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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第肆章
73/112

72話 シチリア動乱 - 11 -

 直弥と璃久は、尋問屋に腕を縛られたまま、冷たい石造りの階段を上っていった。

 薄暗い通路の先で、赤黒く染まったバスローブを羽織った首領がゆっくりと先導する。

 足音だけが、地下の静寂に不気味に反響していた。


 先頭の首領、その後ろを歩く尋問屋、手を後ろ手に拘束された直弥と璃久、そして最後尾には無表情な構成員たち――まるで処刑台へと向かう行列のようだった。


 やがて首領はひとつの重厚な扉の前で立ち止まり、指先で軽くノックをした。

 扉が開くと、彼は何のためらいもなく中へと足を踏み入れる。

 尋問屋と直弥らもその後に続き、構成員たちは無言のまま外で待機した。


 中へ入った途端、空気が変わった。

 そこは――まるで別世界だった。


「……なんだ、ここは。」

 璃久が小さく呟く。


 その広間は先程の地下空間とはうってかわり豪奢な造りだった。

 金の縁取りが施された壁、真紅のカーペット。

 天井から吊るされた巨大なシャンデリアは、幾百もの光を乱反射させ、まるで夜空の星々を閉じ込めたように煌めいている。


 長いテーブルの上には、高級そうなワインのようなものと果実、そして血のように赤いバラが花瓶に生けられていた。

 それらが醸す香りはどこか甘く、それでいて鉄錆のような生臭さが微かに混ざっている。


「気に入ったか? 俺の仕事場だ。」

 首領自身が直弥らの腕の拘束を解きながら笑う。

 その声音はまるで客をもてなすホストのように穏やかだったが、その目だけは鋭く濁っていた。


 奥のベッドルームから、何かを引きずるような鈍い音が響いた。

 直弥が顔を向けると、ほどなくして扉が静かに開く。


 そこから現れたのは、血まみれの作業服を着た男たち――見た目は清掃員のようだが、手際の良さが異様だった。

 彼らは無言のまま、ずっしりと重そうな黒い袋を二人がかり、三人がかりで持ち上げ、丁寧に廊下の方へと運び出していく。

 袋の底が床を擦るたびに、かすかな金属音とぬめりを帯びた液音が混ざる。


「……あれは?」

 直弥が低く問う。


 首領は鼻で笑い、気怠そうに指輪を弄びながら答えた。

「ただの掃除だよ。さっき言ってた女のな。どうせおめぇらも気になってたろ?」


 にやりと口角を吊り上げる。

「どうだ坊っちゃん、芋くせぇ顔して、女の体なんざ見たことねぇんじゃねぇか?まあ――あれ見たところで首ぁ付いてねぇけどな。」


 その言葉に、尋問屋たちの間からどっと下卑た笑いが漏れる。

 しかし首領の笑みはどこか冷めていた。

 愉悦と退屈が入り混じったようなその目は、まるで捕食者のそれだった。


「結局、人間なんざどいつも同じだ。血と肉を削がれりゃ、値段しか残らねぇ。芸術にするか、金にするか、そいつは持ち主のセンス次第ってわけだ。」


 首領は机に近づく。そして手に取ったワイングラスをわずかに傾け、光の角度を変えて中身を覗き込んだ。

 グラスの縁に張りつく液体が、どろりと重たく垂れる。金属にも似た鈍い匂いが空気に滲んだ。


「血ってのぁ、綺麗な色してるよな。」

 彼は唇の端を吊り上げた。

朱殷しゅあんっていうんだぜ、こういうの。朱よりも深く、黒よりも艶がある。人間の体が最後に見せる“芸術”ってやつだ。」


 指先でグラスを回しながら、首領は続ける。

「こいつはさっきの女のもんだ。まだ温かい。新鮮なうちは、金より価値がある。……まあ、あめぇらADFの連中には縁遠い美学だろうがな。」


 彼は笑いながら一口、唇を染めた。

 その瞬間、直弥の喉の奥で微かな吐き気がせり上がる。

 璃久がその気配を察して、肩にそっと手を置いた。


 首領は満足げにグラスを置き、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。

「さて――仕事の話に戻ろうか。」

 声の調子は穏やかだったが、瞳の奥には一片の温度もなかった。



 ―――約15分前、0時01分



