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人魔闘諍  作者: ゆっけ
第壱章
7/18

6話 日常 - 裏 • 2 -

 この失踪事件は、桜田にとって少し馴染みがあった。


 あれは11年ほど前だっただろうか、あの日(・・・)からの復興が進むADFで、あの日(・・・)以降初の魔族事件の報告がなされた。


 その内容は、当時アメリカで最大勢力を保持していたギャング「ブラッディ・バニィ」の首領、及び重要幹部らが突如、立て続けに失踪したとのことらしく、そこに魔族の関与が疑われているらしいとのことだった。


 当初ADFは街の復興に尽力しており、また相手がギャングとなれば、敵対ギャングに攫われただけだという可能性も高く、そう考えた桜田はじめ他の隊の四堂八間及び隊員も、あまり積極的に取り合わなかった。

 だが時間が経つに連れ、被害が拡大。そしてついにはブラッディ・バニィの最大敵対勢力と言われているギャング「ブレイン」にも被害が出た。


 そこでようやく、単なる抗争ではないのかもしれないと考えたADFは、玄武隊へ今案件の調査及び処理を命じた。

 そこで派遣されたのは、当時の玄武隊八間二名。あの日(・・・)のトラウマがまだまだ強かったADFは、過剰であったとしても魔族は徹底的に叩き潰したいと考えていたため、八間の出動を促したのだ。

 当時四阿はまだまだ幼く、また亜沙美も下士官兵で、双方玄武隊に所属こそしていたものの、八間までは上り詰めていなかった。


 なのでその時は、ふたりとも今の玄武隊八間とは異なる。一人は虫を操る蟲術使い、もうひとりは火術使いだったはずだ。

 桜田自身詳しい概要はもうそこまで覚えてはいないが、結果的に攫われたギャング関係者の全員と一部一般人が死亡、そして主犯の魔族は突然身体が爆発、謎の死を遂げた。

 その後両ギャングは首領及び重要幹部が尽く死に失せたことにより弱体化、数万の構成員を誇っていた過去から一変、みるみるうちに構成員が減り、内部分裂や抗争、ほかギャングによる吸収統合などで裏世界から完全に姿を消した。


 そしてなにより、蟲術使いの八間も、事件後から様子が変になった。そして、そこから約4年後―――

 今思い出すだけでも、深い困惑に囚われる。なぜ、、、なぜ彼は、、、


 ***



 恒田つねた佑紀ゆうきと出会ってから、大きな出来事は主に2つあった。1つは、彼や久佐野くさの都姫みやびらの情報提供から、横井亮太の家まで特定することができたこと、そしてもうひとつは―――



『約1ヶ月半前から連続失踪事件が相次ぎ、先日も県内の高校生グループ5名が消息を絶っています。現在も警察が捜査を行っていますが、依然として被害者の行方はつかめていません。、、、』



 日下部純麗くさかべすみれこと桜田風音さくらだかざねに叩きのめされたあの五人組も、日本政府の見解が正しければ魔族の手によって失踪してしまった。


 ニュースキャスターによれば、桜田とやり合った直後から姿を消しているらしく、偶然とは到底考えにくい。となるとあの姿を犯人に見られていた可能性は高く、魔族がなにか行動を起こしてしまうかもしれない。なのでそれよりも前にケリを付けなければならなくなり、早期解決がより重要となった。


 横井の事件から一週間がたったその日、桜田は学校を休んだ。直弥も気がかりだが、今は横井のほうが気になる上に、どこか不穏な気配がした。


 校舎から200メートルほど離れた場所で車を降りる。今日も服は制服だが、方には大きな鞄を提げていた。持ってきたダッフルバックには銃器類や刃物、薬、手榴弾を始めとした爆発物、その他危険物がぎっしり詰まっており、総重量はかなりのものであった。


 そんなバックを片手で軽々と持ち、肩にかける。四阿を一瞥すると、彼は車を止めてから合流するとだけ言い残し、静かに走り去っていった。


 黒い車の遠ざかる後ろ姿を数秒眺めたのち、桜田は歩き出す。まばらに鳴矢高校の制服を着た生徒らが横を通り過ぎたが、顔を伏せているためそれが桜田(彼・彼女らからすれば日下部)とは誰も気づいた様子はない。とはいえ、勘の良い人ならすぐに桜田と分かってしまうため、足早にそこから去る必要があった。


 歩きだして2分ほど経ったとき、あることに気がついた。だがそれをあえて無視し、そこから10分ほど歩いて横井亮太の家付近まで行き着いた。


 手前の十字路を左に曲がる。その道は彼の家とは全く違う方向だったのだが、桜田にはそれをする意図があった。角に入った瞬間、瞬時に壁に背をつけ、肩にかけていたバックをおろしてチャックを開ける。


 そこから小柄な拳銃を取り出す。ドイツ・ヘッケラーコッホ社のHK-45コンパクト()タクティカル()米海軍特殊部隊ネイビー・シールズが正式採用している一級品であり、そして言うまでもなく実銃だった。


 手早く消音器(サプレッサー)をマズルに取り付ける。そして、スモークグレネードをふたつ手に取り懐へしまった。同時に、一人がその角を曲がってきた。桜田はその人を羽交い締めにし側頭部に銃口を突きつけた。


