第1話 榊と斉藤
これは、榊と斉藤を中心とした4人の過去を振り返る話です。
これも外伝にあたります。
気温もやっと高くなり、今日は小春日より。
兵庫にある緯陵中学は、四月のドタバタ騒ぎに引続き、今日、新入部員の引き抜き合戦を運動場で展開していた。
午前中の4時間を潰して行われ、さながら祭りのような賑わいを見せている。
心地よい風の吹く、晴天の日だった。
運動場いっぱいにクラブの出前店が立ち並び、まだ可愛い一年生に、先輩どもがアピールを行っていた。
サッカー部はキャプ翼まがいの実技を見せ、野球部は巨人の星が如くのくさい台詞を吐いて引き抜きをしている。
文化系のクラブは、見せ物をしたり、物を売っていたりしていた。
漫研などは自分の所で作った、学校の名の“緯陵”をもじった“慰霊”という名の本を売り歩いていた。
一生懸命叫ぶ女の子の声が、雑踏の中に響いた。
どうやら、演劇部のようだ。
よく響く、きれいな声だった。
漫研の本を持った一年生らしい幼い女の子が、その大声を出している売子に声をかけた。
売子は顔に汗を浮かべ、“必勝”の文字の入ったハチマキをしていた。
売子はその声が自分にかけられていることを知ると、空を見上げている女の子の方を向いた。
「何でしょうか!」
売子はにこやかに聞いた。
「あの…………」
少女は屋上を指さした。
売子はその指さすものを見る。
4階の校舎の屋上には十数人の人が集まっていた。
更に良く見ると、誰かへりに立ち、飛び降りようとしているのが解った。
「あれ………自殺しようとしてるんじゃないですか?」
意味の飲み込めた売子は、少女とは逆に、にっこり笑った。
「だーいじょーぶ。あれ、うちの名物☆」
ちゅうちょせずに返された意外な答えに、少女は声を上げた。
「はあ?」
「おっ、そこ。ちょっと下がって………おい! 賭の精算は後だ!………救護班!用意はいいか!」
「はーーーい!!」
白衣の少女達の集団から、黄色い声で返事が返ると、台の上で支持を出している男--榊は、笑顔で軽くうなずいた。
ここは、先の屋上にいた男の真下---
校舎の前に円形を組んで、見物客が群がっている。
榊はその中心に立っていた。
榊 -- フルネームで言うと、榊健司。
背が高い、どこか魅力のある男だった。
軽く流した髪と、健康そうな顔。
がっしりはしているが、太っているとは感じない体格。
そして、人を引き付ける、優しそうな純粋な瞳。
榊はこの中学の生徒会長をしていた。
「おーーい、下はいいかーーー」
屋上で飛び降りようとしている男 -- 斉藤徹は大声で、上から叫んだ。
こちらは少々平凡な顔立ちをしているが、少し伸ばしっぱなしにしている髪と、痩せめの顔立ちと、それに細目ですらっとした身長は、野生的な感じを出していた。
しかし、瞳だけは榊と同じ様な優しそうな、そして子どものような瞳であった。
榊と斉藤。
この二人を合わせて、人は、緯陵中学の名物二人組と呼ぶ。
白いプラスチックの様な物を下半身にまとった斉藤は、口元に異様な笑いを浮かべていた。
「ふっ、ふっ、ふっ。いよいよ実験の日がきたか………」
対ショック吸収材 -- とでも言うのだろうか。
1980年代にはおよそ実現できそうにもない物を斉藤は身にまとっていた。
作ったのは斉藤自身。そして、実験台も斉藤自身だった。
「よし! いいぞ!」
榊は下から屋上に向かって、返事を返した。
ちなみに、この榊は制作においては何にも手助けをしていない。
何をするのかと言うと、たんなる斉藤の尻ぬぐいである。
つまり、怪我人が出ないようにしたり、許可を取ったり、責任を取ったりしているのである。
何故、そんな役を買って出ているのか、知る人はいない。
この二人の関係は謎である。
「えーー、ただいまから、“失敗記録を塗りかえるか! 斉藤、屋上からの恐怖のダイビング!”をお送りいたします」
屋上では、放送部のレポーターが、実況放送をしていた。
「誰が失敗だ! 誰が!」
斉藤は、すぐ後ろで悪口を放送しまくるレポーターに訂正文をふっかけたが、一向に気にするふうもなく、レポーターは放送を続けた。
「ちなみに、私は放送部の“使いっ走りの三田”こと、三田宏明がお送りいたします」
ちょっと太り気味のレポーターは、体を揺らしながら斉藤の方に近付いて行った。
「いよいよ、その瞬間が近付いてまいりました!……さて! 今度は何を見せてくれるのでしょう!」
レポーターはいかにも“期待に胸ふくらませて”という感じで片手を斉藤の方に向けた。
その頃、斉藤はレポーターを無視し、既に金網に足を掛けていた。
レポーターは、もう飛び降りる寸前の斉藤にマイクを傾ける。
「どうぞ! 飛び降りる前に一言!」
人の気持ちなど考えぬレポーターの頭にあることは、番組を面白くする事だけだった。
斉藤の血管が切れかかる。
無視し続けていた斉藤もとうとう我慢できず、ナレーターをにらみつけ、最後に一言、叫んだ。
「うるせえーー!」
声も高らかに、斉藤はそのまま飛び降りた。
「おーー、来た。来た」
太陽の逆光に照らされた黒い物体が、上から落ちてきた。
幾度かバランスを崩すが、一応着地の姿勢を取る。
観客の顔が、上からだんだん下を向き始め、ついには榊がもといた場所に移った。
ドン!
これが、一番近い着地したときの音だろう。
斉藤は着地の姿勢を取ったまま、見事に地面に立っていた。
それを見た観客から、ときの声があがる。
「やったー! 成功だ!」
「うそだろー。ちっ、負けちまったぜ!」
「きゃー! 斉藤さん、かっこいー!」
騒ぎまくる観客を後目に、榊はため息をついた。
「救護班!」
榊は観客と同じ様にはしゃぎまくる白衣の集団に叫んだが、白衣の集団は榊が何を言おうとしているのか解らなかった。
榊はスタスタと、全く姿勢を崩していない斉藤に近寄り、人差指でポンと斉藤を押した。
すると、斉藤はコマ送りの映像でも見ているかのように、ゆっくり倒れていき、姿勢を崩さないまま地面に倒れ伏した。
「きゃー!」
「おー!」
「やったー!」
再び観客が騒ぎ立てるが、救護班は慣れた手つきで斉藤をタンカに乗せ、運びだした。
しばらくすると観客もおとなしくなり、今度は一斉に賭の精算をしだした。
辺りはさっきとは違う喧騒に包まれる。
「また、失敗か………」
榊は騒いでいる観客の群れを抜け涼しい風を受けながら、反射光で輝く、斉藤の運び込まれた校舎を見上げた。