「―――スーツケース型の核爆弾。おめぇらが協力しねぇってんなら、これをローマで起爆させる。」


「なっ…!」


 椅子に縛られている璃久が思わず声を上げる。直弥もその言葉に体を固くする。室内の空気が一瞬にして凍りついた。


 首領は椅子にもたれ、ゆっくりと笑った。

「あー言っとくが、これぁ脅しじゃねぇからな? 俺が今ここで指示出せば――そうだな、五分。五分でドカンだ。」


「正気か、お前…!?」璃久の声は震え、縛られたロープが小さくきしむ。


 尋問屋が躊躇なく璃久の腹を殴りつける。鈍い衝撃音と同時に、璃久は苦しげに息を漏らし、顔を伏せた。直弥の胸が強く締め付けられる。


「どなたに向かってお前なんて口をきいてる。」

 首領は指をひらひらさせ、尋問屋をたしなめるように言った。


「よせよせ、尋問屋。駒にする相手に傷が付いちまったら困る。キズモノは値が下がるんだよ。」

 尋問屋はすぐに平伏し、低く「申し訳ございません」と返す。首領はその一礼を受け流すと、再び二人に視線を向けた。


「――で、どうすんだ? 変なプライドにしがみついて、二百七十五万人の命を天秤に掛けるのか。あるいは俺らに協力するか」


 首領の問いに、地下室内は重い沈黙に包まれる。直弥は口を開こうとしたが、渾身の力を振り絞っても声が出ない。璃久は顔を上げ、唇を引き結んだまま首領を睨み返す。


 首領は椅子から立ち上がる。


「…強情だな。ならこうしよう。今から俺が五つ数える。それまでに結論を出さねぇなら、言った通り五分でローマを消し去る。どれだけ喚こうが核の起爆命令は取り消さねぇ。おめぇらに残された時間は、事実上“あと五秒”ってわけだ。」


 首領は言い捨てると、ためらいなくカウントを始めた。声はゆっくり、冷たく、砂を噛むように部屋の隅々へと届く。


「五──」


 その声に、璃久の体が小さく震えた。直弥は唇を噛み締め、血の味が口に広がるのを感じる。外の世界で秒針が刻む音が、ありありと耳に届くようだった。


「四──」


 首領の視線が二人を貫く。尋問屋が無言で拳を握り締めるのが見える。燭台の炎が揺れ、影が波打つ。


「三──」


 直弥の頭の中で思考が刈り取られるように鋭く収束する。選択肢が無慈悲に浮かび、そして消えていった。時間は背中を押す刃だ。


「二──」


 璃久がゆっくりと顔を上げる。瞳に、かすかな光が戻る。言葉を飲み込み、しかしその目は首領をまっすぐに捉えていた。


「一――」


「――わかった! わかったから!」


 直弥のその叫びは、爆ぜるように室内の空気を裂いた。

 首領の口角が、ゆっくりと愉悦に歪む。まるで最初からこの瞬間を待っていたかのように。


「へぇ……やっと口を開いたか。賢明な判断じゃねぇか、坊主。」


 彼は指先で軽く机を弾く。その音が、冷たく静まり返った空間に小さく響いた。

 璃久は歯を食いしばり、直弥を鋭く睨みつける。


「……八幡、何を言ってる。そんな奴らに――」


「黙ってください!」

 直弥は怒鳴った。自分の声が震えているのが分かった。恐怖か、それとも焦燥か。

「俺たちが何もしなかったら、ローマが吹っ飛ぶんですよ! 二百七十五万人が死ぬんだ!」


 璃久は息を呑み、言葉を失う。その沈黙の隙に、首領がゆったりと璃久の元へ寄る。


「いやいや、青年。この坊主の言い分は正しい。実に人間味あふれる人柄じゃねぇか。おめぇらADFの方針に染まりきってねぇ、純粋無垢な少年だ。」


 首領の目が怪しく光る。


「鳴矢高校事件、だろ?この坊主はその事件きっかけにADFなんていうとち狂った組織に身を置くようになった。」


「っ!お前なんでそれを…!」


 璃久の声が震え、目が血走る。首領は軽く肩をすくめ、薄ら笑いを浮かべたまま胸ポケットから薄いファイルを取り出す。金具の擦れる音が、地下の静寂に鋭く響いた。


 首領はファイルを胸に抱えたまま、鼻の奥で笑った。

「最初聞いたときは驚いたよ。フリーメイソンじゃあるまいし、そもそもんな秘密結社があるわけねぇって思ってたさ。ところが蓋を開けてみりゃ、情報なんざそこら中に転ばってた。金を払えば答えは出るし、動かせる人間もいる。いい情報屋は金で買える。コネも買える。裏の裏まで金で買えるんだよ、坊っちゃん」


