7話 日常 - 裏 • 3 -
鼓膜が破れんばかりの発砲音が響く。桜田風音はゆっくりとその音の発生源へ向き直った。横井亮太に化けた魔族はありえないと言わんばかりに目を見開き、激しく震える手でこちらに銃口を向けていた。
「なんで、、、聞いてねぇぞそんなこと!!」
怒りがまたふつふつと湧き出る。こいつは必ず殺さねばならない。
「私別に何も言った覚えないんだけど。」
ドスの利いた声でそう答える。魔族は怒り半分、驚き半分の表情を浮かべ、また声を張り上げた。
「まさかお前、、、嘘だ、なんでここにいるんだよ!出てきていい人間じゃねぇだろ!!」
「なんだ、私のこと知ってたうえでやったと思ったのに、残念。」
どうやら相手は、自分が四堂だと知らなかったらしい。愚の骨頂というべきだろう。ここまで行動力、実行力、残虐性を兼ね備えているにも関わらず、情報収集関連はあまりにお粗末であった。桜田は、これまで魔族は自分が四堂とわかった上で行動に移していると思っていたので、どこかしら罠が仕掛けられていると考えていた。だが、今の言葉を聞いて安心した。彼はおそらく自分に対処できる力や策は、ほとんどない。
また魔族は引き金を引いた。だが銃弾は右に逸れている。桜田は左に首を傾げるようにしてそれを避けた。とても苛立たしげに、もう三回引き金を引く。しかし全弾、あらぬ方向へ飛んでいくばかりで、桜田に命中することは一切なかった。
五弾目が射出されることはなかった。弾切れを起こした彼の拳銃、ベレッタM9は虚しい金属音を響かせるばかりで、それがさらに彼の焦りを誘ったようだ。そのあまりに滑稽な姿に、桜田は思わず嘲笑し、こう言った。
「ベレッタは手に入れやすいし、撃ちやすくていいよね。私も好き。」
皮肉たっぷりにそう言うと、激昂した様子で魔族は声を荒げ、呆然と座り込んでいる八幡直弥の方を指さして言った。
「黙れ!黙らないとこいつを殺、、、!」
「殺せるのならどうぞ?私には何ら関係もないし。」
強がってみせたが、正直彼に死なれては困る。ここまで大規模襲撃してまで魔族が欲しがる彼を、みすみす殺されるのはあまりに惜しい。かと言ってそれを悟られては不利になるため、桜田はポーカーフェイスを突き通した。
「こっ、、、のクソ女!俺を甘く見てると、、、!」
焦りでもはや正常な判断も下せないのか、魔族は自らの目的も忘れ、直弥を羽交い締めにしている男に彼の殺害を命じようとしていた。そうはさせるかと桜田は瞬時に反応し、手元のハンドガンで引き金を二度引く。一発は魔族が化けた横井亮太の肩に、もう一発はその男の額のど真ん中に命中した。
両者体勢をくずし床に倒れ込む。羽交い締めにされていた直弥は悲鳴に近い声を上げた。
「と、父さん!」
やはり、あの男は盗聴器から聞いた通り、直弥の父親だった。虚ろな目だったが、気配は人間であったため本当に彼の父親なのか判断ができなかった。ということは母親が魔族なのだろうか。
だが今、彼のことを考える暇はない。桜田はもう一名、床に倒れ込んでいる者に目を向ける。身体を上半身だけ起こし、苦しげに息をしている横井亮太の姿をした魔族は、青い血が流れる負傷した肩を押さえながらこちらを睨みつけている。
銃弾はわざと致命傷から外した。今すぐにでも殺してやりたいが、あるだけ情報は吐かせなければならない。桜田はしゃがみ、苦しげに呻く彼と目線を合わせた。
瞳の中に、底冷えするほど冷たい目線と、先程の戦闘で血を浴びた自身の顔がある。これが自身にとっての日常だった。狂ってなどいない。これが自分のあるべき姿であり、宿命なのだと言い聞かした。そうでもしなければ、あの二人の顔が浮かんできてしまう。
手元のハンドガンを彼の眉間に突きつける。ビクついた反応を見せたが、気にすることなく脅すような口調でゆっくり言った。
「お前、何が目的でこんなことしてんだよ」
「てっ、、、てめぇには関係ねぇだろうが!人間なんて皆死にゃいいんだよ!!魔族に勝てるだなんて思い上がんじゃ、、、」
突きつけていた拳銃をより一層強く押し付ける。激しい怒りに我を忘れそうになるが、それをどうにか胸の奥へしまい込み、平静を装った。
「次そんなこと言おうもんなら問答無用で殺す、、、まぁ、なら質問を変えてやる。お前らにとって八幡直弥はどういう役割を果たすんだ?」
「知らねぇよ!おれはただあいつに命じられただけだ!俺等の意思とは関係ねぇ!」
「あいつって?」
「それは、、、言えねぇ」
桜田は無言のまま、魔族が負傷した箇所に素早く指を突っ込む。途端、激痛が襲ったのかその魔族が床をのたうち回った。
相手が人間に化けていたのが功を奏した。魔族の形態は個体によって多岐にわたるので、その都度拷問方法を変えなければならず、手間がかかってしまう。その点人間は、個人差はあれどもほとんど同じ体構造になっているので拷問も比較的しやすいし、どこを痛めつけたら相手が苦しむのかも幼少期からの教えで明確にわかる。桜田は青黒い魔族の血で濡れた人差し指をゆっくりと引き抜いた。まだ眼の前の魔族は、痛みに耐えながら苦しげに呻いている。
床に倒れ込んでいる魔族に今度は馬乗りになり、手足の自由を奪う。両手首を片手で彼の頭の上に拘束しつつ、もう片方の手でハンドガンを構えた。睨みながらも撃つなと目で必死に訴えてくる彼の表情を見て、思わず怒鳴りつけてしまった。
「ふざけんじゃねぇ!お前の何倍もの痛みや悲しみを、この教室に居た奴らは味わってんだぞ!それだけじゃない!もっとたくさんの奴らがてめぇのせいで不幸な目にあってる!なのになんでそんな目ができるんだよ!」
