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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第肆章
81/112

80話 シチリア動乱 - 19 -

 ―――2時48分 カターニア


「ふぅっ……ふぅうっ……」


 少女が、血溜まりを踏みしめながら路地を進む。

 雨ではない。彼女の髪から滴っているのは、温かい鮮血だった。


 鷹觀ヨル。

 手には、髪を鷲掴みにされたままのカラビニエリ隊員の生首。

 ねじ切られた首元からは、まだぬるい血が指先を濡らしている。

 揺れる度に、切断面がぴちゃりと音を立てた。


「……ふうううっ……はぁ……」


 荒い呼吸はまるで獣の唸り。

 肩が震えているのは疲労ではない。

 興奮だ。狩り続けた獲物の血の匂いを、悦楽のように吸い込んでいる。


 道には、軍人の死骸が数十。

 銃で撃たれた者は一人もいない。

 骨を叩き折られ、皮膚を引き裂かれ、喉笛を噛みちぎられた者までいる。

 少女一人の仕業とは、誰も信じるまい。

 だが、それが現実だった。


 鷹觀の足が止まる。

 目の前に、古びたアパート。


 ADF連中の潜伏場所。


 生首を持ったまま、ヨルはゆっくりと首を傾けた。


「……ここ、か。」


 声は震えているのに、笑いかけているようでもあった。


 ごくり、と涎を飲む音がする。


 彼女は生首を投げ捨て、次の瞬間、彼女は爪を立てるかのようにドアの取っ手を握り―――


「……朽宮言真。」


 まるで憧れの人を想う少女の囁き。

 その声音には、残虐と恋慕がひとつに溶けている。


 扉に触れる指先が震える。

 期待で。

 欲望で。


 その瞳の奥でだけ、無邪気な喜びが弾けた。


 少女は、ゆっくりと扉を押し開ける。


 だが―――


「―――ぁ?」


 部屋は空虚だった。

 湿った空気と、荒れた気配だけを残して。


 床に転がるのは、濡れた衣服が数枚。

 そして、血痕の先にある、カラビニエリ隊員の死骸。


(……私が殺し損ねた一匹か。)


 その死骸がここまで這いずったせいで、私が接近している兆候を悟られたのだ。

 だから、朽宮言真たちは一足先に抜け出した。


 理解した瞬間。


「っ…………クソがァ゙!!」


 ヨルは地を蹴り、死骸を凄まじい勢いで蹴り上げた。


 人間の身体とは思えない衝撃音とともに、死骸の胸骨が粉砕され、そのまま壁に叩きつけられる。

 石壁に、巨大な蜘蛛の巣状の亀裂が走った。


 血肉ではなく、建物自体が悲鳴を上げる。


 鷹觀は荒い息のまま、蹴り飛ばした死骸と、そこからさらに広がっていく壁の亀裂を見下ろしていた。

 拳も足もまだ震えている。それが疲労ではなく、怒りと興奮のせいだと、自分でも分かっていた。


 ――逃げられた。


 その事実だけが、胸の奥で針のように刺さり続ける。


 そのとき。

 外から、低く唸るエンジン音が路地の静寂を破った。


「……」


 鷹觀は無言のまま、血でぬれたスニーカーの跡を残し、アパートの入り口へ向かう。

 表に出ると、一本の細い道路の先で、鈍い色の車が猛スピードで走り去っていくのが見えた。


 風が吹き抜け、頬についた返り血を乾かす。

 鷹觀はそれを見送りながら、かすかに噛み締めるように笑った。


「……ぜってー殺す」


 その声には、感情がほとんど乗っていなかった。

 その代わり、底冷えするほど真っ黒な忠誠だけが、はっきりと滲む。


「全ては最上様のために」


 恍惚とした笑みが口元に浮かんだ瞬間――

 コツ、と床に触れた鷹觀の爪先が、石畳を粉砕する。


 バキィッ。


 砕け散る破片とともに、彼女の全身が跳ねるように前傾した。


 獣が、獲物の匂いを追った瞬間の姿勢。


 逃げ切れる距離じゃない。

 逃がす気もない。


 次の狩りが始まる。



 ***



 ―――3時28分


「ちょ、ちょっと!だから飛ばしすぎですって!狂風卿!!」


 車の助手席でシートベルトを掴みしめながら、沙紀は半泣きの声を上げた。

 スピードメーターの針は規制速度などとっくに無視して跳ね回り、路地を抜けるたびにタイヤが悲鳴をあげる。


 運転席の言真は――そんな騒ぎなど風景の一部でしかないような、呑気な顔でハンドルを握っていた。


「なに〜?聞こえな〜いって言ってんだけど〜!」

 頬を風に当てながらヘラヘラと笑い、さらにハンドルを切る。


 車体はギリギリでトラックを避け、反対車線をかすめて斜めに滑り込んだ。


「うわぁぁぁあああ!!!死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!」


「死なない死なない。僕、前世でタクシーの運転手だった気がするし」


「信頼度ゼロォォッ!!」


 後部座席では、熱に浮かされたような表情のルチアーナがシートの背もたれにもたれかかりながらも、かすれ声で冷静に前方を見ていた。


「……朽宮、直進はまずい。200m先に検問。」

 声は弱っているのに、判断だけは鋭い。


 言真がニヤリと笑った。


「了解。じゃあ――曲がるか。」


「曲がるってどこに――ひぃっ!?」


 キィィィィッ!!