 首領は肩越しに直弥たちを見やり、嘲るように続けた。

「だもんでな、俺ぁ国家に喧嘩売ってでもおめぇらの身柄が欲しかった。ADFってブランドは金になる。おめぇらのやることひとつでどの国の政治家も驚き、戦慄し、怯える。だから捕まえたときゃ、『やったぜ、世の中捨てたもんじゃねぇ』ってなもんだったな。」


 部屋の空気がさらに重く沈む。直弥は拳を固め、麻縄が食い込む腕の痛みをこらえた。璃久は低く唸り、唇を噛んでいる。首領はテーブルの上にファイルを置き、ページをはらりとめくる仕草を見せると、中身を示すでもなくゆっくりと語った。


「写真、映像、通話履歴、行動ログ、あとはちょっとした証言。金で買った情報は、嘘にも真にも化ける。都合のいいように切り貼りしたものだって作れる。世間は証拠を好む。だから俺は、その“素材”を揃えた。おめぇらが協力すりゃ、こいつらは俺の金で消してやる。協力しなきゃ、世界中でおめぇらの実態が晒されるだけだ」


 尋問屋が嬉々として指を鳴らす。蝋燭の炎が揺らぎ、壁の影が跳ねる。首領の笑みは冷たく、楽しげだった。


「で、具体的な条件に関してなんだが」首領は間合いを詰め、声を低くした。



「……まあ、ここじゃなんだ。上行って話そうじゃねぇか」




 ―――0時16分




「さて、仕事の話に戻ろうか」


 首領は足を組み替え、直弥と璃久を交互に見やる。


「まあでも、まずはお互いのことはある程度知っとかなきゃな。俺ぁエンツォ・カルヴァーニ、まあ知っての通りこの組織、ファミリア・ディ・サングエ・ドーロの長をやってる。おめぇらは?」


 首領―――カルヴァーニはぶっきらぼうにそう言う。直弥は睨めつけながらも応える。


「八幡直弥、です。」


「…熊野。熊野璃久。」


 璃久は不服そうに小さく呟く。それでもカルヴァーニは笑った。


「ヤハタナオヤに、クマノアキヒサ。そうかそうか、なるほどなぁ。」


 あれそういえば、とカルヴァーニは思い出したように問う。


「あんま詳しくは覚えてねぇが、ADFのお偉いさんにクマノってやついなかったか?ほらあの、閻魔…なんちゃらってやつだ。」


 おそらく朱雀隊四堂であり璃久の実父でもある、閻魔卿こと熊野焔冥のことだろう。

 室内の空気がぴたりと変わる。璃久の唇が引き結ばれ、顔にほんの一瞬だけ怒りが走る。しかし彼はそれを表に出さず、短く吐き捨てるように言った。


「そんな話はどうでもいい。いいから条件を話せ。」


 カルヴァーニは満足げに微笑むと、ゆっくり立ち上がり悠然とあたりを歩いた。蝋燭の光が横顔を浮かび上がらせ、影が壁に長く伸びる。


「条件はシンプルだ。数時間後、ヴィットリオ・スカラーレ率いるイル・サングエ・ロッソが攻めてくる。そこでおめぇらにやってもらいたいことは三つある。まず一つ、最前線における現場戦闘員の統率。うちの構成員は若ぇ連中が多くてよ、銃の撃ち方は知ってても、殺しの勘がまだ雛鳥みてぇなもんでな――そこを、おめぇら歴戦のADF隊員様がまともに仕切ってくれりゃ助かるってわけだ」


 彼は間を置かずに続ける。


「二つめが、ヴィットリオ・スカラーレの抹殺。あいつを始末できりゃ、こっちは大きな利を手にできる。ラ・ローザ・ネーラほどの規模じゃねえが、それでもシチリアでの主導権を握るには十分だ。これを達成してくれりゃ、さっき言った“どのみちおめぇらは死ぬ”って話もチャラにしてやる」


 最後に、と言葉を一拍だけ切り、カルヴァーニは周囲を見回してから声を張った。


「ルカ!いるかぁ?!」


「ここに。」


 背後から突然するりと現れたのは、直弥と同じくらいの年齢に見える痩身の青年だった。細い身体だが動きには無駄がなく、暗がりでもその目だけは鋭く光っている。黒っぽい革のジャケットに身を包み、左手には小さな無線機らしきものを軽く弄っていた。