桜田のその気迫に少しだけ気圧されたような顔をした魔族だったが、それも一瞬に過ぎず、憎悪を目にためて冷静にこう言い返した。
「、、てめぇらも同じことしてんじゃねぇかよ。なんの見境もなく魔族を殺しやがって、挙げ句てめぇらが被害を被ったら全部俺等のせいにしてもっと同胞が殺される。どの面下げて不幸な目だよ?本当に虫酸が走る。あいつと根本は何ら変わらない。利益や自己保身だけが生きがいの劣等種族が。」
「殺す、、、!」
もはや自らの感情にブレーキが掛けられなかった。烈火のごとく燃え盛る怒りの炎は留まることを知らず、勢い任せでハンドガンの引き金に手をかける。そのままそれを引こうとした瞬間、床に倒れ込んでいた魔族が不敵に笑った。
「感情的に動くのは得策じゃねぇ、なんてことは小学生でも分かることだぞ、桜田風音。」
彼の脇腹付近が異様に隆起していることに、その瞬間気がついた。怒りに我を忘れていたがために、細かいことに注意が向かなかった。不覚―――そう思った途端、彼の制服を突き破り、藍色の鋭い触手がその脇腹から縄鏢の如くこちらに向かって超高速で飛んできた。
まずいと思って後ろに体をそらし、間一髪それを避ける。鼻先をその触手がかすめ、小さな切り傷からつーっと血が垂れてきた。触手はそのまま教卓に勢いよく突き刺さった。教卓の側面部分は金属製だったにも関わらず、その触手はそこを易易と貫通しているあたり、どれほど強力な攻撃だったかが伺い知れる。Ⅰ型でもあのスピードは避けきれずに死んでいただろう。
後ろへ体をそらしたので、尻餅をついた。その時両手首の拘束を解いてしまっていた。魔族は隙なく動き、そばに落ちていたガラスの破片を目ざとく見つけ、それを握って桜田の方に振るう。とっさにそれを受け止めるが、彼は既にそれを予測しており、いつの間にか拘束を脱していた片足で桜田の腹部を思い切り蹴り上げた。
更に後方へ吹っ飛び、机などを巻き込んで死体の中に倒れ込む。予期せぬ攻勢で息が詰まった。油断していたと言わざるを得ないだろう。あまりの感情の昂ぶりに、警戒心が逸れていた。目も当てられない失態であった。
だがそこで隙を見せるわけにはいかない。痛みを堪えつつ、手元のハンドガンの銃口を、立ち上がってこちらを見下ろす彼の頭に照準する。そのまま間髪入れず引き金を引いた。消音器による小さな射撃音とともに射出された弾丸はまっすぐ彼の方へ飛んでいく。狙いは完璧だったのだが、魔族はそれをさっき伸ばした触手ですべて受け止め、金色の弾丸はすべてそれに吸収されていった。
5発目を撃とうとしたが、ついに弾切れを起こしてしまう。その桜田の様子を見た途端魔族は邪悪に笑い、再び触手をこちらへ突き刺そうとしてきた。後ろへ飛び退いて避けるが、魔族との距離が空いてしまう。マガジンを入れ替えようともそれは隙になってしまうし、さっき彼がしたようにガラス片やその他のものを使おうにもあの触手にすべて防がれてしまうだろう。つまりあの魔族にダメージを与えられるのは近接攻撃のみとなる。その状況下で距離が空くのは良い状況とは言えない。
忘れていた。あの、魔族の濃い気配。眼の前の魔族は普通の魔族ではない。桜田やその他四堂ですら会ったことのない、、、
魔族はブレザーの内ポケットからなにか細長いものを取り出す。一見するとそれは市販の、黒のボールペンのように見えた。だが目を凝らすと、透明の筒軸から見えるリフィール部分に詰まっているのは、インクではなくなにやら赤い光が点滅する機械のようなものだった。彼はそのまま、グリップ部分の前軸を少しひねり、カチッという音とともに軸が固定されたそのペンの、ノック部分へ親指を掛けた。
依然片手で負傷した肩を抑えつつも、蔑むような目で、不気味な薄ら笑いを浮かべながら彼はこちらを見据える。桜田は動こうにも動けなかった。あのボールペンは明確な切り札だろう。もしあのノック部分が押された場合、どうなるかはわかりきっていた。おそらく、あれは遠隔操作型爆弾のスイッチだ。押した瞬間、あの機械から発信される電波を爆弾が傍受、瞬時に安全装置が外され、同時に起爆部分に着火、爆発。その間は1秒にも満たないと推測した。
だが、それによって今いるこの教室が爆破されるかと言われれば、それは低いと思われる。あまりにリスクが高すぎるからだ。彼が事前に、派遣された隊員が四堂と把握していればその限りではないのだが、そうではないと知った以上、捕縛対象や自身を巻き込んでまでして彼にとっての敵を殺すことのメリットや、そこまでするほどのリスクはないと考えるのが普通だろう。つまり桜田が直接的に被る被害は少ないと思われる。
かといってみすみす爆破させるわけにはいかない。他の生徒をこれ以上戦闘に巻き込むのは御免だった。普段なら人的被害を鑑みず、ただ魔族を殺すことだけを優先させていただろう。極端な発想だが、否定はできない。、、、やはり、あの二人に私は変えられた。
桜田は対峙する。先ほどと比べ幾分も冷静になった。怒りは未だに収まらないが、爆発的に燃える激昂のようなそれは、殺意を研ぎ澄ました冷たいものに変わっている。睨みつけながら、静かに空になったマガジンをかなぐり捨て、最後の変えのマガジンに手を伸ばした。対する魔族も、声を発することなくボールペン型の起爆装置を構え、いつでも押せるよう隙なく佇んでいる。張り詰めた緊張感が二人を囲んだ。桜田が銃のマガジンを入れ替える以外にその教室で音を発するものはなく、遠雷の如き銃声と叫び声がこだまするのみだった。
リロードし終えた桜田は、こちらも隙なくゆっくりと構える。両者は互いに睨み合い、しばらく膠着状態が続いた。
