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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第肆章
78/112

77話 シチリア動乱 - 16 -

 ―――1時46分。


「……なーるほどねぇ。」


 朽宮言真は、顎を手の甲で支えながら、ゆるく息を吐いた。

 まるで他人事のような声音だったが、その瞳だけは妙に冴えている。


 彼の正面では、ルチアーナが椅子にもたれかかっていた。

 包帯越しに滲む血が、淡い灯りの下で黒ずんで見える。

 修道院での惨劇――サンティスの怒り、そして黒い獣。

 それらを語り終えた彼女の息は浅く、どの言葉もかすれていた。


「……以上が、あの修道院での一部始終だ。」

 ルチアーナはそう言って、わずかに息を整えた。

 その声はかすれ、まるで喉の奥に砂を詰められたようだった。


 三田沙紀が、無言で差し出したマグカップをそっとルチアーナの前に置く。

「無理して話すことなかったのに。まだ熱引いてないんですし。」


 ルチアーナはそれでも首を振った。

「……それでも放ってはおけない。あの怪物が、ただの化け物ではないとわかったからだ。」


 言真は、その言葉にわずかに口角を上げる。

「“ただの化け物ではない”、か。まぁ、確かに魔族は賢ければ賢いほど人間の弱みに付け込む。だからこそその魔族は、彼女の中で“感情”を具現化させたような頼れる存在になったのかもね。」


 沙紀が眉をひそめた。

「感情の具現化?」


「――悪意そのものだよ」

 言真がそう言い、指先で机を軽く叩く。

「憎しみも悔恨も、十二年分溜め込めば、そりゃ嫌でも形にしたくなる。あのサンティスという女は、それを“罰”と呼んだんだろう。」


 沙紀はゆっくりと、ルチアーナの顔を見やった。

「……でも彼女は、最後に泣いていたんですよね?」


 ルチアーナは静かに目を伏せた。

「…ええ。」


 静寂が落ちる。

 言真は目を閉じたまま、ふと笑みを浮かべた。

「――綺麗だったろ。人は壊れるときほど、いちばん人間らしい顔をする。」


 その笑いが本心か、嘲りか、誰にも読めなかった。

 ルチアーナは何かを言いかけたが、熱に浮かされたように言葉を失う。

 まぶたが重く、視界が滲んでいく。


「……朽宮言真……あの獣が、もしまた現れたら……」


「安心しなよ。」

 言真は立ち上がり、背を向けたまま答える。

「そのうち、奴は必ず僕らの前に現れる。」


 その背中に、どこか嗤うような、あるいは祈るような気配があった。


「そんなの…確証がないだろう…」


 ルチアーナは辛そうな声で言う。


「いいや? 確証はある。」

 言真は振り返らずにそう言った。その声音はいつになく静かで、冷ややかな熱を帯びていた。


「……どういう意味だ?」

 ルチアーナは息を詰める。


 言真は、ゆっくりと彼女の方へ振り向いた。

 その目に宿る光は、まるで暗闇の底でひとつだけ燃え残った燐光のようだった。


「僕達が何者かは、沙紀ちゃんから聞いただろう? 魔族にとって僕達ADFは目の上のたんこぶ、要は邪魔者でしかない。サンティスを仲間に引き入れたその魔族の目的は知らないけど、それを達成するにはまず障害物を排除しなければならない。真っ先に狙われるのは、僕達のようなADF構成員なんじゃないかな。」


 言真はそう言いながら、わずかに目を細める。

「まあ――ただな。」


 彼は椅子の背にもたれ、軽く息を吐いた。

「ここシチリア島にいる構成員は、僕達以外にも四人いる。各二人ずつ、君たち三大マフィアの中に潜り込んでいる。魔族が誰か分からない以上、そっちが狙われる可能性もある。というより、確率論的にはそっちのが高い。それに―――」


 そう言うと、言真はどこからかテレビのリモコンを取り出し、スイッチを押した。

 映し出されたのは、シチリアのニュース番組。

 街頭インタビューのざわめきの裏で、緊迫したアナウンサーの声が響く。


『――ポッツァーロ郊外、そしてカルタジローネ付近で、ファミリア・ディ・サングエ・ドーロとイル・サングエ・ロッソの両組織が衝突したとの情報が入ってきました。現地ではすでに複数の銃撃戦が確認されており――』


「……抗争、って……」

 ルチアーナは画面を凝視したまま、唇を震わせた。

 長い昏睡のせいで、現状を把握しきれていないようだった。


「――見ての通り、すでに二組織間で抗争が起きてる。これが魔族の意図したものなのかはまだわかんないけど…まあ、十中八九関わってるだろうね。そうなるとやっぱり可能性は高い。だからこそ僕達も、その抗争の渦中に身を投じる必要がある。」


