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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第肆章
80/113

79話 シチリア動乱 - 18 -

 ―――2時31分 カルタジローネ中心街


 銃声、怒号、銃声、絶叫。

 銃声、閃光、銃声、断末魔。血飛沫が夜気に散り、

 そしてまた銃声、銃声、銃声――。


 耳が麻痺するほどの連続音が街全体を支配し、

 カルタジローネはもはや「抗争」という生易しい言葉では済まされない、完全な内戦状態へと沈み込んでいた。


 イル・サングエ・ロッソとファミリア・ディ・サングエ・ドーロ。

 二つの血塗られたファミリーの衝突は、時間が経つほど狂気を孕み、苛烈さを増していく。

 既に両組織の死者は数百人規模に達しており、

 この惨状は隣接するポッツァーロ方面でも同じだった。


 警察も軍も、ついに本格介入に踏み切った。

 だが――それすら事態を鎮めるどころか、火に油を注ぐ形となった。


 投入された軍装備が次々と鹵獲され、

 重武装化したマフィアは瞬く間に戦力を膨れ上がらせる。

 街角に散らばるのは薬莢と血痕と、焼け焦げたコンクリートの匂い。

 住民は家から一歩も出られず、

 それでも窓の外からは絶え間ない爆音が、

 まるで世界そのものが軋むように響き続けている。


 璃久は、硝煙にまみれた路地を駆け抜けながら、次々と姿を現すイル・サングエ・ロッソの構成員を片端から撃ち倒していく。

 息を吸うほどに血と火薬の臭いが肺に降り積もり、鼓膜は爆ぜるような銃声で痺れていた。


 一人が物陰から飛び出し、散弾銃の銃口がこちらを向いた瞬間――

 璃久は反射的に身を捻り、わずかに開いたその胸元へ三発を流し込む。

 血が壁に弧を描き、男は音もなく崩れた。


(強靭公はどこだ…! 柏谷も…!)


 焦りを露骨に見せぬよう、表情は冷え切っている。だが内心は焦燥で焼けるようだった。

 この混沌の中、夏芽と柏谷が無事である保証はどこにもない。

 璃久は散らばる死体の横を踏み越え、瓦礫と血にまみれた狭路をさらに奥へ突き進んだ。

 靴底に砕けた薬莢がいやな音を立て、壁面には弾痕と飛び散った臓物が黒く乾いて貼りついている。


 しかし、奥へ進めば進むほど――目にするのはイル・サングエ・ロッソの構成員か、それを制圧する軍兵ばかりだった。


 敵も味方も区別なく死人が転がり、

 どの死体の顔にも恐怖と憤怒が同時に刻まれている。


(やはり、いない……)


 璃久は壁にもたれかかる負傷した敵マフィア構成員の口を、銃口で軽く押し上げ、低く問いかけた。


「……ここで、オッドアイの白人の男と、金の短髪のアジア人男を見なかったか。」


 構成員は血まみれの喉を震わせ、かすれ声で笑う。


「…傭兵の、ことか?……知らねぇ、よ……殺すなら早く…殺、せ……」


 構成員は短く笑い、力が抜けるように頭を垂れた。

 もう息はない。


 璃久は銃口を下ろし、わずかに奥歯を噛みしめる。


 どうやら潜入まではうまくやったようだ。考えてみれば当たり前だ。強靭公ともあろうお方が一端のマフィアに殺されるなど考えにくい。


 だが、この地獄のような抗争を目にすれば、不安が喉の奥にせり上がるのも当然だった。

 死体の山の中に、見覚えのある顔が転がっていないか――

 そんな嫌な予感を振り払い、璃久はひとつ息を吐く。


「……さっさと見つけないとな」


 短い独り言を残し、構成員の躯を踏み越えて駆け出した。

 硝煙と血の臭いが、風のようにその背を叩いていく。


 視界の先、炎に照らされた路地を抜けて、璃久はさらに奥へ走り込んだ。

 その瞳には、迷いも、情けも、もう微塵も残っていなかった。



 ***




 ―――同刻 カルタジローネ郊外


 直弥は、璃久とは対照的に、音すら残さぬほど静かに暗い路地を走っていた。

 荒らされた店の中から取った黒いレインコートに身を包み、その下から覗く軍制式のコンバットブーツも、滑る石畳を踏んでもほとんど音を立てない。


(夜間潜入訓練の時より、よっぽど現実味がある……)