一瞬たりとも気が抜けない。隙を見せれば最後、殺される。虎視眈々と桜田の額へフォーカスする触手と、震える手で持つペン型の起爆装置に集中した。微細な筋肉の動きや、彼の目線にも気を配る。
彼の制服の下、ちょうど触手が出ている横腹あたりの腹直筋がピクリと動く。同時に、目元に一瞬明確な殺意を感じた。
息する間もなく、触手が弾丸の如き猛烈な速度でこちらへ飛んできた。常人はもちろん、いくら訓練を積まれていようがまず避けることなどできないだろう。だが桜田は怯むことなく、逆にその触手の方へ、姿勢を低くし足の跳躍を駆使して駆けた。
桜田のその速度は触手と同等だった。触手は目にも止まらぬ速度で桜田の背中近くを突っ切り、さっき立っていた場所へと向かっていった。
桜田はまっすぐ彼のもとへ跳ぶ。あまりの速度に魔族も桜田の存在をいまだ気づいていない。誰も居ない虚空を邪悪な笑みとともに見据える彼の腹へ、桜田は両足で渾身の飛び蹴りをかました。
桜田の急速な減速に合わせ、遅れて風が横切る。ドッという音とともに彼の身体はくの字型に曲がり、信じられないという驚愕と恐怖を交えた顔が一瞬見えた。それから彼は勢いよく吹っ飛び、血濡れた黒板付近に身体を強かに打ち付け、そのまま床に崩れ落ちた。
あまりの勢いに彼は起爆装置を手放してしまったようで、それが円を描くように空に舞っているのが見えた。それを見た途端桜田は瞬時に膝射姿勢になり、ハンドガンのリアサイトで狙いすまして一発、弾丸を見舞った。
射出された弾丸はまっすぐペンの方向へ跳び、ちょうど機械部分が見える透明の筒軸部分に命中してキラキラと光る破片が飛び散る。そのままかつんと硬い音を立て、床に落下した。
相手からすれば脅威の射撃技術だろう。あのペンの横幅は約1センチ程度、しかも回転込みでの自由落下中となれば、それを的確に撃つには相当の技術力が不可欠であった。言うまでもなく、あの一発はまぐれなどではない。桜田はあの一瞬で緻密に落下速度や回転度合い、空気抵抗などを計算し、撃つべき場所へ寸分の狂いなく撃ってみせた。
涼しい顔で桜田は立ち上がり、先程からポケットで震えるスマホを手に取って画面を見たのちに魔族の方を見た。彼は気絶こそしていないが、頭から青い血を流してさも痛そうに壁へもたれかかっている。そのまま彼はこちらを仰ぎ見て、次に床に散らばる装置の破片へと目線を向けた。しばらく驚愕に固まっていたが、彼はそのまま狂ったように笑い、床をバンバンと叩いた。
教室中に響くその笑い声を不愉快に思った桜田は、低い声で問いかけた。
「何がそんなにおもしれぇんだよ。」
それでも彼は笑うのをやめない。桜田は無言になり、近くに力なく横たわる触手へ3発、銃を放った。
魔族は途端絶叫する。撃った箇所からそれは綺麗に千切れ、ドクドクと青い液が流れ出ていた。彼につながっている方の触手はするすると彼の身体へ吸収されていき、千切れた方は白煙を上げ、ドロドロに溶けていった。
ううっ、と呻くばかりになった彼のほうへつかつかと歩み寄り、静かに見下ろしながら言う。
「壊れたおもちゃは叩けば直るって?笑わせる」
「てめえだけはっ、、、絶対ぇ殺す、、、!」
「口だけは達者だけど攻撃は甘すぎ。そんなんじゃ100年たっても私を殺せない。」
「かはっ!殺せねえか!だがなぁ、もう爆弾のタイマーは俺がグリップひねった瞬間から始まってんだよ!もうあと10分程度でドンだ!たとえそれでてめえを殺せなくても、大勢の人間が爆発に巻き込まれて死ぬことになる!そうなりゃてめぇもただじゃすまねぇだろ!一瞬で首チョンパだなぁ!」
「、、、爆発しようがしまいが、どうあれ私は死刑に処される。なら、最低でも戦果はあげないと。」
怯んだ様子を見せた魔族に構うことなく、銃口を今度は彼の眉間に照準する。怯えて後退りしようとする彼の姿はなんとも情けない。蔑むに値するだろう。
「言っといてあげるけど、私がこの状況に無策で挑んでると思う?」
「あ、、、?」
「今頃下の階では私の部下が避難誘導とお前による被害者たちの処理をしてる。ついでに下の階で仕掛けられてた爆弾はほぼすべて解除されてるとついさっき連絡があった。上の階はまだだけど、ここの上は特別教室しかないから一般生徒が出入りすることも少ない。これで他の生徒が巻き込まれる可能性はかなり低くなった。」
「っ、、、!」
横井亮太の家付近で二人と別れた後、同じく任務で派遣された八間・四阿庸平に通話を掛ける前に玄武隊へ緊急要請信号を送っていた。桜田も任務開始直前まで知らなかったのだが、亜沙実や璃久、そしてなぜか朽宮らが、四阿や桜田の他に熟練の玄武隊Ⅱ〜Ⅲ型戦闘員40名ほどを同行させるよう仕向けたのだ。
彼らに与えられた任務は失踪者の捜索及び桜田ら2名の後方支援。しかも当初は80名も帯同させるようにしたかったらしく、無論彼女は任務開始前に過剰な人員配属だと反対したのだが、40名だけはこちらも譲れないと亜沙実から涙目で言われたので、渋々認めざるを得なかった。
所詮亜沙実らの取り越し苦労だと思っていたのだが、今こういう状況に置かれれば彼女らに感謝しかない。時間をかければたしかに桜田一人で万事解決可能であり、自身の命が危険にさらされることもまずないのだが、そうしているうちに無関係な人たちが犠牲に犠牲を重ねていただろう。増援に避難者を任せられるのは大きなアドバンテージだった。