 タイヤが悲鳴を上げ、車体が横滑りしながら石畳の裏道へ突っ込む。


「ちょっ、ここ歩道ですよ!!歩く所!!人間が歩く所!!」


「安心しなよ、今は誰も歩いてないからさぁ〜」


「そういう問題じゃないでしょおォッ!!」


 言真は鼻歌まじりで再びアクセルを踏む。

 ぶつかりそうな店の看板を寸前でかわし、ギリギリを滑り続ける車。

 ルチアーナは熱に浮かされながらも、アイスピックのような声で言った。


「……朽宮。右の角、スピード落とせ。衛兵が一人いる。」


「了解〜でも減速はしない〜♪」


「言語矛盾!!!」


 横を掠めた電柱が粉を散らす。

 歩道の石畳が砕け、破片が雨のように窓へ叩きつけられる。


 沙紀は泣きそうに叫んだ。


「もう半分事故ってるじゃないですかぁ!!」


 言真は、まるでドライブスルーに寄るノリで言い放った。


「やっぱりローマまで行くとなると時間との勝負だし?安全運転は非効率。」


「生きて着くことが最低条件なんですよ!!」


 言真がアクセルを踏み込む。

 車は跳ねるように歩道から飛び出し、車道へ滑り戻った。


 すると、後方からサイレンが複数重なった。

 当たり前だ。検問の先の歩道を爆走する車など怪しくないと思うほうが不自然だ。


 沙紀はシートベルトを鷲掴みにして叫んだ。


「完全にテロリスト扱いじゃないですか私たち!!」


「大丈夫大丈夫。実際は核テロ阻止しに行くんだから。ほら、善人〜」


「やってること悪人なんですよ!!」


 叫ぶ沙紀の声を、エンジン音とサイレンがかき消す。

 後方の警察車両は、すでに殺気すら帯びて追い上げてきていた。


 言真は片手でハンドルを切りながら、無造作にダッシュボードを開く。

 そのまま拳銃を一丁、沙紀に押し付けた。


「口動かす前に手動かしてよ。」


「…あーもう…!!」


 沙紀は窓を開け、半身を乗り出す。

 風圧と雨粒が容赦なく顔を叩き、視界が滲む。

 警察車両のタイヤに照準を合わせようとするが――


 車体が跳ねる。

 地面の段差に激しく揺れ、思わず腕が泳いだ。


「っく……もうちょっと丁寧に運転できませんか!?」


「いや無理でしょ」


 言真の返答と同時に、石畳の継ぎ目を踏み抜き、車体がまた跳ねる。


 ガタン!!


 銃口が空へ向き――


 パンッ!


 乾いた銃声だけ虚しく空に消えた。


 沙紀は歯を食いしばりながら、必死に体勢を立て直す。

 腕が震える。狙いが定まらない。


「くっそ……当たんない……!」


 ハンドルを握る言真は、楽しげに肩をすくめた。


「そりゃこんなスピードで走ってるからねぇ。」


 バックミラーの向こうでは、さらに警察車両が増えている。

 サイレンの数はもう二台三台ではない。


 ルチアーナが蒼白な顔のまま小さく呟いた。


「……このままだと囲まれる……」


 言真は軽快に笑う。


「沙紀ちゃんならだいじょーぶ。優秀だもんねぇ。」


「プレッシャーかけないでください!!」


 沙紀は背筋に冷たいものを感じながら、銃を握り直した。

 もはや失敗は許されない。


 揺れる車体から再び身を乗り出し、構える。

 冷たい雨粒

 暴風のような風圧。

 サイレンの咆哮。


 そのすべてを、沙紀は一度だけ遮断した。


 腕を伸ばす。

 片目を閉じる。

 肺の奥まで空気を入れ、ゆっくりと吐き出す。


 カチ──


 引き金に指が触れた瞬間、世界が細く絞られた。


(当てる。絶対に。)


