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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第肆章
82/112

81話 シチリア動乱 - 20 -

 ―――3時48分 カルタジローネ


「柏谷、いま戦況どうなってる?」


 強靭公・夏芽遼はAR70ライフルを携え、柏谷狭とともにカルタジローネの狭い路地を駆け抜けていた。

 夜の住宅街は騒音と血の匂いで溢れ、遠くでサイレンが鳴り止まない。


 柏谷は襲いかかってくるドーロの構成員の腹を撃ち抜きながら、短く答えた。


「五分五分ってとこです。それより軍の介入が激しいっす。こんままじゃ戦車まで投入される可能性も…なくはないかと。」


「やっぱりか……。」


 夏芽は口の中で呻き、壁際に身を寄せながらマガジンを交換した。

 飛び散るコンクリ片を払いつつ、低く独り言のように続ける。


「このままじゃ魔族探しもろくにできやしない。ドーロかこっちの首領が魔族なら話は早いんだけどな……。」


 柏谷が振り向く。


「どっちも違った場合は?」


 夏芽は短く鼻で笑った。


「もし仮に――ラ・ローザ・ネーラの首領が魔族だった場合が一番最悪。」


 回収しきれない弾丸と叫びが飛び交うなか、夏芽の声だけは妙に冷静だった。


「いまこの中でいちばん賢いのは、争いに乗じてないマフィアだ。抗争の渦中にいない連中の首領が、もし魔族なら――」


 一拍置き、夏芽は言い切る。


「逃げられる可能性は“ある”じゃない。確実に逃げる。」


 そう言い切った夏芽は、すぐに言葉を継いだ。


「……かといって、抗争から逃げるわけにもいかない。」


 柏谷が怪訝そうに振り返ると、夏芽は弾倉を叩き込みながら淡々と続けた。


「あくまで予想の域は出ないけど、多分政府は、僕たちADFをこの抗争を引き起こした黒幕だと疑ってる。実際、今朝顔を合わせたカラビニエリの隊員も――」


 突如銃声が鳴り響き、近くを通り抜けた弾丸が石壁に穴を穿つ。夏芽は怯んだ様子もなく続ける。


「――迷わず撃ってきた。」


 橙色の街灯が血塗れの路地を照らす。

 柏谷は、喉が詰まるような感覚で息を呑む。


「俺たち……完全に敵扱いってことっすか。」


 夏芽は答える代わりに、遠方に視線を向けた。


 黒い作業服。バラクラバ。

 軽装備ながら訓練された動きで進軍する軍人たちが、じりじりと包囲網を狭めてくる。


「……洒落になってねぇ。」


 思わず柏谷が呟くと、夏芽は短く舌打ちした。


「まだ疑ってる段階だとはいえ、ここで彼らに抵抗すれば、抗争の黒幕は僕たちだと確定させてしまう。」


 軍人たちは射撃姿勢を取りながら、じりじりと包囲網を狭めてくる。

 照準レーザーが、瓦礫の間に伏せる夏芽たちを赤くなぞった。


「かといって、黙って拘束されれば魔族捜索はそこで終了。あとは奴らの思う壺。」


 夏芽は淡々と言う。

 焦りも怒りもない。まるで計算された結論を読み上げるように。


 そして、ライフルのセーフティを外した。


「―――だから。」


 わずかに身体を前へ乗り出し、肩で銃を支える。

 呼吸が、冷や水のように静かになる。


「迷う理由なんか、初めからない。」


 視界の端に迫る赤外線照準。

 引き金に指がかけられ、そのまま一切のためらいなく――


「僕らはADFだ。」


 炸裂する銃声。

 夏芽は身を乗り出し応戦する。弾丸は、撃つべき箇所を迷いなく撃ち抜き、敵の隊列に穴を空けた。


 軍人たちは一斉に散開し、反撃を開始する。


 柏谷もその動作に余念無く付いていく。だが相手も夏芽らと同様軍人。一端のマフィア構成員とは違い戦いのプロフェッショナルである。


 柏谷は夏芽と息を合わせて別方向に射線を取る。

 ただ撃つだけでは勝てない。

 位置取り、タイミング、撃つ角度――プロ同士の殴り合いだ。


 夏芽は冷静に状況を捉える。


「状況は互角…でも、人数は向こうが上な以上、持久戦じゃ不利だね。」


「じゃあどうす――」


 柏谷が言い終わる前に、夏芽は身体を滑らせ、路地の死角へ移動。

 射線が一瞬狂う。敵兵が隙を突こうと前に出る。


 夏芽はその瞬間を狙って、扉の隙間から撃った。


「気抜かないで。死ぬよ。」


 倒れた軍人のヘルメットが転がった。


 柏谷は肩をすくめ、小さく息を吐いた。


「…助かりました。」


「感謝は戦果で返して。」


 返事を待つ気はさらさら無い。

 夏芽はすでに射線を切り替え、再び乱射へ移っている。

 柏谷もそれに続き、伏せながら懐から丸い金属を取り出した。


「下がってください。」


 夏芽は言われずとも動いている。