魔族は苦虫を噛み潰したような顔になり、銃口から逃れようとさらに後ずさるが、もう彼の後ろは壁しかなく、これ以上逃れることはできない。それに気がついた彼は顔が引きつり、必死の形相で静止を呼びかける。だがそれを桜田は聞き入れるわけがなく、引き金に指をかけ、睨みながらその指に力を入れる―――。
直前、魔族の目に安堵のようなものを感じた。それに気づいたのもつかの間、彼は声を張った。
「う、撃て!この女を撃て!」
照準を彼の眉間から外し、とっさに床に転ばる。瞬間、張り裂けんばかりの発砲音が背後から響き、立っていた場所で銃弾が跳ねた。割れた窓の外には複数の人影がこちらへ銃口を向けていた。どれも目に光はない。
教室を素早く駆けて襲い来る銃弾を避け、机を倒して遮蔽物にしつつ二発ほど刺客らへハンドガンを見舞った。2人ほど額から血を吹いて倒れたが、敵は増え続けて次第に防戦一方となる。
それを見た魔族は怪我した部分を手で抑えつつも教室から逃亡した。まずいと思った途端、敵の背後からも複数の銃声が反響し、刺客は次々と側頭部を撃ち抜かれ、倒れ込んだ。生き残っていた敵はその銃声がする方向へ銃口を向け、応戦しだした。注意が逸れた、そう思った途端桜田は素早く動き、魔族が出ていった扉をくぐって廊下に出た。
出る直前、直弥の姿をちらりと見る。あれほど激しい戦闘があったにも関わらず、彼は呆然と父親と思われる男の傍らに座り込み、悲痛な面持ちで彼を見つめていた。彼を殺したのは桜田だ。直弥の命を守るにはああするしかなかった。それでも、どうにもならない罪悪感が心を覆った。
だが、そうはいっていられない。桜田は教室を出て、左右を見渡す。右には刺客ら数名と濃灰色の軍服を着、フェイスマスクを被る武装兵数名が銃撃戦を展開していた。軍服の方は玄武隊隊員であり、時折、敵が背後の桜田に気づき銃口をこちらへ向けるが、隊員らはすかさず彼らを銃撃し無力化させていた。
左を見ると、制服姿の遠ざかる背中が見えた。横井亮太、つまり魔族だった。桜田は流れ弾が当たらないよう姿勢を低くして追跡する。魔族は角を曲がり、遅れて桜田もそれを追う。魔族が階段を駆け上る姿が一瞬見えた。爆弾解除が進んでいない4階に上がるとなると、罠が仕掛けられているのは必然だった。かといってみすみす逃すわけにはいかない。桜田も素早く登った。
生徒がほとんど居なかった4階は、3階と違いまだ埃臭さが残っていて、血や硝煙の匂いは薄い。だが人が居ないわけではなかった。廊下の奥で爆弾の捜索をしていた、玄武隊の隊員ら6名は魔族と桜田の姿を見た途端、ぎょっとした表情を見せた。
「そいつが魔族だ!撃ち殺せ!」
桜田は声を張る。隊員らが銃を構えるより一歩早く、横井の身体の肩甲骨付近が膨れ上がり、先程同様の触手二本が彼らに襲いかかった。超高速で伸びるそれは隊員らの首を撥ね取り、一瞬で4人も殺されてしまった。
残る2人の隊員はあまりの惨状に一瞬及び腰になった。瞬間、伸びた触手からさらに細い触手が伸び、彼らの首へ刺さる。うっと呻いた隊員らは俯くが、しばらくしてまた前を向き、銃を構えた。
だが今度は違った。あの銃口は、明らかに桜田の方を向いていた。まさかと思い、彼らの顔を見る。やはり、目に光がなかった。小さく舌打ちし、桜田は回避行動に移ろうとした。
すると、桜田の近くにあった教室の扉が突然開け放たれた。驚いてそちらを見ると、同様に目に光がない大男が佇んでいた。男は他と違い銃を携えておらず丸腰だったにも関わらず、桜田は戦慄した。
それは過去、緊急要請信号を発し、一切の消息を絶ったうちの一人。桜田が横井の家付近で殺したあの新人隊員2名の付添として出向いた、Ⅰ型戦闘員だった。たしか名を、大門鎮雄といったはずだ。彼は悠然と右手を振り上げ、こちらへ殴打を浴びせんとしている。
とっさに桜田はハンドガンの銃口を大門に向けるが、それを彼は片手で払いのける。さすがⅠ型というべきか、他の刺客と比べても異様に力が強く、桜田も予期せぬ方向からの力で思わず拳銃を取り落としてしまった。
この一瞬で避けるのは無理だと察した桜田は両手で力強いその殴打を受け止める。だがそれを待っていたかのように大門は空いている片手で桜田の前腕を掴み、右足を彼女の足の間に踏み入れて背負投の要領で投げ飛ばす。体が宙を舞う寸前、廊下の奥でこちらの様子を後眼に見ていた魔族が、焦りの表情は残しつつも不敵に笑い、叫んだ。
「桜田風音ぇ゛!!殺すか爆ぜるかの第3ラウンドといこうじゃねぇか!!」
それに桜田がなにか思うより早く身体が吹き飛んで、大門が出てきた教室へ扉ごと地面に激しく倒れ込んだ。
***
警報音と銃声と、悲鳴だけが響くそのショッピングモールを四阿は駆け回る。周りのいたるところに大小様々な遺体が転ばり、壁や床は血で濡れていた。
無差別的な武力攻撃が始まり、その場に居合わせた四阿はそれの応戦に徹していた。襲撃者らは基本的な戦い方は知っているようだったが、その技術に合う力は持ち合わせていないようで、そのせいかその技術量もどこか付け焼き刃のような印象を受けた。
敵から鹵獲したAK-47で残党を狩る。これで3階まで制圧は完了した。空になったマガジンを投げ捨てて、撃ち殺した敵から奪い取った新しいものに入れ替える。ボルトを引いた瞬間、階下から吹き抜けになっている通路の横部分を通してこちらを、敵がAKで狙撃してきた。
吹き抜けと通路を仕切るガラス製の塀が蜘蛛の巣状に割れ、砕け散る。四阿はその瞬間しゃがみ、通路を走り抜けた。すぐ後ろでことごとくガラスが割れる。一瞬でも止まれば蜂の巣だろう。
先にあった柱の陰へ滑り込んだ。すぐ近くの足元で銃弾が跳ね、跳弾音が鳴り響く。隠れた途端銃撃は止んだが、油断できるはずもない。
