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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第肆章
91/112

90話 シチリア動乱 - 29 -

 ―――6時01分 カルタジローネ



 夏芽は、カルタジローネの市街地を探索しながら、璃久らを探していた。


 やはり抗争の跡が甚だしい。所々で怪我をした人たちが、駆けつけた救急隊員の治療を受けている。

 瓦礫も、建物の倒壊跡も、どれも生々しく戦闘の激しさを物語っている。


 そんな中で、夏芽はようやく璃久らを見つけた。


 そこは、バラクラバたちとの戦いのあとに夏芽が彼らと別れたあの路地から、百メートルほど離れた場所にある広場だった。


 夏芽は眉間を押さえたまま、ゆっくり二人へ歩み寄る。


 瓦礫の山と血の匂いが入り混じるこの広場で、倒れ伏した二人はまるで戦場の落とし物のようだった。


 柏谷は仰向けのまま動かず、目の周囲にはべったりと血が流れ落ち、背中には刃物による刺し傷がいくつも刻まれている。

 璃久も同じく背中に深い刺創が複数。だがそれより目を引いたのは、左脚だ。膝から先が、明らかに人体の可動域を超えた角度へ折れ曲がっていた。


 夏芽は舌打ちし、小さく嘆息する。


(やっぱりこういう結末かよ……最悪だな)


 柏谷が目から血を流しているのと、璃久の左脚はおそらく人術の代償だろう。


「…おーい、しっかりして。」


 夏芽は膝をつき、まず柏谷の気道を確かめ、脈を取る。

 生きてはいる。だが、かなり危ない。

 璃久も同様に生存を確認するが、このまま放置すれば確実に死ぬ。


「ったく…僕がちょっと目を離すとこれだよ。何やってんだか…」


 苦々しく呟きながら、夏芽は応急処置キットを取り出し、手早く止血と固定に入った。


 その顔には焦りも怒りもあったが、何よりも「見捨てられない」という強い意地があった。


 だが処置を進めれば進めるほど、胸の奥で違和感が膨らんでいく。


 ―――仲間割れでは説明がつかない。


 背面を中心に走る刺創。

 どれも深いが、心臓や肺を貫く角度ではなく、致命的な部位だけを明確に避けて刺されている。

 まるで、殺す意図はなく、戦闘不能にすることだけを目的にした精密さがあった。


 普通、乱闘や衝突で背中だけを狙うなどありえない。

 人間同士が刺し合う場合、自然と正面の急所へ向かうのが常だ。

 背中だけ――しかも徹底して急所を避けている――これは偶然では済まない。


 夏芽は血まみれの背中を見下ろしながら、唇を噛んだ。


(……誰かが意図的にやった。二人を殺さず、でも確実に動けなくするために。)


 生々しい傷跡は、静かに、しかし明確に何かを語っていた。


 すると、璃久が脂汗をかきながら呻いた。

 まるで悪夢を見ているかのように顔を顰め、そして呟いた。




「…やは、た……」




 ***




 ―――二十数時間前、ブリッツツーク車内



「――急に呼び出して悪いね、璃久。」


 任務へ向かう道中。

 ユートピアからアルカディアへ移動する特別車両の一角にある小さなテラスカフェで、熊野璃久は朽宮言真と向かい合っていた。


 車内は深夜特有の静けさに満ち、走行音すら吸い込まれたように聞こえない。

 直弥と沙紀はすでに自室で仮眠に入っており、人気のないカフェには二人の呼吸音だけが漂っていた。


 言真はカップを受け皿に静かに戻し、薄く笑った。

 その声音は柔らかくても、言葉の端々に妙な温度差がある。


「……ご要件は?」


 璃久が探るように問うと、言真は肩をすくめ、テーブルの向こうからカップを軽く押し出した。


「まぁ、まずは一杯飲みなよ。僕もそんなに急いで話をしたいわけじゃないし。」


 璃久は一瞬だけ警戒の色を目に浮かべたが、結局、そのままコーヒーに手を伸ばした。


 言真はその一連の仕草を、唇ではなく目だけ柔らかく歪めて笑った。


「ねぇ璃久。君さ――ブリーフィングの前に、直弥くんに会いに行ったよね?」


 その声色は、あまりにも自然すぎて逆に作為的に聞こえるさりげなさのように思えた。

 璃久は肩をわずかにすくめ、曖昧に応じる。


「ええ……まぁ……」


「その時さ……なにか“違和感”、なかった?」


「……違和、感…ですか?」


 そう、と言真は大きく息を吐くように、椅子の背もたれへ体重をあずけた。


「僕ね、前からずっと気になってたんだ。だけど――君含め、誰も気にしてないように見えてさ……言うタイミングを逃してて。」


「……はぁ。」


「君はさ、直弥くんが初めてこっちに転がり込んできた頃のこと、覚えてる?」


 促されるまま、璃久はここ数ヶ月の出来事を順に手繰り寄せていく。


 初対面は、正直かなり最悪だった。

 魔族の疑いをかけられ地下牢に押し込まれ、鳴矢高校事件のPTSDに苛まれる彼は、軽く触れただけで反射的に手を跳ね除け、その“跳ね除けた動き”すら引き金に発作を起こすほど弱り切っていた。