 羽交い締めにされた張本人は恐怖で固まる。桜田はその人の耳元に、低い声で語りかけた。


「なんでついてきてたの?恒田佑紀くん。」


 恒田は以前恐怖で固まりつつ、震える声で答えた。


「いやっ、、、あの、、、久佐野さんに、尾行してみよって言われて、、、その、、、」


「都姫が?、、、そう、ならいい。よくないけど。」


 拘束を解き、拳銃を懐へと隠す。その瞬間角から都姫が顔を出した。間一髪、さっきのは見られていないようだった。


「あ、やっぱ日下部さんだ〜!今日は学校いかないのぉ?もしかしてズル休みぃ?」


 いつも通り間延びした声で話す都姫に、桜田はめんどくさそうに答えた。


「なんでついてきたの、学校は?」


「いやぁ、どうしても気になっちゃってぇ〜、私もつねっちも。」


「そんなに仲良かったっけ」


「なんか時々日下部さんとつねっち話してたじゃん、それで私、日下部さんが気軽に話しかける男子なんて珍しい!仲良くなりたい!と思って。」


「、、、はぁ。」


 彼女のコミュニケーション能力の高さだけは、桜田ももはや呆れるどころか関心すらしていた。そう思いつつも、とりあえず二人を追い払おうとしたその時、、、


「日下部さんはなんでつねっちとは仲良くなったのぉ?」


「、、、」


「日下部さ〜ん?どうしたのぉ?」


「、、、日下部さん?」


 二人が桜田を心配するが、彼女の耳には入らない。顔がひきつっているのは自覚していたが、それでも戦慄し、思わず固まってしまう。


 魔族の気配。それも横井の家からだ。それだけならまだしも、桜田ですらほとんど感じたことすらないほど濃い気配だった。


 なぜか胸騒ぎが収まらない。これは、一体、、、


 はっとして、焦ったように二人へ声を張り上げる。


「ふたりとも今すぐ引き返して!ここにいちゃ危ない!」


「へ?それってどういう、、、」


 返事を聞くより早く、桜田はバックを拾い駆け出す。そのまま表札に横井と書かれた家の前まで走り、玄関扉を思い切り蹴った。


 鍵はかかっておらず、扉は勢いよく開いた。吐き出しそうなほど濃い気配がこちらへ流れ込む。そして桜田は思わず目を見張った。眼の前の景色が、あまりに荒んでいたからだった。おそらく廊下にあったのであろう小さな棚や花瓶、額縁、その他装飾品が散乱し、いずれも原型をとどめていなかった。それに加え、壁や床には乾ききった血痕がいたるところに付着し、黒ずんでいた。


 土足のまま上がる。手には先程の拳銃を握りしめている。いつでも撃てるようセーフティは解除してあった。忍び足でそっと、リビングへ通ずる扉へと向かう。


 割れた花瓶の破片を踏み、じゃりじゃりと音を立てる。魔族の気配がしたからには、リビングから誰かが出てくるかもしれないと桜田は警戒を募らせた。


 そのうち、誰かのすすり泣く声が聞こえた。聞くからに女性のようだ。罠かもしれないとは思いつつも、桜田は急ぎその扉を開け放った。


 リビングは廊下以上の惨劇だった。床は大きく黒ずみ、家具はなぎ倒され、いたるところにガラス片が散らばっていた。カーテンで覆われていて電気もついていないため、朝方なのに薄暗い。


 そして何より目を引くのは、部屋の真ん中で椅子に拘束されている女性と、床に転がる二つの死体だった。


 女性の方は目隠しされ、手と足を紐で結ばれており、口にも猿轡さるぐつわを噛まされている。体にはいたるところに暴行の跡が見られ、紫色の痣ができていた。


 そばには机と、その上に銀色の燭台があり、そこに立つろうそくの燭明が、その机の上をぼんやりと照らしだしている。そこにはマチェットや出刃包丁などの刃物、注射器、鞭、拘束具など様々なものが並べられていた。


 薬品類も散乱している。そのうちのひとつに、「フェンタニル」と書かれた袋に入ってある粉末を見つけた。フェンタニルはモルヒネなどの数十、数百倍の効力を持つ鎮痛剤であり、多幸感や鎮痛効果から強い無気力に陥ることからゾンビ麻薬と呼ばれている。ごく少量でも昏睡や呼吸困難を引き起こし、死に至らしめるまさに危険物であった。そんなものがここに置かれているとなると、もはや正気の沙汰とは思えない。


 続いて床に転がる二つの死体に目を向けた。一方はスーツ姿で、外傷が激しい。右腕は肩から欠損し、腹は裂かれ胃や腸が漏れ出ていた。顔もほとんど原型をとどめておらず、また一部は腐敗が始まっており、ハエが集っていた。


 もう一方に目を向ける。そして、衝撃を受けた。それは、見るからに横井亮太だった。実際に会ったことはない。だが、都姫に見せてもらった彼の写真と瓜二つだったのだ。彼は目立った外傷こそ無いものの、周囲には大小さまざまな注射器が散乱し、投げ出された腕にも無数の注射痕が見受けられた。見開かれた目に光はなく、絶命は明らかだった。


 ひとつの答えに行き着いた。眼の前の景色は八幡直弥が引き起こしたものであり、あの不可解な横井の行動も彼に脅されて追い詰められていたからに違いない。そうなればあとは単純、彼を殺すだけだ。


 とりあえず、縛られている横井の母親と思しき人物を助け起こそうと、目隠しをほどいた。目元で結ばれていた黒い布が床に落ちると、完全に窶れきった目がゆっくりと桜田を見上げ、そして固まった。


 違和感。その女性の顔は桜田を見た途端、虚無から絶望や恐怖といった感情を含んだような気がしたからだ。最初は、周りの景色が目にでも入ったのだろうと思い、あまり気にせずに猿轡も外そうと手を伸ばした時、その女性はこちらを凝視して声にならない悲鳴を上げた。


 今度は明確に困惑し、思わず手を引っ込める。だが彼女の絶叫は止まるどころかますます大きくなり、虚空を見つめてなにかを耐えるような苦しげな息を繰り返す。


 そのうち鼻血がたれてきた。それを見た時、桜田は明確な異常に気づき、彼女のもとから飛び退いた。




 それは一瞬だった。飛び退いた瞬間、一気に彼女の顔部分がありえないほど真っ赤に膨れ上がり、あっという間もなく破裂した。





 周りに大きく血を撒き散らし、頭部が欠損した彼女の遺体は赤黒い噴水と化す。あまりに凄惨な景色であったが、桜田はその状況を冷静に分析し、そして瞬時に地面に伏せた。


 伏せた彼女の真上で赤黒い柱のようなものが空を切り、そのまま天井に勢いよく突き刺さる。木片がハラハラと降ってきた。


 その柱は大きな血溜まりから出ており、それが溜まっている血を吸い取っているのが見えた。それを見た途端跳ね起きて身を翻し、全速力で玄関へと急ぐ。


 玄関扉に体当りし、受け身を取って地面に転ばった。その瞬間、先程の柱から無数の、赤黒く細い針のようなものが弾丸のような速さで射出された。


 連続的に射出されるその針は桜田付近の地面にまで突き刺さった。すると眼の前で、針が突き刺さった部分から地面が液体状に溶け出し、ボコボコと沸騰しだした。


 腐食作用まで兼ね揃えているとは、そう思いながら小さく舌打ちをし、素早く立ち上がった桜田だが、背後から悲鳴が聞こえ、急いでその場所へと走った。


 目を疑った。そこには怯えた顔でへたり込んでいる都姫と恒田、そしてその二人に拳銃を突きつけている2名の大人がいた。


 そのどちらとも見覚えがあった。それはなんと、約一ヶ月以上も前に姿を消したあの新人隊員らだった。目に光はなく、なんの感情も感じ取れない。ただただ目の前の二人を事務的に殺すことだけを目的にした人形のようだった。


