燃えるバカ、この国救う事にした
戦場に、奇妙な静寂が訪れていた。
かつては魔導銃の閃光が飛び交い、爆音と悲鳴が渦巻いていた場所。
その中心に、今はたったひとりの男が立っている。
全身から炎を放ちながら、異形部隊を拳ひとつで完膚なきまでに叩き潰した“脳筋の異常者”。
地面は拳の衝撃でクレーター状に抉れ、辺りは焦げた異形兵士の残骸と黒煙に包まれている。
炎の異形は肩で息をしながら、満足そうに空を見上げてつぶやいた。
「ふぅ……燃えたァ……! やっぱ拳が一番気持ちいいな!」
彼の拳から、ゴォ……とまだ炎が残っていた。
だがそれも徐々に弱まり、肉体が元の人間の姿へと戻っていく。
胸を張り、拳をぶら下げたまま仁王立ちするその背に
そっと、小さな声が届いた。
「……あの……あなた……」
異形はぴくりと肩を動かし、くるりと振り返る。
そこにいたのは、銀髪をなびかせた少女――リリア・アーシェル。
戦場でひときわ冷静に立っていた、亡国の元貴族。
瓦礫と炎の合間からゆっくりと近づきながら、
リリアは異形に向かって、おそるおそる言葉を紡いだ。
「あなたは……いったい、何者なんですか……?」
その問いには、いくつもの意味が込められていた。
なぜ、こんな戦場に現れたのか。
なぜ、炎の中から無傷で現れたのか。
なぜ、異形の軍団をたった一人で――そして、拳だけで倒したのか。
リリアの声はわずかに震えていたが、それでも瞳は真っ直ぐだった。
そして異形は――そんな彼女の問いに、真顔で一言。
「ん? オレか?」
どこか自慢げに、鼻をぴくりと鳴らし、両拳を腰に当てて叫んだ。
「俺の名前はバルド・バンディット! ただの、燃えてるバカだァァァッ!!」
リリア「…………」
リリア(……やっぱりバカだ、この人。)
だがその拳が、確かにこの街を救った。
誰にも止められなかった異形の軍団を、
誰も抗えなかった力を――
“笑いながら、拳でねじ伏せた”のだ。
リリアはゆっくりと目を伏せ、そっと息を吐いた。
「……でも、そのバカがいなければ……私たちは、全滅してました。ありがとう、バカさん。」
「いや人に感謝するときはちゃんと名前呼べよォッ!?」
リリアは呆れ顔のまま、小さく肩をすくめた。
「……ふぅ。じゃあ、こちらも名乗っておくわ」
手のひらで乱れた銀髪を整えながら、真っ直ぐバルドを見る。
「リリア・アーシェル。アレトリア王国出身。……まぁ、今はもう“亡国の民”だけどね」
その言葉には、どこか皮肉と、そして憂いが混じっていた。
だが、バルドはというと――
「おおっ、リリアな! よろしくな!」
グワシッと親指を立てて、快活に笑う。
「それで……ここ、どこだ?」
「…………」
リリアは眉をぴくりと跳ねさせた。
「……あなた、自分がどこに降ってきたかも分からず突っ込んできたの?」
「うん!」
「うん、じゃない!!」
がっくりと肩を落としたリリアは、火の粉が舞う瓦礫の上で小さくため息をついた。
「ここは、アレトリア王国の第三都市――マルティナ。魔導科学の研究と開発で知られた都市だった。……それが、今じゃただの瓦礫よ」
バルドは頭の後ろに手を組みながら、周囲の焼け跡を見回す。
「マルティナか~。なんかいい感じの名前だな。……で、なんでこんなことに?」
その問いに、リリアの顔からわずかに笑みが消えた。
静かに、しかしはっきりとした口調で答える。
「――黒翼結社ヴァルヘルド(こくよくけっしゃ・ヴァルヘルド)。あなたが倒した連中は、その前線部隊よ」
バルド「ヴァルヘルド? ……どっかの酒場のメニューか?」
リリア「どうやったらそう聞こえるのよ!? “本日の黒翼結社”とか嫌すぎるわ!」
ツッコミを一発入れてから、リリアは語り出す。
「……あの組織は、異形変身者のみで構成された世界最大級の秘密結社。
正規軍でも国家でもない、でも世界のどの国よりも強い“異形の軍隊”。」
「彼らはこう言ってる。“異形こそが真の支配者だ”って」
「異形化できない人間は“未完成”で、“従わせる対象”だとね」
バルドの表情から、少しずつ笑みが消えていった。
リリアは続ける。
「この街マルティナも、その手にかかって一週間で制圧されたわ。魔導兵器も防衛騎士団も……何の役にも立たなかった。火薬銃も魔導銃も、異形の前には“ただの的”よ」
「そして……ここから先、彼らは本格的に“世界征服”に乗り出す。王国も帝国も、戦う術を持たない。だから私は……最後まで見届けるつもりだった」
そう言って、リリアは拳を握りしめた。
「なのに……あなたは拳ひとつで、全部ぶち壊したのよ、バルド・バンディット」
バルドは一瞬だけ沈黙したあと、ポン、と拳を手のひらに当てた。
「なるほどな! つまり!」
リリア「……つまり?」
「ヴァルヘルドってやつを、ぶん殴り倒せばいいんだな!!」
リリアはしばし沈黙し、額に手を当てたまま俯いた。
その姿は、突っ込み疲れた者の末路というより、むしろ感心しているようにも見えた。
「……はあ……ほんっとにあなた、単細胞にもほどがあるわね……」
「はっはっは! よく言われる!」
「……でも、」
彼女はそこで一歩前へ出た。
顔を上げると、その瞳には先ほどまでにない決意の色が宿っていた。
「……結論から言えば、合ってるのよ、それで」
バルド「お? マジで?」
リリアは頷いた。
「ヴァルヘルドを正面から打ち破れるような戦力は、もうこの国には残っていない。正規軍は壊滅。王族も行方不明。連絡網も遮断され、魔導都市も占領済み……」
「――今、私たちは、“バカでも強い奴”に縋るしかないの」
そして、リリアは静かに――膝を折った。
燃え尽きた瓦礫の地面に、両膝をつき、
バルドに向かって、深々と頭を下げた。
「……お願いです。どうか……この国を、アレトリアを……ヴァルヘルドから救ってください」
沈黙。
リリアの肩が小さく震えているのが見えた。
悔しさか、恥ずかしさか、それとも――希望を抱くことの怖さか。
だが、それでも彼女は頭を上げなかった。
街を救ったとはいえ、目の前の男は初対面の、どこかイカれたバカだ。
だが、それでも
この男だけが、異形の恐怖に真正面から立ち向かった。
だからこそ、頭を下げる。
たとえ誇りを失っても、誰かの命が繋がるなら。
バルドはその姿をしばらく無言で眺めていたが、
やがて、鼻の頭をポリポリとかいて
「うーん……うーん……」
「うーん……」
「……よし!」
突然、ドン!と拳を握ってリリアの前に突き出した。
「おう、任せろ!!」
「この俺様が、ヴァルなんとかってのを拳でボコボコにしてやる!!」
「結社の名前ぐらい覚えて!!」
リリアの絶叫ツッコミが、瓦礫の街に響き渡った。
それは、久々にこの街に響いた。生きた声だった。