 タイヤのリム、回転の癖、正面の振り分け位置、速度差…。

 脳が勝手に軌道を計算する。

 弾が届く瞬間まで。


 そうして覚悟を決め、引き金を引いた。





 乾いた銃声。


 弾丸はタイヤの中心ギリギリを掠め、リムを砕き、

 高速回転するゴムの一部を切り裂いた。


 次の瞬間ゴムが弾け、その警察車両は横滑りを始める。


 運転手の叫びは、サイレンにかき消された。

 車体がスピンし、後続車に衝突。

 二台、三台と連鎖し、騒音と火花が路上を埋め尽くす。


 沙紀は息を荒くしたまま、拳銃を降ろした。


「……はぁ……っ、や、やった……!」


 言真は声を弾ませる。


「やっぱ優秀〜。ほら、僕の期待に応えてくれるんだから素直に自覚しなよ?」


「褒め方がウザいんですよ!!」


 沙紀が叫んだ瞬間、ミラーにまだ光が迫る。

 スピンした車列の向こう側、数台のパトカーが残骸をくぐり抜けて再び追跡してくる。


 サイレンが蘇っていく。

 エンジン音が獣のように唸り始めた。


「またか…!」

 沙紀は舌打ちし、再び銃口を構える。


「もう一回……!」


 そう言い切ったその瞬間――


 ズドォッッ!!


 耳をつんざく衝撃音が頭上から降ってきた。

 まるで巨大な物体が落下してきたような…


 いや、それは落ちてきた。




 人間が。




 車列の真上に、少女が降り立つ。


 その身体が空中を裂き、警察車両のボンネットに叩きつけられる。


 金属が押し潰され、車体が地面にめり込むように沈む。

 一瞬でエアバッグが炸裂し、乗員の悲鳴が上がって消えた。


 さらに、践み砕いた車の屋根を足場に、彼女は身を反転。

 次の車のフロントガラスへ、爪先を叩き込む。


 ガラスが砕け、血が霧散する。

 回転した少女は、まるで踊るように三台目の側面へ着地し、

 ドアを引きちぎるように蹴り飛ばした。


「ぎぁッ――――!?」


 警官が吹き飛ぶ。

 道に転げ落ち、そのまま動かなくなる。


 沙紀の背筋が氷の針で刺されたように強張る。


「な……なに、あれ……ッ」


 こっちに背中を向けたまま彼女は動きを止め、

 顔だけがゆっくりとこちらへ向けられた。


 雨で濡れた髪。

 返り血に濁った頬。

 獣の呼吸のように荒い息。


 その口元が、笑った。


「―――朽宮言真ぁ゙!!」


 そして彼女は潰した車のハンドルを引き千切り、

 ドアごと引きずり出すように乗り込み――


 アクセルを踏み抜いた。


 ギャアアアアアア――!!


 壊れかけの車体が絶叫しながら猛発進。

 壊れていない車より速い異常な加速で、沙紀たちの車を追い始める。


 言真はハンドルを切りながら、後方をちらりと見て軽く舌打ちした。


「……まっずいねぇ。大物っぽい。」


 沙紀は青ざめた。


「な、なんですかあれ、人間じゃ……!」


 言真は短く鼻を鳴らし、さらにアクセルを踏み込む。

 フロントガラス越しに、彼女の乗る車がギラついたヘッドライトを揺らしながら迫る。


「多分、あのアパートに転がりこんできたカラビニエリ隊員を素手で潰した張本人。魔族…じゃなさそうだけど…どうだろ。」

 沙紀は声を震わせた。


「あれで魔族じゃないって…そんなことあり得るんですか!?」


 言真は片手でハンドル、片手で窓から外を指差す。


「あり得るよ。人間なのに魔族みたいな狂人。いちばん面倒くさい。」


 ルチアーナは熱に浮かされながらも呟いた。


「……たしかに、目が血走ってる。」


 言真は軽く笑う。


「そう。あいつ…多分風音タイプだね。異様に殺し合いの才能が仕上がっちゃってる。」


 後方――

 潰れた車のフレームが悲鳴をあげながら、なお加速する。

「――ッ!!!!」


 ミラー越しに映る少女の表情は、闇そのもの。

 ただ、一人の男の名を叫ぶためだけに狂気が燃えている。


「朽宮ぁ゙あああ!!!」


 沙紀が思わず叫ぶ。


「名前呼んでるってことは、狙いは狂風卿…!?」


 言真は肩をすくめ、妙に爽やかに返した。


「いやぁ、僕ってモテるんだよねぇ。殺し屋人気。」


「モテの基準歪んでますよ!!」


 次の瞬間――

 壊れた車のエンジン音が、獣の咆哮のようにさらに低く唸る。

 追いつかれるのは、時間の問題。

 言真が静かに一言。


「逃げ切れるとこまでは逃げ切る。やり合うのはそれから。」


 車体が跳ね、スピードメーターが限界を超える。

 真夜中のイタリア、混沌の中で、悪夢のドライブが続く。


 続く…

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