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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第肆章
83/112

82話 シチリア動乱 - 21 -

 ―――4時00分


「カルヴァーニの野郎……しぶといな。」


 イル・サングエ・ロッソの首領、ヴィットリオ・スカラーレは、口の端を噛むようにして吐き捨てた。深紅のスーツにまだらな血汚れが乾ききらず、袖口が黒ずんでいる。


 側近の一人が無線機を握りながら応じる。


「ポッツァーロもカルタジローネも戦況は拮抗しています。それより問題は軍です。小競り合い程度のはずが、もう戦車まで投入してきています。対戦車火器はありますが……数が足りない。正直、このままでは共倒れになりかねません。」


 スカラーレは舌打ちした。


 マフィア同士で血を流し合うならまだ筋が通る。だが、国家軍がここまで強硬に踏み込んでくること自体が異様だった。


 本来ならば、裏社会の抗争など、どこの国でも“見て見ぬふり”をするものだ。だが今の介入速度と装備は、まるで国境防衛でもするかのような厳戒態勢に近い。


「どれもこれもカルヴァーニのクソ野郎のせいだ。」


 吠えるというより、喉の奥から絞り出すような声だった。

 ポッツァーロ方面から一気に挟撃すれば決着は早い──そのはずだった。だが実際は、上陸した瞬間には既に防衛線が敷かれていた。


「情報が漏れたか……裏切り者がいやがる。」


 カルヴァーニの狡猾さが骨身に染みる思いだ。あの強面の笑顔を粉砕機にでも突っ込んでやりたい。何時間経とうが膠着状態のまま。泥沼に足を取られたような感覚が、苛立ちを限界まで煮詰めていく。


 ただの抗争ではない――誰かが仕組んだ。


 そう直感させるのに十分な異常さだった。


 そこへ、別の側近が慌てた様子で駆け込んできた。


「スカラーレ様! たった今、カルタジローネ南東地区に正体不明の部隊が出現したとの情報が!」


「正体不明の部隊だ? EUROFOR(欧州即応部隊)か?」


 側近は答えに詰まる。

 その沈黙が、かえって不気味だった。


「その可能性も考慮しましたが…どうやら違うようです。」


 スカラーレは目を細めた。


「……じゃあ誰だって言うんだ?」


 その瞬間、建物全体が身震いするほどの爆発が起きた。

 市街の遠方で、夜空を突き刺す火柱が立ち上る。


 血塗れの抗争は、もはや“別の何か”に乗っ取られ始めているというのか。


 スカラーレがそう思った矢先だった。

 部屋の照明が、一瞬ちらつき――闇に沈む。


「停電だと? クソッ、非常灯を──」


 その瞬間だった。


 ドン、ドン、ドドンッッ!


 重く鋭い破壊音が、すぐ側の廊下から立て続けに響いた。

 壁を砕く、機械的な、容赦ない衝撃。


 側近たちが銃を構えるより早く──


 扉が爆ぜた。


「侵入者だ! 入り口を――」


 側近が叫び終えるより早く、


 ダンッ!

 脳漿が壁に撒き散らされ、側近が崩れ落ちた。


「伏せろ!!」


 スカラーレは机をひっくり返し、身を低くした。

 次々と銃声が弾け、スカラーレの部下たちが声を出す暇すらなく倒れていく。


 一秒ごとに、人間が物体へと変わっていく。


「畜生……カルヴァーニか!」


 壁際に転がった死体の影から、ゆっくりと姿を現す男がいた。


 エンツォ・カルヴァーニ。

 白いスーツに、返り血の赤が花のように散っている。

 だが、その顔に感情はなかった。

 笑いも怒りもない。

 ただ、淡々と仕事をする暗殺者の目をしていた。


 彼は銃口をゆっくりとスカラーレに向け、引き金を絞った。


 ドスッ


「ぐ、あ゙…っ!」


 腹部が赤く破裂したように濡れる。

 弾丸は臓器を削り、熱を残して体内に沈んだ。

 息が詰まる。口から空気に混ざって血が泡立つ。


 もうスカラーレを守ってくれる部下は一人もいない。

 そこらに転がる死体は、もう盾にすらならない。


 詰み――

 その言葉を飲み込む前に、エンツォは言った。


「腹だけじゃ死ねねぇよなぁ、ヴィットリオ・スカラーレ。痛ぇよなぁ苦しいよなぁ、早く死にてぇよなぁ。」


 スカラーレの背筋が薄ら寒くなる。

 終わりではなく、苦痛の始まりだと伝えている。


「……なぜここが…わかった、カルヴァーニ……!」


 スカラーレが吐き捨てるように言うと、エンツォは指先も揺らさず返した。


「黙ってたほうが、部下の名誉にもなるんじゃねぇか?」


 次の弾は――脚に向けて撃たれた。


 バァン!