小さくため息をし前を見ると30代前半ほどの年齢に見える女性が何かを抱え込んで息絶えている。目を凝らすと、彼女の腕の中にはまだ小さな赤ん坊が虚空を見つめていた。恐らく親子ともども容赦なく撃ち殺されたのだろう。あまりに残酷だが、これが現実であり、戦場だ。弱者は蹂躙され、強者は積み重なった死体の上で他者との命の駆け引きに興ずる。
勝てば官軍、負ければ賊軍。この世界は過去の殺戮や戦争を経てできた勝者の歴史がもたらしたものであり、敗者や敗戦国がどう足掻こうが簡単には変えられない。
道徳的にだとか、人間性だとか、今この場では綺麗事にしかなり得ない。相手の命を奪わねば、自らが危険にさらされるのだから。正当防衛といえば聞こえが良すぎるかもしれないが、あながち間違ってはいない。
四阿は懐からM67プラググレネードを取り出す。ピンを抜いて2秒ほど空け、その柱から身を乗り出すとともに思い切り階下の刺客らへ投げた。
彼らとの距離は直線距離でも約30メートルとかなり離れてはいるが、四阿の力強い投擲によって手榴弾は逸れることなくまっすぐ彼らのもとへ飛ぶ。四阿は再度物陰へ隠れた。
地震のような激しい振動とともに、大きな炸裂音が響く。瞬間、四阿はその物陰を飛び出し、階下へと通ずるエスカレーターを目指した。横目に爆破した箇所を見たが、煙や塵で様子は確認できない。だが撃ってくる様子もないので、ひとまずは処理できたと判断した。
猛然と血濡れた通路を駆け、投げ出された手足を踏み越え、ようやく行き着いた動かないエスカレーターの下を見る。そこにはAKを抱えたスーツ姿の、目に光がない男性が上の階へと駆け上っていた。
その男が気づくより早く四阿は跳び、両足で彼の肩へと勢いよく着地する。男はバランスを崩し、その隙に四阿は銃を構え、彼の肩から落ちる前にゼロ距離で弾丸を彼の眉間へ放つ。そして白目をむき血を吹いて後ろへのけぞった男の肩を彼は思い切り蹴飛ばして、一回転し綺麗に着地した。
男は力なく止まったエスカレーターを転がり落ち、そのまま下の階でうつ伏せ状態になってピクリとも動かない。彼の顔からリノリウムの床に血溜まりがじわじわと広がっている。わずか1秒での即殺だった。
ふぅ、と一息つきつつ、四阿も慎重にエスカレーターを駆け下りる。敵は奥に1人見えるが、他には見受けられない。四阿はレストラン街である5階から先程までいた3階までに50名ほどの刺客を屠ってきた。魔族がそれほどまで人間を誘拐しているのも驚きではあったが、桜田のいる高校も襲撃していると考えると、このショッピングモールにいる人員はそれほどいないのではないかと考えた。おそらくここを襲ったのは自身の足止めに過ぎないだろうし、魔族の目的がこのショッピングモールにあるとも考えにくい。そうなれば自身の目的を達成するためにも高校サイドに人員を多数割くはずで、ここにいる刺客はもう殆ど残っていないのではないか。
実際、ほとんど銃声は聞こえない。聞こえるのはけたたましい警報音と、微かだがどこかで声を殺して泣く声だけだった。四阿は2階を駆け、逃げ遅れた避難民を助け起こしつつ襲撃者を探す。だが襲ってきたのはわずか2人だけであり、それもひとりはさっき奥で見えた者と、もう一方は手榴弾の爆発から奇跡的に生き延びれた者であり、その他は誰一人姿を見かけることはなかった。
隅々までその2階を探していると、1階の入り口付近で大きな爆発音がした。何事かと四阿は吹き抜けから階下を覗く。すると爆破され粉々になった入口から15名ほどの、フェイスマスクをした武装兵が警戒した様子でなだれ込んできた。四阿は一瞬敵の増援かと思ったが、濃灰色の軍服を見て彼・彼女らが、一緒に派遣された玄武隊隊員らであると瞬時に理解した。
1階にいた敵もそれに気づき、物陰に隠れてゲリラ戦の構えを見せた。十数名の敵を見て、1階に集結していたのかと四阿は納得しつつ、玄武隊員らの加勢をするために敵の背後から階下に銃弾を見舞った。
敵の表情は変わらないが、動きに動揺が広がっているのは見て取れた。正面からは隊員らの無数の銃撃、そして後ろからは八間である四阿による猛攻。はさみ撃ちにされた敵になすすべはなく、一人、また一人と撃ち殺されていった。
そうして敵は全滅し、すべての銃撃音が止んだ。四阿はへっと笑い、危険も顧みずに塀を越え、吹き抜けから飛び降りて1階に降り立つ。奥から隊員らが駆け寄ってきて、四阿の姿を見た途端安堵を浮かべた。
「寛解!良かったご無事で、、、!」
「ふん、こう見えても八間だっての。」
ははっと笑いが起こる。一瞬和やかな空気が流れた。周りの状況は悲惨を極めているが、戦場慣れしすぎている人間にとってその景色は日常にしかなりえない。人の死を弔うようなことは、かえって自身に苦痛であり、命取りでもあった。死者にこだわるのは自身も死んでいるのと同義と、子供の頃から教わってきた。
間違ってはいない。ただその理論が通ずるのは死が日常である者たちのみであり、一般人が理解するには苦しいものがあるだろう。この線引があるからこそ、我々がどう足掻こうと決して戦いからは逃れられない。
少し落ち着いた後、隊員の一人が四阿に言った。
「寛解、そのうちここにSATが突入してくると警視庁から連絡がありました。それまでに退散しなければ、あっちはこの襲撃の犯人を我々と判断して必然的に戦闘となります。そうなる前にいち早く退避を。」
「ああ、、、おい、ちょっと待て。」
動き出そうとした隊員らを呼び止める。困惑した様子で隊員らは立ち止まり、四阿の方を見た。彼はあたりを見渡して、隊員らに呼びかけた。