 雨粒は冷たく、空気は硝煙と焦げた血の臭いで胸を刺す。

 遠くでは機関銃の連射音と爆発音が交互に鳴り響いているのに、この路地は異様に静かだった。


 まるで、誰かが意図的に空白を作ったかのように。


 直弥は屋根陰の死角を縫い、壁に貼り付くように移動する。

 その手には拳銃はない。――携帯しているのは、コンバットナイフ一本だけだ。


 消音器サプレッサーがない以上、銃を撃てば即座に位置を割られるからだ。

 潜入の教本に――いや、實妥教官からも散々叩き込まれた。


(音を出すな、照準を甘く見るな、殺すなら迷うな――)


 囁くような教官の声が脳裏で蘇る。

 ぞくりと背筋が震えた。恐怖ではない。身体が訓練を思い出したのだ。


 直弥は路地の角へ近づくと、鏡の破片をそっと拾い、反射で前方を確認した。

 そこには、崩れたバリケードの残骸と、倒れた軍用車両。そして――


 仲間を失ったらしい二人の軍人が、怯えきった目で銃を構えている。


(政府軍、か……)


 撃たれれば終わりだ。

 撃ち返せば、それもまた終わり。


 直弥は息を止め、軍人らの視界の死角を滑るように横切った。

 影の中を走り抜ける。気配を殺しきれたと確信できた瞬間だけ、息を吸う。


 一刻も早くローマへ向かい、テロを阻止しなければならない。

 人を助けるためだ。――それが、今の自分の選んだ道。


 だが胸の奥で、別の声が囁く。


(結局それも、誰かを見捨てるってことなんだろうか)


 その迷いを、雨粒と一緒に地面へ落とすように振り払う。

 直弥は、歯を噛み締めながら闇の路地を走り抜けた。


 もうじき、直弥が居ないことがカルヴァーニ達にバレる可能性がある。その時、真っ先に疑われ、詰問され、拷問されるのは間違いなく――璃久だ。


(……下手すれば、璃久さんは死ぬかもしれない。)

 そう思うと、胸が締めつけられる。

 彼を信用していないわけじゃない。

 むしろ誰よりも信じている。だから任せられた。

 それでも――相手はマフィアだ。騙し討ち、集団リンチ、拷問。どれもが日常だ。


 璃久はそれを分かった上で、「俺がなんとかする。お前は行け」と言った。


 その言葉が足に重りのように絡みついて、何度も歩みを止めさせようとする。

 戻りたい。肩を並べて戦いたい。

 しかし――その衝動以上に、直弥の視界には、別の地獄が浮かび続けていた。


 ローマが消える未来。


 瓦礫に埋もれ、炎に焼かれ、数百万人が悲鳴さえ上げられず焼却される。

 その中には、名も知らない人々だけじゃない。

 いつか出会うかもしれない誰か、守られるべき罪無き子ども、助けられる命。

 そんな“誰か”の未来を…。


(ここで、立ち止まってる場合じゃない……!)


 璃久の覚悟は、直弥を見捨てての言葉ではない。

 “託した”のだ。

 自分にしかできない仕事があると、信じて背を押してくれた。


 だから、逃げてはならない。

 怯んでもいけない。


 直弥は奥歯を噛み、痛みで迷いをごまかすように走り続けた。

 雨粒が頬を叩き、足元の赤い水たまりが飛び散り、夜の闇が濃くまとわりつく。


(必ず止める。ローマで起きようとしている破滅を。)