 すかさず、桜田も懐から拳銃を取り出し、彼らが撃ってしまう前に素早く二発銃撃した。射出された弾丸はまっすぐ二人の側頭部を貫通し、彼らはその場に倒れ込んだ。即死なのは間違いない。


 だが、それで終わりではなかった。後ろで誰かがこちらを見ている気配を感じ取り、すぐさま横に飛び退く。その瞬間、乾いた銃声とともに複数の弾丸が地面をはねた。


 見ると、先程出てきたばかりの横井亮太の家の玄関から、一人のスーツ姿の男性がこちらをアサルトライフルでフルオート射撃してきていた。


 あのアサルトライフルは、桜田が持っていた黒いバックに入っていたAK-47であり、あの襲ってきた柱のせいで家の中に置きっぱなしにしていたそのカバンから、それを取り出してきたのだろう。


 だが問題はそこではなかった。銃撃手はあの、腹が裂かれ殺されていた死体と瓜二つだったのだ。赤い針がところどころに刺さり皮膚がただれていはいるが、気にする様子もなくあの新人隊員等と同じ光のない目で事務的にこちらを狙いすましていた。


 困惑が困惑を生むが、表情には出さずにパルクールの要領で塀を駆使しながら華麗に避け、彼が弾を打ち尽くしたところをすかさず、一発撃ち込んだ。


 外すことなく弾丸は額の真ん中に命中し、彼は仰向けにのけぞって倒れた。起き出す気配はない。安全に処理できたようだ。


 周りを警戒しつつもどうにか脅威は去ったらしい。だが、困惑は抜けない。今屠った三人とも、魔族の気配は一切しなかった。つまり間違いなく人間だった。だとするならば、、、


 単車のエンジン音。だが、今度は先程とはわけが違った。明確な魔族の気配、それも異様なまでに濃い、、、


 振り向くと、こちらへ猛スピードで突進してきているバイクがあった。それにまたがる人物はフルフェイスヘルメットをかぶり、鳴矢高校の制服を身にまとっている。桜田は手元にあった銃を反射的に構えるが、バイクのスピードがあまりに速い。撃っている間にこちらが轢き殺されてしまうと判断した彼女は一転、避けに徹した。


 間一髪、そのバイクは避けた桜田のごくわずか真横を通り過ぎる。そのままバイクは止まることなく、桜田に背を向けて走り去ろうとしていた。


 逃させまいと、遠くなる背中に数発弾丸を浴びせる。だが相手は蛇行運転に徹し、一発も命中することなくそのうち弾切れを起こしてしまった。


 舌打ちをし、マガジンを入れ替えながら都姫ら二人に駆け寄る。怯えきってはいるが、怪我はなさそうだった、ひとまずは安心した。


 目の前の2つの死体を呆然と眺めていた都姫は、ゆっくりとこちらへ視線を上げる。そして桜田を見据えると、虚ろな目からとめどなく涙が溢れ出していた。


 桜田が目の前にしゃがみ込むと、都姫は無言で抱きついてきた。そのまま、肩に顔を埋めたまま嗚咽を漏らしてすすり泣く。一方恒田は放心状態で、目の前の死体を見つめるだけだった。


 胸が苦しくなる。罪悪感が胸の内でとぐろを巻いていた。ついに一般人を巻き込んでしまった。それも、あまりに強いショックを伴う出来事に。


 そっと手元にあった拳銃を懐へしまい、ゆっくり都姫の背中をさする。これで彼女が完全に落ち着けるとは思えなかったが、かといって何もしないのはあまりに無責任だ。


 胸の中で都姫が肩を震わし、嗚咽を漏らしながらこういった。


「日下部、、、さぁ、ん、、、怖か、ったよぉ、、、」


 心臓がきゅっと締め付けられる。殺し合いや死、ましてや銃までもが非日常の彼らにとって、恐怖以外のなにものでもないだろう。


 やはり、自分は疫病神だ。関わりすぎると周りに不幸が襲いかかる。孤独な「氷姫」としての自分を突き通してさえすれば、こんなことにはならなかったかもしれない。少なくとも魔族さえいなければ、決してこんなことにはならなかった。彼らと出会うことさえなかった。


 ふと気づく。まさか自分は、自身も気づかぬ間に無謀にも幸せを求めていたのではないか、つまり、幸せを自分なりに形にした、友達というものを。


 否定できない自分に驚きが隠せない。変えられたというべきか、変えられてしまったというべきか、とにかく、ADFのトップの一人として居たあの頃の感覚とは全く違うものだった。


 最近不意に出るため息にも納得がいく。この謎の疲労感は、今までの自分と都姫ら一般人・・・を重ね合わせ、その違いにどこか憧れと、その願いが決して叶うものではないという諦めに苛まれた末にでたものだったのかもしれない。いままで自覚などなかったが、そう考えてどこか腑に落ちていることこそが、何よりの証拠だろう。


 危険な兆候であるのは十二分に承知している。関わり合いを持ってしまえば、いざというときに私情に引っ張られる、当初のその考えは今でも変わっていない。だが、もう遅かった。今目の前にいる二人を、桜田は友人・・と判断してしまっていた。いくら拒もうとも、彼らにどうしても情が湧いてしまう。申し訳無さや不甲斐なさも桜田を苛める。互いの感情が混ざり合い、せめぎ合い、結局、どうしようもなさだけが心のなかに居座った。


 暫くの間、ぼうっと都姫の背中を擦っていたが、いつまでもそうはしていられないと思い立ち、都姫をゆっくり離して正面から顔を見据える。涙でぐちゃぐちゃになった彼女の顔は、嗚咽を漏らしながらもゆっくりこちらに目を向けた。