 言真はテレビに映し出される映像を見ながらそう言う。

 ただでさえ血の気のないルチアーナの顔はさらに青ざめ、彼女は脱力したように椅子の背にもたれかかった。


「……終わりだ。もう、イタリアは……終わった……」


「…そんなに……まずいんですか?」

 沙紀がそっと彼女の肩を支えながら問いかける。


「……ああ。」

 ルチアーナの声は低く掠れていた。

「イタリアだけじゃない。ヨーロッパ――いや、世界全体が混沌の渦に呑まれる。」


 沙紀が思わず言葉を詰まらせる。

「……そんな、大げさな……」


「大げさなんかじゃない。」

 ルチアーナは震える手で額を押さえ、ゆっくりと顔を上げた。

 その瞳の奥に宿る恐怖は、言葉より雄弁だった。


「なぜなら――」


 わずかな沈黙の後、彼女はかすれ声で告げる。





「――エンツォ・カルヴァーニ……ファミリア・ディ・サングエ・ドーロは……核を、二発・・――保有してるのよ…」





 ***




 ―――1時11分


「さて、腹は決まったかぁ?」


 カルヴァーニは欠伸を噛み殺しながら、尋問屋とルカなる少年を従え、約一時間ぶりに姿を現した。


 八幡直弥と熊野璃久は、その男を睨みつける。


「おいおい、んな怖い顔で睨むんじゃねぇよぉ。」


 シャンデリアの光がカルヴァーニの顔を照らす。

 その笑みは軽蔑と余裕の入り混じったものだった。

 彼は先程の血濡れたバスローブを脱ぎ捨て、今はベストに金の刺繍をあしらった豪奢な服装を纏っている。

 まるでこれから晩餐にでも赴くかのような気楽さだった。


「――んで、どうすんだ?俺達に協力するのか、それとも、変なプライドにしがみついてローマ市民二百七十五万人を見殺しにするのか。」


 直弥は隣の璃久と視線を交わした。

 一時間に及ぶ話し合いの末、答えは出ていた。

 だがその言葉を口にする瞬間だけは、喉が焼けるほど重たかった。


 璃久が、ゆっくりと頷く。

 その微かな動きが、最後の引き金になった。


「……協力する……」


「そうこねぇとな。」


 カルヴァーニはわかりきっていたと言わんばかりに鼻で笑い、背後のソファに無造作に置いていた服を投げた。

 黒のスーツに白いワイシャツ、スラックス、そして黒のネクタイ。


「協力するってんなら、おめぇらはもう俺の組織の一員だ。んな軍服のままじゃ締まらねぇだろ。形だけでも、“こっち側”になってもらわねぇと。」


 彼の声には冗談めいた軽さが混じっていたが、その瞳だけは一切笑っていなかった。

 直弥は無言のまま床に落ちたスーツを拾い上げる。

 その動作を、カルヴァーニはまるで試すようにゆっくりと目で追った。


「今、イル・サングエ・ロッソの連中がこっちに攻め込んできてる。」

 彼はポケットから葉巻を取り出し、火を点ける。

 炎が短く揺れ、煙の輪がシャンデリアの光の中に滲んだ。


「あと二十分もすりゃ開戦だ。軍も警官も巻き込んだ、立派な大戦争だぜ。今夜のシチリアはな、聖者も悪党も関係なく、灰になる。」


 直弥はスーツを握る手に力を込めた。

「……なぜ、そんなことをする必要があるんだ。」


 カルヴァーニはゆっくりと笑う。

 だがその笑みには、どこか虚ろな影が差していた。


「必要? ――違ぇよ、ナオヤ。これは“浄化”だ。」


 カルヴァーニはゆらりと立ち上がった。

 葉巻の灰を靴先で落とし、まるで舞台の幕を上げるように両手を広げる。


「血で汚れた街は、血でしか洗えねぇ。ローマも、パレルモも、ナポリもな。結局、誰もが腐っちまった。政治家も、聖職者も、市民も。俺らマフィアだけが、まだ“自分の欲”に正直な分マシってもんだ。」