「お前ら15人で来たんだよな。」
「ええ、まあ、、、」
「なら、なぜここには俺含め13人しかいない?」
ハッとした様子で隊員らも周りを見渡す。たしかにそこには12名の隊員と四阿しかおらず、3人の隊員が姿を消していた。奥に見える死体の中にも軍服姿のものは伺えず、知らぬ間に死んでいたという可能性も低い。困惑するが、取り敢えずまた隊員らに言った。
「、、、まあいい、お前らは取り敢えずここから退避後、誰にも姿を見られることなく移動し、佳人の救助へ向かえ。」
「寛解は、、、?」
「おれは残りの隊員を探す。俺だけなら軍服じゃねぇし銃捨てたら避難民と一緒に逃げれる。、、、あと、悪い。俺の不注意でこんな事になっちまって。」
「謝らないでください。ここまでは流石に誰にも予測できませんでしたから。、、、生きて帰りましょう、お互い。」
「、、、ああ。」
それ以上言葉は交わさなかった。四阿は隊員らに背を向け、1階を探索しだす。隊員らは音もなく去り、警報音だけがそのモールに反響していた。
地面を駆けるたび、飛び散ったガラスや何らかの破片が靴の下で砕け、ジャリジャリと音を立てる。吹き抜けになっている通路を見上げると、4階までは特に大きな出火は見られないが、一番激しい戦闘があった5階のレストラン街は大きな炎に包まれているのが見える。そこから煙が降りてきて、だんだん息が吸いにくくなっているのに気がついた。
若干咳き込みつつ、袖で自身の鼻と口を覆いながらあたりを探索し続ける。避難民ももうほとんどいなくなり、あたりは閑散としていた。いつの間にか警報音も止まり、息遣いと自分の足音がやけに耳に入る。
救急車やパトカー、消防車などの様々なサイレンが外から聞こえてくる。音の距離から察するにタイムリミットは10分といったところか。
煙で前も見づらくなってきた。この視界不良の中で襲われるのだけは御免だ。かといって隊員らを諦めるわけにもいかない。四阿は足を速めた。
するとどこかで微かに何人かの女性の悲鳴が聞こえた。それを聞いた瞬間彼は立ち止まり、音のした方へと身体の向きを変え、全速力で向かう。
行き着いた先は銀色の従業員専用扉であった。躊躇することなくその扉を素早く開け、内部を隈なく警戒する。赤い赤色灯が灯り、それが床のいたる所においてある段ボールや台車を不気味に照らしているが、一見して人影は見受けられない。
なおも警戒しつつ奥の通路を見やる。一番奥の方で、白い蛍光灯の光が点いている部屋を見つけた。その箇所を十二分に観察しつつ、一歩一歩近づいていく。だがまた、女性の悲鳴と今度は殴打音が聞こえたため、四阿は一気にその部屋へと駆けた。
足音に気がついたのか、銃を持った何者かがその部屋から身を乗り出した。四阿はそれが誰か確認するよりも早く跳躍し、前蹴りを放つ。あまりの速度にその者は成すすべなくその蹴りを受け、卒倒してしまった。
床に倒れたその人の方を踏みつけつつ、部屋の入口から中へと銃口を向けた。そして呆気にとられる。そこにいたのは、玄武隊の隊服を着た武装兵らだった。中にいた二人は襲撃者が四阿だと気づいた瞬間直立し、瞬時に銃口をそらして敬礼した。足元で卒倒しているもう一人の隊員は未だ泡を吹いて倒れてしまっている。四阿は困惑しつつ、部屋の中を見渡す。そこは広々とした部屋で、隊員らの足元には男女ともども従業員らが多数座り込み、どれも一様に怯えと恐怖の表情をしていた。
困惑しつつも、四阿は隊員らに聞いた。
「、、、お前ら、ここで何してる?」
「恐れながら申し上げますが、その問いにはお応えできません。」
胸の内がすっと冷めていくのを感じた。もしやこいつらは、、、
「もう一度問う。お前らはここで何を、していた?」
「、、、寛解、我々にはどうしてもお答えができ、、、」
「命令だ、答えろ。」
張り詰めた声がその部屋に重く響く。この隊員らが、ここに集められている従業員に何をしようとしていたのかを明確に理解したからだ。
隊員らは困惑したように顔を見合わせたが、渋々と言った様子で一人が四阿に話しだした。
「、、、キョウフウからのご命令で、従業員らは武装勢力と協力関係にあるかもしれないから、殺せるだけ殺せ、、、と。」
「だろうな。んで俺らの隊員に紛れて命令の遂行を、ってか。 、、、いいか、これは玄武隊が請け負った任務だ。他の隊の連中が出しゃばってくんじゃねぇ。キョウフウにもそう伝えろ。」
「いや、しかし、、、!」
「いいから早く立ち去れ!次言わせたら任務妨害とみなしお前らを撃ち殺す!」
なおも迷うような仕草を見せていた彼らだったが、四阿の気迫に気圧されてか、仕方なしともう一人の仲間を引き連れ、床に倒れている隊員を担いで出入り口をくぐり、その場から離れていった。おそらく彼らは、警察組織に包囲されるであろうモールの入口から出るような愚行はしない。いちいち忠告する必要はないだろう。
部屋の中に向き直る。従業員らは同様に、四阿に向けて怯えのような感情を目線で訴えている。当たり前だろう。服は血と煤で汚れ、手元には大きな銃身のAKを携えているし、そして何より彼らを殺そうとした隊員らに平然と話しかけていたのだから。
誤解を解くためにも、四阿は取り敢えず大きな声で語りかけた。
「安心してくださいみなさん。私はあなたが他の生命を奪おうだなんて全く考えておりません。むしろ逆、あなた方を助けに参りました。ですがその前に、私とあなたがたの間に1つだけ、ルールを取り付けたい。」
従業員らは困惑顔になる。四阿は気にせず続けた。
