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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第肆章
71/112

70話 シチリア動乱 - 9 -

「――起きろ、小僧。」


 低く掠れた声が、闇の底から這い上がってきた。

 直弥はゆっくりと目を開ける。瞼の裏に残る鈍い痛み。焦点の合わない視界に、ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎が映った。

 それだけが、この部屋の唯一の光源だった。粗末な石壁と湿った床。どこか地下のような、空気の重たい空間。


 ぼんやりと状況を理解しようとしたその瞬間――

 パシン、と乾いた音が響き、頬に強い衝撃。

 熱と痛みが走り、思考が一気に覚醒する。


「……っ、たっ……!」


 痛みに耐えながら顔を上げると、自分の体が麻縄で椅子に縛り付けられていることに気づく。両手首も足もがっちり固定され、体をわずかに動かすことすらままならない。縄の食い込みが皮膚を焼くように痛い。


「おい八幡! 一体どうなってる!」


 横から聞こえたのは、熊野璃久の怒気が滲んだ声だった。

 視線を向けると、彼も同じように縛られ、額には血がにじんでいた。


「……おい黙れ。静かにしろ。」


 日本語の、低く鋭い声が部屋に響く。

 蝋の光の向こう、影の中から姿を現したのは一人の男だった。

 スーツを着こなし、白いシャツの襟元から覗く金のネックレス。短く刈り込まれた金髪に、鋭い瞳。まるで氷のように冷たい視線を持つ白人だった。


 肩幅は広く、銃器の扱いに慣れた者特有の無駄のない立ち姿。

 手には黒光りする拳銃が握られている。


「質問は俺がする。お前らは答えるときだけ口開け。」

 男はわずかに笑みを浮かべながら、ゆっくりと蝋燭の光に歩み寄る。


「――てめぇらADFの輩だな。何のためにシチリアへ来た?」


 衝撃が走る。なぜ、こいつはADFの存在を知っている?

 危機感が背中を走る。空気が重く、蝋の匂いと血の鉄臭さが混じり合っている。


「……誰だ、あんた」


 その問いに、男は薄く笑って答えた。


「名乗るほどのもんじゃねえ。ただの『尋問屋』だ。」


 拳銃の銃口が、静かに直弥の額に押し当てられた。

 蝋の炎が揺らぎ、部屋の影が歪む。


「さて――質問に答えてもらおうか。」


 引き金にかけられた指が、わずかに動いた。


 指の先がほんの少しだけ動いた——引き金に触れるか触れないかのギリギリのところで止められている。

 その一瞬の緊張が、直弥の全身を貫いた。鼓動が耳元で跳ね、冷たい汗が背中を伝う。


「答えろ。名前と来た理由。2つだけだ。長々と喋るんじゃねぇぞ。」


 男の声は低く、抑えられた理性と暴力が混じっている。蝋燭の炎がゆらりと揺れ、彼の輪郭を鋭く浮かび上がらせると、冷酷な笑みが一瞬だけ露わになった。


 直弥は喉が詰まるのを感じながら、必死に言葉を絞り出す。だが、縄が胸を締め付け、舌は乾き、口が思うように動かない。


「……八幡直弥。」


 口先が震え、言葉は砂を噛むように引っかかる。璃久は瞬時に声を上げたが、尋問屋がそれを手で制した。


「ヤハタ、ナオヤ、そうか。……で、何のためにシチリアへ?仕事か、調査か、遊びか――嘘は通じねぇぞ。」


 問いはぶっきらぼうだが、どこか皮肉に満ちている。その言い方に、男は相手の心を見透かすことに快感を覚えているようだった。


 直弥は俯いたまま、思考を掘り下げる。ここで嘘をつけば、相手は即座に暴力で割りを食わせるだろう。だが本当のことを言うわけにはいかない。実際璃久からも厳しい目線を向けられている。


 直弥が答えずにいると、尋問屋の細い眉がぴくりと動いた。

 その瞬間、彼は銃尻で顔を殴りつけてきた。鼻血が眼前に飛び散るのを目の当たりにした。


「答えねぇってか。面白え。ガキのくせに肝座ってやがる。」


 璃久が低く唸る。彼の目は怒りに燃え、奥歯を噛みしめている。だがそれに構うわけもなく、尋問屋は再び続ける。


「なら質問変えてやるよ。お前らが言う『ユグドラシル』だの『魔族』だのって得体の知れない単語、あれは何だ?それともあれか?ただ単純にてめえらスピってんのか?」


 男は笑いを含ませ、だがそこには真剣な興味がある。


「俺らは神も仏も信じねえが、金が絡むんなら話は別だ。もし本当に“魔”みたいなもんが動いてるなら、それを俺らが金に換えられねぇか、って話だよ」


 室内の空気が冷たく沈む。直弥は、自分が出した言葉がどれほど危険な火種になり得るかを理解した。沈黙が長く続き、尋問屋はポケットから何かを取り出す。それは小さな写真だ──白黒で粗い、なにやら廃れた校舎のようなものが写っている。直弥はそれに見覚えがあった。


