してくれたのと同じように、みずきも真剣にその言葉を聞いていた。

 綾が、優しく正直な姉であるならば、みずきの態度はまさしく弟のそれであった。


「そっか」


 みずきは、まだ納得し得ない、と言った表情だったが、「さあ、もう寝なさい」と綾に言われると、さすがに「うん」と答えるしかなかった。

 綾が優しくポンポンと布団をたたいてくれると、みずきもそれ以上聞こうとはしなかった。

 ただ、綾がしばらくして静かな寝息をたて寝入ってしまってもまだ、みずきはその瞳を大きく開いて天井を見つめていた。

 だいぶ傾いた月が窓から直接光を射しこみ、床の板を反射して天井を照らし出している。天井はほんのり白く光っていた。風がときおり舞い込み、中をよぎっては過ぎていく。しかし、みずきは天井をいつまでも見つめていた。庭の虫の音さえも、どこか遠くに忘れるほどに。京都の夜は津々と更けていった。



 今日は、昨日に引き続き快晴の空。

 真夏日になると、気象庁は言っていた。

 それでもまだ涼しい9時頃、滝に泳ぎに行こうと子供たちが用意をしているなか、降霊師がやってきた。

 理事長直々に迎えに出、一人で車に乗ってきた初老の老人を家に招き入れた。


「道に迷いませんでしたか?」

「いえ、ほとんど一本道でしたので……………お久しぶりです」


 そう言った降霊師の顔には深く皺が刻み込まれ、まるで数十年も音沙汰の無かった知己と出会ったかのような笑顔が浮かんだ。

 完全に白髪と化したその老人の姿は一見して、人のよさそうなオジサンという感じだった。榊たちが、懐かしむように「阿綜のじいさん」と言った意味が解るような、そんな感じの人物だった。


 そこに、泳ぎに行く一行と居残りの榊と未杉が現れた。


「お久しぶりです」


 榊が顔に笑顔を浮かべ、丁寧に挨拶をした。未杉もどこか嬉しそうだった。


「おお、榊君に………未杉君だったね」

「今回もどうぞ、使ってやって下さい」


 理事長がそういうと、榊と未杉はぺこりと頭を下げた。


「それは有り難い。また手伝ってもらおうかな」


 綾たちもかるく一礼し、降霊師の横を過ぎて外に出ていった。


「それじゃあ、泳ぎに行ってきまぁーす」

「おぅ、気をつけてな」


 榊と未杉も手を振って送るとやがて、綾たちは外の日溜まりの中へ飛びこんだ。

 日差しはもうだいぶ強く、着く頃には気温もずいぶん上がることだろう。

 見送る4人の瞳に、子供たちの麦わら帽子が黄金色に輝いて見えたが、やがてそれさえも白い光の中にとけこんでいってしまった。

 まぶしそうにその姿を見つめる大人たちの瞳は、まるで自分たちの過去の姿とだぶらせて見ているかのようであり、理事長の顔も降霊師の顔もどこか明るかった。

 いつでも子供の元気は、大人の活性剤となるらしい。


「………さてこの廊下の奥に図書室があるから、好きな資料を持っていってくれ」


 子供たちの姿が見えなくなると、理事長がそう告げて、残りの人の気持ちを引き戻した。

 ただその言葉の続きに、


「ただし、綾や私の小さい頃の写真を勝手に焼きまして、闇で売ったり、脅しの材料にせんように」


 とつけ加えたのが、いかにも理事長らしいと言えば理事長らしい注意文句だった。

 一同はふくんだ笑いをしながら、まぶしい光を背にして、部屋の中へと入っていった。



 家からも滝の落ちる音が聞こえただけあって、5分も歩くと綾たちは目的地に着いた。

 すぐ近くに十数メートルほどの滝のある川。

 川の水は、信じられないほど透き通っていた。

 

 日差しを強く反射して白色に光る岩石の上に荷物を置き、各自それぞれ服を脱いで水着になると、準備運動もせず、そのまままだ冷たい水に飛び込み始めた。

 一番手の斉藤はあまりの水の冷たさに思わず悲鳴をあげかけたが、後に続いたものは心構えがあったのか、どんどん気持ちよさそうに泳ぎだした。

 綾はみずきと一緒にゆっくりと川に入っていき、いちばん体を心配しなくてもよさそうな御影がしっかりと準備運動をしてから飛び込んだ――滝の方向へ。

 斉藤がそれを見て一言「恥ずかしがってやんの」と言って笑ったが、綾がそれを聞いて顔を赤くすると美里がすかさず睨みをきかし、斉藤は潜って逃げるしかなかった。

 顔を赤くして立ち止まってしまった綾を心配そうに見るみずき。聞こえたのか聞こえてないのか、御影は滝壷の近くで素潜りをしていた。


「それにしても、純な二人ね」


 二人を交互に見つめて美里は心の中で思ったが、すかさず斉藤に水をかけられ、すぐに由岐と三人で水のかけあいっことなってしまった。


「ねえちゃん」

「あっ、ごめんなさい」


 綾はみずきの手をとって、ゆっくりと川の中に入っていった。

 川底はいくぶん苔むしていたが滑ってしまうほどでもなく、冷たい水をいきなり浴びてしまうことはなかったが、美里たちのかけあう水が体に触れると、氷のような冷たさが体にはしった。

