81話 シチリア動乱 - 20 -
―――3時48分 カルタジローネ
「柏谷、いま戦況どうなってる?」
強靭公・夏芽遼はAR70ライフルを携え、柏谷狭とともにカルタジローネの狭い路地を駆け抜けていた。
夜の住宅街は騒音と血の匂いで溢れ、遠くでサイレンが鳴り止まない。
柏谷は襲いかかってくるドーロの構成員の腹を撃ち抜きながら、短く答えた。
「五分五分ってとこです。それより軍の介入が激しいっす。こんままじゃ戦車まで投入される可能性も…なくはないかと。」
「やっぱりか……。」
夏芽は口の中で呻き、壁際に身を寄せながらマガジンを交換した。
飛び散るコンクリ片を払いつつ、低く独り言のように続ける。
「このままじゃ魔族探しもろくにできやしない。ドーロかこっちの首領が魔族なら話は早いんだけどな……。」
柏谷が振り向く。
「どっちも違った場合は?」
夏芽は短く鼻で笑った。
「もし仮に――ラ・ローザ・ネーラの首領が魔族だった場合が一番最悪。」
回収しきれない弾丸と叫びが飛び交うなか、夏芽の声だけは妙に冷静だった。
「いまこの中でいちばん賢いのは、争いに乗じてないマフィアだ。抗争の渦中にいない連中の首領が、もし魔族なら――」
一拍置き、夏芽は言い切る。
「逃げられる可能性は“ある”じゃない。確実に逃げる。」
そう言い切った夏芽は、すぐに言葉を継いだ。
「……かといって、抗争から逃げるわけにもいかない。」
柏谷が怪訝そうに振り返ると、夏芽は弾倉を叩き込みながら淡々と続けた。
「あくまで予想の域は出ないけど、多分政府は、僕たちADFをこの抗争を引き起こした黒幕だと疑ってる。実際、今朝顔を合わせたカラビニエリの隊員も――」
突如銃声が鳴り響き、近くを通り抜けた弾丸が石壁に穴を穿つ。夏芽は怯んだ様子もなく続ける。
「――迷わず撃ってきた。」
橙色の街灯が血塗れの路地を照らす。
柏谷は、喉が詰まるような感覚で息を呑む。
「俺たち……完全に敵扱いってことっすか。」
夏芽は答える代わりに、遠方に視線を向けた。
黒い作業服。バラクラバ。
軽装備ながら訓練された動きで進軍する軍人たちが、じりじりと包囲網を狭めてくる。
「……洒落になってねぇ。」
思わず柏谷が呟くと、夏芽は短く舌打ちした。
「まだ疑ってる段階だとはいえ、ここで彼らに抵抗すれば、抗争の黒幕は僕たちだと確定させてしまう。」
軍人たちは射撃姿勢を取りながら、じりじりと包囲網を狭めてくる。
照準レーザーが、瓦礫の間に伏せる夏芽たちを赤くなぞった。
「かといって、黙って拘束されれば魔族捜索はそこで終了。あとは奴らの思う壺。」
夏芽は淡々と言う。
焦りも怒りもない。まるで計算された結論を読み上げるように。
そして、ライフルのセーフティを外した。
「―――だから。」
わずかに身体を前へ乗り出し、肩で銃を支える。
呼吸が、冷や水のように静かになる。
「迷う理由なんか、初めからない。」
視界の端に迫る赤外線照準。
引き金に指がかけられ、そのまま一切のためらいなく――
「僕らはADFだ。」
炸裂する銃声。
夏芽は身を乗り出し応戦する。弾丸は、撃つべき箇所を迷いなく撃ち抜き、敵の隊列に穴を空けた。
軍人たちは一斉に散開し、反撃を開始する。
柏谷もその動作に余念無く付いていく。だが相手も夏芽らと同様軍人。一端のマフィア構成員とは違い戦いのプロフェッショナルである。
柏谷は夏芽と息を合わせて別方向に射線を取る。
ただ撃つだけでは勝てない。
位置取り、タイミング、撃つ角度――プロ同士の殴り合いだ。
夏芽は冷静に状況を捉える。
「状況は互角…でも、人数は向こうが上な以上、持久戦じゃ不利だね。」
「じゃあどうす――」
柏谷が言い終わる前に、夏芽は身体を滑らせ、路地の死角へ移動。
射線が一瞬狂う。敵兵が隙を突こうと前に出る。
夏芽はその瞬間を狙って、扉の隙間から撃った。
「気抜かないで。死ぬよ。」
倒れた軍人のヘルメットが転がった。
柏谷は肩をすくめ、小さく息を吐いた。
「…助かりました。」
「感謝は戦果で返して。」
返事を待つ気はさらさら無い。
夏芽はすでに射線を切り替え、再び乱射へ移っている。
柏谷もそれに続き、伏せながら懐から丸い金属を取り出した。
「下がってください。」
夏芽は言われずとも動いている。
同時に柏谷はアップル型グレネードを投げ込む。
爆発。衝撃波が通路の空気を歪ませ、煉瓦壁を散らす。
巻き込まれた数名の軍人が、声すら上げる暇なく吹き飛んだ。
瓦礫、煙、飛び散る四肢。
「……さすがというべきか。これでも崩れないか。」
柏谷が息を呑むその先で、敵は怯まないどころか――
逆に動きが鋭くなった。
このままではジリ貧になると判断したのだろう。