 血と肉片が飛び散り、スカラーレは悲鳴さえ忘れ、床に転がる。


「がッ、ぁああああああ!!」


 舞台に立った役者をゆっくりと殺すように。

 観客も拍手もない冷酷な舞台だ。


 カルヴァーニは、まるで変哲のない書類仕事でもするような声で言う。


「イル・サングエ・ロッソは、今日をもって解散だ。」


 スカラーレはもう声にならない嗚咽を漏らし、血の海に沈みかける。


「……殺……せ……殺して……くれ……」


 震える声は、もはや哀願とも呻きともつかない。

 奪う側だった男が、奪われる側の声で命乞いをしていた。


 カルヴァーニはその姿を見下ろし、鼻先で笑うでもなく、眉を動かすでもなく、ただ淡く嗤った。


「やなこった。」


 銃口は下げられたまま。

 撃つ意志すら感じさせないのに、言葉だけが首を絞める刃だ。


「てめぇみてぇな腐れ野郎にゃ、さっきの弾丸二発で十分だ。」


 腹と脚──生かして、動けなくする場所。

 死ねないまま、痛みだけ燃やす弾。


「腐れ野郎なら腐れ野郎らしく、そのままゆっくり腐れ死ね。」


 スカラーレの瞳に映るのは、慈悲のない死刑執行人の光だけだった。



 ***



 もはやうめき声しか上げられなくなった身体を、カルヴァーニは一瞥だけで見捨てた。

 銃口を向けないまま。情けも与えないまま。


 その足で床に転がる死体を踏みつけ、無造作に椅子へ腰を下ろす。

 血に染まった白スーツの膝を組み、隣に控える尋問屋へ問いかけた。


「そういや──ヤハタナオヤとクマノアキヒサは今何してんだ?」


 尋問屋は分厚いゴム手袋を外しながら答える。


「熊野璃久のほうは、カルタジローネで確認されています。ロッソの構成員や軍人を……かなり効率良く殺しているそうです。ただ、八幡直弥の方は目撃情報が全く。」


 カルヴァーニは鼻で笑った。


「逃げたか、あの坊主。……まあ、だいたい行き先は読めるがな。」


 そう呟いてから、片手だけを上げる。

 命令の合図に、側近の一人が前に出た。


 カルヴァーニは、面倒事でも指示するように軽い声で言う。


「ポッツァーロにいるルカに連絡回せ。」


「はっ。伝令内容は?」


 カルヴァーニの口元が、薄く歪んだ。


「八幡直弥がローマへ向かってる。──殺さず連れ戻せ。」


 尋問屋が怪訝な顔をした。部下たちもざわめく。


 カルヴァーニは、淡々と続ける。


「あの坊主はまだ使える。生きたまま捕まえろ。──核なんかより価値がある。」


 その声音は呟きのように小さく、しかし室内の誰よりも冷酷だった。


 カルヴァーニの視線が、再びスカラーレの方へ向く。


 痙攣する肉塊。かろうじて人の形を保つ骸。

 呼吸とも呻きともつかない濁った音だけが、血の海に泡立っている。


「生きる価値のない者は淘汰され、価値ある者だけがのし上がる。──そういう世界じゃねぇと、俺は生きる意味がねえ」


 カルヴァーニは息を吐いて立ち上がった。

 足先で、邪魔だと言わんばかりに死体を横へ蹴り飛ばす。肉が鈍く転がる音が床に響いた。


「価値ある奴は誰でも何でも拾い上げる。利用できるならなおのことだ。──さぁ見せてみろよ」


 薄闇の向こうに嗤う。


「『ADFの底力』ってやつをなぁ」


 カルヴァーニはコートの裾を翻して歩き出す。虫の息のロッソの構成員には、目もくれなかった、




 ***




 ―――同刻、シラクーザ


 ローマを目指すとはいえ、徒歩でどうにかなる距離ではなかった。

 直弥はただ無心に歩いた。カルタジローネから、命の余白を削るように。

 息を切らし、靴底を擦り減らして、ようやくシラクーザ県まで辿り着いた。


 それでもローマまでは、まだ五分の一にも届かない。

 途中で何度も「車かバイクを奪おうか」と迷った。だが、運転経験のない直弥には、その判断が妙に怖かった。


 ――それでも、もう歩いてはいられない。


 破れかけのジャケットを押さえながら、大通りの先に目を走らせる。

 そこに無造作に転がるように置き去りになったバイクが一台。倒されたまま、鍵だけが刺さりっぱなしだ。


 大型のアメリカンタイプ。1500ccはあるだろう。

 抗争に巻き込まれて持ち主が逃げたか、あるいは殺されたか――考えるだけで冷気が背筋に上った。


「借りるしか…ないか」


 覚悟を決め、直弥は重い車体を必死に起こそうと手をかけた。

 汗が滲む。力を込める。ようやくタイヤが地面を噛んだ、その瞬間。


「どこに行くんだい、八幡直弥くん?」


 背後から聞こえたのは、異様なほど流暢な日本語。