 その後、四堂八間会議でどうにか処刑だけは回避され――

 玄武士官学校の生徒として鍛えられ、力をつけ、吉林省ではバディの三田沙紀、白伊涼菟と共に魔族討伐をやり遂げた。


 数ヶ月で別人のように成長した。

 半ば強制的とはいえ人術にも目覚め、今では立派にオリオンの一員として肩を並べている。


 直弥を魔族と疑う者は、もうほとんどいない。


 ……いない。

 そう、“いなくなった”。だが、本当にそれ“だけ”が理由か?


 いや、違う。

 彼は鳴矢高校の頃とはまるで“気配”そのものが変わっていた。

 それは鍛錬や成長の延長線上にあるような変化じゃない。

 もっと本質的で、もっと――危ういほど決定的な……


「……やっと気付いた?」


 言真は口端だけで笑い、冷めかけのコーヒーを静かに口へ運ぶ。

 一息に飲み下し、空になったカップをテーブルに置くと、今度は指先で軽く回しながら言葉を継いだ。


「君の考えのとおりさ。彼の気配は、ここ数ヶ月でまるっきり変わった。」


 ぼそりと漏らしつつ、視線はゆっくりと車窓の闇へと流れていく。

 足を組み替える動作は、まるで話題の重さと比例するかのように静かで滑らかだった。





「――そう。徐々に……あれだけ濃かった“魔族の気配”が、今じゃ跡形もなく消え失せて(・・・・・・・・・・)いる(・・)こと。」





 ***



 モリスは、倒れ伏した八幡直弥の死体を、まるで石ころでも見るような無感情さで見下ろしていた。


 イレギュラーなオリオン隊員。魔族の血が混じっている――そんな眉唾な噂まで囁かれた異端児。

 モリス個人としては、この作戦の要に照らし合わせれば、朽宮言真に次いで厄介な存在だと見積もっていた。


 だが、蓋を開けてみればどうだ。


 あれほど噂された魔族の気配など微塵もなく、むしろ只の人間より脆い。

 こちらがわざと気配を漏らし、距離を詰めてやっているにも関わらず、八幡直弥は倒れた女の方に気を取られ、腹に風穴を開けられてくたばった。あっけなさすぎて、失望すら追いつかない。


「……期待外れにもほどがあるな。」


 心の底で毒づく。


 三田沙紀も同様だ。

 何度も危険な任務を乗り越え、ここローマまでこぎつけた女――多少は骨があると踏んでいたのだが。

 いざそこに転がっているのは、落雷で全身を焼かれ、左腕は皮一枚でぶら下がった半死人。


 とはいえ、かろうじて呼吸だけは続いている。

 ルチアーナ・ヴェローネも同じだ。辛うじて生きてはいるが、この雨だ。容赦なく体温を奪われ、失血も相まって命の炎を縮めていく。放置しておいても、死ぬのは時間の問題であった。


