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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第伍章
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96話 外側へ

「――それで?」


 桜田風音は、眼の前の朽宮言真に問う。


「それでって…協力しようよ、立場上危うい白虎と玄武で。」


 言真の応えに、風音は思わず小さく笑った。


「白虎と玄武で…って、私謹慎処分中なの忘れた?今の玄武の管轄はあんたじゃん。」


「あくまで代理だよ。今でも指導者は君さ。」


 言真は軽く手を振り、冗談めかした調子を崩さない。


「それに、名目上どうなってるかなんて、今は正直どうでもいい。どんな形でかはわかんないけど、どうせすぐクマたちは僕らを排除しにかかるだろうし。」


 風音は折れた竹刀を片付け終え、ようやく彼を見る。


「……で? 協力って、具体的に何をしろって言うわけ。」


「簡単だよ。」


 言真は一歩、距離を詰める。


「狙われそうな人を味方につける。」


「なにそれ」


 風音は鼻で嗤う。


「弱者がいくら集まろうが烏合の衆でしょ。それこそ焔冥が炎術使えば街ごと燃やされて終わり。あいつならやりかねないし。」


「なにも僕は戦うなんて一言も言ってない。僕が考えてるのは亡命だよ。」


「……亡命?」


 風音の眉がわずかに動く。


「どこへ行く気。」


「さあね。」


 言真は肩をすくめ、軽い調子で続けた。


「日本とか悪くないでしょ。政府の人間も弱々しいし、条件さえ提示すれば匿ってくれるよ。」


 はぁ、と風音は眉間を押さえ、深く息を吐いて首を振った。


「……論外。第一、現実味がなさすぎる。どうやってこの地下空間から抜け出すつもり? 抜け道があるとも思えないし。」


「――たぶん、あるよ。抜け道は。」


 言真が、含みを持たせた声で呟く。

 風音は思わず、訝しげに彼を見た。


「……は? どこに。」


 言真は一拍置き、静かに言った。


「忘れたのかい。玄武政変を。」


 その言葉に、風音の表情がわずかに硬くなる。


「罌粟須三津の脱出ルートだよ。政変のあとも、結局見つからなかった。――ってことはさ。」


 言真は口角を上げる。


「たぶん今も、どこかに“生きてる”。」


 風音は、しばし言葉を失ったまま言真を見据えた。


「……ただの噂話でしょ。あいつは政変の混乱に乗じて正面入口から消えただけ。他ルートの実在は確認されてない。」


「確認“できなかった”、が正しいのかも。」


 言真は軽く肩をすくめる。


「ユートピア内部をあれだけひっくり返して、それでも痕跡ゼロ。だったらさ、隠し通せるだけの構造があったって考えることもできるよね?」


「……」


 風音は黙り込む。

 罌粟須三津――玄武政変の首謀者。追い詰められ、包囲され、それでも忽然と姿を消した男。

 “消失”という結果だけが残り、経路は誰にも掴めなかった。


 言真は畳みかける。


「ここは、公式記録よりずっと入り組んでる。初期ユグドラシル建設時の遺構も、まだ未整理の区画もある。三津はそこを使った。――もしくは、使えることを知っていた。」


「……で?」


 風音の声は低い。


「まさか、そのルートをあんたが知ってるとか言うつもり?」


「全部じゃないけどね。」


 言真は笑う。その笑みは、いつもの軽薄さの奥に、嫌な確信を孕んでいた。


「でも、候補ならいくつか心当たりがある。あの日の三津の目撃情報の記録を、ちょっとだけ漁ってさ。」


 風音は一歩、距離を詰めた。


「それが本当なら――なんで今まで黙ってた。」


「必要なかったから。」


 即答だった。


「でも今は違う。直弥くんが魔族化して逃げて、上層部は疑心暗鬼。次に首を切られるのは、彼の擁護に回った側だってのはもはや明確。」


 風音の拳が、無意識に握られる。


「……私を、巻き込む気?」


「“巻き込む”は違うな。」


 言真は真っ直ぐに風音を見る。


「君はもう、当事者だよ。四阿が消えた時点でね。」