 同時に柏谷はアップル型グレネードを投げ込む。


 爆発。衝撃波が通路の空気を歪ませ、煉瓦壁を散らす。

 巻き込まれた数名の軍人が、声すら上げる暇なく吹き飛んだ。


 瓦礫、煙、飛び散る四肢。


「……さすがというべきか。これでも崩れないか。」


 柏谷が息を呑むその先で、敵は怯まないどころか――

 逆に動きが鋭くなった。


 このままではジリ貧になると判断したのだろう。

 敵は総崩れになる前に包囲を縮め、一気に叩き潰すつもりだった。


 そう来られると、こちらは分が悪い。

 敵は十名。戦力差は最低でも五倍。


 夏芽は壁際の陰へ身を滑らせ、敵の配置と射線を一瞥し、ぽつりと呟く。


「……怒らせちゃったかな」


 柏谷は苦笑を浮かべる余裕もなく、別の遮蔽物へと飛び込んだ。

 直後、弾丸が壁面を抉り、粉塵が視界を白く濁らせていく。

 その中でも夏芽は照準越しに敵の動きを淡々と追った。


「どうする? 打開できないわけじゃないけど――」


 言葉の意味を、柏谷は一瞬で悟る。

 短く答えた。


「俺が使うっす」


 夏芽はわずかに目を伏せ、それでもすぐ前を向く。


「……悪い。恩に着る」


 柏谷は息を整えるように一度深く吐き、そっと遮蔽物から身を乗り出した。


 異様な気配を察したのか、敵が射撃を止める。

 銃口の全てが、柏谷の頭と胸元へと集中した。


 張り裂けそうな緊張――しかし柏谷に怯みはない。

 静かに、だが異様な構えを取った。


 足幅は肩より少し広く、重心は極限まで低い。

 踵は地面を舐め、指先には荒ぶる圧が宿る。

 腕は前へ伸ばさず、顎の下で牙を隠すように構え――いつでも噛みつける間合い。


 肩は落ちているのに、首筋だけが震えるほど逆立つ。

 呼吸は吸わない。ただ喉奥で唸りを押し殺す。


「――狼術ろうじゅつ解放」


 瞬間、指先が黒く染まる。

 それは影ではない。力そのものが“爪”の形を取っていく。

 腰から下は異様な安定、上体は微細に揺れ、檻の中で牙を研ぐ獣のよう。


 目が光った瞬間――構えが完成した。


 跳躍ではない。

 地面が柏谷を放り投げた。




 狼術。

 自身を一時的に“巨大な狼”へと変貌させる人術。


 人術とは本来、自らが所有・支配するモノを代償に、それを生力と呼ばれるエネルギーへ変換して発動させる秘技。しかし、柏谷の術はその理から外れていた。


 彼は“神族”の一柱――

 北欧神話になぞられ、ADFでは『フェンリル』と呼ばれる存在へ代償を支払い、術を借り受けている。


 この系統の術は「準神化人術」。

 神化人術ほどの絶対性はないにせよ、“神の力を借りる”という時点で常人の枠を逸脱している。


 ただ一噛み――それだけで、戦況を食い破る神獣になり得るのだ。




 六つ目の巨大な狼は、兵を引き裂きながら低く唸る遠吠えをした。


 六つ目の巨大な狼は、兵を引き裂きながら――

 血煙の中で、低くくぐもった遠吠えを響かせた。


 その声は獣のそれでありながら、どこか“理性の残響”を帯びている。

 ただ暴れるのではない。狙い、計算し、確実に殺す。


 振り下ろした前脚が、まるで戦斧のように兵士を叩き潰す。

 爪は銃弾より鋭く、骨も装甲も紙のように断ち切った。


 敵の隊員が逃げ出そうとするが、それよりも早く狼の牙が彼の喉を裂いた。

 血飛沫が霧状になって舞い上がり、一瞬だけ陽光の粒となってきらめく。


 その中心で、狼は静かに息を吐いた。

 戦場の匂いが肺に満ち、力がさらに膨れあがるように。


 夏芽はその光景を横目に、淡々と銃口を別方向へ向ける。


 狙いは逃げようとした兵士。

 一切の迷いもなく、引き金が絞られた。


 銃声は一発。

 その一発で、逃げ道は永遠に閉ざされる。


 巨大な狼が駆け、夏芽の銃火が追撃し、戦況は一瞬で逆転。

 包囲していたはずの敵が、いつの間にか狩られる側へと立場を変えていた。




 逃げ惑いながらも、最後の兵士が断末魔を上げる。


 その声に、夏芽は小さく鼻で笑った。


「随分呆気ないな」


 狼は振り向き、六つの瞳でその敵を射抜き――

 まるで答えるように、上半身をそのまま噛み砕いた。


 骨が砕ける音と、臓腑が潰れる生温い音が混じり、

 半欠けとなった死体は、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。


 血溜まりが石畳を赤黒く染め、

 やっと、戦場に静寂が戻った。


 狼は身を縮め、輪郭をほどきながら柏谷の姿へと戻っていく。

 爪は指に、毛皮は肉体に吸い込まれ――

 ただ人間の体へ帰還するはずが、口元から赤い液が滴った。


 代償か。

 だが柏谷は、拭うこともせず淡々としている。重傷ではなさそうだ。