敵は総崩れになる前に包囲を縮め、一気に叩き潰すつもりだった。
そう来られると、こちらは分が悪い。
敵は十名。戦力差は最低でも五倍。
夏芽は壁際の陰へ身を滑らせ、敵の配置と射線を一瞥し、ぽつりと呟く。
「……怒らせちゃったかな」
柏谷は苦笑を浮かべる余裕もなく、別の遮蔽物へと飛び込んだ。
直後、弾丸が壁面を抉り、粉塵が視界を白く濁らせていく。
その中でも夏芽は照準越しに敵の動きを淡々と追った。
「どうする? 打開できないわけじゃないけど――」
言葉の意味を、柏谷は一瞬で悟る。
短く答えた。
「俺が使うっす」
夏芽はわずかに目を伏せ、それでもすぐ前を向く。
「……悪い。恩に着る」
柏谷は息を整えるように一度深く吐き、そっと遮蔽物から身を乗り出した。
異様な気配を察したのか、敵が射撃を止める。
銃口の全てが、柏谷の頭と胸元へと集中した。
張り裂けそうな緊張――しかし柏谷に怯みはない。
静かに、だが異様な構えを取った。
足幅は肩より少し広く、重心は極限まで低い。
踵は地面を舐め、指先には荒ぶる圧が宿る。
腕は前へ伸ばさず、顎の下で牙を隠すように構え――いつでも噛みつける間合い。
肩は落ちているのに、首筋だけが震えるほど逆立つ。
呼吸は吸わない。ただ喉奥で唸りを押し殺す。
「――狼術解放」
瞬間、指先が黒く染まる。
それは影ではない。力そのものが“爪”の形を取っていく。
腰から下は異様な安定、上体は微細に揺れ、檻の中で牙を研ぐ獣のよう。
目が光った瞬間――構えが完成した。
跳躍ではない。
地面が柏谷を放り投げた。
狼術。
自身を一時的に“巨大な狼”へと変貌させる人術。
人術とは本来、自らが所有・支配するモノを代償に、それを生力と呼ばれるエネルギーへ変換して発動させる秘技。しかし、柏谷の術はその理から外れていた。
彼は“神族”の一柱――
北欧神話になぞられ、ADFでは『フェンリル』と呼ばれる存在へ代償を支払い、術を借り受けている。
この系統の術は「準神化人術」。
神化人術ほどの絶対性はないにせよ、“神の力を借りる”という時点で常人の枠を逸脱している。
ただ一噛み――それだけで、戦況を食い破る神獣になり得るのだ。
六つ目の巨大な狼は、兵を引き裂きながら低く唸る遠吠えをした。
六つ目の巨大な狼は、兵を引き裂きながら――
血煙の中で、低くくぐもった遠吠えを響かせた。
その声は獣のそれでありながら、どこか“理性の残響”を帯びている。
ただ暴れるのではない。狙い、計算し、確実に殺す。
振り下ろした前脚が、まるで戦斧のように兵士を叩き潰す。
爪は銃弾より鋭く、骨も装甲も紙のように断ち切った。
敵の隊員が逃げ出そうとするが、それよりも早く狼の牙が彼の喉を裂いた。
血飛沫が霧状になって舞い上がり、一瞬だけ陽光の粒となってきらめく。
その中心で、狼は静かに息を吐いた。
戦場の匂いが肺に満ち、力がさらに膨れあがるように。
夏芽はその光景を横目に、淡々と銃口を別方向へ向ける。
狙いは逃げようとした兵士。
一切の迷いもなく、引き金が絞られた。
銃声は一発。
その一発で、逃げ道は永遠に閉ざされる。
巨大な狼が駆け、夏芽の銃火が追撃し、戦況は一瞬で逆転。
包囲していたはずの敵が、いつの間にか狩られる側へと立場を変えていた。
逃げ惑いながらも、最後の兵士が断末魔を上げる。
その声に、夏芽は小さく鼻で笑った。
「随分呆気ないな」
狼は振り向き、六つの瞳でその敵を射抜き――
まるで答えるように、上半身をそのまま噛み砕いた。
骨が砕ける音と、臓腑が潰れる生温い音が混じり、
半欠けとなった死体は、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
血溜まりが石畳を赤黒く染め、
やっと、戦場に静寂が戻った。
狼は身を縮め、輪郭をほどきながら柏谷の姿へと戻っていく。
爪は指に、毛皮は肉体に吸い込まれ――
ただ人間の体へ帰還するはずが、口元から赤い液が滴った。
代償か。
だが柏谷は、拭うこともせず淡々としている。重傷ではなさそうだ。
夏芽は一歩踏み出し、死体のひとつに膝をついた。
バラクラバをつまみ上げ、ぱりと剥いで――そして、動きを止めた。
「……スラヴ人? イタリア軍じゃないのか…?」
肌の色、頬骨の張り、軍隊式の刺青。
地元兵には見られない特徴がいくつも揃っていた。
特に瞳――青や緑が多い。東スラヴ圏の色だ。
夏芽がそれを判断できたのは、単なる知識ではない。
彼自身がスラヴ系の血統だからだ。
先祖がどういう経緯でADFに加わったのかは分からない。
だが幼い頃からウクライナ方面にルーツがあるとだけ、よく家族に聞かされてきた。
その血が、今ここで違和感を鋭く拾う。
――なぜ、同じルーツの奴らが、ここに?
