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誰もいないバス停で

作者: 高村渚

「ねえ、どうしてだれものるひとがいないのにドアをあけるの?」


 幼い私の無邪気な問いに、姉が得意げに答えてくれた。


「バスはじこくひょうのとおりにはしらないとダメなんだよ。こうやってとまって、じかんをちょうせつするの」


 それならば別に止まるだけでいいのに、何故ドアを開けるのだろう。

 しつこく尋ねる私に、姉はにやりと笑ってみせた。


「そうだね、なにかみえないものが、のってくるから、そのためにあけているのかもね」


 きっと怖がりの私をからかってみたかっただけなんだろう。

 でも姉のその何気ない言葉は、今も私の奥に潜んで、ときどきひやりと背筋を撫でたりするのだ。

 




 今日も危うく最終便に乗り遅れるところだった。

 バスに駆け込み、中央入り口近くの座席に勢いよく腰を落ろす。と、汗がどっと吹きだした。


 せっかくの高校生活。帰宅部もなんだからとなんとなく入ってみた読書部は意外と熱血で、人気作家の新作が出ればこんな遅い時間までの感想討論会になったりする。


 わたしの家は田舎の集落にあって、最寄りのバス停の次が小さな車庫のある終点だ。五〇分近くかけて、バスはいくつもの町と山を越える。

 全開のエアコンが首筋の汗から熱を奪っていく。

 強い風に当たられ続けて、冷え切ってしまった二の腕をこすると、わたしはエアコンの送風口の向きを遠ざけた。


 夜空より深い闇の森の影を縫うように、バスは町から離れていく。一人、また一人と乗客が降りていく。

 いつの間にかバスの乗客は、わたしともう一人だけになっていた。


 そのひとりがボタンを押す。どこか機械じみた女性の声が、停車を知らせた。


 バスの前方の扉が開くと、熱気を帯びた夜の空気がぬるりと車内に侵入してくる。

 森の匂いと、肌に忍び寄る湿度。

 ふいにわたしは、昔聞いた、あの話を思い出した。


(誰もいないバス停で扉が開くと、なにか見えないものが、乗ってくる)


 わずかに息を詰めて、でもわたしはすぐに大きく吐き出した。


 あれは、怖がりの子どもを脅す嘘にすぎないのだ。


「ばかみたい、ただの怪談じゃん」


 つぶやく声が、かすれた。


 バスは人家のない道を行く。灯りがまばらになっていく。闇の中へ、昏いほうへとひたすら進む。

 すると、突然バスが減速しはじめた。

 この先の山道に、バス停がある。誰が利用しているんだろうという、何もない場所だ。


 バスは左に車体を寄せ、ゆっくりとその動きを止めた。


(やだ、なんでこんなところで止まるの? こんな時間にひとが乗ってくるわけないのに……!)


 やけに耳障りな音を立てて中央入り口の扉が開く。

 濃く重い森の夜気がぬるりとわたしを絡め取る。


 扉の向こう、そこには誰もいない。ただあった暗い暗い闇がわたしの視線を逃がしてくれない。


 刹那。


 飛び込んできた黒い影。


 声にならないかすれた悲鳴を上げたわたしは、影の正体に気付いてどっと脱力した。

「……なんだあ……」


 コオロギだ。


 ちょっと大きいけど、山育ちのわたしにはめずらしいものでもなんでもない。

 コオロギは通路を前のほうへとちょこちょこと進んでいく。

 そのどこかユーモラスな姿に、ばくばくと大きな音を立てて鳴っていた心臓が、ゆっくりと落ち着いていくのがわかった。


 最寄りのバス停でドアが開く。


 わたしは立ち上がって、前方の降り口へと向かう。

 すると、それまでどこかの座席下にいたのか、ひょっこりと現れたコオロギが、悠然とわたしの前を横切っていく。

 そして、軽やかに跳ねてバスを降り、バス停の横に立つ大きな欅の木の影へと消えていった。


 あまりの出来事に、呆然とその姿を見送る。

 そしてはたと我に返ったわたしは、思わず小さく吹きだしてしまった。


(……まるでお客さんじゃん)