 どれもこれも期待外れ。

 つまらない。

 そして、胸の奥でじりじりと焦げるような不快感だけが残る。


 モリスは舌打ち混じりに振り返った。

 そこに立つのは、最近加わった女――サンティス。


 ルチアーナと因縁があると豪語していた女だ。

 最初はどうでもよかった。所詮は使い潰す駒の一つに過ぎず、価値も高が知れていた。

 だが、途中から「餌」に使えると踏んだ。奴女の存在が朽宮言真を釣り出す“誘引”として働くと踏んだのだ。


 実際、序盤は意味があった。

 あの朽宮言真――特大の獲物が、釣り針にかかったのだから。


 ……だからこそ、あの女が忌々しい。


 ローマ目前、ナポリで言真を引き寄せられたまでは良かった。

 だが、例の“ガキ”が横槍を入れてきた。

 正体不明。目的不明。無駄に腕だけは立つ。

 そのせいで大きな獲物は逃げ、小さな小魚――三田沙紀程度しか残らなかった。


 忌々しい。

 忌々しい。

 忌々しい。


 朽宮言真との最終局面を見据え、カルヴァーニから奪い取り、手間をかけて育て上げた“ルカ”に後腐れを残さぬよう自殺を命じたというのに――あれすら無駄に終わった。


 この膨れ上がる苛立ちを叩きつける先は、もはや一つしかない。


 モリスは無言で拳銃を抜き、サンティスに向けた。


 サンティスの顔から血の気が引き、かすれた悲鳴が喉から漏れる。


「やっ……やめっ―――!!!」


 その命乞いは、風に散る塵にも満たなかった。


 モリスは一切の逡巡なく引き金を絞る。

 連続するマズルフラッシュが彼の横顔を不気味に照らし、銃声が雨の中へ吸い込まれていく。


 サンティスの顔面は数発の弾丸によって砕け、形を失った。

 それでもモリスの苛立ちは癒えない。

 空になったマガジンを放り捨て、新しいものを装填し、倒れ伏した彼女へさらに全弾を叩き込んだ。


 脳漿が跳ね、肉片が雨に混じって消える。


 ようやく弾倉が空になったころ、モリスは血生臭い静寂の中で拳銃をしまい込んだ。


 味気ない。

 殺すことすら、もう刺激にならない。

 計画に綻びが生じ、焦燥ばかりが募るこの状況で、こんな行為はただの“作業”に成り下がっていた。


 そして時計を見る。

 核炸裂まで――残り三十分。


 本来なら胸が昂るはずの瞬間だというのに、今のモリスにはそれを“見届けたい”という熱も湧かない。

 ただ一つ、この爆弾が今の閉塞した計画にわずかな意味を与えてくれる――それだけだ。


 ローマに核が落ちれば、人類は必ず再び大戦へ突入する。

 大国は互いを疑い、報復に報復を重ね、世界人口は激減。

 各国は疲弊し、秩序は瓦解する。

 そして――混乱が極まったその時、我ら魔族が乗り込めば、この数千年の膠着した戦争に終止符を打てる。


 この一発は、その“扉”をこじ開ける鍵。

 実に価値のある破壊だ。


 加えて、保険としてカルタジローネにも同型の装置を仕掛けてある。

 仮にローマで何かしらの邪魔が入ろうと、そちらを起爆すればいい。

 効果はやや落ちるが、計画全体に支障はない。


 どちらにせよ――世界は変わる。


 それだけが、モリスの胸をわずかに満たす事実だった。




 彼はそうして、その場を立ち去ろうとした。


 そんな時だった。肌を刺すような、そんな気配を背後でかすかに感じたのは。




 ***






「じゃあ…八幡はもう魔族じゃなくなったってことですか。」


 璃久の問いに、言真は静かに首を横へ振った。

 その表情は柔らかな微笑を装っているが、言葉の奥底は妙に冷えている。


「僕もね、最初はそう思ってたんだよ。気配がなくなるなんて普通あり得ないし。」


 カップの縁を指で軽く叩きながら、言真は続ける。


「でも――どうやら違うみたいなんだよね。」


 璃久が眉を寄せるより早く、言真は淡々と言葉を継いだ。


「彼の主治医、アンナ・ファルコンって人いるでしょ。彼女の話だと……直弥くん、LOD検査は今でも両方の反応を示しているんだ。」


「両方……?」


「うん。生族としての反応も、魔族としての反応も、どっちも。」


 言真はコーヒーを一口飲み、喉を鳴らしてから、まるで天気の話でもするように言った。


「…なのに、気配だけが消えてる。魔族なら必ず滲むはずの気配が、完全に。」


 窓の外の闇を眺めながら、その瞳にだけ不穏な光を宿す。


「――まるで、誰かに塗りつぶされたみたいにね。」


 彼の声は、わずかに愉悦をにじませながらも、底冷えするほど静かだった。


「そんな時に、この任務の概要を聞いた。……そしたら、ピンときたんだよ。」


 言真は机に組んだ指をほどき、軽く肩をすくめる。


「――あとは、璃久でも言わなくても分かるよね。」






 ***




 モリスは背後から押し寄せる圧に、反射的に振り返った。

 雨音をかき消すほどの“何か”が、そこに立っている。


 そして、その影を見た瞬間――彼の顔から血の気が引いた。


「……マジかよ。」


 そこにいたのは、つい先ほど“確かに死んだ”はずの八幡直弥だった。


 …いや、違う。


 俯いたその姿から漂う圧は、八幡直弥が持ち得るはずのものではない。

 生と死の境界を踏み荒らすような、異質な存在の息遣い。


 モリスは震える喉で呟いた。


「お前……まさか―――」





 ***




 言真は低く囁くように告げた。


「ここからは僕の推測だけどね……」


 静寂を裂くように、言真は言い切った。


「彼の中の“魔族”は目覚めたんだよ。」




 ***




 豪雨の中、直弥――だったものは、顔を上げる。


 その瞳は、もはや直弥が持つはずの色ではなかった。




 ***






「――同体変異種に。」







 続く…

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