 直弥は反射的に振り返る。

 通りの向こうに、武装した男たちが数名。

 その中心に、場違いなほど整った顔の少年――カルヴァーニの側近であるルカがいた。


 心臓が跳ねる。


 居場所がバレた。


 考えるより先に、直弥の手が動いていた。

 腰に挟んでいた拳銃を素早く引き抜き、構える。


 喉の奥で息が鋭く震えた。

 その瞬間、少年の目だけが、やけに楽しげに細められていた。

 まるで、退屈していた子どもがようやく面白いオモチャを見つけたような――そんな光だった。


「おいおい物騒だなぁ。俺は君をずっと影で見張ってた上で、君がどこ行くかって、普通に聞いただけなんだけど?」


 無邪気すぎる声音。だが足元の構成員たちは、すでに銃を抜く一歩手前。

 この少年だけが、戦場にいるとは思えないほど気楽だった。


 直弥は返事をせず、ただ銃口だけをゆっくりと上げていく。


 ルカは肩をすくめ、ため息をつく。


「返事もなしか。…まあいっか。ついさっき首領が言ってたよ。“八幡直弥は、価値ある資源だ。傷つけずに捕まえろ”ってさ。」


 背中を汗が伝う。

 捕らえられたら、ローマが消し飛ぶ。


 ルカが指を軽く鳴らす。

 それだけで、周囲の構成員たちが一斉に取り囲んだ。


「ねぇ直弥くん、君さ――」


 少年は悪戯を続けるような、歪んだ期待を含んだ声で笑った。


「魔族がうちの首領だと疑ってるんだろ?」


 直弥は黙ったまま、指に力を込める。

 生きるため。逃げるため。撃つしかない。


 だが、少年の笑みはますます深まっていく。


「…沈黙は肯定でいいのかな。まあ、その予想は半分当たりで、半分外れだよ。」


 直弥は眉ひとつ動かさない。

 だが心臓だけがうるさいほど脈打っていた。


 この少年は…何を知ってる?


 ルカは、楽しそうに直弥の顔を覗き込みながら続けた。


「俺ね、君のことちょっと気に入ってるんだ。ボスに似てるし(・・・・・・・)。だからさ、首領から命令もらった時に決めてたんだよ。」


 そしてふいに、懐から拳銃を抜いた。


 直弥も咄嗟に引き金へ指をかけ――


 だが、遅い。


 乾いた銃声が一発。

 直弥は反射的に目を閉じる。


 だが、いつまで経っても痛みが来ない。すると代わりに、別の呻き声が響いた。


 目を開くと、側頭部を撃ち抜かれた構成員が膝から崩れ落ちている。


「…は?」


 直弥も、残った構成員たちも理解できなかった。


 だが、ルカは理解する必要などないと言わんばかりに、もう一発撃った。

 また一人、崩れ落ちる。


 その瞬間、ようやく残りの構成員が状況を悟り、銃を向けた。

 だが、もう遅い。狙う前に撃たれ、倒れ、静寂が戻る。


 直弥とルカだけが、その場に立っていた。


 少年は口元だけで笑う。


「別に君を助けたくてこんなことしてるわけじゃないから、そこは履き違えないでね。」


 すると彼は何を思ったのか、今度は銃口を自分の側頭部にあてがった。


「何、して…」


 直弥の声はかすれ、喉がひとりでに震えた。


 ルカは肩をすくめ、他愛もない用事を頼むような口調で言う。


「行きなよ、ローマへ。そこに答えがある。……ああそうだ忘れてた。俺はボスの命令で今から死ぬけど(・・・・・・・)、俺の懐に封筒があるから、それだけ取っておいて。」


 直弥はその異常とも思える少年の声に唖然とする。

 少年は依然優しい笑顔を貼り付けたまま、何食わぬ様子で引き金に力を込める。


 次の瞬間、夜明け前のシラクーザに、あまりにも軽い音が響いた。

 少年の身体が糸の切れた操り人形のように崩れ落ち、鉄臭い血の匂いが静かに広がる。


 直弥は動けず、ただ茫然と立ち尽くした。

 何だったんだ、この少年は。それにボスって、一体…


 混乱する脳をなんとか落ち着かせ、ゆっくりルカの元へと近づく。死に顔は生前の笑顔のままだった。

 まだ温かい体温を肌に感じながら、彼の懐をそっとまさぐる。


 彼の言った通り、薄い封筒が入っていた。

 恐る恐る開くと、そこには写真が1枚。


 直弥は戦慄する。


「これ…」


 写っていたのは、化学防護服を着た研究者らしき数名と、巨大なスーツケース。

 それが探し求めている核兵器だと、直弥は直感した。

 しかし――それよりもさらに目を奪うものがあった。







 写真の中央に写っていた人物。それは――







 続く…

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