 ――走れ。

 それが璃久への答えであり、背中を預けた者への唯一の礼だ。


 直弥は雨煙の中へ消えていく街を背に、闇の先へ走り込んだ。

 その一歩一歩が、世界の命脈を握っていた。



 ***



 ―――同刻 カターニア


「沙紀ちゃん、準備できたぁ〜?」


 通路の向こうから、どこまでも暢気な狂風卿の声が飛んできた。

 三田沙紀は小さく溜息をつき、控えめに返す。


「もう少しだけ待ってください…」


「はーやーくー。ほら、うかうかしてると、どっかで核爆発しちゃうよ〜?」


 冗談とも本気ともつかない声色。

 沙紀は聞き流すことにして、ベッドの側に目を戻した。


 そこにはルチアーナが腰掛けている。頬は赤く、額には汗。

 高熱のせいで息も荒いのに、その目だけは鋭く澄み切っていた。


「……本当に、来るつもりなんですか?」


 沙紀の問いに、ルチアーナはきっぱりと言い切る。


「何度も言わせるな。私が足を引っ張らぬよう、努力はする。…だから余計な気遣いは無用だ。」


 その姿は、病人というより戦場に向かう兵士に近かった。


「気にしなくていい、ですか…」


 沙紀は、思わずため息を吐いた。気にしないわけがない。ルチアーナの額にはまだ汗が滲み、髪は肌に貼りついている。体を起こすだけでも苦しそうなのに、彼女の背筋は曲がらず一本通ったままだ。


 ――この人、意地でも前に進む気なんだ。


 沙紀はそう悟りつつ、最後に携行する医薬品のチェックを終えた。消毒液、止血剤、麻酔、簡易輸液。銃よりも薬のほうが重く感じる。


「邪魔とかそういう問題じゃなくて…一度でも倒れたら死ぬんですよ? 私たちにあなたの命を守りながら戦う余裕なんて――」


「守られに来たわけじゃない。」


 ルチアーナが短く遮る。弱々しい声音なのに、圧だけは普段と変わらない。マフィアで部下を率いていた姿が、そのまま病人の体に宿っているかのようだ。


「私は…私自身の責任を果たしに行く。戦争を止められないなら、せめて目を向けて死ぬ権利くらい欲しい。」


 その言葉は、妙に生々しかった。覚悟というより、もはや執念に近い。


 沙紀は言い返せなくなり、視線を落とす。


 ――この人の意志を折る力なんて、私にはない。


「…じゃ、最低限、指示には従ってください。倒れたら即撤退。いいですね?」


「約束はできん。だが努力はする。」


「努力じゃなくて――!」


「おーい!マジで行くよー?どっか消し炭になっちゃうよ? ねぇねぇ、はやくしよー?」


 狂風卿の声がまた響き、沙紀は両手で頭を抱えた。


「……本当にもう……ふぅ……。」


 ルチアーナはそんな沙紀の姿に、小さく口角を上げた。笑ったのか溜息なのか判別不能な、弱々しい表情。


 沙紀は装備を持ち直し、扉へ向かう。


「――行きましょう。あなたがその権利を手放さないつもりなら、私は“生き延びる義務”を押しつけ続けます。」


「……随分強引だな、お前は。」


「あなたが頑固だからです。」


 二人が扉を開くと、そこにはいつもと変わらない調子で狂風卿が立っていた。手をひらひら振りながら、ニコニコと──しかし瞳の奥だけが、底知れない暗さを湛えている。


「お、準備完了?」


「……完了ということにしておきます。」


 沙紀が曖昧に答えると、狂風卿は満足げに頷く。


「じゃ、行こっか。とはいえさぁ……核があるって話だけじゃ、どこ行けばいいか分かんないんだよねぇ。とりあえずカルタジローネが濃厚だとは思うんだけど。」


「抗争中の街ですし、最も核を利用しやすい条件は揃ってるはずです。」

 沙紀は冷静に返す。

「ファミリア・ディ・サングエ・ドーロが核を確保してる可能性があるなら、確かに今の状況と一致します。」


「だよねぇ。戦争やってる最中なら使いやすいし。証拠にもできるし、隠すことだってできちゃう。ホント便利だよねぇ、核って。」


 軽く言い放つ狂風卿に、沙紀は思わず顔をしかめた。

 その横で、ルチアーナだけが変わらない温度の目で静かに見つめる。


 車に乗り込んですぐ、狂風卿がぽつりと呟いた。


「……でもねぇ。核って、本当にカルタジローネにあると思う?」


 唐突すぎて、沙紀は一瞬言葉を失った。


「え? だから、抗争中だから核を──」


「抗争中だから使わないかもなんだよ。」


 言真の声は軽い。しかし、その内容は妙に冷静だった。


「戦争のど真ん中で核爆発なんて起こしたら、ドーロのボスはただのバカになる。国際社会全体から包囲されて終わり。自分が王になれないでしょ?」


 沙紀は眉をひそめた。


「でも、使い道としては──」


「使うにしても、“戦場じゃない場所”でしょ。」


 言真はシートに背を預け、窓の外の夜景を見ながら淡々と続けた。


「核ってさ。脅しで使うにしろ実際に使うにしろ、“第三者の目を最大限引き寄せる位置”が最適だと思うんだ。ドーロが欲しいのはローマって街の価値、権力の証明。カルタジローネはただの戦場。奪っても旨味は薄い。燃えかけの雑巾だよ。」