 様々な思いが胸の内を交錯するが、それをどうにか抑え込み、都姫に質問を投げかけた。


「さっき、拳銃を向けてきた奴ら、なんか言ってた?」


 優しい口調で語りかけるが、都姫はまだ落ち着くことができず、嗚咽を漏らすだけで答えることができない。代わりに、後ろで呆然と死体を眺めていた恒田がこう答えた。




「、、、鳴矢高校の生徒だな、って、、、ただ一言。」




 衝撃。そのときに感じたのはそれだけであった。鳴矢高校の生徒であるかの確認、横井亮太よこいりょうた八幡直弥やはたなおや、そして、あのバイクが向かった先、、、


 焦りと緊張が胸を覆う。ここまで感情が荒ぶるのは久々だった。桜田の予測が正しければ、今頃、、、


 いそいで立ち上がる。泣きながらも、不思議そうに見つめる都姫と、無感情な目でこちらを見ていた恒田に声を張った。


「今すぐ、警察と救急に電話して、鳴矢高校に向かわせて!」


「へ、、、?」









「高校が、襲われる、、、!」









 *十数分前*



 学校から約1,5キロほど離れた場所に車を駐車させた四阿庸平あずまようへいは、ポケットから煙草を取り出し、車にもたれかかりながら火をつけて吸っていた。


 部下の隊員らからは、喫煙はやめるべきと再三言われ続けてはいるが、多少なりとも嗜みがないと、殺し合いの日常が単なるストレスになるだけだった。いくら任務とはいえ、一服する時間は必要だ。


 高速道路沿いにあったショッピングモール、その立体駐車場の6階は、街が一望できた。遠くのほうで中心街のビル群が軒を連ねている。今日は祝日であるが、周りに車はそれほど停まってはいない。そのため人通りも少なく、大きなショッピングモールなのに珍しいとは思えど、そういうものだと素直に割り切った。


 はいた煙が空に立ち上る。そろそろ佳人かじんこと桜田に合流せねばと思いつつ、どうもその場から動く気力がわかない。


 この無気力さはおそらく、桜田なら大丈夫だという絶対的な安心感によるものなのだろう。ずば抜けた身体能力や頭の回転の速さ、応用力、実行力などもさることながら、彼女の中に眠る秘められた力・・・・・・を考慮すれば、むしろ自分など不要ですらあった。


 だが、不安要素も少なからずある。最近、桜田の様子が少しおかしい。作戦において大胆なことは昔から変わらないが、いつも冷静で、めったに他人に干渉しない彼女に、どこか他人への情のようなものを感じることがあるのだ。


 あの、恒田という少年がいい例だ。自分がよく知っている桜田は、迂闊に自分の情報を漏らすような愚行はしないはずだった。その方法が非合法であれ何であれ、何をしてでも相手を黙らす手段を取る彼女が、あの日不良に絡まれた彼を守った彼女の姿を、口頭で簡潔に脅す程度で口止めし、すぐ彼を開放したどころか、自らの目的を一部彼に教え、協力するよう求めたのだ。


 追及はしていないが、それはとても危険を伴うことだった。もし仮に恒田が桜田のことを他人に漏らした場合、かなり面倒なことになってしまう。最悪、自分含め上から死刑を宣告される可能性すらあった。


 まあ、四堂と八間である自分たちにそう宣告される可能性は低いといえば低いので、そこまで危険視はしていなかった。早ければ今日、任務は終わる。


 呑気に欠伸をした。考えるのがめんどくさい。横井亮太と八幡直弥、その二人をどちらも殺してしったほうが手っ取り早いとすら思えてきた。後方で雀が陽気に鳴く。思わず警戒心を解いてしまうほど、この街は平和そのものだった。


 車が一台入ってきた。白いバンであり後部座席の様子は伺えないが、運転席に座る男は見るからに私服で、買い物客同然の姿だった。


 吸っていた煙草を地面に捨て、足で踏み潰し火を消す。そろそろ移動する必要があった。四堂とはいえ、彼女の身に何かあっても困る。


 そうして運転席の扉を開こうとした時、突如として前方から破裂音のようなものが響く。足元でなにかが跳ね、火花が散った。硝煙の匂いが鼻先をかすめる。一瞬で、撃たれたことを知覚した。


 反射的にスーツの懐から拳銃を取り出す。P220の黒い銃身で狙いをすました。敵影は20メートルほど前方に5名、一人はパーカー姿の私服で、ほか四名は薄水色の作業着のような姿だった。どれも3,40代程度の男性であり、先程の白いバンからぞろぞろと出てきて展開しだしていた。手にはAK-47を抱えており、連携された動きで一気に引き金を引かんとする。


 四阿は自分の車から離れ、近くの柱に身を隠す。その瞬間無数の弾丸が四阿を襲った。耳をつんざくような銃撃音とともに射出された弾丸は、車のフロントガラスやタイヤを突き破り、絶叫のごとくセキュリティアラームが鳴り響く。四阿が身を隠す柱は銃撃面が抉られてはいるが、流石に貫通はしていなかった。


 だがこれもその場しのぎにしかならない。相手が距離を詰めてきたら八方塞がりだった。かといってこの場から動こうものなら蜂の巣にされる。


 どうしようかと考えているうちに、遠くの方から警備員らしき3名が何事かとこちらへ駆けてきているのが見えた。敵勢の増援かと思ったが、彼らが男らの姿を確認して恐怖で固まったのを見て、四阿は声を張った。


「逃げろ!」


 警備員らが四阿の声に気づいたのも束の間、男らがそちらに向き直り、彼らへ一気に射撃しだした。


 警備員らの血で赤い霧ができていた。容赦なく、且つ無差別に男らは人を射殺した。狙いはあくまで四阿自身なのだろうが、目に入った者はすべて殺す気配が感じられた。


 だが、おかげで隙ができた。四阿は柱から身を乗り出し、全速力でショッピングモール内に通じる自動ドアへと姿勢を低くして駆ける。一瞬遅れて男らもこちらに気づき、銃口を向けて無言で撃ってきた。だがあまり慣れていないのか、すぐそばを銃弾がかすめはするが四阿に命中することはない。かといって反撃しようにも、多勢に無勢ではあった。


 ドアの近くまで走り抜けたのち、手で握っているハンドガンの銃口を、その自動ドアのガラス部分へ向けた。間髪入れず4回ほど射撃し、ヒビが入ったところを勢いよく体当りして割って中にはいった。ガラス片で頬を切ったが、構うことなく素早く立ち上がり、前にあった下の階へと通ずる階段を下った。


 後ろから追手の気配がする。最大限に警戒しつつも、四阿は激しい困惑に見舞われた。あの襲撃者らに魔族の気配は微塵も感じない。むしろ、気配自体は人間的であったが、ひとつ一般人と違う点を上げるならば感情という感情が全くと言っていいほど感じられなかった。どこか機械的で、操り人形のような、、、