「些細なことです。私を含めた先程の軍服姿の者共の存在は、警察官および全ての人間への口外を一切禁止させていただく、ただそれだけのことです。」
ざわめきが少しだけ広がる。四阿は返事を待った。従業員らは互いに顔を合わせ、不安な面持ちで再度四阿の顔を見る。しばらくその状態が続いたが、顔に蒼痣のある女性が恐る恐るといった様子で片手を上げた。おそらく先程の隊員らに銃尻か何かで殴られたのだろう。
「あなた方は一体、何が目的なんですか?何が目的でこんな、、、こんな、ひどいことを、、、」
どうやら信じられていないらしい。この状況下では仕方がないとはいえ、すべてを説明することはできないし、する時間も残されていない。ADFや魔族に関する情報は、ある程度は日本政府が統制を行ってくれるだろうが、ここまでの被害である以上は撃ち漏らしもかなりのものだろう。それでADFや魔族の情報がすべて世間に知れ渡る確率は低いとはいえ、最低でも対策を講じておくことに無駄はない。
「、、、我々は本当に、襲撃者と何ら関係はありません。不安や無理は百も承知です。ただ今は、それを信じてくれとしか言えません。私が言ったことを遵守すると誓ってくれるならば、私は全力で、あなた方の身の安全を保証すると約束します。」
無言が続く。瞬間、大きな爆発音とともに施設が大きく揺れる。女性従業員らの悲鳴が響いた。
このまま呑気にしていると建物の崩壊に巻き込まれる、そう思った瞬間、青痣の女性が四阿に言った。
「、、、わかりました。取り敢えず、貴方を信じます。約束は、、、私達が一人も怪我を負わなければ、守ると誓いましょう。」
「、、、ええ、それで構いません。みなさんは、どうでしょうか、、、?」
女性の言葉を聞いてか、顔を見合わせていた従業員らも同意を示しだす。目を伏せて四阿の顔を見ないようにしている者もいたが、一貫して反論は出ず、全員四阿についていくという意思を示しているようだった。
その様子を見て、四阿は声を張る。
「ありがとうございます!それでは今から、避難を開始します!外では火災が発生している影響で、非常に濃い煙が充満しております!従って、ハンカチもしくは服の袖で御自身の口元を覆い、姿勢を低くして、一列で私の後ろをついてきてください!」
不安の表情は残しながらも立ち上がろうとする従業員らを尻目に、四阿は青痣の女性へ声をかけた。
「貴女のお名前は?」
「英田、です。」
「英田さん、あなたが他の方の先頭として私の後ろへ着いてきてください。適宜他の方の状態も確認していただけると幸いです。」
「わかりました。」
それを聞いた四阿は小さくほほえみ、部屋の入口前に立つ。奥の従業員専用扉から、白い煙がこのバックヤードへ流れてきているのが見える。
振り返って、次に部屋内の従業員らの状態を確認する。誰もが憔悴しきっているが、ともに支え合い、慰め合い、目には生きようとする意志が感じられた。それだけで十分と、四阿はもう一度声を張る。
「移動します!はぐれないようしっかり前の人の背中を追い、適宜周りの人の状態も気にかけてあげてください!」
返事を聞くより早く、四阿はその部屋を出た。そのすぐ後ろを英田がしっかり追い、他の従業員らもその後を付いてくる。
そのまま、従業員専用扉を抜け、モール内へと足を踏み入れた。濃い煙が目に染みる。先程より明らかに状況が悪化している。素早く避難しなければ、怪我人が出ることは必然だった。
壁伝いに、背を低くして移動する。英田らもピッタリ後を付いてこれていた。咳き込む声も聞こえるが、励まし合う声も聞こえるのであえて四阿は気にせず先へ進む。
そのまま進み、入口から約50メートルほど離れたところまで近づく。だがその時、天井にヒビが入り、真上から大きな瓦礫が落下してきた。とっさに四阿は近くにいた避難者らに覆いかぶさる形で突き飛ばし、なんとか誰かが生き埋めになることは逃れた。
だが、瓦礫が行く手を塞いでしまった。咳き込む声も先程より大きい。ある人はひどい酸欠状態で、顔が真っ青だった。一刻も早く移動せねば、命が危ない。四阿は大きな声を出した。
「迂回します!もう少しの辛抱です!」
そうして瓦礫を横に少しだけ迂回する。出口に近づくに連れ床に転がる死体も増え、そのたびに後方で小さな悲鳴が上がる。死体慣れしてしまっている四阿にとっては別段大したことではないのだが、後ろにいた英田は一度、転がっていた死体の腕を踏んでしまい、あまりのショックで気を失いかけていた。
倒れるすんでのところで四阿が抱き寄せたので怪我はなかったが、意識が覚醒した英田は気まずそうにすみません、とだけ言い立ち上がった。だが顔に余裕はなく、それだけ精神的に限界が近いことを表していた。
あの部屋を出て10分ほど経ったとき、遠くのほうで声がした。四阿は一度伏せるよう指示を出した。従業員らは大人しくそれに従う。四阿は耳を澄まして注意深くあたりを警戒した。
「、、、察です!どなたか逃げ遅れた方はいませんかぁ!!」
どうやら、警察が直ぐ側まで来ているらしい。ほっと胸をなでおろしたのもつかの間、再び大きな銃声が耳をつんざいた。
従業員らの間に悲鳴が上がる。四阿は上を見上げた。2階で、満身創痍の敵が吹き抜けを利用して銃撃しているのが、マズルフラッシュを通して見えた。四阿らに気づいていないのか、銃口はこちらへ向いておらず、それとは別の場所を銃撃しているようだった。
近くで聞こえていた声が絶叫に変わり、後ろで待機していたSAT隊員らはMP5Fを彼らへ射撃しながら展開しているのが瓦礫越しに見えた。敵は警察相手に発砲しているらしく、どこに隠れていたのかだんだん敵影が増え、次第に警察隊員たちも防戦一方となる始末だった。