 綾は器用によけ続けたが、嫌がれば嫌がるぶん水はかけられるもので、いつしか御影を除いた5人は盛大に水をかけあっていた。


「あっ、お魚!」

「えっ! どこ?!」

「あそこ、ほら!」

「わぉ! ほんとだ!」


 足下を駆け抜けていく魚を捕まえようと、各自必死になったが、それぐらいで捕まえるものでもなく、魚はどこかへいってしまう。いつしか、あたりは静かな水面にもどった。


「ふぅ」


 疲れてきた美里がゆっくりとバックで泳ぎはじめる。

 一息ついた斉藤は対岸の岩に上がる。

 そうなってはじめて、雄大な自然が目に入ってきた。

 そびえ立つ大木。

 あふれる木漏れ日。

 小さな鳥の鳴き声。

 ざざざっ、ざざざっと、滝の落ちる音。

 すべてが心地よく、五感を賑わせてくれる。


 川の流れの中にかまえる岩の上に座り込んだ由岐は、膝を両手でかかえ、滝の落ちる音に耳を傾ける。

 斉藤は岩肌に寝転がって、木漏れ日を見つめていた。

 滝の落ちる川では、きついはずの夏の日差しもいくぶん柔らかく、静かに休む子供達の冷えた体をゆっくりと暖めてくれていた。



 廊下の突き当たりの部屋は、半分が本で埋まっていた。

 暗くそれでいて乾燥した部屋。

 小さな窓から漏れるいく筋かの光が、まるで太陽のように明るい。

 部屋はそのたったいく筋かの光によって照らし出され、古くさくも、懐かしくもある、茶褐色の木の肌を浮かび上がらせていた。

 御影と未杉、それに阿綜先生は、綾や彼女の両親の写っているアルバムを取り出して、見ていた。

 他人のアルバムと言えど、そこには暖かい想い出がつまっていることが誰でも感じることができ、時間を忘れるほどに3人は見つめ続けていた。

 降霊師といっても、彼のやる降霊は恐山のいたこのように口寄せをするのではない。

 やりたくとも、彼には霊力はほとんど無いのだから、できるわけがない。

 それでは、なぜ彼が有名な降霊師なのか? ---- それは彼が霊力の代わりに、煙の中に人の姿を浮かび上がらせる能力を持っているからなのだ。そんな事情を知っている人達は、彼を「夢見せ師」と呼んでいる。


