89話 シチリア動乱 - 28 -
―――7時12分 ローマ
沙紀たちの車は、二時間の走行を経て、ようやくローマ市街地へ入った。
朝のはずなのに、空は夜のように重く沈んでいた。
分厚い雲が空を覆い、遠くで雷が腹の底を震わせるように鳴っている。
――世界が息を潜めているみたいだ。
沙紀は、胸の奥のざわつきをどうしても押し込められなかった。
「ルチアーナさん……モリスが核を仕掛けた場所って、どこか分かりますか?」
少しでも早く突き止めなければという焦りが、声ににじむ。
ルチアーナは、ぐったりともたれたまま、弱々しく返した。
「ああ……ポポロ広場……だ……」
言葉を発するたびに、彼女の顔色はさらに青白さを増していく。
汗は止まらず、体温は異常なほど高い。
視線も焦点が定まらない瞬間が増えていた。
彼女の身体は、もはや時間に追い詰められている――そう言わずとも分かるほどに弱っていた。
そんな状態でも、必死に意識を繋ぎとめているのが、見ているだけで痛かった。
雷鳴がまたひとつ、車体を震わせた。
まるで、時間がないと急かすように。
沙紀は高速を降りると、ためらいなくアクセルを踏み抜き、ポポロ広場へ直進した。
数時間前、政府がシチリア島からイタリア全土へ外出禁止令を拡大したおかげで、民間車両はほとんどない。
その代わり、一定区間ごとに軍の検問が立ちはだかる。
だが立ち止まっている暇などなかった。
沙紀は検問を強行突破する。金属音と怒号が背後から飛んだ。
当然、軍人たちが許すはずもなく、すぐさまジープ数台がエンジンを唸らせて追ってくる。
ミラー越しに迫る影を避けつつ、沙紀はただ前だけを見て走った。
――だが、広場まで残り約400メートルという地点で、最悪の事態が起きた。
追跡していた軍人のひとりが、沙紀たちのクルマのタイヤめがけてライフルを放った。
乾いた破裂音と同時に、タイヤが正確に撃ち抜かれる。
車体が一瞬ふわりと浮き、次の瞬間には横滑りしながらバランスを崩し――横転した。
「うぁっ―――!」
沙紀は反射的にルチアーナを抱き寄せ、身を丸めて転がる。
飛び散ったガラス片が肌を刺し、頬に熱い線がいくつも走る。
だが幸い、二人とも致命傷は免れた。
ふらつきながらも、沙紀はルチアーナを支えて立ち上がった。
横転したバンはすでに炎を上げ始めており、再利用など到底できない。
そして――周囲は、いつの間にか軍人たちに完全に囲まれていた。
「……くっ」
今の沙紀の手には、正面から突破する手段がほぼない。
残された切り札は人術のみ。
だが――沙紀の保有する閃術は広範囲に衝撃を撒き散らす。
この距離で撃てば、真っ先にルチアーナを巻き込む。
今の彼女は意識も朦朧としており、耐えられるはずがなかった。
(使えない……この状態で当ててしまえば――間違いなくルチアーナさんは死ぬ)
喉が焼けるように熱くなり、沙紀は奥歯をギリ、と噛み締めた。
――万事休す。
そう思った、まさにその瞬間だった。
ブォォォン――。
低いエンジン音が、遠くから地面を震わせながら近づいてくる。