「この写真、お前ら知ってんだろ?鳴矢高校事件ってやつだ。噂じゃてめえらが引き起こした事件なんだってな。それもあれか?魔族だかなんだかの仕業ってか?」


 直弥は顔を伏せてだんまりを決め込む。だが、問いはじわじわと彼を追い詰める。


「はいかいいえか、それだけ言えばいい。魔族ってのは本当に存在すんのか?」


 それでも直弥が答えずにいると、男は苛立ったよう椅子の脚を蹴り、直弥が椅子ごと倒れ込んだその瞬間、尋問屋は馬乗りになって直弥の額に銃口を突きつけた。仕草だけで周囲の男たちが身を乗り出す。殺意と期待が混ざった獰猛な視線が二人に向かう。


 そのとき、背後の扉がガラリと開き、別の男が慌てて顔を覗かせた。暗がりに浮かぶその男のシルエットに、尋問屋は一瞬だけ目を細める。


「首領からだ。今からこちらに来られるそうだ」

 短い合図。尋問屋は一拍置いて、銃口を額から離した。彼の表情は変わらぬが、部屋の空気にわずかな弛緩が生まれる。


「お戯れが済んだか…タイミングが悪い。まあいい、一旦休憩だ。」


 男はそう言って、ふいとその場を離れる。近くの者が椅子を引き起こして縄の結び目を引き締め直し、二人の体はますます締め付けられた。


 蝋燭の炎が、まるで呼吸をしているかのように揺れていた。

 その小さな灯りが、直弥と璃久の顔を交互に照らす。縛られた縄の食い込みは、皮膚を裂き、血の匂いをわずかに漂わせていた。


 璃久が微かに顔を上げる。

 唇を動かさず、視線だけで問いかけてくる。――「動けるか?」


 直弥はほんの僅かに首を横に振る。それだけで、縄の繊維が擦れ、音を立てた。

 監視の男がちらりと目を向ける。だが、すぐに興味を失ったように煙草に火をつけた。


 そういえば、教会にいたあの黒衣の男はどうなったのだろうか。あれほどの強さがあって、やすやすと捕まるとは考えづらい。だとすればなぜ自身らは捕まっているのだろうか。


 …いや、考えたところで無駄か。プロセスはどうあれ、現にマフィアに身柄を拘束されているのだから、それ以上もそれ以下もないだろう。


 直弥が麻縄に縛られている腕の痛みに呻いていると、再び扉が開き初老の男が入ってきた。


 首領はゆっくりと体を揺らしながら扉をくぐる。バスローブは深紅に染まっており、その色は遠目にも不穏さを放っている。金のチェーンと指輪が薄暗い光を拾い、彼の身をより一層豪奢に、そして冷たく見せた。


「お疲れさん、尋問屋」周囲の男たちが揃って頭を下げる。尋問屋は首領に一礼し、問いかけた。だが首領は気にも留めず、置かれていたパイプ椅子に腰かけるようにして、ゆっくりとアクビをした。


「お疲れ様です、首領。」


 尋問屋が今度はイタリア語でそう言いつつ彼に近づき、問いかけた。


「どうしたんすか、そのバスローブ」


「この色か?はは……そのへんで拾った女の血さ」

 声は穏やかで、それでいてどこか享楽的な響きを帯びている。


「前、女犯してる最中にその女殺したらな、死ぬほど締めてくるもんだからそっから病みつきになっちまってよ、そこからラストにゃ女殺して無理やり締めさすようにしてんだ。」


 死骸の処理しとけよ、と首領は周りの者に命じる。そして彼は手の平を床に擦り付けて赤い染みを拭く仕草をした。動作はあくまで平然としていて、残虐さを自慢するかのような間接的な見せ方のように思える。その冷酷さが逆に生々しい。