 、、、操り人形。まさか魔族は、人を操ることができるのか。


 なくはない、というより一番あり得ると思った。これが本当なら、連続失踪事件にも納得がいく。条件こそわからないが、何らかの形で被害者らを取り込み、操る。自らは干渉しないまま、作り出した尖兵が被害を拡大させる。そうすることで蓄えた兵力を、もっとなにか大きなことに使おうとし、そのためには邪魔な自分や桜田を排除、あわよくばこちら側に取り込めば、とても大きな利益になる。


 まるで感染症のようだと思った。急速に感染拡大が広がり、気づいたときにはもう手に負えなくなる。そうなれば誰かが開発するワクチンを待つか、被害が甚大ならばそれすなわち滅亡を待つだけになる。そして、それで言うなら自分たちがワクチンだったのだろう。なにか起きる前に対策をうたなければ、取り返しのつかないことが起きる。


 その、取り返しのつかないことの始まりがさっきの襲撃だとするならば、今頃桜田側にもなにか起きていると見るのが妥当だった。こうやって足止めされている間にも、どこかで何かが、、、


 突如建物が激しく揺れ、轟音が襲った。一瞬の間の後、階下から絶叫に似た悲鳴と複数の乾いた銃撃音が反響する。あまりの出来事に立ち止まりそうになるが、何が起こっているか確認するために急いで駆け下りた。


 階下は平和なレストラン街のはずだったが、今は阿鼻叫喚の地獄と化していた。必死の形相で逃げ惑う老若男女、その背中へ無言でAKを狙いをすます様々な服装の者たち、壁沿いにあった店の奥でくすぶるオレンジ色の炎、床に転がる大小さまざまな人間の死体、赤黒い液体溜まり、そして、血と硝煙の混じった、戦場特有のあの匂い。


 無差別武力攻撃、目的はわからないが魔族と無関係のはずがなかった。最悪の事態だ。こうならないためにここへ派遣されたはずが、結局はなんの役にも立てなかった。しかも襲撃者側も自らの意思で動いているとは思えない。四阿の目の前で彼、彼女らは操られ、利用され、自身の尊厳を踏みにじられているのだ。


 怒りがふつふつと湧き出てきた。この魔族の悪逆なる行為による被害者らのためにも、必ずこの手で首謀者を殺してみせると固く誓った。


 ハンドガンを構え、AKを携えている者たちを撃ち抜く。殺してしまうのは不本意だったが、避難する者たちや撃っている本人らのためにも楽にさせてやったほうが良いと思った。


 店員姿の女性やセーラー服の少女、スーツを身にまとっている中年男性、腰の曲がった老人など、多種多様な者共が四阿に額の真ん中を撃ち抜かれ、そのどれもが突っ伏して動かなくなる。


 マガジンを素早く入れ替え、残党の掃討にかかる。敵勢も一歩も引かず、無感情な顔でこちらを見据えては銃を乱射していた。だが自身は八間の名を冠する者であり、そう簡単には殺せない。相手の弾は空を切るばかりで四阿に命中することはなく、逆に四阿が放った弾丸一発一発は的確に相手を一人ずつ減らしていった。


 3回目の弾切れと同時に5階フロアの敵は片付いた。床は血で濡れ、死体が所狭しと並んでいた。中には小さな子供のものもあり、それがさらに四阿の怒りを誘う。無意識のうちに、グリップを握る手の力が強くなった。


 だが未だに階下では銃声と悲鳴が聞こえる。火災報知器が火事を大々的に知らせてはいるが、それ以上に銃撃による犠牲者が多すぎる。悲惨の二文字では片付けられない状況だった。


 とりあえず下の階へ行こうと身を翻す直前、ポケットに入れてあったスマホが震えた。走りながら手に取ると、それは桜田からの着信だった。迷いなく通話開始ボタンを押し、耳に当てた。


『四阿!しくじった、鳴矢高校が危ない!』


 焦ったように彼女が言う。まさか鳴矢高校でも同じ惨劇が繰り広げられようとしているのか。


「こちらも謎の武装勢力が、車を止めたショッピングモールで人を撃ってます!犠牲者多数で相当苦しい状況です!!」


 こちらも必死でそう答える。通話口で桜田が息を呑む気配が感じられた。一拍置いて、彼女は話し出した。


『、、、武装、勢力?魔族関係の?』


「あくまで予想の域を出ませんが、おそらく相手の魔術は人間を操ることができます!それで、本人らの意思と反して無差別に人を襲っているのかと!!」


『そうか、たしかにそれなら失踪事件にも納得がいくな。、、、わかった。お前は警察が到着するまで避難者を防衛しろ!!悪いが死守だ!!高校のほうは私が対処する!!!』


「わかりました、お気をつけて!!」


 慌ただしく通話が切れた。階段の手前まで駆けた四阿は立ち止まった。目の前には駐車場で襲ってきた5人。そのどれもがこちらへと銃口を向けている。だが四阿は臆することなく、彼らへこう大声で語りかけた。


「不本意だが、お前らのためにも俺はお前らを殺さねばならない」


 彼らは引き金へ指をかける。その姿を見て、本気で声を張った。







「どうせなら死ぬ気で来い!!俺が受け止めてやる!!」







 ***


 ここまで焦るのは久々だった。


 桜田は横井の家周辺を離れ、全速力で町中を駆けていた。遠くのほうで黒煙が空に立ち込めているのが見える。あれが四阿の言っていたショッピングモールなのだろう。思っている以上に被害は甚大そうだった。


 二人は悪いがその場に置いてきた。これ以上危険な目には合わせられない。恒田が警察に連絡したのを見た後に、彼女らが引き止めるのを振り払ってここまで走った。桜田のその速度にはおそらくついて来られない。もう今後、二人と会うことはないだろう。


 複雑な思いだった。自分が普通でありたいと、心の奥底で思っていたことに気がついてしまった以上、今すぐ引き返して彼女らと平和な日常を送りたいという思いが後ろ髪を引く。


 だが桜田は、理想主義的な人間ではない。そしてその願いが、決して叶うはずもない無謀なものと十分理解している。別れは惜しいが、もうこれ以上関わることはできなかった。血濡れた手で、彼女らの澄んだ涙を拭うことなど、できるはずもない。