軍人たちが一瞬だけそちらへ視線を向けた、その背中側から――1台のバイクが猛スピードで飛び込んできた。
タイヤが路面を削り、バイクは横滑りしながら沙紀のすぐ目の前で停止する。
同時に、運転手がバイクと同じ勢いで動いた。手にしていたライフルを迷いなく構え、軍人たちへ連射。
乾いた銃声が連続し、反撃の隙すら与えずに数秒で戦況は一変した。
軍人たちは血飛沫を上げ、次々と倒れ込む。
静寂が戻った瞬間、運転手はヘルメットを放り捨てた。
露わになった顔を見た途端、沙紀は思わず叫ぶ。
「な、直弥くん!?」
八幡直弥は息ひとつ乱さず、ライフルを素早くバックショルダーに戻すと、焦るように手振りで促した。
「沙紀さん、早く! 後ろに乗って!」
迷っている時間など一秒もなかった。
沙紀はルチアーナを抱きかかえたまま、直弥の背中へ飛び乗る。
直弥は同時にアクセルをひねり、バイクは轟音と共に道路へ飛び出した。
雨粒が叩きつけるように頬を打つ中、直弥が前を睨んだまま叫ぶ。
「沙紀さん、なんでここに!? っていうか、その女の人は誰なんですか!」
「今は説明してる時間なんてないの!」
沙紀はルチアーナを支えつつ、直弥の肩越しに緊迫した声をぶつける。
「直弥くんもここに来てるってことは、核のこと知ってるんでしょ!? だったら――今すぐポポロ広場に向かって!」
直弥は一瞬だけ振り返り、真剣な目を合わせると、力強く頷いた。
「了解ッ!!」
直弥が叫んだ瞬間、バイクはまるで獣が唸り声を上げたかのように加速した。
黒雲を裂く雷鳴が頭上を走り、濡れた路面を跳ねるようにタイヤが滑る。それでも直弥は一切迷いなくハンドルを切り、ローマの石畳を一直線に突っ走った。
背後で、無線の怒号とエンジンの爆音が重なる。
新手の軍車両が数台、まるで獲物を追う犬の群れみたいに迫ってきていた。
「ちっ…!」
直弥がミラーを一瞥し、低く舌打ちする。
ポポロ広場まで、残り100メートル。
もう視界の先に広場の噴水と古い建造物の影が見え始めている。
けれど――追手は容赦がない。
後部の兵士がライフルを構え、こちらのタイヤを狙っていた。
沙紀はルチアーナを抱きしめて庇いながら、直弥の背中に声を張り上げる。
「直弥くん、撃たれる!!」
「わかってる!! でも――止まれない!!」
その瞬間、乾いた銃声が響く。
直弥はハンドルを強引にひねり、バイクは横滑りしながら車体を傾けて弾丸を避けた。
石畳が火花を散らす。
耳元で風が唸る。
あと数秒――あと数十メートルで広場に飛び込める。
するとまた、追手の一人が銃を構え直した――その刹那。
ズガァァァンッ!!
胸の底にまで響く轟音がローマの街を震わせた。
続けざま、軍車両のひとつが光に貫かれたように爆ぜ飛び散る。
金属片が雨のように降り注ぎ、その破片が他の車両にも突き刺さり、連鎖するようにエンジンが悲鳴を上げて止まっていった。
瞬く間に、追ってきた軍車は全滅した。
雷だ――…。
沙紀は反射的に理解した。
だが同時に、背筋を冷たく撫でる疑念も生まれる。
――こんな“都合のいい雷”があるものか。
――誰かが狙って落とした…?