 手元の定期を確認していた運転手が、そのままわたしに胡散臭げな視線を向ける。

 さっきも思わず悲鳴を上げそうになったし、降り口でくすくす笑ってなかなか降りないし、おかしな子だと思われたのかもしれない。

 わたしは照れ隠しに、そそくさとステップを下りた。


 なにか見えないもの、は、いなかった。


 いなくてよかったと、こっそり胸をなで下ろす。


 誰もいないバス停で止まって、扉を開けるのは、もしかしたらああいう小さなお客さんを乗せるためなのかも。そんな空想が、ふと浮かんだ。






「……ああ、びっくりした」

 夜のバス停。山奥の終着駅で、周りに誰もいないのをいいことに、ちょっと大きな声でつぶやいてみる。


 バスに乗ろうとステップに足をかけたとたん、足下を黒い影がよぎった時には、思わず悲鳴を上げそうになった。私は山育ちだから、コオロギが怖いなんてことはないけれど、いきなり足下で跳ねられたらやっぱり驚く。

 どきどきする心臓をなだめていたら、バスが減速しはじめるものだから、また私の心臓がどきりと震え上がった。


 ふいに姉のあの言葉を思い出す。


(なにかみえないものが、のってくるから、そのためにあけているのかもね)


 バスが止まる。森の暗闇に向けて、前の扉が開かれる。

 むっとした夜の空気が、ゆっくりじわじわと攻め込んでくる。


 私は、乾いたのどに、むりやり唾を飲み込んだ。


 すると、私と一緒に乗ってきたコオロギが、ぴょんぴょん跳ねながらバスを降りていったのだった。


 一瞬絶句して、次の瞬間私は思わずひとり爆笑してしまった。


「コオロギが、バス使ってるよ……!」


 こんな山奥に向かう自動運転バスだ。利用するものも少ないから(というか、私の家族くらいしか利用するものを見たことがない)、メンテナンスもなかなかしてもらえないんだろう。

 そのせいで感知センサーが壊れかけていて、誰もいないバス停に間違って止まってしまうんじゃないか。

 そもそも乗りたくてバス停で待っているのにスルーされたり、降りたいバス停で止まってくれなかったりして、山道をとぼとぼ歩かされることも珍しくはないのだ。

 さっき、ここ終点のひとつ前、大きな欅の木が横に立つバス停でもそうだったし。

 誰も降りる客はいないのに、なぜか前の扉が開いて。しかも開いている時間がちょっと長く感じたのは気のせいだったか。


 まあそのおかげでコオロギは降りられたからよかったのかな。


 早く帰って、姉に話してみようか。あのときの怪談の結末を。


 なにかみえないものなんて、そんなものいなかったよって。


 私は鼻歌混じりで家路についた。



 夜空より深い闇の森の影が、わずかに揺らぐ。

 そしてすぐ、何事も無かったように、晩夏の森は静寂に包まれた。


シチューを煮る時間に、なにか1本書ければと思い立ちました。

先日の文学フリマでXのFF様が発行された短編集のお題、「完全新作・現代ファンタジー・夏の終わり・2200~2500字」をお借りしてみました。

幼い頃自分が感じていた謎と、誰もいない空間へ開かれた扉、その心のざわつきを感じていただければ幸いです。

ちょっぴりホラー風味になってしまいましたが、本人的にSF風味かもと思っています。


(追記)改稿しました。

 頑張って直してみたのですが、まだまだわかりにくくてすみません。

 また改稿するかもしれません。

 




 



 意味わかんない、という方にネタバレです。

 「わたし」と「私」は、ふたりとも同じバスに乗っていましたが、お互いの存在は見えていません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 情景描写が素晴らしくて没入できました。 [一言] コオロギが怖いわけじゃないけれど、急に足元で跳ねたら怖いのは田舎育ちの私も思わず頷きました。 夜の人が乗っていないバスは降りる場所乗り過ご…
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