 思いを振り切るために、握っていたスマホを再度開き、ワイヤレスイヤホンを接続して、あるアプリを立ち上げる。複雑な操作の後、ノイズ混じりの音が、片耳だけ入れたイヤホンから流れ出てきた。前に直弥の筆箱に仕掛けた盗聴器だった。今の時間は一限目が終わった後の休み時間のはずだったが、生徒らの談笑は聞こえない。代わりに、咽び泣くような声と男性の怒鳴り声が鮮明に聞こえてきた。



『、、、て聞け!この教室内に八幡直弥なる人間がいるはずだ!そいつだけは黙って手を挙げろ!』



 それは確かに、横井亮太の声だった。四阿の予想は的中していると思った。たしかにこの目で、横井亮太の死体を確認している。つまりこの盗聴器の先にいる横井は本物の魔族が彼の体を利用しているにすぎず、本人の意志でのことではないはずだ。腹立たしい。無惨にも命を奪っただけでは飽き足らず、尊厳まで踏みにじるとは。


 だがそうなると、八幡直弥の存在は謎が深まるばかりだった。主犯格が現在の偽横井とするならば、彼は一体何なのだろうか。さっきの無線の怒鳴り声から察するに、魔族は直弥が誰だかは認知していない様子だった。ということは仲間ではないのか。いや、結託してわざと緊迫した空気を作り出しているようにも思える。、、、今この場での状況判断は厳しいものがあった。


 沈黙の後、再び横井の声が怒鳴った。



『早くしろ!さもなくばこの女の頭に風穴を開けるぞ!』



『いやぁあ!!』



 どうやら魔族は人質を取っているらしく、さっきの泣き声もその女子生徒からと容易に推測できた。一方、横井の声にはどこか焦りのようなものを感じた。焦りと、怯えの混じったような、そんな声。何に対する怯えかは明白だろう、桜田自身だ。自らの刺客が、おそらく彼が影で見ていた目の前でいとも簡単に殺られたのだから。



『うるせえなこのアマ!死、、、』



『ま、待て!俺だ!俺が八幡直弥だ!』



 今度は近くで声がした。盗聴器が仕掛けられているであろう筆箱からの距離から察するに、八幡直弥で間違いない。



『そうか、ならば何も持たずにこちらへ来い。なにか持っていた場合、即刻こいつを殺す。』




『わ、わかった、、、!』



 慎重に移動する足音が聞こえる。その他は女子生徒の泣き声以外異様なまでに静かであり、緊迫感を物語っていた。


 桜田のほうもようやく、鳴矢高校の校舎が見えてきた。そして携帯からの音声とは別で、車のクラクションのようなものがびーっと鳴り続けているのが聞こえた。少し進むと、路肩に駐車してある白色の軽ワゴンが見え、どうやらそこからクラクションは鳴っている様子だった。


 不穏な気配を感じつつ、ゆっくりと近づく。徐々に車内の様子がわかってきた。仕事着姿の中年男性が、ハンドルにもたれかかっている。頬でホーンボタンを押し続けているにも関わらず起き上がる様子はない。顔をそむけているので表情までは確認できないが、車のサイドウィンドウがクモの巣状に割れているのと赤黒い血痕から察するに、先ほど目の前を通り過ぎたバイクに撃たれた可能性が高かった。


 ひとまず脈拍を取ろうと急いで扉を開ける。そのまま倒れている体を起こし、手首に手を当てようとしたその時、再び横井の声が響いた。




『はっ、正直だなお前は。本当に何も持ってないじゃないか。こうなることは予想できただろう?』




 息を呑んだ。偽横井が次にやろうとしていることが容易に想像できた。彼のあまりの残虐性に思わず、桜田の声を漏れ出る。


「待っ、、、!」


 直後、少女の悲鳴の後に激しい物音が反響した。一瞬の間の後、数々の絶叫とともに先ほどとは比にならないほどのとても激しいノイズ音と、液体が飛び散る音、人体が床に倒れるような音、弾が跳弾する音などが耳の中で鳴り響く。そのどれもが聞くに耐えないものばかりだった。イヤホンをつけていない方の耳でも、遠雷のごとき銃声が街全体に響いているのがわかる。桜田は握っていた男の手首を離し、顔を覆った。


 まただ。また、無関係な一般市民を巻き込んだ。罪悪感で押しつぶされそうだった。彼らは自分に、普通の生活というものを教えてくれた。その結果、桜田の人に対する思いは自らが気づかぬ間に変わっていた。殺し殺されの生活が狂っていると気づかせてくれた。ADFからすればそれは、許されるべきことではない。だがいち人間として、サイコパス的人生観を大きく変えてくれたことは感謝してもしきれないはずだった。


 だがどうだ、自分はその恩を仇で返すようなマネしかしていないではないか。少しでも関わったもの皆、殺されそうになったり、将又惨殺され、挙げ句の果てにはその体までも利用されているのだ。生きるべきものが死に、死ぬべきものが生きているこの状況は、最悪という言葉では生ぬるいほどであった。


 そうして愕然とする桜田は、直前まで目の前の状況に気づけなかった。小さな衣擦れの音を聞いた時、はっと跳ね起きるように前を見た。そこには先程まで眠っていたはずの男が、出刃包丁をもった両腕を大きく振り上げ、今にも突き刺さんとしていた。


 桜田はとっさに振り下ろされた左腕の方を掴み、彼の手首を返して男の右腕関節より少し下、前前腕部にそれをめり込ませた。


 男は小さくうめいたが、まるで痛覚を感じないのか突き刺さった包丁を引き抜き、出血しているのも気にせず横に振るった。


 桜田は車外へ飛び出、その斬撃を躱した。男は光のない目でこちらを見据え、無表情のまま桜田のもとへ行こうとする。だがシートベルトが邪魔をし、そこから出るのに手間取っていた。


 やはり彼も操られている。あの斬撃も、技術はあったが力が足りていない。魔術によって想うがままに体は動くが、身体能力や力などは強化されず、本人が持っていたままの力しか出せないのだろう。一般の成人男性程度の力では、自分に敵うはずもない。


 すると横から、市販の卵より一回り大きいサイズの物体が、誰かに投擲されたのかこちらへ落下してくるのが見えた。


 深緑色の投擲物。目を疑ったが、M26手榴弾で間違いなかった。ピンは抜けてり、投げた時点で1秒強はかかっていると考えれば、わずか2〜3秒後には破裂するだろう。撃ち落とそうかとも考えたが、今ここでそうしようとも結果は変わらない。