 カルヴァーニは満足げに頷くと、ルカに向き直った。


「おう、ルカ。例の写真、あるか?」


「ええ、どうぞ。」


 ルカは懐から一枚の写真を取り出した。カルヴァーニはそれを受け取り、一瞥したのち、机の上で滑らせて直弥たちの方へ差し出した。


「見覚えあるか? こいつらに。」


 写真に写っていたのは、南京袋を被せた男を前に、背中を向けた二人――夏芽と柏谷と思しき人物が銃を構えている瞬間だった。直弥の喉から思わず声が漏れそうになるのが、カルヴァーニの耳にも届く。


 彼はその反応を見て、さらに不敵に笑みを深めた。


「やっぱりな。こいつら、おめぇらと同じADFの連中だろ? ならそこで、最後の条件だ――――」


 そう言って再び足を組み替え、低い声を落とす。


「この二人を説得してADFから抜けさせ、うちに引き入れろ。」


「――なっ…馬鹿なこと言うんじゃねぇ!」


 璃久は堪忍の限界に達したように、怒号を上げた。


「まだ前の条件二つなら乗ってやってもいい。だが、最後のやつだけは譲れねぇ!!」


 璃久の声が怒りに震え、唇が引き結ばれる。


「──それは、この内の一人が八間だからか?」


 カルヴァーニは冷たく笑いながら、じっと璃久を見据える。璃久は言葉を失い、怒りと困惑が顔に走る。カルヴァーニは続けた。


「だから言ってるだろ。欲しいんだよ、そいつが。正直、連れの平隊員が死のうが死なまいが俺らにはどーでもいい。だがこいつは別だ。こいつを取り込めば、うちの盤面は一気に変わる。金も権力も地位も全部こっちに転がり込む」


「その結果ADFを敵に回すことになってもか?」


 彼はグラスの縁をゆっくりと回し、金属のささやかな音を部屋に響かせる。


「そんときゃそんときだ。遅かれ早かれ人間皆死ぬときゃ死ぬ。幸運なことにマフィアの首領なんて座について50年過ぎてもこうやって自由に生きさせてもらってる。長生きしてるとどうしても、死ぬときゃ圧倒的強者に殺られたくなるもんだ。ADFに殺されるならそれはそれで本望だぜ。」


 沈黙が部屋を満たす。カルヴァーニの言葉は軽く、しかし刃のように重かった。


「…」


 彼はグラスを軽く掲げ、音もなく笑う。


「言っとくが、おめぇらに拒否権はねぇよ。これは対等な取引じゃねぇ。俺からの慈悲に近い。普段なら使い潰して地中海に投げ捨てるところを、おめぇらの“特異性”を買って見逃してやろうって慈悲。それだけでもありがたいと思え」


 その侮蔑的な口ぶりに、直弥の胸に熱いものが走る。怒りと恥辱が、混じり合った感情が足の裏まで響くように波打った。璃久はわずかに顎を上げ、しかし言葉は出ない。二人の間に流れるのは、ただ重苦しい呼吸音だけだ。


 カルヴァーニはゆっくりと椅子を立ち、部屋の奥へと歩を進める。脇に控えた男が気配で合図を送り、外にいた構成員が皆一斉に動き出す。


 壁にかけられた大時計が冷たく時を刻むのが聞こえた。針は無情にも、静かに、確実に進んでいく。


「ここでの選択が、ローマ、いや、世界を生かすか殺すかを決める。どうするか、今一度だけ考え直せ。」


 言葉を残すとカルヴァーニは扉の方へ向かい、部下に指示を与える。扉が重々しく閉ざされると、尋問屋たちの足音が廊下へと消えていった。残されたのは焦燥の思いと、二人の脈打つ鼓動だけだ。


 直弥は目を閉じ、妹の顔、砂糖のように甘かった日々、そして教会で聞いた黒衣の男の言葉を反芻した。胸の奥で何かが固まる——仲間を売る気はない。だが世界が滅びかねない脅しを無下にもできない


「…八幡」


 璃久の低い声が、部屋の中でかすかに震えた。直弥は深く息を吸い込み、静かに答える。


「………どう、しましょうか…。」


 焦るな。そう自分に言い聞かせる。

 時間はまだ残されている。なんとしてでも、この危機的状況を打開せねば。


 続く…

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