そう思う間もなく、バイクは広場へと滑り込んだ。
直弥は地を削る勢いでバイクを横滑りさせ、中央噴水の目前で停止する。
彼はヘルメットを脱ぎ、ただ前方の影を鋭く睨む。
噴水の前に立つのは二人。
ひとりは震え上がった様子の女。
赤縁のメガネ、真紅のリップ、きっちり束ねた肩口の髪、そして容赦のない冷徹な眼差し――
ルチアーナが語った特徴そのままの女、サンティス。
そしてもう一人。
傍らの黒いスーツケースへゆっくりと手を置きながら、こちらへ振り返る男。
その顔を見た瞬間、沙紀の呼吸が止まった。
まるで時が逆戻りしたかのように、彼の顔が脳裏によみがえる。
そして男は――薄く笑った。
「―――久しぶりだな、裏世界の番人達よ。」
直弥の喉が震え、噛み殺した憎悪が漏れる。
「……アントニオ…!!」
その声は、雷鳴より低く、怒気より重かった。
***
―――約3時間前 4時10分 シラクーザ
「これ…」
直弥の手の中で震える写真。その中央に映る、あまりにも見慣れた顔。
――アントニオ。
今朝までADFの協力者として、アジトまで提供してくれた男。
その男が、よりにもよってこの状況下で、数名の研究者と肩を並べて笑っている。
しかも、写真の端には――
今まさに命を絶った“ルカ”と名乗る少年の姿まで写り込んでいた。
胸がざわつき、胃の奥がきしむ。
何かが明らかにおかしい。
違和感が脳内で反響し続ける。
どういうことだ。
なぜアントニオがここにいる。
どうしてルカはこの写真を持っていた。
思考が乱暴にかき回されるような感覚に、直弥は言葉を失った。
背後で、サイレンのように遠くから聞こえる波音が、いつもより冷たく耳を刺す。
そして、先ほどまで横たわっていた少年の死体が、より重く現実を圧してくる。
視線は自然と、部屋の中央にある手術台めいた台の上へ吸い寄せられた。
そこに横たわっているのは――
スーツケース型核兵器。
蓋はすでに開かれ、内部配線が生き物の内臓みたいにむき出しになっている。
工具や半田ごて、試験片。
複数の計測器が赤いランプを点滅させて、不吉な鼓動を刻む。
そして直弥は、研究員の背後に“もう一つ”のスーツケースが無造作に置かれていることに気づいた。
息が詰まる。
二発目……?
頭の中で警鐘が鳴る。
鼓動がやけにうるさく耳に響く。
もし仮に二発あるのだとしたら――
ローマの一件は“片方”にすぎない。
「……嘘、だろ。」
口から漏れた声は掠れていた。
焦燥がじわりと内臓を掴む。
胸の奥で何かが凍り始める。
――時間がない。
――状況が分からない。
――そして最悪、核は二発。
出口のない迷路にいきなり叩き込まれたような感覚に、直弥は写真を握る手にさらに力を込めた。
彼は写真を裏返す。するとそこには、こんな一文が。
『7 agosto: rapina riuscita』
――8月7日:強奪成功日。
何を“強奪”したのかは書かれていないが、核関連である可能性だけは濃厚すぎた。
だがそうだとしても、どこから奪われたのかも、誰が関わったのかも判然としない。
考えるほど霧が濃くなるばかりだった。
――急ぐしかない。
直弥はルカの虚ろに開いたままの瞳を、そっと指で閉じてやった。
その小さな身体を道端へと横たえ、短く黙祷する。
そして迷いを振り払うように、倒れていたバイクを起こした。
エンジンをひねると、鈍い轟きが静かな道路に響き渡る。
直弥はアクセルを一気に吹かし、夜気を切り裂くように走り出した。
***
―――7時20分 ローマ
「おいおい、そんなに睨むなよ、シニョール・ヤハタ。そんな熱い視線向けられたら、俺だって照れちまうだろぉ?」
アントニオは、にやついたまま肩を竦めてみせる。
その軽薄な態度が、逆に殺気を帯びていた。
「……お前が黒幕だったのか。」
直弥の声は、噛みしめた奥歯の隙間から絞り出されるようだった。
「黒幕?」
アントニオはわざとらしく眉を跳ね上げ、鼻で笑った。
