第2話 お墓参り
墓の入り口から随分と歩いたというのに、綾の姿はいっこうに見えなかった。
細い道はさらに何重にも入り組み、ばあやの道先案内がなければとてもではないが、歩けたものではない。
墓場の道中にはときおり目印のように、樹齢千年かとも思わせるような柳がその葉を深く地に垂らし、道の角には苔むしたお地蔵様がたたずんでいる。
静かな墓場は、なぜか涼しいほどであった。
とにかく、恐ろしいほど広い。
歩けど、歩けど、墓の終わりが見えることが無いのだ。
綾の一族を合わせたところで、ここまでいくまい。
おそらくは、ふもとの人達などの霊をも代々祭ってきているのだろう。
大きいものは5mをこし、小さいものは1mもない。そんな墓石が、無秩序に見渡す限り広がっているのだ。
さすがに疲れが出てきた頃になってやっと、ばあやが救いの言葉をかけてくれた。
「ほれ、もうすぐですよ」
腰の曲がったばあやが呟いてすぐの角を曲がると、数十m離れたところに綾の姿を見つけることができた。
………夏用の着物なのか、それとも浴衣なのか……。
二枚ぐらいに重ねたような白い和服を生の肌の上に着込み、綾は自分の身長ぐらいはありそうな大きな墓石の前に座りこみ、静かに手を合わせていた。
墓石のてっぺんからは柄杓によってかけられた水がしとしとと落ち、墓前には赤と黄の色鮮やかな花々が飾ってある。
そして、そのすぐ近くには、今まで見た中でも特に大きな柳が、その身を持て余すかのようにゆったりと揺れていた。
空に向かって線香の煙が一本のすじを作って舞い上がり、風がその途中で消し去る。
その一枚の風景写真のような光景に、一同は思わず歩みを止めた。
暑いはずの気温も忘れ、蝉の鳴き声までが涼しく感じるほどに、その綾の姿は自然にとけ込んでいた。
自然の緑に、石の灰色、その中の世界に一つ、綾の白い服が浮かび上がっていた。
「さながら、夫をなくした未亡人ね」
弥生が思わずそう呟き、誰も反論しなかった。
やがて綾は目を開け、ゆっくりと立ち上がる。
「………………」
しばらく墓の前でたたずんでいたが、やがて綾は前から気づいていたかのようにゆっくりと振り向いた。
柳が一陣の風にさわさわと揺れたとき、自分を見つめる十六の瞳に対して、綾はにっこりとほほえんだ。
「中国さんは来れなかったのですか?」
「いや、疲れたとか言って家の方で休んでいる」
帰り道、ようやく少し日が傾いてきた頃、一同は家へと向かった。
先頭を歩く綾の足どりにはまったく迷いはなく、ここで育ったこと、毎日通っていることをうかがわせていた。
角を曲がり、角を曲がり彼女はゆっくり着実に歩を進める。
蝉が苦しげな鳴き声をあげたかと思うと、近くに川でもあるのだろうか、ふいに蛍が一つ飛び上がった。
その蛍も、ゆっくりとさまようように飛んでいたかと思うと、どこかの草むらへと消える。
風はどこか夏の匂いがした。
三本目ほどの柳の木をこえるまでは、夏休みに起こったことをあれこれと話していたが、急に思い出したように榊が話の口火を切った。
「そういえば、一周忌なんだってね」
「そうなんです。………すみません、叔父様の勝手でこんな時に来ていただいてしまって。あの、できる限りは私がやりますので、ゆっくりしていって下さい」
「いやいや、そんなことは気にしないで。力のあまっている奴らばかりだから」
榊がそう言うと、後ろの方で聞きつけた由岐と弥生が
「誰が、力があまっているですって!?」
と言ってきた。
榊がとぼけた様子をみせながら、二人の攻撃をひょいひょいとかわす。
「でも明日だけ、ちょっと変わったことをやるんですよ」
「え? 変わったことって?」
綾はくすくすと笑っていた。
一陣の強い風が吹き、さっきの墓場と同じように綾の長い髪と柳の葉が揺れる。
一瞬だけ蝉が鳴き止んだその時に、綾は髪を押さえながら榊の問いに答えた。
「降霊をするんです」
理事長が昼寝をするために広い部屋から出て行ってしまうと、美里はひとりぼっちになってしまった。
一人で座り込んでみると、ただでさえ広かった部屋がまるで学校の体育館であるかのようにも感じた。
「気持ちぃ……」
女性ながら175cmもの身長がある美里は、いつもどうしても体を丸めてしまう癖がある。
相手が榊のように183cmもの身長があれば話は別だが、たいがい自分の方が背丈があったりして、どうしても体を伸ばす機会が少ないのだ。
しかし、今は誰も見ていないうえに広い部屋。
美里は心まで大の字になって、畳の上に寝転がった。
目を閉じ耳をすませてみると、庭からみーーん、みーーん、と蝉の声が遠くに聞こえる。
あれだけうるさかった蝉の声も、これだけ離れると耳に心地よい。
色濃く、影をおとす樹木。明るい、緑の芝生。
庭の様子を頭に浮かべていると、風鈴の、ちりーん、という音が聞こえた。
長く伸びる、金属と金属のふれあう音。その音の余韻を味わっているとやがて、体の上をゆったりと抜けていく風があった。
やわらかな、まるで上等の絹の布が通り過ぎていったような風。
----皆んなが帰ってくるまで寝てようかな
そう美里が思ったとき、廊下でペタペタと裸足で歩く音がした。
大の字になっていることがふいに恥ずかしくなって、美里は体を起こす。
「……誰?」
ゆっくりと部屋を見渡してみるが、風鈴がまた、ちりーん、と鳴る以外は何も
いや、部屋の端、障子の陰からこちらを覗く一つの影と瞳。
それは、こちらをうかがう子供のものだった。
知っている人でなくてほっと安心すると、美里は目と手招きで『こちらへいらっしゃい』と合図した。
しかし、子供はじっとこちらを見ているだけで、決して近寄ろうとしなかった。
子供にありがちな、妙な警戒心をその子供も持ち合わせていたようだ。
「怖がら無くてもいいのよ。ここの子?」
子供は美里の質問にも答えず、さっと廊下を走って逃げた。
あっ……と思う間もなく、ぱたぱたぱたと足音だけ残し、子供はどこかへと消えてしまった。
後に残ったのは、風と、蝉の声と、風鈴の音だけ………。
美里は首をかしげた。
「何だろう、あの子」
田舎の子にしては少し長めの柔らかな髪。鋭さの無い、澄み切った瞳。
何となく、綾に似た子だったな……と思いながら、美里は畳の上にごろんと寝転がった。
いつもの癖で、あの少年はいったい何者だったのか……?といろいろと思考の足をのばしていたが、やがて風のように忍び寄ってきた睡魔が体を通り抜けると、いつのまにか深い眠りの湖底へと沈んでいってしまった。
外では相変わらず蝉が、騒がしいほどに鳴いていた。