従業員らは耳をふさいでしきりに震えているが、英田だけは震えながらもこちらをしっかり見据えていた。そんな彼女に四阿はこう語りかけた。
「耳をふさいで伏せていてください。すぐに終わります。、、、あと、ここから絶対に動かないで。」
困惑顔の英田らを残し、四阿は立ち上がった。そのまま近くの階段を誰にも見つかることなく駆け上がり、2階のフロアへ転がり込むと同時にAKで敵を射撃した。
敵たちは一様に何処かに怪我を負い、なんとか銃を撃てているような状態だった。予想外の攻勢に、近くにいた彼らはなすすべなく銃殺された。向かいにいた敵はこちらに気づき牽制するが、明らかに狙いが定まっていない。四阿は姿勢を低くして駆け、死体からあるものを奪取し、それを瞬時に投げた。
MK3手榴弾、通常の手榴弾とは違い、破片ではなく火薬の威力で敵を無力化する、いわば攻撃型手榴弾だった。効果範囲は狭いとはいえ、数メートルしかない2階通路に集まる何人もの敵には、大いに有効だろう。
耳をつんざくような炸裂音が響き、敵が沈黙する。至るところに肉片が飛び散り、かなり凄惨な絵図を生み出していた。
他の敵は一通り1階にいる警察によって無力化された。階下をちらりと見やったが、英田らが警察に保護されている姿が見えた。それを見て四阿は微笑を浮かべ、ようやくほっと胸をなでおろした。
***
たった数分だったが、何時間も続いていたように感じられた銃撃戦が終わり、英田と他の従業員らはようやく重装備の警官らに身柄を保護された。
茶色い毛布に身を包み、お互い身を寄せ合いながら勤務先だったモールを出た英田は、陽の光を浴びた瞬間思わず涙が出てきた。あの地獄から私は、生き残ることができたのだ。とその時になって初めて感じれた。
自身も同僚も、ひどく服が煤けて見窄らしい姿になっていた。肘や足も擦りむき、体の節々もひどく痛む。身体も精神も、とうに限界を迎えていた。
あの後、一人は酸欠状態がひどくすぐに救急車へと運ばれたが、特に命に別状はなく、他の人も特に大きな怪我を負うことはなかった。
病院での検査を受けるため救急車に乗せられた英田は、そのときに初めて、外で何が起きているかが分かった。
無差別テロはあのモールだけでなく、周辺地域で同時多発的に起きているようだった。特に、同じ市にある鳴矢高校の被害は甚大らしく、未だ攻撃は続いているのだそうだ。悲しいことに、現在分かっている犠牲者の大半が在校生だとも聞かされた。
呆然と流れているニュースを眺めていると、同乗していた警官から事情聴取を受けた。
「英田愛彩さん、で間違いありませんか?」
「はい。」
「とてもおつらい経験をなされたとは思いますが、あのモールで何があったか、お聞かせ願えないでしょうか?もちろん、可能な限りで結構ですので。」
英田はその警官の願いを聞き入れ、話しだした。
いつも通り接客をしていたときに、上階で爆発音のような音が聞こえたこと。
建物が揺れたと同時に、周りの人達が皆、頭から血を吹いて倒れていったこと。
あまりの恐怖に同僚とともに逃げ出し、行き着いたのが従業員の控室だったこと。
叫び声と銃声と、火災報知器の音が永遠と聞こえていたこと。誰かがバックヤードへ突撃してくるんじゃないかと、心底怯えていたこと。
、、、そこまで話して英田は言い淀んだ。理由は単純だった。
『私を含めた先程の軍服姿の者共の存在は、警察官および全ての人間への口外を一切禁止させていただく、ただそれだけのことです。』
彼との約束が、頭に浮かんだからだ。彼の存在は終始謎だった。名前すら知らない。だが、彼がいなければ、窒息死は不可避だったと今になって思う。あのタイミングで出なければ、おそらくあの控室は煙で息も吸えない状態になっていただろう。
何より彼は有言実行をした。誰も犠牲になることなく、英田はこうやって生きながらえている。感謝してもしきれないだろう。命の恩人とも言うべき人物だ。もう一度会うことができるならば、彼に感謝を伝えたい。
「、、、英田さん?大丈夫ですか?」
「え?、、、ああはい、大丈夫です。 、、、すみません、そこから逃げるのに必死であんまり詳しいことは覚えてなくて、、、。警察の皆さんに保護されて初めて、やっと落ち着けたものですから、、、」
「はぁ、、、大変でしたね。不躾な質問をしてすみませんでした。病院まではゆっくりお休みください。」
そういってその警官はメモにペンを走らせていたが、ふとこちらの顔を見て言った。
「、、、英田さん。その痣、大丈夫ですか?」
「ああこれ、、、」
片手で自身の顔を触る。じんと痛むこの痣はあの灰色の軍服の3人に銃尻で殴られた痕だった。
あの武装兵3人が部屋に入ってきたとき、部屋にいる全員を殺すと言われ、反発しようと立ち上がった英田は思い切り殴られてしまった。そのとき、恐怖で身動きが取れなかった。そうして彼らが引き金へ指をかけたときに現れたのが名前も知らない彼だった。その時も、命を守ってくれた。
「逃げてるときに転んだんです。大した事ないですよ」
そう笑顔でごまかした。警官も納得したように再度謝り、再びメモを取っていた。
、、、そういえば、彼はどうなったのだろうか。すぐ終わると言ってどこかへ行った彼が、その後姿を表すことはなかった。命を落としていないか不安が募るが、どこか彼なら大丈夫という根拠のない安心感が心を覆った。
じくじくと痛む頬の蒼痣が、彼が今でもどこかで生きていると伝えてくれているような、そんな気がした。
続く、、、