柏谷が、口元の血を指で拭いながら近づく。
「どうしたんすか」
夏芽は一瞬だけ言葉を止めた。
脳裏に何かが引っかかった――けれど。
「……いや、なんでもない」
淡々とした返答。
しかしその声音には、言葉にしない不穏さが滲んでいた。
夏芽は死体から視線を外し、銃声が止んだ街路をゆっくりと見渡す。
「とりあえず、ここを離れる。ここまで派手に動いた以上敵の増援がすぐ来る――時間がない」
言葉に、柏谷は深刻さを理解して頷いた。
その動きには、少しの疑念と、強い信頼が込められている。
そして二人が移動しようとした、その瞬間――
背後に、足音。
「もう来たか…!」
夏芽は迷いなく反転し、銃口を向ける。
柏谷も同時に構え、狼の息をまだ喉奥に残したまま、いつでも噛みつける姿勢を取った。
だが次に響いた声は、銃声ではなかった。
「強靭公! 俺です! 熊野璃久です!」
赤茶と血に汚れた瓦礫の陰から現れたのは、
煤まみれで息を切らした熊野璃久だった。
夏芽は一瞬だけ全身の緊張を解き、銃口を下げると同時に駆け寄る。
「無事だったか…璃久隊員」
それは短く、だが本心から安堵の滲んだ声だった。
璃久は肩で息をしながら、苦笑混じりに無赦の環をとる。
「はい……強靭公、今だいぶんヤバい状況で…」
璃久の声は焦りよりも、報告者としての責任で震えていた。
その言葉を遮るように爆発音が遠くの街区を襲い、三人の足場を震わせる。
瓦礫が振るえ、粉塵が舞い上がり、
カルタジローネの空気全体が悲鳴をあげているようだった。
夏芽の表情から、言葉が抜け落ちた。
「…何があった」
璃久は唇を噛んだまま、絞り出すように続ける。
「ファミリア・ディ・サングエ・ドーロの首領は――核を持っています」
夏芽の指が一瞬だけライフルを握り締めすぎて軋んだ。
「奴が言うには、それはローマにあると。そして俺や八幡に、協力しなければ起爆すると脅しをかけられています」
璃久の拳が震えていたのは、恐怖ではない。
屈辱だった。戦士として、仲間として、そして脅しに屈した己として。
「……恐らく、奴が魔族の可能性が高い」
静寂。
爆発の轟音すら、遠くなる。
夏芽は、震えを押し殺すように、低く言った。
「ローマに核を置いて、シチリアで抗争を仕掛ける……?」
その意味を、言葉にすれば単純だ。
カルタジローネでの抗争は――ただの“囮”か。
「ADFを足止めしながら、人質にできる都市全部を脅迫するつもりか」
次の瞬間、夏芽の目が、狼より鋭く光った。
「……今、八幡にローマへの核攻撃を防ぐよう現地に急行させています。ですが…間に合うかどうか…」
璃久がそう呟く。その言葉に、夏芽は振り返らず答えた。ただ前だけを見据えて。
「じゃあ僕が動く。ドーロの首領の首を獲る。お前ら二人は抗争を止めろ。今の混沌じゃ、何もできやしない。」
璃久は短く、だが確かな意志で頷いた。
一方、柏谷はというと──瓦礫に腰を下ろし、足を落ち着きなく揺らし続けている。視線は逸らしたまま、返事もしない。不機嫌というより、苛立ちが爆ぜる寸前の火薬のようだった。
夏芽の胸に、わずかな不安が刺さる。
熊野璃久と柏谷狭。この二人は、ただ仲が悪いなどという生易しい関係ではない。過去に人術を持って、本気の殺し合いまでやっている──その事実は、ADF内ではもはや周知の事実だ。
任せていいのか?
作戦中に、また殺し合いを始めたりしないだろうか?
――その懸念は、確かに的を射ている。
だが、今は背に腹は代えられない。選択肢は他にないし、やるしかない。
大丈夫。璃久は冷静だ。
作戦中に仲間割れなど、起こさない……はずだ。
夏芽はそう自分に言い聞かせた。
「任せたぞ、璃久隊員」
続く…