「いやいや、そりゃ違ぇよ。俺がカルヴァーニの野郎に“少しばかり”指示を出してやっただけだ。そしたらアイツ、勝手に暴れ回ってくれてよ。おかげでいい時間稼ぎになった。」
足元のスーツケースを、彼はつま先でコツンと蹴った。
金属が低く響き、まるで死刑宣告の鐘のように耳に残る。
「お陰さまで――こいつの最終準備も、滞りなく済んだってわけさ。」
その声音は、雷雲の下でもなお不気味に響き渡るほど冷たかった。
沙紀は、気を失った女をしっかりと抱きかかえたまま、アントニオに向かって声を張り上げる。
「貴方が…モリスだったんですね…! みんなを……ルチアーナさんを、こんな目に合わせて…!!」
モリス――それがアントニオの本当の名らしい。沙紀が抱いている女性がルチアーナなのだろう。
直弥は彼がどんな悪事を積み重ねてきたのか詳しくは知らない。だが、普段どれだけの侮辱にも笑って受け流す沙紀が、ここまで怒りを露わにしている。
なら――モリスという男は、それに見合うだけの「ろくでもないこと」をしてきたのだ。
事実、ローマで核を炸裂させようとする時点で、まともな神経をしていないのは明白だった。
雷鳴が一瞬だけ路地裏を白く裂き、その残光の中でモリスは口角を吊り上げた。
その笑みは、怒りも悲しみも──人間らしい温度を一片たりとも宿していなかった。
「ルチアーナぁ?」
モリスは、沙紀の腕に抱えられた女へ、まるで道端の死骸でも眺めるような薄い視線を向ける。
「ああ、その女のことか。――ほんっと馬鹿な奴だったぜ、そいつ。この眼鏡の命ぶら下げて脅したら、すぐに折れやがってよ。その結果、お前らADFはのこのここっちに現れた。まったく、とんだお笑い草だよなぁ!!」
言い放つと同時に、モリスは傍らにいた女性の髪を乱暴に掴み上げ、前へ突き出す。
女は痛みに顔を歪めながら、諦め切ったような色を帯びた瞳で、ただひたすらに謝罪の言葉だけを繰り返した。
「ごめんなさい…ルチアーナ……ごめん…なさい……ごめんなさい…!」
そのか細い声に呼応するように、ルチアーナのまぶたがわずかに震え、ゆっくりと開いた。
降り続く雨が彼女の頬をさらに冷たく濡らし、虚ろな視線だけがサンティスを捉える。
「…サン…ティス……わた、し……は……」
沙紀が支える腕を振り払うようにして、ルチアーナは地面を這いながらでもサンティスへ近づこうとした。
止めようとする沙紀の必死の声も届かない。ただその一点だけを目指すように。
サンティスの足元を目指しながら、ルチアーナは雨に濡れた唇を震わせ、絞り出すように問う。
「サンティス……私を……恨んで……いるか……?」
サンティスは震える肩を抱くように腕を押さえ、ルチアーナから必死に目をそらしていた。
罪悪感と恐怖と混乱がごちゃ混ぜになって、呼吸すらうまくできていない。
だが、その問いかけを耳にした瞬間、サンティスの表情がひくりと歪む。
逃げるように背を向けかけ──けれど、どうしても振り返ってしまう。
「……恨んで……なんか、ない……!私が、弱かっただけ……私が……っ」
掠れた声が、雨音にちぎれながらこぼれ落ちる。
ルチアーナは、痛む体を押し上げるようにしてサンティスへ手を伸ばした。
血で汚れた指先が伸ばされた瞬間、サンティスは息を呑んだ。
「サンティス……あなたは……弱くなんて……ない……」
途切れ途切れの声でも、その言葉だけは真っ直ぐだった。
「……お前の…旦那や、子供…を…殺したのは……紛れもない…この、私…だ。恨まれて…当然のことを…私は…した、んだ。だから…っ」
そこまで言ったところで、ルチアーナの肩が大きく揺れ、喉の奥から血が滲むような咳が漏れた。
沙紀が慌てて支えに戻ろうとした、その瞬間――。
雨音の向こうで、モリスが鼻で笑う。
「やれやれ、茶番はもう終いか? ――感動の再会ごっこは雲の上でやってくれよ。」
次の瞬間、いやに澄んだ金属音が広場に跳ねた。