 晴れた日の夕方、彼は太陽を背にしたところで煙を炊き、そこに会いたい人を浮かび上がらせる。

 会いたくても、どうしても会えない人。

 遠きに忘れていった人に出会い、人ははかなくも涙を落としてしまう。

 その後、人は彼に感謝し、彼を降霊師と呼ぶようになったのだ。


 彼がどうやって、煙の中にビジョンを浮かび上がらせているのかは解らないが、どうも彼の話によると、子供の頃からそんなことができたらしい。

 子供の時には、まるで空に浮かぶ曇のように「みたいに見える」といった程度しかできなかったのだが、いまでは小さなほくろまでその煙の中に再現をすることができると言う。

 もう今では、その道30年のプロであった。


 彼はだいたい浮かび上がらせたい人のことを事前に調べ上げるために、その家にいっては「他の霊を呼び寄せないように」と言って、写真を見たり話を聞いたりしている。

 そこで彼を呼ぶ人はだいたいの事情に、それとなく気づく。

 だが会いたい人に会えたとき人は涙せずにはいられず、後で彼に深く感謝するのだった。

 たとえそれが本物の像でないと解っていても、世の中にはたくさん会いたい人がいるし、会って泣けてしまう人がいる。

 そんな人達に映像を見せ続けるのが、「阿綜先生」と呼ばれる彼の仕事であり、それ故、彼は「夢見せ師」と呼ばれるのだった。


 綾の幼少から、今に至るまでの写真をじっと懐かしむように見つめては、目をつぶり、何かを思い出すかのようにして、憶えこむ。

 そんな動作を幾度となく繰り返していた。

 アルバムも残り少なくなってきたとき、ページをめくっていた榊の手が止まった。


「どうしたんですか?」


 未杉が問いかけたが、榊はそれでもしばらく黙り込み、一枚の写真を見続ける。やがて、榊はおもむろに首を横に振った。


「いや。この写真、綾ちゃんに似ているなっ、て思ってね」


 よくみると、それは綾のお母さんがたった一人で恥ずかしそうに立っている写真だった。


「本当ですね………、目元なんかそっくり」


 阿綜先生もその写真を飽きることなく見つめていた。日付を見る。

 八月二十日 ------ それは、事故のあった日だった。

 ああ、やっぱり。

 未杉がページをめくると、榊の想像通り、後は真っ白だった。榊は目を閉じた。

 藍色のワンピース。長い髪をてっぺんで結った頭。

 可愛らしいえくぼ。

 間違えようもなく、昨日の夜あった女の人のそれであった。そして目を開き、綾の一言を思いだした。


「『流産した弟』か………」

「えっ? 何?」

「いや………、何でもない」


 榊は黙り、それ以上語ろうとはしなかった。未杉も榊から何かを感じとったのか、やがて視線をアルバムの方に戻してくれた。

 榊の頭の中では全ての問題が解決していた。

 アルバムから目をはなし、明かり戸を見つめる。榊は、水と戯れる綾と御影と、そしてみずきのことを、思い浮かべるのだった。



 弥生と綾はお互いにみずきの手をとって岸に上がり、休んでいたが、やがてみずきは御影が陸に上がったのを見かけると、話をしている二人を置いて御影の方に駆け寄っていった。

 御影は頭を振って髪の水分を取り除き、みずきがすぐに横に座ってもまるで気づいていないように振る舞っていた。


「おい、御影」

「………………なんだ?」

「ねえちゃんのこと、好きか?」


 髪をなぶっていた手を止め、振り向いてみずきの顔をじっと見つめた。だがすぐに、まるで何もなかったのかのようにもとの方向に顔を向けると、何も言わずに黙ってしまった。

 みずきはさらにつめ寄った。


「ねえちゃんを守っていける自信はあるんか?」


 この問にもまったく答えようとしなかったが、あくまで答を聞くまで顔をそむけなかったみずきに負けたのか、一言だけ、


「それぐらいしか、やれることがない」


 と呟いた。

 それは御影にとって、どの程度の意味あいのある言葉なのか?

 父のように仰ぐ綾の叔父に「守ってやってくれ」と頼まれたのは、一年前。

 綾が入学してきたときのことだ。

 とにかくその当時は、力だけが自慢だった御影は、自分は用心棒として頼まれたものだと思っていた。実際、そうなのかも知れない。

 だが、みずきが問うているのはもちろん、そんなことではない。


「一生、綾を守ってやっていけるのか?」


 そんな意味であることは、御影も気づいていた。

 しかし、何故そんなことを聞いてきたのか? ………御影はそこまでは考えが進まなかった。

 進んでいたなら、きっと榊が気づいた点まで、御影も気づくことができたかも知れない。

 だが、この時はみずきの答を考えることで必死だった。


 好きなのか?

 それは解らない。

 守ってやれるのか?

 そのことには幾分、自信があった。


 そして、なによりも、危なっかしい綾を守ってやりたい、という気持ちが強く心の中にあった。

 それが、好きというものなのか?

 それはやっぱり、解らない。

 御影は、自分がそういった事が不得手である事を、自分でも良く知っていた。

 ただ、自信をもって言えることは一つ。


 綾を守る。


 それだけは、言えるような気がした。


「俺が、守るよ」


 それだけ答えると、みずきの問と、そして昨日から続いていたもやもやが、空のように晴れてきたような気がし、御影は両手で髪をすいた。

 それは、頭の中で答が浮かんだときの彼のいつもの儀式だった。

 みずきもそれなりに満足のいく解答をもらえたようで、その表情にはだんだんともとの少年らしい笑顔が戻ってきていた。


 いや、違う。その表情には幾分、恥ずかしそうな部分があった。

 どうも、何か言いたいことがあるが、話しにくいといった表情だ。

 しかし、話が終わったと思った御影はいきおいよく立ち上がった。

 みずきは一瞬だけびくっと体を震わせ、御影の顔を見上げた。そこにみずきは豹を見た。


「………………」


 陽を背にした野生的で精悍な顔立ち。

 昨日の笑っていた顔からは想像できないほど引き締まった顔は、まさしく豹のそれだった。

 力強い、じっと目標物を見つめる目。

 確かに、一人の女性ぐらいならば守れそうな顔をしていた。御影は嘘をついていなかった。


「にいちゃん」


 この子が御影のことを「にいちゃん」と言った意味を、御影は気づいただろうか?

 ただ、呼ばれたから振り向いたといったように、御影はみずきを見た。


「……ん?」


 今度はさっきと違う、優しそうな瞳。みずきは急に嬉しくなった。


「にいちゃん、にいちゃん」


 みずきがなぜ喜んでいるのか解らないらしく、御影は苦笑いした。


「なんだよ……」

「誠一郎さぁーーん! 昼食にしませんかぁ?」


 渓谷に綾の声が朗々と響いてきた。そういえば、日はもう南天に輝いている。


「にいちゃん、行こうよ!」

「………ああ」


 御影は未だよく解っていないようだったが、小さい子供に慕われるのはまんざらじゃないらしく、どこか嬉しそうだった。


「よぉし」

「わっ!」


 御影はみずきを抱き上げると、綾達に向かった走りだした。

 力強く。早く。まるで、豹のように。



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