 璃久が唇を噛みしめる。

「それで、お前は街を焼くっていうのか……正気じゃない。」


「だからさっきも言ったろ。正気なんか微塵も残ってねぇって。」

 カルヴァーニは肩をすくめ、天井を見上げた。シャンデリアの光が瞳に反射して、氷のように冷たく光る。


「世界はとっくに狂ってる。だったらせめて、俺は自分の狂い方を選ぶ。」


 一瞬、沈黙が落ちた。

 外から微かに、遠雷のような爆発音が響く。窓の外、シチリアの夜がざわめき始めていた。


「――今のは?」


「…恐らく、スカラーレの連中かと。」


 ルカがそう答えた。

 カルヴァーニは葉巻を噛みしめ、二人を見下ろす。

「予想より随分早かったな。…さあ、“協力する”ってんなら見せてもらおうか。おめぇらの覚悟を。」


 その声は、笑っているのか怒っているのか分からないほど静かで――

 部屋の空気が、一気に張りつめた。



 ***



 直弥はスーツの袖を通しながら、手が震えているのに気づいた。布地は思ったよりしっかりしていて、肩のラインが自分の身体を一つ大きく見せる。鏡越しに見える顔は、やつれたままの十七歳だ。だが、黒いネクタイを結ぶと、突然別人の顔がそこに立っているような錯覚に襲われた。


 璃久は笑みを浮かべるでもなく、黙って自分のシャツに手を入れてボタンを留めた。目の奥に残る光は消えない。二人とも、今していることが「裏切り」なのか「生き残るための選択」なのか、まだ言葉にできていない。


 カルヴァーニは部屋の片隅に用意された小箱を取り上げ、中からバッジと革の手袋を取り出した。バッジは紋章のように凝った金細工で、中央には血の滴を模した小さなルビーがはめ込まれている。彼はそれを直弥に差し出しながら、楽しげに言った。


「これを胸に付けると、もう後戻りはできねぇ。けど安心しろ。腕立て伏せ十回で絆が深まるような、そんな幼稚なもんはここにはねぇ。代わりに、お前の一番大事なもんを預からせてもらうだけだ。」


 直弥は受け取る手を一瞬躊躇させたが、指先が金属に触れた瞬間、何かが固まるのを感じた。冷たさが、決意に変わるわけではない。ただ、現実の重さが増した。


 ルカがそっと近寄り、小声で報告する。窓の外、通りが完全に制圧されつつあり、イル・サングエ・ロッソの旗印が見える地点まであと数分だという。彼の声はまだ少年の高音を残しているが、そこには任務遂行者の冷たさが宿っていた。

「予定通りだな。奴らがここまで来れば、あとは火の玉だ。よし、なら…」


 カルヴァーニは言葉を切り、直弥の瞳をまっすぐに捉えた。部屋の奥の古時計が一刻ごとに重く時を刻む。二つ、三つ、四つ──その音が、空気を裁つように広がる。


「――おめぇらが主導で奴らを迎え討て。さっき言った条件も忘れずにな。んでその間に、ルカを筆頭に多勢でポッツァーロ方面に展開。どうせスカラーレの考えることだ。物量に物言わせて後ろから叩きゃ総崩れになると思ってんだろ。そこで出鼻を挫くためにも、主要な上陸部隊を皆殺しにして、シマの分断を回避すると同時に戦力を大幅に削ぎ落とす。」


 尋問屋の顔に薄い笑みが走るが、声は冷たい。

「軍や警察ももちろん介入してきやがると思いやすが、それはどうするんです?」


 カルヴァーニは葉巻の先を軽く指で押しつぶすようにして、飄々と答えた。

「皆殺しにしちまえ。どうせ血税でしか生きられねぇ連中だ。邪魔する奴は片っ端から潰す。後始末が面倒なら、始めから消しておけ。」


 その言葉の重みが、直弥の胸を深く突いた。璃久の肩が小さく震えるのが見える。

 直弥は無言でスーツのボタンをはめ直す。手が微かに震えていたが、動作は確かだった。


 ルカが部屋のドアに近づき、外の喧騒に耳を傾ける。窓の向こうでは遠くに光の閃きと、けたたましいサイレンの断片が交互に走った。時間はもうない。


 カルヴァーニは一瞬だけ口角を上げ、冷ややかに答えた。

「お前らの命も、地位も――今夜次第だ。生き残りたきゃ、手を汚せ。でなきゃローマと一緒に灰になれ。」


 沈黙の後、直弥は深く息を吸った。決心は固い。だがその瞳には、消えない迷いと怒りが残っている。

「………分かった」


 カルヴァーニは満足げに頷き、扉を指差した。

「行け。今夜は長ぇぞ。覚悟しとけよ。」


 二人は立ち上がり、部屋の外へと歩を進めた。廊下に出ると、夜の空気は既に鉄と硝煙で満ちていた。時計がまた一つ、時を刻む。外では爆発が一つ、また一つ――夜が牙を剥き始めている。





 彼らの目的はただ一つ。

 混乱に乗じ―――エンツォ・カルヴァーニを暗殺し、同時にローマを危機から救う。





 続く…

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