まるで処刑台の合図のように、冷たく、乾いた音だった。
「はっ……?」
その戸惑いの息が終わるより早く、モリスは懐から拳銃を抜き放ち、
迷いもなくルチアーナの肩口へ向けて引き金を絞った。
乾いた破裂音。
肉が弾ける鈍い音。
続いて、濡れた石畳に叩きつけられるような悲鳴。
「っ……あ、ぁ……ッ!」
ルチアーナは肩を押さえながら崩れ落ち、滲んだ血が雨で薄まりながら路面に広がっていく。
「ルッ……ルチ、アーナ……!」
「ルチアーナさん!!」
沙紀が悲鳴のような声をあげ、滑る石畳を蹴って駆け寄り、倒れた彼女を抱え込む。
直弥の怒号が、雷鳴より荒く広場に響いた。
「お前! 何してやがんだ!!」
直弥の怒声を真正面から浴びながらも、モリスは一歩たりとも退かない。
雨粒が銃身を伝い落ち、冷たい音を立てて石畳に散った。
「お? ADFのラガッツォ共も、他者の痛みにそんなムキになんのかよ。」
ゆるりと首を傾け、心底面白がっているように笑う。
「どこまでいっても人間は人間だな。特に若ぇのはよ──しょうもねぇ仲間意識にしがみついて、冷静さ捨てて、判断ミスって、勝手に死んでく。儚ぇなぁ、脆いなぁ、人間ってやつは。」
その声音は、まるで割れたガラスを指でなぞるような悪意の冷たさを帯びていた。
直弥の全身が、怒りで張りつめる。
だがモリスの目には、それすら獲物の反応を楽しむ捕食者の色しか宿っていない。
「ほら、また一人。」
その冷酷な一言が、空気をさらに凍らせる。
直弥は沙紀の名を叫び、首を跳ねるようにそちらへ向けた。
「沙紀さん!!!」
「えっ――」
ルチアーナの傷口を必死に押さえていた沙紀が、ようやくモリスの気配に気付く。そしてその意味を悟ったのは、ほぼ同時だった。
だが――もう遅い。
モリスの人差し指が、ゆっくりと彼女へ向けられる。
直後、空を裂くような白光が落ちた。
雷撃が沙紀のすぐそばに炸裂し、爆ぜるような衝撃波と焼ける空気が弾け飛んだ。
沙紀は反射的にルチアーナを突き飛ばし、その身に直撃を受ける。
耳鳴りと共に、彼女の細い体が、荒々しく宙へと投げ出された。
「沙紀さっ――!」
直弥は、気が付かなかった。
モリスはもう、彼の眼の前にいたのだ。
影のように、気配すらなく。
「―――そんでまた、もう一人。」
甘く囁くような声の直後、彼の掌が直弥の腹に触れた。
刹那――世界が暴れ狂う閃光に飲まれた。
内臓を直接掴まれるような痛み。
神経が焼け切れる音が耳の奥で叫ぶ。
次の瞬間、直弥の身体は自分の意思を失い、石畳に崩れ落ちた。
息ができない。
視界が揺れる。
彼は震える手で、自分の腹へ触れた。
そして――見てしまった。
そこには、ぽっかりと空いた“穴”。
肉がえぐれ、焦げた縁から煙が上がり、血すらまともに流れ出してこない。
雷で焼き切られたせいだ。
直弥は声にならない声をもらし、ただただ呆然と、空洞だけが自分を見返してくる感覚に震えた。
直弥の腹を貫いた痛覚は、もはや「痛い」という単語で表現できる範疇を軽く越えていた。
身体の内側が一瞬で焼け、抉られ、存在そのものが削ぎ落とされるような感覚。
視界が揺れ、世界が濁る。
「ぁ゙……っ」
言葉にもならない息が漏れた。
雨が叩きつける中、モリスはもう興味を失ったように手を払うと、軽く鼻で笑った。その仕草は、倒れた直弥を“人”として扱っていないようで。
「ほらな。言っただろ──儚ぇんだよ、人間って。」
その声音はひどく静かで、それがかえって残酷だった。
「……っ、あ……ぁ゙、ぁ」
喉が震える。やはり声が出ない。
力を振り絞って、先に攻撃を受けた沙紀らを探すように視線を動かす。
だが、焦点の合わない世界の中では、それが人かどうか判別することすらできない。
視界の隅で、雷光が反射して石畳を白く照らす。
その中心に立つモリスの姿は、まるで天災そのもの──人の形をした悪魔だった。
そして直弥の意識は、冷たい雨音に溶けるように途切れていった。
続く…