 その名を出された瞬間、風音の瞳が鋭く揺れた。


「……それとどう繋がる。」


「クマは動いてる。しかも内々で。」


 言真の声から、冗談めいた調子が消える。


「四阿を呼び出したのは偶然じゃない。あくまで憶測だけど、玄武と白虎を切る前に、“朱雀に従うかどうか”を試してる。」


 沈黙。


 道場の空気が、張り詰めていく。


 言真は最後に、静かに言った。


「だから提案してるんだ。亡命ルートを探す。生き残るために。――君と、君の守りたい連中のために。」


 風音は、しばらく彼を睨み続けたあと、低く吐き捨てるように言った。


「……最悪のタイミングで、最悪の話を持ってくるね。ほんと。」


 風音はそう吐き捨てるように言い、わずかに間を置いた。


「まあでも。」


 その視線が、逃がさぬとばかりに言真を射抜く。


「――悪くはない。」


 一瞬、道場の空気が緩む。


 言真は口元を歪め、どこか楽しげに笑った。


「……だよね。ロマンがある。」


 その声音は軽いが、目の奥には確かな企図が宿っていた。



 ***



 風音は言真と並び、最低限の荷物を手に道場を後にした。

 間髪入れず、外で待機していた警備員たちが無赦の環を取りつつ声をかけてくる。


「お疲れ様です、佳人卿、狂風卿。恐れ入りますが――どちらへ向かわれるのか、お聞かせ願えますでしょうか?」


 言真は足を止めることなく、肩越しに軽く言った。


「久々にちょっと雑談しに行くだけだよ。」


「ですが……」


「風音は外出禁止ってわけじゃない。君も、それは分かってるよね?」


 警備員は一瞬言葉に詰まる。


「……ええ、それは……」


「じゃ、そういうことで。」


 返答を待つことすらせず、言真は歩き出す。

 風音も無言でその後に続いた。


 一端のオリオン隊員に、四堂を強引に引き止めるだけの勇気も権限もない。

 半ば押し切る形にはなったが、二人は特に妨げられることもなく、表に停められていた車へと乗り込んだ。


 言真に流されるまま、風音は後部座席へ滑り込む。

 運転席には、スーツ姿にサングラスをかけた男が静かに座っていた。


 風音が反射的に警戒の視線を向けると、隣の言真がくすりと笑う。


「大丈夫だよ。彼は僕の私兵だから。警戒する必要なんてないさ。」


 そう言って言真は大きく伸びをし、シートに深く身を沈めた。


「……手の込んだことで。」


 風音は半ば呆れながらも、言真とは対照的に荷物をきちんと膝の間に挟み、背筋を伸ばして座る。

 習慣のような所作だった。


 音もなく車は発進する。

 しばらく沈黙が流れたのち、風音が口を開いた。


「……特に警戒もせずについて来ちゃったけど。どこに連れて行かれるの、私。さっきあれだけ大口叩いておいて、裏切りでしたとかだったら、さすがに笑えないんだけど。」


「ああ、そういえば言ってなかったか。」


 言真は軽い調子で答える。


「今から行くのは、H地区だよ。」


「……H地区?」


 風音の声音が、わずかに低くなる。


 H地区。

 ユートピアは大きく十の区画に分けられている。A〜H地区、そして督府区、ユグドラシル保護区。


 督府区は、風音や言真にとっての職場であり、オリオン以外の市民は立ち入り禁止である。

 市民が生活できるのはA〜G地区までで、アルファベット順に富裕層から貧困層へと分かれている。


 A・B地区には組織の高官や上流階級が居を構え、

 G地区では貧困層が身を寄せ合うように暮らしている。

 スラムと呼ばれるほどは荒廃していないが、一応は資本主義の体制を取っている構造上、貧富の差は否応なく可視化されていた。


 そして――

 ユグドラシル保護区と、H地区。


 この二つは、市民であろうとオリオンの高官であろうと、特別な許可なくしては立ち入れない絶対禁制区画である。


 ユグドラシル保護区はその名の通り、ユートピア中枢に聳えるユグドラシルを管理するための地区で、督府区の中央に位置する。

 他の三都市のユグドラシルは幹まで地上に露出しているが、ユートピアのものは樹齢が比較的浅く、地上に見えているのは上部の葉のみ。その分、管理は格段に難しく、厳重な封鎖が敷かれている。