 手榴弾で最も危険なのは破裂時の爆発ではなく、爆発後その威力で吹き飛ぶ破片だ。その殺傷能力はかなりのものであり、それを踏まえたうえで桜田は素早く判断して近くの民家の石塀を軽い身のこなしで乗り越え瞬時に伏せる。その瞬間地面の激しい揺れとともに手榴弾が炸裂した。至近距離の爆発のため聴覚が麻痺し、ひどい耳鳴りがイヤホンからの音も一時的に遮断したが、炸裂直前はまだ銃声は鳴り止んでいなかった。


 塵が視界を覆う。流石に破片が石塀を貫通することはなかったが、威力は相当なものだった。車のセキュリティアラームは止まったようであり、超至近距離での爆発でおそらくボロボロの状態だろう。中にいた男も無事とは思えなかった。また見殺しにしたと小さく歯ぎしりをしつつ、ゆっくり立ち上がる。まだまだこもりがちだが、徐々に聴覚も回復しつつあった。


 火薬の匂いが鼻先をかすめる。服は煤だらけだったが、体はかすり傷ひとつ負っていない。かといって迂闊に塀を超えれば刺客から集中砲火を浴びることになる、だが待っていても結果は同じだった。そうこうしているうちに、塀の外で複数の足音がこちらに近づいてきているのが聞こえた。桜田は上を見上げ、音を立てないよう跳躍し、パルクールなどを駆使して屋根の上に登った。


 刺客の姿が見下ろせた。三名の、40代前後の女性だった。どれも桜田の顔見知りではなかったが、私服姿とはミスマッチのAKを携えており、男同様顔に生気は感じられない。停められていた白の軽ワゴンは大破し、扉はひしゃげ、窓ガラスはすべて割れていた。上から内部の全容は確認できなかったが、助手席に投げ出され、ピクリとも動かない右手首をみただけでもおおよそは推測できた。


 幸い、彼女らは屋根の上にいる桜田に気がついていない。その隙に、隣の屋根から屋根に飛び移り、学校方面へ全力疾走で走った。その時にはもう聴覚は完全に回復しており、イヤホンからは横井の高笑いが聞こえていた。




『いやー絶景絶景!これが見たかったんだよこれが!はははっ!!』




 さも愉快そうに笑う彼に化けた魔族、いらだちと殺意が募る。校舎に近づくにつれ、AKを携えている大人や荒らされた車、所々に転ばる死体、くすぶる炎など、街は混沌と化していった。中には警察官やパトカーもその惨事の一部となっており、さながらテロの様相だった。




『こいつを例の場所まで連れて行け。絶対に傷つけるなよ。』




 ひとしきり笑ったあと、彼は落ち着いた声でそう言った。例の場所というワードが耳に引っかかったが、それよりも大きな疑問が頭をよぎった。


 もしや、魔族の狙いは八幡直弥自身なのではないか。我々ADFと同じく、あちらサイドも直弥の実態がつかめずにいて、彼が本当に人間と魔族の混血か、第三の種族ならば大きな利用価値があると踏んだのではないか。いや、違う。それで言うならば、ここまでの大規模襲撃を画策してまで身柄を確保しようとしているのなら、彼にはすでに魔族に対する大きな利益が隠されていると考えるべきだ。どうであれ、もしそれが成功したならば、何かしら我々の大きな脅威になることは間違いないだろう。だが、予測の範疇は出ない。直弥の返答次第で、それも大きく変わってくる。


 校舎まで20メートルを切った。校門には亡者たちの防衛線が張られているが、桜田はそれを屋根の上から軽々と飛び越え、受け身を取りつつ敷地内へと侵入した。追手数名がこちらに銃口を向けるが、姿勢を低くし蛇行したり障害物を駆使しながら走ることで銃撃から逃れ続けた。


 そうして校舎前の入口付近に来たが、そこから入るようなマネはしない。桜田は横に突っ走り、校舎前に立つ大きな木を目指し走り続けた。


 校舎の壁に弾丸が跳ね、跳弾音が真後ろから聞こえる。一瞬でも立ち止まれば終わりだった。いまはただ、2−3の教室に行かなければ。


 イヤホンから直弥の声が聞こえた。




『父さん俺だよ!なんでっ、、、くっ、、、!、、、亮太てめぇ!何しやがった俺の家族に!』




 父親も取り込んだか。やはり、直弥の切羽詰まった声に嘘の響きは感じられない。とすると、彼は横井に化けた魔族とは無関係なのだろう。普段なら冗談でも信じられないが、今はそう信じるしかない。


 そうなれば、敵は一つに絞られた。あとは、、、



『大声出すな。場が白けるだろ。』




『ふざけたこと抜かすんじゃねぇ!何が目的でこんなこと、、、!』




『うるせぇなガキ、ろくに戦場も知らねぇで何抜かしてやがる。無知極まりない。虫酸が走る。本当ならまっさきに殺してやりたいぐらいだ。』




『お前、、、一体どうしちまったんだよ!?』




『あとな、俺は横井亮太なんかじゃねぇ。人間なんざと一緒にすんじゃ、、、』




 もうそこまで聞けたら十分だった。桜田はポケットにあったスモークグレネードを敵に向かって投擲し、炸裂と同時に1秒足らずでその木を猿の如く登りきった。そして該当の教室の窓方向に伸び切った太い枝を、強度の心配もせずに駆けて先端で跳躍した。


 窓と枝の距離はそれなりにあったが、異常に発達した筋肉はその距離を容易に飛び越えることができた。無差別攻撃による銃撃の影響でヒビが入ったその窓を勢いそのまま突き破り、桜田は堂々と魔族の居座る2年3組の教室へと侵入した。


 周りを見渡す。これまで見た状況の中でも1,2を争うほど悲惨な状況だった。鼻が曲がるような異臭が漂うその教室は、床や天井にはおびただしい量の血液がこびりつき、壁も銃痕と血でまみれていた。周りには様々な臓器や制服姿の死体で溢れ、それを囲うように目に光がない十数名の大人たちがAKを携えている。その中でも異色を放つ者が、教卓付近でこちらを驚愕の目で見つめていた。


 姿だけ見ればそれは間違いなく横井亮太自身だった。だが、気配が明らかに違う。一般人なら感じられない、気持ちの悪いあの気配、、、


 桜田の目の前には、一連の事件の犯人である魔族が、八幡直弥を人質のようにして佇んでいた。彼は桜田の姿を見た途端、苦虫を噛み潰したような顔になり、歯ぎしり混じりにこう低く呟いた。