 夏芽は一歩踏み出し、死体のひとつに膝をついた。

 バラクラバをつまみ上げ、ぱりと剥いで――そして、動きを止めた。


「……スラヴ人? イタリア軍じゃないのか…?」


 肌の色、頬骨の張り、軍隊式の刺青。

 地元兵には見られない特徴がいくつも揃っていた。

 特に瞳――青や緑が多い。東スラヴ圏の色だ。


 夏芽がそれを判断できたのは、単なる知識ではない。

 彼自身がスラヴ系の血統だからだ。


 先祖がどういう経緯でADFに加わったのかは分からない。

 だが幼い頃からウクライナ方面にルーツがあるとだけ、よく家族に聞かされてきた。


 その血が、今ここで違和感を鋭く拾う。

 ――なぜ、同じルーツの奴らが、ここに?


 柏谷が、口元の血を指で拭いながら近づく。


「どうしたんすか」


 夏芽は一瞬だけ言葉を止めた。

 脳裏に何かが引っかかった――けれど。


「……いや、なんでもない」


 淡々とした返答。

 しかしその声音には、言葉にしない不穏さが滲んでいた。


 夏芽は死体から視線を外し、銃声が止んだ街路をゆっくりと見渡す。


「とりあえず、ここを離れる。ここまで派手に動いた以上敵の増援がすぐ来る――時間がない」


 言葉に、柏谷は深刻さを理解して頷いた。

 その動きには、少しの疑念と、強い信頼が込められている。


 そして二人が移動しようとした、その瞬間――


 背後に、足音。


「もう来たか…!」


 夏芽は迷いなく反転し、銃口を向ける。

 柏谷も同時に構え、狼の息をまだ喉奥に残したまま、いつでも噛みつける姿勢を取った。


 だが次に響いた声は、銃声ではなかった。


「強靭公! 俺です! 熊野璃久です!」


 赤茶と血に汚れた瓦礫の陰から現れたのは、

 煤まみれで息を切らした熊野璃久だった。


 夏芽は一瞬だけ全身の緊張を解き、銃口を下げると同時に駆け寄る。


「無事だったか…璃久隊員」


 それは短く、だが本心から安堵の滲んだ声だった。


 璃久は肩で息をしながら、苦笑混じりに無赦の環をとる。


「はい……強靭公、今だいぶんヤバい状況で…」


 璃久の声は焦りよりも、報告者としての責任で震えていた。


 その言葉を遮るように爆発音が遠くの街区を襲い、三人の足場を震わせる。


 瓦礫が振るえ、粉塵が舞い上がり、

 カルタジローネの空気全体が悲鳴をあげているようだった。


 夏芽の表情から、言葉が抜け落ちた。


「…何があった」


 璃久は唇を噛んだまま、絞り出すように続ける。


「ファミリア・ディ・サングエ・ドーロの首領は――核を持っています」


 夏芽の指が一瞬だけライフルを握り締めすぎて軋んだ。


「奴が言うには、それはローマにあると。そして俺や八幡に、協力しなければ起爆すると脅しをかけられています」


 璃久の拳が震えていたのは、恐怖ではない。

 屈辱だった。戦士として、仲間として、そして脅しに屈した己として。


「……恐らく、奴が魔族の可能性が高い」


 静寂。

 爆発の轟音すら、遠くなる。


 夏芽は、震えを押し殺すように、低く言った。


「ローマに核を置いて、シチリアで抗争を仕掛ける……?」


 その意味を、言葉にすれば単純だ。


 カルタジローネでの抗争は――ただの“囮”か。


「ADFを足止めしながら、人質にできる都市全部を脅迫するつもりか」


 次の瞬間、夏芽の目が、狼より鋭く光った。


「……今、八幡にローマへの核攻撃を防ぐよう現地に急行させています。ですが…間に合うかどうか…」


 璃久がそう呟く。その言葉に、夏芽は振り返らず答えた。ただ前だけを見据えて。


「じゃあ僕が動く。ドーロの首領の首を獲る。お前ら二人は抗争を止めろ。今の混沌じゃ、何もできやしない。」


 璃久は短く、だが確かな意志で頷いた。


 一方、柏谷はというと──瓦礫に腰を下ろし、足を落ち着きなく揺らし続けている。視線は逸らしたまま、返事もしない。不機嫌というより、苛立ちが爆ぜる寸前の火薬のようだった。


 夏芽の胸に、わずかな不安が刺さる。


 熊野璃久と柏谷狭。この二人は、ただ仲が悪いなどという生易しい関係ではない。過去に人術を持って、本気の殺し合いまでやっている──その事実は、ADF内ではもはや周知の事実だ。


 任せていいのか?

 作戦中に、また殺し合いを始めたりしないだろうか?


 ――その懸念は、確かに的を射ている。


 だが、今は背に腹は代えられない。選択肢は他にないし、やるしかない。


 大丈夫。璃久は冷静だ。

 作戦中に仲間割れなど、起こさない……はずだ。


 夏芽はそう自分に言い聞かせた。


「任せたぞ、璃久隊員」



 続く…

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