 そしてH地区。

 ユートピア南端に位置する、もう一つの禁域。


 十三年前の厄災の日で、特に甚大な被害を受けた地域が、このH地区だった。


 他の地区はある程度まで復旧が進められたが、H地区だけは修復不能と判断された。

 住民はほぼ全滅。

 街そのものが、徹底的に破壊され尽くしていた。


 結果、この地区は封鎖され、瓦礫や危険物、回収しきれなかった遺構が集積される“廃棄場”となった。

 復興を早めるために切り捨てられた、いわば負の遺産。


 今なお、厄災の日に発生した瘴気を帯びた遺物が残り、誰一人として近づかない――完全な無人の街と化していた。


「……人目につかない場所だからってこと? でも逆に、怪しまれるでしょ。そんな所行ったら。」


 風音は低く言う。


「他に選択肢ないんだよ。文句言わないの。」


 言真は軽く肩をすくめた。


 そのとき、運転席の男がサイドミラーに視線を走らせ、声を落として告げる。


「……追手です。」


「やっぱり来るよねぇ。」


 言真はどこか呑気に笑い、後頭部に手を組んだ。


「風音は謹慎中とはいえ要監視対象だし、僕も僕で目をつけられてる。放っておくわけないか。」


 車内の空気が、目に見えて張りつめる。

 風音は窓の外へ視線をやり、低く息を吐いた。


「……どうするの。」


「逃げるよ、もちろん。」


 言真は即答した。


「真正面からやり合うほど、まだ馬鹿じゃない。」


 その言葉に合わせるように、車はわずかに加速する。

 エンジン音が一段低くなり、車体が地面を噛む感覚が伝わってきた。


「マオス、悪いけど撒いて。H地区入るの見られたらちょっとまずい。」


 運転席の男は即座に頷く。


「了解しました。」


 次の瞬間、ハンドルが鋭く切られ、車は本線から外れる。

 人気のない側道へ滑り込むと同時に、減速と加速を繰り返す。

 意図的にリズムを崩し、追手の判断を鈍らせる。


「……随分手慣れてるね。」


 風音が低く呟く。


「元々こういう役目の人だからね。」


 言真は軽く肩をすくめ、さも当然のように答えた。


 追手の車影は、曲がり角を越えるたびに少しずつ遠ざかり、やがて完全に視界から消えた。

 狭い動線を抜け、再び広い大通りへ出た頃には、もはや後方を気にする必要もなくなっていた。


「撒けました。」


「さっすが。」


 言真は満足そうにそう言い、軽く手を叩く。


 風音は無言のまま、窓の外へ視線を投げた。

 大通りの照明が規則正しく流れていく。その均質な明るさが、かえって先ほどまでの追走の緊張を際立たせている。


「で?」


 やや間を置いて、彼女が口を開いた。


「ここからが本題なんでしょ。H地区に行って何する気?」


 言真は一瞬だけ考える素振りを見せ、それから、どこか愉快そうに笑った。


「秘密基地にね、狙われそうな人たちを集めてるんだ。一旦顔合わせって感じ。」


「秘密基地……ねぇ……」


 風音は乾いた声で呟く。


 車は次第に、街灯の間隔がまばらになる区域へと差しかかっていく。

 舗装は荒れ、アスファルトには無数の亀裂。壁面には補修されないまま残された焼け跡と欠損が、過去の惨禍を無言で物語っていた。


 静かに、確実に、日常の外側へ――車は進んでいく。


 続く…


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