「日下部、純麗、、、!」


 その瞬間怒りが爆発した。息の根を止めるべく、眼の前の彼に向かってまっすぐ走った。一瞬遅れて、魔族は周りの大人達に桜田を殺すよう命じる。それに応じ、20代後半くらいの容姿の男性が前に立ちはだかった。


 桜田はその動きを読んでいた。男が銃口をこちらへ向ける前に足に払いをかけて跳躍し、後ろ回し蹴りを二段、躓きかけている男の側頭部へ踵をめり込ませた。


 あまりの勢いに、男は白目をむいて気絶する。すると横から、今度はふくよかな体型の男がこちらに無言でタックルしようとしているのが見えた。


 桜田はその男を正面に見据え、真っ向から立ちはだかった。勢いそのまま、大きな体が桜田へ激突する。だが桜田は男と何倍もの体格差があるにも関わらず、吹っ飛ぶどころか一歩もよろめきすらしなかった。桜田は無表情で心窩に膝蹴りを浴びせ、力が弱まったところを背負投の要領で地面に叩きつけ、あらわになった額にゼロ距離で拳銃を放った。


 桜田は、血を吹いて絶命した男を盾にして伏せる。一瞬の後、落雷の如き銃声と同時に、背中越しに男の体が荒ぶるのを感じた。展開しきった敵は桜田の前に立ち、こちらへ一斉射撃してきたのだ。


 幸い男の体が厚かったため銃弾がすぐには貫通することなく、体も大きいため華奢な桜田の体は男の体に完全に隠れられていた。銃声が鳴り止まないうちに、男のスリングに掛けられているAKを手にとって、彼の脇から器用にバレル部分を出し、引き金を引いた。


 敵影は目視できないためほぼほぼ自身の感覚を信じるしかなかったのだが、どれくらいの射角と弾数で殺せるかは、男の背に隠れる寸前見た敵らの姿からなんとなくだがわかっていた。


 的確に、かつ効率的に殺す。マガジンを入れ替えるほどの時間的猶予は、盾にしている男の体が厚いとはいえ、貫通は時間の問題だったからない。つまりワンマガジン―――約三十発の銃弾で十数名の敵を一気に屠る必要があった。


 右側の敵から、セミオートで撃ち続ける。殺せたかどうかは聴覚だけが頼りだった。ひとり、またひとりと銃声が鳴り止み床に倒れる音が響く。人形のごとくただ桜田を殺そうとする彼らに仲間意識などなく、人間性や自身の命の尊さは魔族によって無くされている。いくら仲間が撃ち殺されそうとも動揺が広がることはなく、恐怖で逃げ出したり、焦ったりすることも一切ない。


 それは、兵士としては洗練された事かもしれない。だがこの狭い教室で、脳死のまま、しかも桜田相手に数で押すなど無謀に等しい。例えるならそう、完全装甲の戦車相手にハンドガン一つで挑むような、そんな愚行。


 三十秒も経たずして、銃撃に参加していた十数名の大人がわずか二名まで減った。もう十分だろうと桜田は盾にしていた男を未だに生き残っている敵の方へ突き飛ばす。細い手足からは考えられないほど強い力は男を吹っ飛ばし、大量の血や臓器をまき散らしながら机や椅子を巻き込んで転倒した。


 それに銃撃手の一人も巻き込まれる。激しい転倒に思わず体勢を崩したところを、瞬時に近づいた桜田が額の真ん中に風穴を開け、絶命させる。


 残り一人はAKの銃尻で桜田を殴りつけようとしたが、それを片手で受け止め、ノールックで後方にハンドガンの銃口を向けた。射撃すべき場所は確認しなくても感覚で分かる。桜田は一度だけ引き金を引いた。


 AKを持つ相手の力が弱まる、一瞬の間の後後ろで人が倒れた音がした。片目でそれを確認する。彼も額の真ん中に穴があき、仰向けで両手両足を投げ出して、血を流しながらまばたき一つせず死んでいた。


 八幡直弥を除けば、敵は残り3名。一人は驚愕と絶望の入り混じったような表情を浮かべる、横井亮太に化けた魔族。もう一人は直弥を羽交い締めにし、うつろな目で彼の側頭部へ銃を突きつける、どこか直弥に顔立ちの似た男、そして、、、


 偽横井は、そばに居た身体の大きな青年に声をかける。彼は、先程桜田が盾にしていた男とは違い、筋肉質でガッチリとした体と韓流アイドルみのある顔立ちをしている。服は制服で、緑色のブレザーに赤のネクタイ、白のワイシャツに灰色のスラックスと、桜田から見ればどれも見覚えのあるものばかりだった。


 それはあの日、恒田を襲ったグループのリーダーで、以前から行方をくらましている男であった。たしか、桔梗ききょうという名字だと恒田が言っていた気がする。消息を絶った日から服装は一切変わっていないため、彼がそうだとすぐに判断できた。


 やはり彼も目に生気が感じられない。何を考えているのか、持っていた銃をかなぐり捨てて、無表情でゆっくりとこちら近づいてくる。それが彼の僅かに残された意思なのか、魔族による桜田への挑戦なのかは判断できないが、ある言葉が脳裏をよぎり、その言葉をそのまま、髪をかきあげつつ言い放った。




「、、、大男総身に知恵が回りかね。」




 桔梗が腕を振り上げる。桜田はその隙を見計らって素早く彼の懐へと入り、脇下を強く圧迫した。


 脇の下には大量の神経がある。そのうちの、脳から頚椎を経由し、肋骨から脇下を通って腕に到達する神経を強く刺激したことで、急性末梢神経障害を起こそうとしたのだ。案の定、桔梗はうっと小さく呻き、思わずかがみ込んだ。


 その隙を逃さず、桜田は彼の顔面に膝をめり込ませる。そして、鼻血を吹いて上を向いた彼の顎下に拳銃を突きつけ、瞬時に射撃した。


 銃弾は銃を突きつけた箇所から脳天へと貫通した。桔梗はそのまま脱力し、蹴りによって浮いた身体は自重によって地面に叩きつけられた。




 教室のフローリングに、また一つ新たな死体が積み重なった。床色は元の色がわからないほど赤黒く変色し、血の酸っぱい匂いと銃からの硝煙の匂いが混ざり合う、まさにこの世の地獄とも言うべき景色であった。



 続く、、、

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