 沙紀はすぐに反論する。


「でも、ローマで爆発なんて起きたら──国際社会は黙っていません。それこそ米軍なんかが出てきたら、抗争どころじゃなくなる。」


「だからいいんだよ。」


 言真は微笑んだ。軽い調子で、恐ろしく正確な話をする。


「他国が介入すれば、街は混乱し、組織図どころか国は崩壊して再編される。ドーロが勝とうが負けようが、構造は変わる。カルヴァーニはね、イタリア全体をいったん死なせたいんだと思う。」


 沙紀は息を飲んだ。

 言真は続ける。


「混乱のあとは支配できる。破産した街は、金と権力で買える。」


「………」


「核一発で街ごと交渉材料になるなら、普通に戦争する意味ないじゃん。」


 沙紀は、口を開きかけたまま固まった。

 理由は明確、論理は成立している。だが──それを認めたくなかった。


「……でも、証拠がありません。憶測だけで動くのは危険です。」


 ようやく絞り出すように言うと、言真は小さく笑った。


「うん。だから困ってるんだ。」


 わざと肩をすくめ、子どもが悪戯を思いついたように続ける。


「なんかいい感じに理由ができたらなぁ…なんて―――」


 ―――ドン、ドン、ドンッ!


 玄関を叩きつける音が、廊下に響いた。


 三人の身体が反射的に強張る。

 ルチアーナは熱に浮かされたまま拳銃を構え、沙紀も刃物に指をかけた。


「……誰?」


 返答はない。

 それでもノックは続く──焦り、縋りつくように。


 言真が、笑顔のまま指を一本立てた。


「僕が開けるね。撃たないでよ?」


 カチャ、と鍵が回る。

 扉がほんの数センチ開いた瞬間──


 血まみれのカラビニエリ隊員が、倒れ込むように室内へ転がり込んだ。


「うわっ……!」


 沙紀が反応するより早く、隊員は本能的な恐怖に突き動かされたかのように彼女へ掴みかかる。


 次の瞬間。


 めきり、と小さな骨の折れる音。


 言真の手が風よりも先に動き、隊員の腕が奇妙な角度で折れ曲がる。

 そのまま首根っこを押さえつけ、丁寧に床へ寝かせた。


「マジ?フラグ回収ってやつ?」


 軽口を叩く声とは裏腹に、その目だけが鋭い。


 隊員は呼吸を荒げ、睨みつけながら口を動かす。


「……ADF、如きが……」


「なに〜?」


 言真が笑って聞き返すと、隊員は苦痛に震えながら吐き出した。


「ローマに……不審物……! お前らじゃ……ないのか……!」


 沙紀とルチアーナが息を呑む。


 その瞬間、隊員の全身から力が抜けた。


 音もなく、死体が床に沈む。


 重い沈黙。


 沙紀は蒼白になったまま、呟く。


「……不審物って……核……?」


 言真は、血の池に映る死に顔を見下ろしながら、淡々と言った。


「さて、いいニュースと悪いニュースがある。」


 いつも通り軽い口調。

 しかし、その表情は氷のように冷たい。


「いいニュースは、目的地がハッキリしたこと。」


 そこで一拍置き、より低い声で続けた。


「悪いニュースは……この隊員を殺した奴が、すぐそこまで来てるってこと。」


 沙紀の心臓が跳ねた。

 ルチアーナは熱に霞む視界を見開く。


 言真が床の死体を指で弾くように示す。


「彼の死因は恐らく第三者による撲殺。素手でこの身体破壊。拳銃より速い膂力。そしてその慈悲のなさ。この時点で、風音か僕くらいの強さに匹敵する。──つまり、君たちじゃ瞬殺だろう。」


 そして、笑う。


「細かく説明してる暇はない。生きたいなら、今すぐ動くよ。」


 決断を迫る声ではなかった。

 ただ現実を告げる声だった。


「―――行こうか、ローマへ。」


 背筋を撫でる冷たい震えとともに、抵抗の余地は消える。


 血と潮風を混ぜたような湿った匂いが、シチリアの夜に重く沈んでいた。


 続く…

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