 尋問屋はヘラっと笑う。


「そりゃいいっすね。俺も今度試してみやす。」


「おうよ…んで、あいつらが例の?」


「そうっす。」


 首領は口角をゆがめて笑い、舌で奥歯を鳴らした。直弥は彼の顔を睨めつける。やつが同体変異種の容疑者か。

 蝋燭の炎がその金の歯を照らし、ぎらりと鈍く光る。


「おいおい坊っちゃん、そんな怖い目で睨むなよ。こっちは気が短ぇんだ」

 彼は指先で机を軽く叩きながら、からかうような口調で続けた。

「ADFの人間ってのはもっとこう……聖人ぶってるかと思ってたが、案外血の気が多いんだな」


 直弥は言葉を返さなかった。

 その沈黙に、首領は楽しげに眉を吊り上げた。


「黙るのも芸か? ま、いい。口を割らねぇやつの扱いには慣れてんだ」

 ゆっくりと腰を上げると、彼はテーブルの上に置かれていた黒革の鞄を開いた。

 中から取り出したのは――血に濡れたナイフと、透明な液体の入った注射器。


「尋問屋、段取りはできてるな?」


「もちろんです、首領。」

 尋問屋が静かに頷き、脇に控える部下たちが二人の前に金属製のトレイを並べた。

 そこには拷問器具のようなものが並び、鉄の匂いと血の臭いが鼻を刺す。


 首領はナイフの刃を指先でゆっくりと撫でながら、鼻でせせら笑った。

「俺ぁ子供の頃から芸術が好きでな。母親に連れられてミケランジェロやダ・ヴィンチの彫刻やら絵やらを見て回ったんだ。そいつらの造形に魅せられてな――それが今のこの職に生きてるってわけよ。血の飛び方にも、筋肉の裂け方にも、型ってもんがある。俺なりの美学ってやつさ」


 直弥は顔を歪め、低く吐き捨てるように言った。

「……あんた、正気じゃないな」


 首領はふっと笑って、表情を消した。笑いは冷たく、残酷に響く。

「正気? はっ、んなもん親ともどもとっくに嬲り消しちまったよ。」


 彼は足を組み替え、不敵に笑った。


「昔っから口うるせぇ母親でな。芸術に触れる機会をくれたことには感謝してるが、それ以外は全部嫌いでよ。十歳にも満たねぇ頃、組織仕切ってた父親共々潰して屋台骨を掴んだ。あのときの俺には正気の欠片なんぞ、もう一ミリも残っちゃいなかったさ」


 首領の吐き捨てるような言葉に、室内の空気が一層締まる。蝋燭の炎が彼の顔を上下に揺らし、皺の深い表情が不気味に浮かび上がる。薄笑いを含ませたまま、首領はテーブルに手をついてゆっくりと身を乗り出す。


「だがな、坊っちゃん。おめぇらの方がよっぽど滑稽だよ」

 声が低く、含む嘲りは冷たい。

「百千年噂話に心を奪われて、世界を駆け回って『魔』だの『人術』だの口にする連中。ADFだのなんだのって看板ぶら下げりゃ、都合よく金も力も寄ってくる。人類のためだと喚くけど、俺から見りゃただの仮面だ。威光にすがる奴らの体たらくには腹がよじれるさ。笑わせんなよ」


 言葉の毒がひとつひとつ部屋の隅へ落ち、男たちの呼吸がまた一歩引く。首領は指を鳴らし、蝋燭の炎が音に合わせてぴくりと揺れる。


「おめぇらが何を信じようが勝手だ。だがここで金と情報と客の満足を稼ぐのが俺の仕事。この島じゃ、信仰だろうが思想だろうが、思惑一つで換金される。俺らはその市場の商人に過ぎん。だから訊く――おめぇら、シチリアで何を掻き回しに来た? ADFの犬どもが、俺の商売場に何の用だ?」


「要は嫉妬か。」


 璃久の声は低く、挑発じみて響いた。縄の食い込みに顔を歪めながらも、目は首領をまっすぐに捉えている。直弥はその度胸に、ひどく心を揺さぶられた。


「俺達ADFが魔族退治のためって言うだけで国は暴力行為の許可や融資をしてくれる。その超法規的な特権をお前は常々羨んでたってことだろう。そうでもなきゃ、こんな形でADFに喧嘩を売るような真似はしないはずだ。ADFの名を知ってるってことは、俺達の軍事力も相当だって理解してたはずだろう?」


 首領の顔に、一瞬苛立ちの色が走る。だがすぐに彼は笑いを装い、革張りの椅子から半身を起こして直弥たちに近づいた。その嗜虐的な笑みは、床の蝋を赤く染める火のように冷たかった。


「ほう、口の利き方が良いな。名はなんという。」


「…大人しく名乗るとでも?」


「思わねぇな。この状況でんな立派な口をきけるんだから、拷問かけたところで口を開くとも思えねぇよ」


 まあだから、と首領は肩をすくめ、ふっと含み笑いを漏らした。そして尋問屋に向かって手を差し出させると、彼が取り出した一枚の写真を直弥と璃久に突きつけた。写真には、黒光りするスーツケースの姿が鮮明に写っている。


「奥の手ってやつだ。ここで使うのは惜しいが…おめぇらがどうしても動かねぇってんなら、仕方ねぇ。これが何だか分かるか?」


 直弥はきょとんと璃久の顔を見返す。だが璃久の表情は明らかに変わり、血の気が引いていた。彼の声は乾いていた。


「…Model-PSK」


 首領は小さく拍手するように片手をはらい、嘲笑を滲ませて写真をひらひらと揺らした。


「ご明答。よく知ってるじゃねぇか、そこの青年。」


 首領は嘲笑うように言う。




「――――スーツケース型の核爆弾。おめぇらが協力しねぇってんなら、これをローマで起爆させる。」




 続く…

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